今にも雪が舞い降りてきそうな曇天の中、二人の少女が静かに向き合ってたたずんでいた。
ひとりは福沢祐巳。もうひとりは松平瞳子。
一度は決別したふたりだったが、互いに譲れない想いのために、再び真正面から向き合っていた。
「瞳子ちゃん」
「なんですか? 祐巳さま」
真剣に瞳子を見つめる祐巳。しかし、瞳子はそんな祐巳を見ようともせずに話を続けようとする。
「こっちも見てくれないの? 」
「・・・・・・別に、このままでも話はできますでしょう? 」
自分を見て欲しい祐巳。祐巳を見てしまえば、すがる心を抑えられなくなりそうで怖い瞳子。
どこにいても、何をしてても、互いに互いのことが胸のうちを満たしているのに、別々の方向を向くふたり。
「あれからね、考えたんだ。何故、私は瞳子ちゃんに断られたのかって」
「・・・・・・・・・」
「考えて、考えて、それで気付いたの。私、瞳子ちゃんのことを何も知らない」
松平瞳子。演劇部の1年生で小笠原祥子の親戚。そんな誰でも知っているパーソナルデータ以外では、祐巳が瞳子について知っているのは、笑顔で嘘をつけるってことぐらい。
何も知らないということは、何もできないということ。祐巳は考えた末に、そう結論付けた。例えば、どんなに優秀なお医者さまでも、患者がどこが痛いのか言ってくれなければ、治しようがないのだ。
痛み。そう、今の瞳子は明らかに何か痛みを隠している。
「何も知らないのに、勝手に助ける気になってた。それってひどい話だよね? どんなに痛い傷かも判らないのに、その傷に触れようとしたんだから」
自分のあやまちに向き合い、うつむく祐巳。
「だから・・・ 」
しかし、再び前を向く。瞳子の方へ、真っ直ぐと。
「だから教えて欲しいの。瞳子ちゃんが、何に傷ついているのかを」
そんな真っ直ぐな祐巳の言葉に、ようやく瞳子が祐巳の方を向く。
「・・・・・・・・・どうする気ですか」
「え? 」
「私の傷を知って、あなたはどうする気なんですか」
「私は・・・ 」
「お姉さまでもあるまいし。祐巳さまには関係の無いことですわ」
あなたには関係の無いこと。
一番恐れていた言葉に、祐巳は打ちのめされていた。それでも、負けずに問いかける。
「関係無くなんかないよ! 私は瞳子ちゃんに妹になって欲しいの。瞳子ちゃんしかいないの! 」
どこまでも真っ直ぐに切り込んでくる祐巳の言葉に、今度は瞳子が動揺する。
「・・・・・・・・・・・・を・・・・・・・・・したくせに・・・ 」
「え? 」
「私以外のひとを妹にしようとしたくせに! 」
震える拳を握り締め、瞳子は初めて祐巳の前で感情を爆発させる。
それは、瞳子の中に残る大きな傷だった。
「瞳子ちゃん・・・ 」
「私なんかにこだわらずに、また茶話会でも開けばよろしいじゃありませんか! 」
妹になりたかった自分。そんな自分を置いてきぼりにして、茶話会で妹を探した祐巳。
どれだけ時間がたとうとも、それは瞳子の中に残り続ける大きな傷。
「お優しい祐巳さまなら、茶話会を開けばいつだって妹になりたいひとは大勢いますわ」
「瞳子ちゃん聞いて」
「私なんかじゃなく、もっと別な・・・ 」
「聞いて! 」
声を荒げる祐巳の言葉に黙り込む瞳子。
その拳はまだ震えたままだった。痛みにひとり耐えるように。
「確かに私は茶話会で妹をさがそうとした。でもね、あの頃はまだ、姉妹っていうものが・・・ 自分が姉になるってことが、どういうことか解かっていなかったの」
気付けば、祐巳も拳を握り締めていた。弱かった過去に負けないように。
「でも、瞳子ちゃんが気付かせてくれたんだよ? 大事なことは何かって」
「大事なこと? 」
瞳子が祐巳を見つめる。
「人は、やりなおせるってこと」
瞳子が見た祐巳の目に、もう迷いは無かった。
「・・・・・・梅雨の頃、私はお姉さまと破滅寸前までいったの」
その言葉を聞き、瞳子の拳が再び震える。
瞳子にも判っているのだ。その一因が、自分の行動にもったことを。
「でも、信じていれば、信じあってさえいれば、またやりなおせるって、その時解かったの。・・・きっと、瞳子ちゃんがいなければ気付けなかったと思うの」
「・・・私が? 」
「そう 」
祐巳は震える瞳子の拳を、そっと自分の手で包み込んだ。優しく、でも力強く。
「あんなに嫌いだった瞳子ちゃんとも、あの後、仲良くなれた。信じて進んでゆけば、きっといつか報われる。そう気付かせてくれたのは、瞳子ちゃんなの」
「私が・・・ 」
いつしか瞳子の振るえは止まっていた。
「そう、瞳子ちゃんが気付かせてくれたから、私はあの後もお姉さまを信じて待つことができたの。だから、今度は瞳子ちゃんに、私を信じて欲しい」
「祐巳さまを? 」
「・・・瞳子ちゃんの痛みを知っても、私には何も解決できないかも知れない。でもね、そばにいて、痛みを分かち合うことくらいはできるはずだから・・・ 姉妹って、そういうものだと思うから。・・・だから、私を信じて、瞳子ちゃん」
「祐巳さま」
気付けば、瞳子は涙を流していた。
この人は、あんなに辛くあたった自分を赦し、信じてくれている。自分も信じ、赦せるだろうか?
瞳子は祐巳の手をそっと握り返す。
「瞳子ちゃん、ロザリオを受け取ってくれる? 」
祐巳の言葉にしかし、瞳子はまた目をそらしてしまう。
「・・・・・・まだ何かあるのね? 瞳子ちゃんの痛み」
瞳子は答えない。答えてこの人に嫌われてしまうのが怖かったから。
「お願い、信じて瞳子ちゃん。私、信じてくれるまで、この手を放さないからね! 」
大切なひとのために一歩も引かない祐巳に、瞳子はついに決意する。
「聞いて・・・・・・ くれますか? 」
「うん」
迷いの無い祐巳の言葉に、瞳子は語り出した。
「実は、松平家のことなんです・・・ 」
「・・・クリスマスイヴに薔薇の館で志摩子さんに相談してたのと関係ある? 」
「ええ 」
このひとは私を見てくれていた。瞳子は即座に返ってきた祐巳の言葉に勇気をもらったような気がした。
「松平家には、ひとつの伝統があるんです」
「伝統? 」
不思議そうな祐巳に、瞳子は自分の髪に触れながら語る。
「これです 」
「これって・・・ 髪? 」
「はい 」
「 ? 」
瞳子の言葉の意味が解からない祐巳は、益々不思議そうな顔になる。
「実は、松平家の女性は、伝統的に縦ロールを結うことになっていまして・・・ 」
「・・・・・・で、伝統だったんだ・・・ソレ」
風に揺れる、伝統的な“ソレ”をいじりながら、瞳子は続けた。
「リリアンという狭い世界にいるうちならと従ってきましたが、高等部を卒業したら、本格的に事務所に所属して女優業に乗り出すつもりなんです」
「そうなんだ・・・ 」
「でも! 」
突然、声を荒げる瞳子。
「こんな髪型では、世間から何て言われるか解かりませんわ!こんな時代錯誤な縦ロール!! 」
「時代錯誤って・・・ まあ、そうかも知れないけど・・・・・・ 実は嫌いだったの? その髪型 」
「大っっっ嫌いですわ!!! 」
「・・・そ、そうなんだ」
本当に意外だが、瞳子は自分の髪型が嫌いらしい。拳を握り締めて力説するほどに。
まさか、瞳子の悩みがド・・・髪型に関することだなどと思っていなかった祐巳は、あっけにとられて瞳子を見つめる。
「それなのにお父さまやお母さまは、『王者の証とも言える松平家の伝統を廃れさせる気か!』などとおっしゃるし! 」
「・・・はぁ」
だんだん聞くのが馬鹿らしくなってきた祐巳は、相づちを打ちながらポリポリと頭をかいている。
「だいたい、こんなドリルみたいな髪型が何故松平家の伝統なのか、理解に苦しみますわ! 」
「・・・・・・自分でもドリルみたいだって思ってたんだ」
「朝はこの髪のセットに1時間もかかるし! 」
「え〜と・・・ 」
「走れば両脇でぶるんぶるん振れてうっとうしいし! 」
「あのね、瞳子ちゃん」
「初対面のひとはまずこの髪を珍しそうに見るし! 」
「いや、それは私も・・・ いや、ちょっと聞いて瞳子ちゃん」
「気付けば縦ロールの中に何か入ってたりするし! 」
「それはもしかしてチョコだってりして・・・ いやだから聞いて瞳子ちゃん」
「そもそも私はショートカットが好きなんです! 」
「いやそれだと令さまとキャラがかぶるし、そもそも誰だか解からなく・・・ じゃなくて、瞳子ちゃん聞いて」
「もうドリルとかチョココロネとかバネとか言われるのにも飽き飽き『 がすっ!!』 痛?! 」
まるでひとの話を聞こうとしない瞳子の動きを止めたのは、ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンズナックル。その破壊力はツインドリルの威力を大幅に上回った。
「な、なにをするんですの祐巳さま! 」
ちょっと涙目の瞳子の抗議も、祐巳にはこたえない。
「いきなりひとの後頭部にぐーで・・・ って、ロザリオ巻いて拳が強化されてる?! 」
「聞け」
ロザリオという凶器を巻きつけた拳を掲げ、ぼそっと呟く祐巳に沈黙させられる瞳子。
「ゆ、祐巳さま、無表情だとえらい怖い・・・ 」
「いいから聞け。な? 」
「・・・はい」
ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン完全勝利。オマエの拳(凶器付き)の前では、地底帝国からの使者『地底獣ツインドリル』もタジタジだ! いえー!
祐巳はコホンとひとつ咳払いをすると、真面目に語り出した。
「私は、瞳子ちゃんがどんな髪型でも気にしないよ。瞳子ちゃんは瞳子ちゃんだし、その全部が好きなんだから」
「祐巳さま・・・ 」
「それにもし、瞳子ちゃんの髪を笑うやつがいたら、私がそいつから瞳子ちゃんを守るから。ずっと」
「祐巳さま・・・ 私・・・ 」
私が守る。ずっと。
その言葉に、瞳子は心の中のモヤが晴れた気がした。
「ロザリオ、受け取ってくれる? 」
「 はい 」
素直にロザリオを受け取る瞳子を見て、祐巳は思う。
こんなオモシロイうえにイジりがいのある髪型をやめさせてたまるか。と。