【1319】 放課後黙示録帰れない二人  (さめはだ 2006-04-08 18:38:58)


【1311】の続きです。星に願いが通じたのですよ。 


3、


窓越しに外を見ると雨がパラパラと降っていた。

「雨ね」
「そうだね」

梅雨。 何とも頂けない季節に突入している日本列島は、朝から夜まで何だか薄暗い気がする。 私立リリアン女子学園1年桃組のタヌキこと福沢祐巳は、天性の明るい性格からその気候の影響を物ともしない頑強さが売りだ。
という訳で、昼食を食べ終えると友人に付き合ってお聖堂でお祈りし、満腹感のために眠気に襲われた五時間目を気合と根性で乗り切り、今は手を繋いで廊下を歩いている天然シスターの久保栞さんの助けを借りて6時間目も何とかクリアした。
つまり現在は放課後。
音楽室のお掃除当番を割り当てられている祐巳は、担当が一緒の栞さんを連れて目的地に急いでいた。

「美冬さん達待ってるかなー、静さんに説教はされるねー」
「大丈夫よ祐巳さん、二人なら喜びは倍に悲しみは半分に理論で、もし怒られても平気と思うわ」
「よく聞く理論だけど誰が考えたのかな、それ?」
「うん、今私が、だからオリジナル」
「わー」

二人の会話を聞いたり、歩いている姿を目撃したり、その行動を見た者が居たならば「急ぐ」と言う単語の意味を熟考するかもしれないが、彼女達は急いでいる。
実のところ既に放課後の時間帯に入って二十分は過ぎているため、当番が一緒のクラスメイト達が音楽室の前で立ち尽くしている姿が容易に想像できるし、合唱部の蟹名静さんに怒られるのは決定済みだが、それでも彼女達は急ぐ。
当たり前だ。
謝罪は早い方が良いと言うのは古今東西の常識である。

(それにしても何で音楽室に行くのに三年生の教室の方に行くのかな?)

プリーツを乱さず高速で廊下を歩く祐巳は心の中で首を捻る。
久保栞の七つの秘密その一、「神懸り的な方向音痴能力」は現代科学と言う名のメスでは刃が立たない摩訶不思議なモノなのだ。

「……たぶん私が迷うのは神の思し召しだと思うの」
「はえっ? なっ、なんでッ? エスパー!?」
「落ち着いて祐巳さん、エスパーじゃなくて精神感応能力者と言うのが今風よ」
「それじゃあ栞さんは精神甘露能力者――」
「いいえ、顔に「どうしてかな〜?」って書いて合ったから、」

敬虔なクリスチャンである栞さんの柔和な笑顔は美しい。 足を止めて、自分の顔を片手でフニフニする祐巳を生暖かい視線で見守る姿は天使である。

「……出てた?」
「ばっちり」

その笑顔一つで雨雲も追い払いそうだ。

「うーん、高等部に入ってからは注意してたんだけど……」
「私は素直な祐巳さんも好きよ?」
「素でそう言う事が言える栞さんはズルイよね」

基本的に博愛主義者の栞さんの言葉に、少しだけ頬を染めた祐巳は「それじゃあ、急ごう」と言って再度歩き出す。
もちろん手を繋いで――
久保栞はよく迷子になるが、最終的には時間通りに目的地に着く。
他の人間が付いている方が、邪魔になる場合もある。
だが、それはとても悲しい事のように思えて、道に迷って最後は一人になるのは悲しい気がして、隣の席という理由だけで祐巳は栞さんと行動する事が多くなった。
手を繋ぎ始めたのは何時からかは忘れたけど。

「栞――」

音楽室まで後数m。 遠ざかる祐巳と栞の後姿を見ていた誰かの呟きは、雨音に流されて消えていく。だから、その声に祐巳は気が付けなかったのは仕方の無い事で、音楽室の前のクラスメイト達に意識を持っていかれるのも仕方が無い事だ。

「あっ、祐巳さんに栞さん」
「祐巳さん遅い」
「あんまり栞さんに迷惑かけたらダメだよ」

彼女達の十字砲火が祐巳の心を抉る。
手を繋いだ場合、見た目や普段の言動は大人っぽい栞が姉で、微妙に幼い容姿の祐巳が妹に見えてしまうのだ。
逆なのに……。

「あ、ぅ、ごめんなさい」
「みなさん、ごめんなさい」
「栞さんも大変だよね、もう祐巳さんは……」

その辺の事情を幾ら説明しても理解してくれないクラスメイト達、何だか切ない。

「あら、静さんはもう部活動を始めているのね。 綺麗な声……」
「……うん、そうだね」

だから事情を一発で理解してくれた蟹名静さんは素晴らしい。 その歌声も合わさって学園内の評価もエクセレントである。
雨音の中で歌声が響く。
プロと素人との境界は、それが心に響くか、それとも響かないか、巧い下手はその次に来るファクターだと何処かの歌手が言っていたが、なるほどその通りだと祐巳は思う。

「……」

そして心に響くと言えば彼女を忘れてはならない。 アンニュイな影を背負って壁に頭を預けて落ち込んでいる鵜沢美冬さんを忘れてはならない。
話し掛けるべきか、祐巳は迷う。
プロの凄みが出ている彼女の落ち込みぶりは、天然シスターの栞さんやクラスメイト達も対処に困っているらしく、その場に居た全員の視線が交錯した。

「美冬さん?」

福沢祐巳二等兵、雨空の下突貫す。
前条件として遅刻と言う失態を演じてしまっている祐巳は、皆の期待の視線に押されて行動する。目減りしないタフガイ故の使われ方だ。
きっと後で苺牛乳という報酬も貰えるだろう。

「あっ、祐巳さんごきげんよう……」

侍の如き覚悟を持った祐巳の言葉は届き、美冬さんが振り返る。

「うん、ごきげんよう美冬さん。 えっと、その、どうかしたの?」
「なにがかしら、あっ、お掃除しないとね」
「美冬さん、お掃除もう終わってるよ」
「そうなんだ……」

しかし、元気がない鵜沢美冬に突貫した報酬が、名誉の回復と百二十円というのは如何なものか。 壁に頭を打ち付け始めた彼女の脅威はタヌキの肝では耐えられぬ。

――至急救援モトム。

祐巳、頑張った、超頑張ったので、隣に居る親友かもしれない栞さんや、クラスメイト達に表情だけで助けを求めた。

「美冬さん?」

救援したのは天然シスター栞さん、さすが、そんな感じの感嘆の溜息が聞こえた気がする。

「祥子さんッ!?」

それに反応して振り返ったのは祥子ファンの美冬さん、さすが、そんな感じの諦めの溜息が聞こえた気もする。

「って、栞さんか……」
「えっ、ごめんなさい?」
「謝るところじゃないよ、栞さん」

目を真ん丸にして栞さんを観察し、隣のタヌキ娘が視界に入った瞬間に落胆の表情をする鵜沢美冬さんが怪獣系お嬢様である小笠原祥子に憧れているのは、ニブチンと言われる祐巳でも知っている常識だ。
だから、きっと栞さんの髪の毛の先が視界に入って、長い髪という共通点を持つ祥子さんと間違い振り返ったのだろう。
気配とか匂いとかだったら怖いので、そう思い込む事にした祐巳は大攻勢へと移るべく、握りっ放しにしていた栞さんの手をギュってする。
気分は「皆、私に力を貸して」という感じだ。

――頑張って、
――今がチャンスよ。
――貴女と栞さんなら出来る!!

クラスメイト達の心の声だけは聞こえた気がした。切ない……。

「どうかなさったの美冬さん、七転び八起きのあなたがそんなに落ち込むなんて」

切なくて窓から雨雲を眺め始めた祐巳に代わって、栞さんが頑張った。
両親が早い内に亡くなり、叔父のところで育ったために身に付いたらしい処世術は、彼女を大人っぽく見せ、その姿を聖母様のように魅せる。

「え、うん、もしかしたら、ううん、たぶん絶対に祥子さんが紅薔薇の蕾の妹になるらしいから、その事を聞こうと思ったんだけど、今日もまた……ハァ」
「話し掛けられなかったの?」
「……はい」

「小笠原祥子が紅薔薇の蕾の妹になる」という話題は、現在の一年生なら誰もが予想出来る事なので、あまり新鮮な驚きは祐巳達には無かったが、未だに挨拶だけでも緊張するらしい美冬さんのノミの心臓には哀愁を覚える。
それが人情というものだろう。
栞さんの居ない方の祐巳の隣に立っていた凸が広いリリアン生もそうだったらしく、彼女は素晴らしい微笑を顔に貼り付けて口を開く。
微笑み?

「小笠原祥子か、 友人より崇拝者が多いタイプなのね彼女は、いえ、友人と言うべき者が居るのかしら?」
「居ますよ」

美冬さんを見ながら事も無げに彼女が言い放つ言葉に、祐巳が読み取れる感情は無い。
それでも反射的に反論してしまったのは根が単純だからだろう。 そんな自分の性格に頭痛を覚えてしまった祐巳で合ったが、隣の見ない顔の彼女は急にタヌキ顔のリリアン生に関心を覚えたらしく、ゆっくりと下から覗き込んでくる。

「あなたは久保栞のオマケ――」
「祐巳さんはオマケじゃありません、黄薔薇の蕾(ロサ・フェティ ダ・アン・ブゥトン)」
「ロサ・フェチダ?」

沈黙が世界を支配した。

「祐巳さん、彼女の和名は黄薔薇の蕾よ」

ガラリと音楽室の扉が開き、蟹名静さんがツッコミを入れてくれる。
なんて親切設計。 見る間に祐巳の顔が赤くなり、「は、はわわ」と奇怪な音を口から出した。

「静さん、今のはわざとよ。 クラスメイトを馬鹿にされた祐巳さんの怒りが――」
「本当にそう思ってるの?」
「……弱い私を許して祐巳さん」

福沢祐巳には親友かもしれない友人が二人いる。
一人は、シスターを目指す素敵な美少女で大人っぽい雰囲気も持つ久保栞さん。
もう一人は、美味しいところは見逃さない鷹の目を持つ女である蟹名静さん。
目の前に黄薔薇の蕾という最強の凸様がお目目を輝かせているが、この二人も中々の曲者だと祐巳は思っているので、きっと如何にかなると信仰している。

「この子、貰っても良い?」
「それはダメです。 連れて行くなら静さんを」
「私は合唱部の練習があるので栞さんの方が適任です、黄薔薇の蕾」
「あなた達には聖を上げるから、この子を貸してくれても――」

これは何だかモテているかもしれないが、それに気が付かず、ぼんやりと一年生やっている福沢祐巳(一学年下に弟あり)のお話である。





続け、
続け、
雨の中、私はそう思った。




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