「母さん。ちょっと待って」
「どうしたの? 可南子」
私は道の向こうに見知った顔を見つけ足を止めた。
つい先ほどまで、レストランでささやかなクリスマスパーティーを母と二人で祝い、道すがら先ほど食べた鴨料理の話題で盛り上がっていた。それなのに突然話を止め立ち止まった私に、母はいぶかしげに振り返った。
母が私の見つめている方向を見て、あっと小さく声を上げた。駅前広場のベンチに座っている一人の少女。周りの闇にとけ込みそうなリリアンの黒い制服。
まだ時刻的には遅い夕方とはいえ、冬の太陽はとっくに落ち、街を彩るクリスマスのイルミネーションだけが、道を照らしている。そんな灯りのもとではすれ違う人の表情がかろうじて見える程度なのに、このとき私は、なぜかそれが誰でどんな表情をしてるか判ってしまった。
「お友達?」
「うん」
母の質問に頷く。母も気付いたのだ。その少女が肩を震わせ泣いていることに。
「行ってらっしゃい。大切な友達なんでしょう?」
「うん。母さんは先に帰っていて」
「ばかね。高校生二人じゃ危ないでしょう。私はこのあたりで待ってるから、何かあったら大声で呼びなさい」
「判った。ありがとう」
「どういたしまして」
優しい笑顔で送り出してくれる母に感謝しながら、私はそのベンチに歩み寄った。
ベンチに座っていた友人は不意に人が近付いてきたことに驚いたのか、びくっと身体を強張らせ、顔を上げた。しかし私の顔を見つけると、驚きそしてばっと下を向き、表情を隠す。
その僅かな間に私は見てしまった。普段の憎たらしいほど強気だった顔が涙でくしゃくしゃになってるのを。自分で自分のことを傷付け、その傷みに必死に耐えているのを。
「ごきげんよう、隣座るわね」
予想通り返事は帰ってこない。私は傷ついた彼女に直接触れないよう距離をあけ、それでも自分の体温が見るからに冷え切った彼女に伝わることを祈って、ぎりぎりまで近くに寄って座った。
そのまま無言で空を見上げる。イルミネーションの光で残念ながら数えるほどしか星は見えない。ぽつんぽつんと離れたところで瞬く星は、仲間と寄り添って星座を形作るとは思えないほど、孤独な存在だった。
ほおっと息を吐くと、空気が白く変わる。隣で俯く友人からも白い息が吐き出されているものの、それはとても頼りなかった。
「……ないのね」
「え?」
友人がぽつりと言葉を漏らす。先ほどまで泣いていたためか、発声練習を積み重ねてる彼女には珍しく、ちゃんとした声になっていなかった。
鼻をすする音が響く。その音を横で聞きながら、駅ビルから漏れる『もろびとこぞりて』に合わせ指でリズムを取る。
「なにも聞かないのね」
「そうね」
また二人、黙り込む。
この友人がどうして泣いているのか、それは判らない。きっと間接的には、私が無理矢理引っ張っていった今日のパーティーが原因だろう。そして、直接的には祐巳さまだ。これは自信を持って言える。
しかし原因がわかっていても私には友人にかけるべき言葉が判らなかった。ただ隣にいるだけ。それが悔しかった。『主は来ませり』と言うなら、そのぐらいは助言して欲しい。
そんな不遜な願いを聞いてくれたのは、主なのかマリア様なのか、それとも東方から来た三人の賢者なのか。私はようやく、かけるべき言葉を思いついた。
私は立ち上がった。友人は何も言わなかったが、行かないでという悲鳴が聞こえるようだった。私は数歩足を進め、友人が座っている場所の前に立つ。友人に背を向け、頭は上を向き、星を眺めながら。
その時、遠くでぱちっと音がして、急に周囲のイルミネーションが消えた。上を見上げていた私は、その瞬間、星空が凄い早さで広がり、私達を包み込んでいくように感じられた。駅ビルや道路を歩く人々の戸惑いのざわめきが別世界のものに感じられ、ただ真後ろに座る友人だけを強く感じた。
「背中、使っていいよ。私、見てないから……」
え? と呟く友人。そして戸惑いの数秒。
――とん。
私の背中に柔らかいものが押し当てられた。う、うくっ、という嗚咽がそれに続く。
背中に押し当てられた額は温かく、そして湿っていた。
聖しこの夜。このことは私の胸だけに大切に仕舞って置くことを誓った。