「…よし!」
自室で一人気合いを入れたのは福沢祐巳。電話の子機を握り締め、ベッドに正座していざ電話をかける。その相手は…
RRR―TRRR―TR、ガチャッ
「はい、松平でございます」
(うぇぇ!?もぅ出たぁ!まだ2コール目だよ!?しかもいきなり本人!!)
相手は松平…つまり瞳子ちゃんである。てっきりお手伝いさんが電話口に出ると思っていた祐巳は、心の準備ができておらず瞳子ちゃん本人が出たことにかなり焦ってしまった。
少し無言が続いたことに不審を抱いたのか瞳子ちゃんの声が怪訝なものに変わる。
「…あの?どちら様でしょうか?」
「も、もしもし。瞳子ちゃん?私、祐…」
「ゆ、祐巳さま!?」
瞳子ちゃんの上げた驚きの声によって祐巳は最後まで名乗らせてもらえなかった。
「う、うん。あ…今更だけど、ごきげんよう」
「ごきげんよう…あの、どうかなさったんですか?」
「えっと…あのね!明後日の日曜日、空いてる?」
しまった。いきなり本題を振ってしまった…もっと気の利いた話でもすれば良かったのに。しかし、そう思っても後の祭りである。
「日曜日?ええ。私は空いてますけど…?」
「じゃあ、お花見しよ!」
(あ…またやっちゃった。せっかくお姉さまらしく、スマートにさり気なく誘おうと思ってたのに…)
「お花見ですか?それはこの間、山百合会の皆さんとご一緒にしたではありませんか…もうお忘れになったんですか?」
祐巳が撃沈していることなど知らない瞳子ちゃんは、辛辣な言葉で更なるダメージを与える。
そうなのだ。祐巳たちはついこの間、山百合会のメンバーとお花見をしたばっかりなのである。
「うっ…そーなんだけど。でも…したいんだもん、お花見」
「……」
(あ、あれ?黙っちゃった!?)
「瞳子ちゃん…ね、ダメ?」
「別にダメなことは…ですが一度してしまっていますし…あまり楽しくないのではありませんか?」
(怒ってるの…かな?)
とりあえず返事をする。
「そんなことないよ!瞳子ちゃんと一緒なら絶対楽しいはずだよ!!」
「……」
また沈黙。本格的に怒らせてしまったのかと祐巳は不安になる。
「ど、どうしたの?」
「いえ。祐巳さまは気になさらないで下さい」
「でも…」
気にするなと言われても気になるに決まっている。
(だって祐巳は瞳子ちゃんのお姉さまなんだし!)
「とにかく!祐巳さまがそこまで仰るのなら…仕方がありませんね。お付き合い致しますわ」
「えっ!本当に!?」
祐巳は何を気にしていたのかもスポーンと忘れて思わず聞き返していた。
「と、瞳子で宜しければ」
「嬉しい!私は瞳子ちゃんがいいんだよ」
「………っ」
またまた沈黙。しかし、今度は小さく息を飲んだのがわかった。
「あの…瞳子、ちゃん?」
「…何でもありませんわ」
抑揚を押さえたような声で瞳子ちゃんが答えた。
これ以上何も聞いてはいけないと何となく悟った祐巳は話を変えることにする。
「あ、じゃあ何時ご―「祐巳さま!」」
「は、はい」
かなり迫力のある瞳子ちゃんの言葉に遮られて、祐巳は思わず背筋をピンッと正してしまう。
「11時…時間は11時で宜しいですわね?」
「え?あ、うん」
「場所は―「待って!」」
今度は祐巳が瞳子ちゃんを遮った。
「場所はS駅。改札前で待ち合わせね」
「…わかりました」
(危なかった。これだけは譲れないんだよね…ごめんね、瞳子ちゃん)
「それではまた明後日に。ごきげんよう」
「うん、ごきげんよう」
言うが早いか挨拶もそこそこに電話は切られてしまった。
「こ、怖かったよぉ。切るの早すぎだし…ちょっとつまんない。でも、まぁいいか」
祐巳としてはもう少し姉妹としての会話をしたかったのだが……とにかく一番重要なポイントは押さえたのだ。
***
それから二日後の日曜日。祐巳はS駅の改札前にいた。
(ちょっと張り切りすぎちゃったかな?)
ただ今10時半。約束の時間までまだ30分もあるのだが、祐巳は居ても立ってもいられずに家を飛び出してきたのだ。
さて、何をして時間を潰そうかと思案していた祐巳の耳に自分を呼ぶ声が聞こえる。
「祐巳さま」
「瞳子ちゃん!どうして…まだこんな時間なのに?」
瞳子ちゃんが現れたことに驚いた祐巳だったが、祐巳自身も『まだこんな時間なのに』ここにいるのだ。もしかすると彼女も同じなのかもしれない。
「祐巳さまこそ…」
「え?」
瞳子ちゃんが何か言ったようだが祐巳には何を言っているかは聞き取れなかった。
「いえ、ただ単に早く目が覚めただけです。そんなことより行きましょう」
素っ気なく言われたが、ここで立ち止まっていても仕方がないので瞳子ちゃんの言葉通り目的地に向かうことにする。
歩きながら祐巳は瞳子ちゃんを見ていた。別段機嫌が悪い訳ではないらしい。いつものように話しかけたらちゃんと返事してくれるし、瞳子ちゃんからも話題を振ってくれる。
(怒ってるわけじゃないんだ…良かった)
と、突然瞳子ちゃんが話しかけてきた。
「…祐巳さま」
「なぁに?」
「どうしてまたお花見を?それとどちらへ行かれるおつもりですか?」
本当にわからない、といった顔をしている瞳子ちゃんに祐巳は笑顔で答えた。
「確かにお花見は山百合会の皆でやったよね…でもね。私は瞳子ちゃんと二人っきりでお花見がしたかったんだ。あ、でも行き先はまだ内緒だけどね」
最後の言葉とともに舌を出して笑うと瞳子ちゃんは頬を赤く染めながらプイッと横を向いてしまった。
そうして暫く歩くと目的地に辿り着いた。時計を見ると10時50分過ぎ。どうやらS駅から20分近くかかったようだ。
「神社…ですか?」
「うん。こっちだよ」
色のくすんだ赤い鳥居に目を留めた瞳子ちゃん。それに答えて神社の裏手へと回る。
「―――っ!」
目の前に広がった光景、それは――桜、桜、桜。
小さな池があった。桜たちはまるで子供を優しく胸に抱き込んでいるかのように、ぐるっとその池の周りに静かに穏やかに佇んでいる。
「すごい…」
「綺麗でしょ?」
視界いっぱいに広がる満開の桜たちに、はらはらと舞い散る無数の花びらに…瞳子ちゃんは目を奪われている。
(なんか…桜に心まで奪われちゃったみたい)
「ここね。中等部のときに偶然見つけたんだ」
「そ…なんですか」
瞳子ちゃんは夢見心地から我に返ったのか、はっと祐巳を振り返る。しかし、その言葉にも力はない。
「私の大好きなこの場所を瞳子ちゃんに見せたかったの。お姉さまでも他の誰でもない、瞳子ちゃんだけに」
「ゆ、み…さま」
祐巳は真っ直ぐ、瞳子ちゃんの目を見て言った。
「あなたに出会えて良かった」
「わ、私こそっ…祐巳さまに…出会えてよかっ…」
瞳子ちゃんはその大きくて愛らしい瞳に涙を溢れさせている。
「ぃつも…いつもっ…素直に…な…れ…くて…ごめ…なさっ…」
「瞳子ちゃん…」
後から後から頬に流れてくる涙を一筋掬いあげて祐巳は微笑んだ。
「ね、笑って?私、瞳子ちゃんの笑った顔が好きなの」
「ゆ…」
祐巳は笑顔を浮かべたまま、何か言おうとした瞳子ちゃんを遮って言葉を継いだ。
「だから笑って?瞳子」
想いの全てを込めて愛しい妹の名を口にする。
「はい……お姉さま」
お姉さま、と初めて呼んでくれた瞳子ちゃん――瞳子の顔はとても綺麗だった。
風が一陣吹いて、花びらが高く高く舞い上がっていく。その身を踊らせるようにどこまでも…
Fin
修正しました(06/11/09)