【1329】 柔らかいほどに瞳子ちゃん  (ますだのぶあつ 2006-04-10 17:29:45)


「なんだそんなことでしたか」
「そんなことなんて言っちゃ駄目だよ。由乃さんにとっては大問題なんだから」
 江利子さまが差し入れたバラエティギフト。
 企み事だの毒だの由乃さんが騒いだせいで、一年生達はよっぽど気になっていたらしい。帰り際、祐巳は瞳子ちゃんに捕まって詰問されることになった。
 二人になった途端、壁際に詰め寄られ、知ってて止めなかった祐巳を叱ったり、縋るような瞳で見つめたり、いつまでも口を割らない祐巳に対して寂しそうに拗ねたりと、瞳子ちゃんは女優のスキルをいかんなく発揮し、結局、祐巳はしどろもどろになりながら洗いざらい喋ってしまった。
「大問題って、そんなの由乃さまの自業自得です」
 正直私もそう思うけど……。
 そこまで考えて祐巳はあることに気付き、顔から血の気が引いた。
「わ、私、由乃さんの秘密を喋っちゃった……」
 どうしよう。令さまだって知らないことなのに。
 でも喋ってしまったのは自分がふがいなかったからだろう。絶対に喋らないとしっかり決意してれば、瞳子ちゃんは無理に聞いてくるような子じゃない。もちろん、祐巳の勝手な思いこみかも知れないけど、なんとなくそんな気がした。
「ごめんなさい。瞳子、調子に乗りすぎました。由乃さまには瞳子からお詫びいたします」
 どんどん落ち込む祐巳の様子に、さすがの瞳子ちゃんも責任を感じたのか、意外にも素直に頭を下げた。
 あ、意外でもないか。瞳子ちゃんはわがままな所もあるけど、律儀なところもあるのだ。
 瞳子ちゃんの気持ちは嬉しいけど、可愛い後輩にそんなことをさせるわけにはいかない。瞳子ちゃんの前で今更威厳なんか無いのだろうけど、先輩として格好が付かないじゃないか。
「う、ううん。瞳子ちゃんが悪いんじゃないよ。言っちゃったのは私の責任だから。由乃さんならちゃんと話せば許してくれるから。初めはすごく怒るだろうけど……」
 大げさかもしれないけど、ちょっと悲壮な覚悟かも。
 でもこれでいいんだ。瞳子ちゃんは悪くないし、由乃さんは大事な親友なんだから自分からちゃんと謝りたい。うん、間違ってない。
 だったら瞳子ちゃんに余計な心配させないよう、笑顔を見せなきゃと、顔を上げようとした矢先、祐巳は驚きで声を上げそうになった。
「――っ!」
 瞳子ちゃんが祐巳の手を取り、ぎゅっと手を握ってくれていた。瞳子ちゃんの小さな手はあったかくて、少ししっとりしている。瞳子ちゃんは大きな瞳を揺らし、不安と後悔が入り交じった切ない顔で、祐巳の手を握る手に力を込めた。
 時間が経つにつれ、驚きのどきどきが、とくんとくんと心地良い鼓動に変わっていく。瞳子ちゃんの気持ちが指先を伝い、心の奥がじわーっと温かくなって、チョコレートのように甘くてとけてしまいそうだった。
 瞳子ちゃんのこの意外な行動に、うわ〜っ、うわ〜って舞い上がっていたが、心のどこかでこんなに瞳子ちゃんを心配させてしまったとちくちく刺さるものがあって、祐巳は瞳子ちゃんの目を覗き込んで謝った。
「私なら大丈夫だよ。ごめんね、心配かけちゃって」
 瞳子ちゃんは祐巳を見上げた。その瞳から、思ったよりも瞳子ちゃんが心配してくれていることが判って、すごく嬉しかったけど、それも長くは続かなかった。
 自分としては、とびっきりの笑顔で言ったつもりだったのに、瞳子ちゃんは呆然と祐巳の顔を見詰めて何も言ってくれないのだ。
 祐巳が、『あれ? 私、そんなに変なこと言ったのかな』と心配になってきたころ、瞳子ちゃんははっと我に返り、視線を下に背けた。その拍子に握ったままの手に気付いたのか、ばっと手を離すと瞳子ちゃんは祐巳の視線を避けるようにくるりと後ろを向いた。
「そ、そうですね。瞳子は何も知らずに食べさせられた被害者として当然の要求をしたまでですもの。祐巳さまが謝って当然です」
「うう……判ってるけど、そんな言い方しなくてもいいじゃない」
 祐巳がいじけると、瞳子ちゃんはいつもの調子が出てきたのか、祐巳に振り返りツンとすまして憎まれ口を畳みかける。
「それに勘違いなさらないでください。瞳子は、別に祐巳さまのことを心配したわけではありませんわ。秘密を喋ってしまうような不義理な友人を持つ由乃さまを心配しただけですわ」
 振り向いた顔は、手を握ってくれた瞳子ちゃんとは別人のいつもの顔だったけど、なぜか祐巳にはそれが可愛らしくって仕方がなかった。
「でも、瞳子ちゃんに手を握って貰って元気出たよ。だからごめんねだし、ありがとうなんだ」
「ど、どうして、いつも祐巳さまは、そんな無防備なっ……」
 な、なに?
 瞳子ちゃんの剣幕に背を仰け反らせる。そんな祐巳に呆れたのか、瞳子ちゃんは天を仰ぎ、盛大な溜息をついた。
「はあ、もういいです。そろそろ帰りませんと、守衛さんに怒られてしまいますわ」
 引き留めたのは瞳子ちゃんだよと文句の一つも言いたかったけど、……いいか。さっきのあたたかな手と相殺で。
「あ、瞳子ちゃん、待って。一緒に帰ろう」
 いつものように振り返りもせず薔薇の館から出て行く瞳子ちゃんの歩みは、いつもより少しだけゆっくりな気がした。


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