【1341】 うれしさは悲しさに  (朝生行幸 2006-04-15 22:05:34)


「ごきげんよう」
 毎朝のおつとめとして、ほとんどのリリアン生が当たり前のように行う、マリア像へのお祈り。
 他の生徒たちと同じようにマリア像に向かって手を合わせていた桂に、声をかけた人物が一人。
 自分に向かって言われたという自信が無かったため、念の為周りを見回してみても、誰もが気付いていないのか、我関せずとばかりに立ち去ってゆく。
 そこでようやく自分が相手だと納得し、声の主に目を向ければそこには、『リリアンの歌姫』こと蟹名静が立っていた。
「ご、ごきげんよう。あの……、私に何か御用でしょうか」
 桂は、自分自身決して知られた人間ではないし、むしろ影が薄いと自覚もしている。
 ましてや、リリアンでも屈指の有名人に声をかけて貰えるような存在ではないと思っていた。
 しかし静は、その意図がまったく読めない目付きで、明らかに桂を見ていた。
「呼び止めたのは私で、その相手はあなた。間違いないわ」
 歌姫の名にふさわしい良く通る声で、ゆっくり桂に近づくと、
「持って」
 そう言いながら、持っているカバンを差し出した。
 言われるままに受け取った桂の、無防備な襟元に手を伸ばした静。
(きゃー!!)
「タイが曲がっているわよ桂ちゃん」
「え?」
 静は、はっきりと判る声で桂の名を呼びつつ、タイを結び直した。
「あ、あの、私をご存知なんですか?」
「もちろん。私は、志摩子さんと同じぐらいに、あなたを良く知っているわ。いえ、知っているつもりでいるわ」
 桂が驚くのも無理はない。
 志摩子といえば、桂のクラスメイトで白薔薇のつぼみこと藤堂志摩子、それこそ静と同等かそれ以上に知られた人物。
 そんな人と同列に見られていたと知って、桂は思わず涙ぐみそうになった。
「あなたは毎日、マリア様に熱心にお祈りしているしているけど、一体何をお願いしているのかしら?」
(うっ!?)
 まさか、もっと出番を!と祈っているなんて、あまり知られたい内容でもない。
 しかし、全てを見透かすような目で見られると、隠し事なんて通用しないと悟らざるを得ない。
「いいのよ、言わなくても。でも、私はあなたをもっと、いえ、たとえ出番は無くても、とても有名にしてあげることが出来るわ」
「ど、どうすれば良いんですか!?」
 勢い込んで、静に詰め寄る桂。
 姓は無くても有名になれるならば、それでも良いではないか。
 少なくても、キレイサッパリ忘れ去れてしまうことは、ほとんどなくなるのだから。
「簡単なことよ。あなたには、私と同じような『二つ名』を名乗ってもらうだけだから」
「二つ名…ですか?」
「例えば、私のように、『リリアンのナントカ』ってやつね」
「まぁ素敵」
 素直に喜ぶ桂は、良くも悪くも普通のリリアン生だ。
「あなたの名前、桂から連想される、インパクトのある二つ名。それは…」
「それは!?」
 目をキラキラさせながら、夢見る少女のように組んだ手を頬に当て、静の次の一言を待つ。
 そして、静の口から発せられた、激烈なインパクトを伴う桂の二つ名とは…。

「『リリアンの歌丸』」

 桂は、泣きながら走り去った。


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