【No:1187】→【No:1208】→【No:1226】→今作
チュンチュン……
――天井……見覚えのある……
「やっとお目覚めね、祥子」
「……お姉さま?」
私を暖かく包む声にはっと体を起こすと、辺りを見回す。
「祐巳は! さっき確かに祐巳の声が!」
「祐巳ちゃんは、一度家に帰したわ。ちなみにあなたを見つけたのも助けたのも彼女。お医者さんの話だとあと少しで肺炎をこじらせるところだったらしいわよ」
「そう、ですか……」
私は自分の最後の記憶が夢ではないことに安堵する。しかし、私は祐巳がいないことに比較的大きい寂しさを感じていた。
そんな私を知ってか知らずか、お姉さまは私に操作していたノートパソコンの画面を差し出した。
その驚くべき真実に寝起きの気だるさなど吹き飛んでしまった。
「なっ! これは一体……」
「それを今から説明するわ」
そこから、お姉さまの話が始まった。
ピッ……ピッ……ピッ……
私が清子おばさまから連絡を受けて祥子の家へ飛んでいくと、祥子の隣には祐巳ちゃんがじっと座っていた。手を握っていたわけでも、祥子を見つめていたというわけでもないけれど、彼女は確かに祥子を心配していたことはわかった。
「ごきげんよう、……祥子は?」
私の存在にやっと気付いたのか、ブンッと驚いた顔で振り返るも、すぐにいつもの無表情に戻ってしまった。
「眠ってます。熱は高いですが、肺炎にはなってなかったそうです。清子さまは今タオルの水を換えに行ってます」
「そう。祥子についていてくれてありがとうね、祐巳ちゃん」
「いえ、これに関しては私の責任もありますから」
そう言うやいなや彼女は立ち上がり、私の横を通り過ぎて戸に手をかけた。
「ですが、紅薔薇さまがいらっしゃったので私の役目は終わりです。紅薔薇のつぼみにはもう私に話しかけないで下さいと伝えてください。……では、ごきげんよう」
返事も聞かずに祐巳ちゃんは部屋を後にした。
出て行く彼女の後姿が残念そうだったのは気のせいだろうか……
真意を確かめたい私は祥子の方をチラッと見て、まだ寝ていることを確認すると祐巳ちゃんの後を追うことにした。
「お待ちなさい!」
私は清子おばさまと挨拶をして去ろうとする祐巳ちゃんをすんでのところで引き止めることができた。
「何か?」
「祐巳ちゃん、よかったら祥子が起きるまで一緒にいてあげてくれないかしら……」
「いえ、あいにく今日も学校がありますので。もう陽も上がってますから」
時計の針は6時半を指していた。確かに一度帰るのであれば、シャワーも浴びるだろうから8時半始業のリリアンへはギリギリの時間である。
しかし、それ以上に何かを隠そうとしてなのか、目を合わせてくれない。
本当は祥子のことが心配なのではないだろうか。
この子は物言いこそきついが、志摩子の言を信じるならば根は優しいはずだ。そんな子が自分のせいで傷ついた人を気にしないだろうか。
「あら、それならうちから道具を取りに行かせましょうか? 外は寒いし祐巳さんまで風邪ひいたらいけないわ。リリアンへも蓉子さんと一緒にうちの車に乗っていくといいわ」
「いえ、それこそ結構ですから」
あ、しまった、祐巳ちゃんはこういうの嫌いだったっけ。清子おばさまは知らなかっただろうし、仕方ない、わね。あの人の純粋な好意なのだもの。
「ふぅ、じゃあ祐巳ちゃん、今日の劇の練習が終わったらお見舞いに来てあげて。約束したつもりはなくても祥子に一応は謝っておいた方がいいわよ。その頃には祥子もきっと目が覚めているだろうから」
「……わかりました」
しぶしぶといった感じで頷く。
「じゃあ玄関まで送るわ。私は遅刻していくつもりだから、もし薔薇の館の人に会ったら、えぇ、志摩子でもいいわ、伝えておいてもらえる? 私からも連絡はしておくけど」
返事はしてくれなかったが大丈夫だろう。何故かは知らないが、そんな風に思えた。
私が祐巳ちゃんの背中を押して玄関を出ようとすると、リリアンの制服に身を包んだ金髪の女性が黒いリムジンから降りてこちらへやってきた。
そして、その瞬間祐巳ちゃんの体が強張るのが触れた手から伝わる。
ということは、この人が……
「ごきげんよう、朱実さま」
「ごきげんよう、紅薔薇さま。あぁ、ついでに福沢祐巳さん」
祐巳ちゃんが先に挨拶したのに、今まで気付かなかったかのように挨拶する。
やはり、二人の間に何かあったようね。
「ごきげんよう。あなたが水戸朱実さんね」
「あら、紅薔薇さまが私を知っていてくださったとは光栄ですわ」
彼女は手で口を隠して上品に笑う。
横で祐巳ちゃんがチッと舌打ちした。
それを見て朱実さんは眉を顰めて嫌悪感をあらわにする。
「あら、どうして祐巳さんがこんなところにいるのかしら?」
その口ぶりはまるで相手を見下すような喋り方だった。
祐巳ちゃんもキッと睨みつけて引く気配はない。
「いちゃ悪いですか?」
「いえ、そんなことはないけれども、あなたが小笠原グループのトップのお屋敷にいるなんて、夢にも思わなかったから」
「そうですか、しかしあなたには関係のないことです。放っておいてください」
「あら、つれないわね」
傍から見るとただの日常のやり取りに思えないこともないが、雰囲気がどこかおかしい。
一体、彼女らの間に何が……
「では、遅刻するといけないので、ごきげんよう」
「えぇ、ごきげんよう」
思考に沈んでいる間に会話が終了していた。
朱実さんがおばさまに挨拶するとかで私とも会釈をしてすれ違う。
――ふん、一般人の分際で、生意気な……
私の耳は背後で呟かれた小さな音をはっきりと拾っていた。
ちょっと待て、彼女は今、何ていった?
私の理性が急激に怒りで侵されていくのがわかる。
私は振り向いて掴みかかろうとするものの、腕を押さえられたために進むことは叶わなかった。
「祐巳ちゃん……」
彼女にも聞こえていたのだろう、しかし本来の彼女ならば食って掛かるような状況であるにもかかわらず、彼女は肩を震わせて、ただただ俯いているばかりだった。
「泣いて、いるの?」
彼女は弱みなど見せないと、擦った後が赤く残った瞳で顔を上げた。
その表情は心の内の悔しさを隠そうと無表情を貫こうとするが、隠し切れずに強く握り締めた両手がはっきりと私の目に焼きついていた。
形は違うが私はこの子に似た人を知っていた。
その人、白薔薇さまである聖は、栞さんが去った十二月のあの日から触れればすぐにでも壊れそうなほど脆く、儚かったことを覚えている。
声をかけようとした次の瞬間、祐巳ちゃんは私の手をすり抜けて走り去ってしまった。
「はぁ、つくづく面倒好きな性格よね、私って。それにしても、繋がりそうな糸口といえばあの二人に何があったのか……かしら。ふぅ、都合よく教えてくれる人がいたら奇跡ね」
「じゃあ、僕は奇跡足りえる人物になるのかな?」
そこにいたのは赤いフェラーリに寄りかかり、さりげないポーズを極めた、爽やかすぎる笑顔の男だった。
「花寺の生徒会長さんが朝早くからどうなさったんですか?」
「いや、僕の婚約者が風邪で倒れたと聞いたからね、居ても立ってもいられなくなったのさ」
は? 婚約者!?
確かこの男は同性愛者だという情報があった気がする。そんな男と男嫌いの祥子が婚約しているなんて……
「ははは、そんなに驚かれるとは、さっちゃんから何も聞いてないんだね」
「えぇ、残念ながら。後で祥子に聞いてみますわ」
もしかしたらこの男の妄想かもしれない、という嫌な想像は頭の隅に追いやっておいた。
「それにしても朝早いのですね」
「僕も学校があるからね。生徒会長が遅刻では周りに示しがつかないんだよ」
両手を降参、とばかりに挙げて苦笑いを浮かべる。
この一連のしぐさの自然さに一瞬呆れてしまったが、このまま相手のペースに乗せられるのはまずい。しかも話がずれてきている。
「お聞きしたいことがあります。これは祥子たちの未来がかかっている問題なんです」
「何かな? さっちゃんのためならいくらでも力になろう」
「小笠原グループでも中枢に近い柏木家ならご存知かもしれませんね。二年以上前に、水戸家の方で何か大きな動き……事件のようなものは起こってないかしら? 『福沢』という名前がどこかで関係しているはずなの、もし知ってらしたら教えていただけないかしら」
「水戸か……確かあそこは建設業全般を手がけていたはずだけど、十年前に一度設計の新規格を打ち出したことぐらいしかわからないな。……ちょっと待て、ちょうど帝王学の勉強用にそれくらいの時期の情報が入ったパソコンがあるはずだ」
何かピンときたのだろうか、さっと車の助手席に滑り込んで鞄の中から取り出したノートパソコンの電源を入れる。
「本当は絶対外部の人に見せちゃいけないんだ……だからこのことは絶対に秘密にしておいてくれないかな」
後ろから覗こうとした私を振り向いた彼が真剣な目で問う。
私は頷くととりあえず背を向けた。秘密の情報ならできるだけ見ないほうがいい。
やっと起動したようで、キータッチの音が耳に入ってくる。
「これか……水野さん、『福沢』が見つかりましたよ」
差し出されたパソコンの画面の中央に映し出されていたのは、黒い文字列の中で唯一の、赤い文だった。
――三ヶ月前に水戸設計の提出した耐震新規格案が福沢設計事務所の開発したものだと判明。急ぎ対応するも規格案を世間に公表、グループ総会においても全会一致で承認された後であったため、グループの利益保持のため事実の隠蔽を指示。福沢設計事務所に対しては内密に開発費用3000万、慰謝料5000万、口止料5000万を支払い示談、開発協力企業に追加登録される。担当の部長以下数名の解雇。なお、情報の入手経路については社長から降りてきたという噂があるが真偽は不明、また、当事者双方共に口を閉ざしており詳細は不明。
「この時の社長が『水戸 玄武』、さっちゃんと同い年の朱実ちゃんの父親だよ」
To Be continued...