【No:1340】の続き
こんなはずじゃなかったんだけどな……。
私は盛大に溜息を吐いた。
桜が散った頃、瞳子ちゃんと姉妹になって、その日の放課後に皆に紹介するつもりだった。
でも、運命の女神様は悪戯好きらしく、まだ皆には紹介できてない。
ロザリオだって、皆に紹介してからという事でまだ渡してない。
それというのも、桜が散って復活したお姉さまが言い出した一言にある。
「志摩子の様子が変」
今更、何を言っているのだろう、その場にいた誰もが思ったに違いない。
ともかく、志摩子さんを抜いたメンバーが集められた集会で、そうお姉さまが言い出した。
でも、そのお陰で志摩子さんの事情をようやく私も知ることができた。
聞いてみれば、私達にとってはどうという事のない話だった。
けれど、志摩子さんにとっては、それはとんでもなく大きな悩み。
敬虔なクリスチャンの、志摩子さんだからこその悩み。
お姉さまは、その辺りも含めて気に入らないらしい。
どうするか色々と皆で話し合っている時、そんな時にあの子が私達の前に姿を現した。
いつもの縦ロールを紅いリボンで纏めている瞳子ちゃん。
この日の朝に、私と姉妹になったばかりの瞳子ちゃんだった。
そんな瞳子ちゃんが言うには、瞳子ちゃんの友達で、高等部からリリアンに入ってきた一年生、
二条乃梨子なる人物が鍵を握っているらしい。
なんでも、志摩子さんと仲が良いらしい。
志摩子さん、何時の間に?と自分の事を棚に上げて思った。
その後、その二条乃梨子ちゃんを巻き込むか巻き込まないかで話が進み、
私が積極的に参加する事も反対する事もできずにいると、結局、巻き込む事で話が纏まってしまった。
校舎まで皆で帰っている時に、今日の放課後に皆に紹介したいんだけど、と瞳子ちゃんに伝えたら、
マリア祭が終わるまでは内緒にしておいた方がいいと思います、と返ってきた。
何故なのか尋ねると、
二条乃梨子ちゃんに対して瞳子ちゃんにはなにかしら考えがあり、その為の行動を起こすつもりらしく、
もしそれがばれてしまった時に、私と姉妹だと私に迷惑がかかるから、
とのこと。
私に迷惑がかかるって、いったい何をするつもりなのか心配だったけど、とりあえず頷いておいた。
もし瞳子ちゃんに何かあったら、私はどんな事をしてでも瞳子ちゃんを守ろうと思う。
その覚悟はある。
でも、少しでも早く皆に伝えたかったなぁ……。
二条乃梨子ちゃんは、一見普通の少女だった。
私は、市松人形を彷彿とさせる少女を廊下から眺めながら、そんな事を考えていた。
昨日の放課後にあった出来事で、私は彼女の事を知っている。
昨日の放課後、私は瞳子ちゃんが二条乃梨子ちゃんの靴を隠す現場を目撃してしまった。
隠すと言っても、下駄箱から数メートル離れただけの昇降口に置いていくだけのもの。
帰ろうとしたらイヤでも目に入ってしまうので、すぐに見つかってしまう場所。
昼に言ってた事と関係あるんだろうなぁ、と思ったけど流石にこれは感心できない。
元に戻しておこうと靴を拾ったその時に、私の横を上履きのまま通り過ぎた生徒がいた。
もしかしてと思って話し掛けてみると、やはりその通りで、彼女こそ二条乃梨子、その人だった。
現在、その二条乃梨子ちゃんは席に着いて文庫本を読んでいる。
こうやって眺めていても、やはり普通の少女にしか見えない。
それは多分、私と彼女に繋がりがないから。
でも、きっと志摩子さんにとっては特別なんだ……。
私にとっての瞳子ちゃんと同じなんだろうか?
「分からないなぁ」
「何がですか?」
独り言に返事が返ってくるなんて思わなかった。
悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい
振り向くと、そこには何時の間にか瞳子ちゃんがいた。
「祐巳さま」
「な、なに?」
「乃梨子さんの事、気になりますか?」
それは気になる。気にならなかったらこんな所まで来ない。
「それなら、私にお聞きくださればいいのに」
瞳子ちゃんが私の手を引いて、教室の扉の近くまで進んだ。
ここなら二条乃梨子ちゃんの姿がよく見える。
それに……、
チラリと横を見ると、心なしか頬が桃色に染まっている瞳子ちゃん。
瞳子ちゃんにも近いし……。
そんな事を思った所で、本来の目的とズレている事に気付いて小さく咳払いをする。
「それで、瞳子ちゃんは今登校?」
「いいえ、もっと早くに来ていたんですけど、
アリバイ工作の為に教室に入る時間をずらしていたんです」
「なるほど……、って今度は何をやったの?」
納得しかけて、でも、なんだか聞いてはいけない事を聞いたような気がして思わず尋ねていた。
「大した事ではありません。それよりも、今度って……、ひょっとして昨日見てました?」
「うん、放課後の下駄箱の所で」
「そうですか。あれも私の考えているシナリオの一部です」
それはそうでしょ。そうじゃなかったら、いくら私でも怒るよ?
「でも、あれ。やられると結構ショックなんだよねぇ」
「え?」
瞳子ちゃんが、私を驚いた顔で見てくる。
あ!
「あの、まさか……」
「ええっと、もうずいぶん昔の事だから。それに、すぐにそういう事はなくなったし」
あの頃は色々と目立っていたから。
あの頃の私の喋り方なんて、周りに不快感しか与えてなかっただろうし。
「……」
私は、黙り込んでしまった瞳子ちゃんに手を伸ばす。
周りから見えないようにそっと手を繋ぐと、瞳子ちゃんが私を見上げてきた。
「終わった後に、ちゃんと全部話して謝ること。いい?」
「はい……」
手を繋いだまま、二人で二条乃梨子ちゃんの方を見る。
「……祐巳さま。今日のお昼休み、昇降口で待っていて下さい」
「え?」
今日は、お姉さまと一緒にお弁当を食べようと思ってたんだけど。
ちょっと気になっている事があるし。
最近、お姉さまと一緒にいられる時間が少なくなっている気がする。
偶然ならまだいい。
でも、何故だかそうではない気がしていて。
まるで、意図的にお姉さまが……。
「乃梨子さんの、もう一つの顔を見たくはありませんか?」
けれど、そう言われては私に考える余地はなかった。
今の私には、志摩子さん達の事が最優先だったから。
ごめんなさい、お姉さま。
お昼休みになった。
約束通り、昇降口へ向かう。
教室で由乃さんにどこへ行くのか聞かれたけど、瞳子ちゃんの所、と言うと納得してくれた。
約束の場所へ辿り着くと、先に瞳子ちゃんが来ていた。
「では、行きましょうか」
瞳子ちゃんが先に歩き始める。
私は瞳子ちゃんの後を追った。
花びらが散って、すっかり寂しくなった桜の木々の間を二人で通り過ぎる。
辿り付いたのは講堂の前。
「ここからは大きな声は出さないで下さいね」
「分かった」
講堂の外壁に沿って歩く。
「あ、ここって……」
前に一緒に昼食を食べた所だ。
確か、志摩子さんがお気に入りの場所だと言ってた。
志摩子さんと握手をした場所。
そして、私と志摩子さんが友達になった場所。
瞳子ちゃんが立ち止まって、壁際から向こうを覗いて様子を確認している。
「乃梨子さんがいます」
その言葉を聞いて、私も同じように覗いてみた。
志摩子さんもいた。
二人はとても楽しそうに会話をしていた。
二条乃梨子ちゃんは、私が教室で見た時とは別人のような笑顔で志摩子さんを見ている。
志摩子さんも、ここ最近は見せなかった笑顔で二条乃梨子ちゃんを見ている。
なるほど、これは……。
「どうです?」
「うん、まるで私と瞳子ちゃんみたい」
「そ、そん――」
私は瞳子ちゃんの口を手で押さえた。
「静かにしないと見つかっちゃう」
瞳子ちゃんが目で、離してください、と訴えてくる。
私は素直に手を離した。
「そんな事は聞いてません」
怒った表情なのに、志摩子さん達を気にして小さな声で言ってくる。
そんな瞳子ちゃんを見て、可愛いなって思った。
「分かってるってば。でも、きっと同じだと思う」
私はもう一度、志摩子さん達の方を見る。
うん、二人ともとってもいい笑顔。
問題が解決できたら、そして姉妹になれば、きっと今よりももっと素敵な二人になる。
「でも、志摩子さんを取られちゃったみたいで、ちょっと寂しいかな……」
「私がいます。それではいけませんか?」
間髪いれず、隣で拗ねたように瞳子ちゃんが言う。
私は嬉しくて、とても幸せな気分になって瞳子ちゃんを後ろからそっと抱きしめた。
「っ!?」
私の腕を払おうとした瞳子ちゃんの耳元で囁く。
「本当にいてくれる?」
それと同時に瞳子ちゃんは俯いて大人しくなり、消え入りそうな声で呟くように言った。
「傍に……、いますから」
妹ってすごい、瞳子ちゃんってすごい。
とても暖かくて、私の寂しい気持ちを癒してくれる。
瞳子ちゃんが妹でよかった。
瞳子ちゃんの姉でよかった。
私はしばらくの間、瞳子ちゃんを抱き締め続けた。
「なるほど」
私の話を聞いて、お姉さまが深く息を吐いた。
「では、やはり志摩子はその二条乃梨子さんと?」
「はい」
由乃さんは、瞳子ちゃんの所に行ったとはお姉さまに伝えてなかった。
そのまま伝えたのでは色々と問題があると考えてくれたのだと思う。
実際、色々と問題はあるし。
今、私は薔薇の館で久しぶりにお姉さまと二人きり。
でも、やはりどこか違和感がある。
なんだかお姉さまとの距離が離れてしまったような気がする。
私がお姉さまの知らない所で瞳子ちゃんを妹にしたから?
それについての後ろめたさは……、ある。
何時までも黙ってていい事ではない。
今、話した方がいいのでは?
「どうしたの?」
お姉さまが私の頬に手を伸ばして触れてくる。
「今にも泣き出しそうよ?」
お姉さまが私の肩を引き寄せて、そっと抱いてくれる。
「志摩子を取られたみたいで寂しい?」
違う。
それは瞳子ちゃんに癒して貰った。
今の私が寂しいのは……。
「私が傍にいるから、ね?」
あ……。
「お姉さま」
抱き締められて、離れてしまっていたお姉さまが帰ってきたような気がした。
言わなきゃ、瞳子ちゃんとの事。このままでいいはずがない。
「お姉さま、私――」
口を開きかけたその時に、
「祥子お姉さま、大変ですっ!」
私達以外の誰かの声が重なった。
「と、瞳子ちゃん?」
お姉さまの声に、私は抱き締められたまま、その方向へと慌てて顔を向けた。
「瞳子ちゃん……」
「祐巳さま……」
部屋に走りこんで来た瞳子ちゃんと目が合った。
そこで自分達の今の格好に気付いて、私とお姉さまは慌てて離れた。
「何事なの、瞳子ちゃん?」
お姉さまが小さく咳払いをして気を取り直し、瞳子ちゃんに尋ねる。
でも、瞳子ちゃんからの返事はなかった。
瞳子ちゃんは、私を見たまま泣き出しそうな表情をしていた。
「瞳子ちゃん?」
再度のお姉さまの呼びかけに、我に返った瞳子ちゃんが私から顔を背けて話を続ける。
「あ、あの、今日のお昼に志摩子さまが乃梨子さんに何かを渡していたんです」
「何か、って?」
「巾着袋でした。それでは中身が分からないので、瞳子は意を決して、
掃除当番で教室を離れた乃梨子さんの鞄を開けてみましたの」
お姉さまが呆れたように溜息をついていた。
でも、私はそれどころではなかった。
絶対に瞳子ちゃんはさっきのを見て誤解してる。
ううん、誤解じゃないけど。
でも、はっきり言わないと……。
「で、中には何が入っていたの?」
「数珠です。あの仏教の時に手に持つ数珠ですわ」
「数珠ねぇ」
「ええ、今回の事で使える小道具になると思いまして。それで私、台本を書いてみたんです」
瞳子ちゃんがそう言って、持って来ていた鞄の中からレポート用紙を取り出す。
それをお姉さまに渡した。
「『名探偵瞳子の事件簿 消えた数珠の謎』?」
それを受け取ったお姉さまが、複雑な表情を浮かべてタイトルだと思われる文章を読み上げた。
「瞳子は演じるだけではなく、作・演出にも興味がありますの」
「あのね、瞳子ちゃん」
お姉さまが名前を呼ぶけれど、既に瞳子ちゃんは聞いていない。
「ちゃんと薔薇のお姉さま方の見せ場も作ってありますの」
自分の世界に入ってしまっている。
「クライマックスは、お聖堂シーン」
と、その時。
「なーに、寝ぼけたこと言ってるの」
背後から現れた令さまが言う。
どうやら先程の話を聞いていたらしい。
「瞳子ちゃん、いい?ハッキリさせておかなきゃいけないことだから、言うけどね。
あなたはあくまで部外者。主導権を握るのはおかしいよね」
む、瞳子ちゃんは部外者じゃないです!
睨むように令さまを見る。
けど、令さまは悪くはない。
言い出せない私が悪い。
あぁ、こんな所にも皺寄せが。
令さまを睨むのを止めて瞳子ちゃんの方を見ると、視線を逸らされた。
あれ?
なんだか今、嬉しそうな顔だったような……?
というか、逸らしたって事は瞳子ちゃんが私を見てたって事で、あれ?
「分かった分かった、ちゃんと瞳子ちゃんのシナリオからも要所要所をピックアップするから」
レポート用紙を丸めて筒状にした物で、瞳子ちゃんの頭をポンと軽く叩く令さま。
「分かりましたぁ。じゃ、瞳子、これから部活に行ってきまぁーす」
回れ右した瞳子ちゃんと一瞬、目が合う。
私には何も言わずに、瞳子ちゃんは今来た由乃さんと入れ違いに部屋から出て行った。
追いかけたかったけど、これからすぐに打ち合わせがある。
「祐巳。打ち合わせを始めるわよ」
「あ、はい。お姉さま」
瞳子ちゃんとは帰る時に話をしよう。
夕日が完全に沈んだ頃。
バス停までお姉さま達と一緒に向かって、館に忘れ物をしたから先に帰って下さい、
そう嘘をついて先に帰って貰った。
現在、私は一人でマリア像の前で瞳子ちゃんを待っている。
こういう時、山百合会にいて良かったと思う。
演劇部のスケジュールを確認できたし。
もうそろそろここを通ると思う。
瞳子ちゃんは許してくれるだろうか?
もし、許してくれなかったらどうしよう。
姉妹解消されたらどうしよう。
嫌な考えばかりが浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。
そんな時、話し声が聞こえてきた。
見ると、数人の生徒がこちらに向かって歩いてくる。
私はその中に瞳子ちゃんの姿を見つけた。
しまった。どうしよう。
瞳子ちゃんが一人でここを通るとすっかり思い込んでいた。
演劇部の他の部員だっているに決まってる。
「紅薔薇のつぼみ?」
「お一人なんですか?」
「どうしたのですか?」
私に気付いた人達が話し掛けてきた。
けれど、瞳子ちゃんは私を見てくれない。
「ちょっと忘れ物をして、これから薔薇の館にまで取りに行く所なんです」
「まぁ、そうなのですか?」
「こんなに暗くては、お一人では心細いでしょう」
「私達もお付き合い致しますわ」
暗くて心細いって、私は子供か?
「ご心配掛けて申し訳ありません。ですが、私の忘れ物に皆様をお付き合いさせるわけにはいきません。
それでは、ごきげんよう」
返事を待たず足早にその場を離れた。
とりあえず、このまま薔薇の館まで行こう。
それにしても、参ったなぁ。
とにかく、今日は無理だから瞳子ちゃんとは明日の朝に話をする。
出来るだけ早い方が良いと思うし。
薔薇の館に着いたけど、忘れ物なんてしてないし何もする事はない。
真っ暗の館を見上げて、お姉さまに嘘までついて何やってるんだろ、と自己嫌悪。
はぁ……、と溜息を一つ零す。
私は、皆が思ってるよりもずっと弱い。
『傍に……、いますから』
『私が傍にいるから、ね?』
その言葉は、魔法の言葉。
求めて、求めて、ずっと求めて、ようやく手に入れた決して手放したくない私の宝物。
私には、お姉さま達に言えない事がある。
言いたくない隠し事がある。
思い出したくもない……。
でも、こんな事になってしまったら話すしかないか。
「祐巳さま?」
考え事をしていた私は、聞こえてきた声にそちらを向いた。
「あ……」
何時の間に来ていたのか、そこには瞳子ちゃんがいた。
他の部員はいないようだ。
どうやら私を追ってきてくれたみたいだけど……。
「どうして?」
「忘れ物をしているのを思い出したんです」
「え?」
「祐巳さまに言いたい事があったのを思い出したんです」
私は、瞳子ちゃんの顔をまともに見れなかった。
何を言われるんだろう?
まさか、本当に姉妹の解消?
何か、何か言わないと。
ごめんなさい、でもなんでもいいから早く言わないと……。
「どういうつもりです?」
でも、そんな私よりも先に瞳子ちゃんが冷ややかに言ってきた。
「私を抱き締めて、すぐその後の放課後に祥子お姉さまに抱き締められているなんて」
「それは……」
今まで見たことも無い瞳子ちゃんの冷たい眼差しに、私は俯いてしまって何も言えなくなった。
全部、私が悪い。
呆れられても仕方がない。
もう、手遅れなの?
……嫌。そんなの嫌!
そんなのは嫌だった。
心底、嫌だった。
だから私は顔を上げて、隠し事も何もかも話そうと声を上げた。
「瞳子ちゃんっ!私は――」
「冗談です」
「って、はい?」
「冗談だと言ったんです」
呆気に取られている私の前には、いつもと変わりないように見える瞳子ちゃんがいた。
「別に怒ってませんから」
瞳子ちゃんに無理してそう言ってるような素振りはなかった。
怒りを抑えているとか、本当はすごく悲しいとか、そんな風には全く見えない。
「祐巳さまは祥子お姉さまとも姉妹なんですから、いちいち口出ししていたらキリがありませんし」
「でも……」
あの時の瞳子ちゃんは泣きそうだった。
私のせいで傷付いたと思う。
なのに、何故か今ここにいる瞳子ちゃんは照れているように見えた。
なんでだろ?そう思って見ていると、瞳子ちゃんが私から顔を背けた。
「その……、嬉しかったですから」
「へ?」
「私が黄薔薇さまに部外者だって言われていた時、祐巳さまが……」
「?」
「あぁもぅ!少し前の事も覚えてないのですかっ!?」
そっぽを向いたまま、声を荒げる瞳子ちゃん。
「ご、ごめん」
「祐巳さまが黄薔薇さまを睨んでいたでしょう!」
「あ!やっぱり見てたんだ」
思い出した。
あの時、瞳子ちゃんが私を見ていたように見えたのは、気のせいじゃなかったんだ。
しかも、嬉しかったって。
「まぁ、そういう事です」
背けていた顔をこちらに戻した時には、赤かった顔が元の顔に戻っていた。
「ああ、そうです祐巳さま」
「なに?」
でも、さすがは瞳子ちゃんだった。
一枚も二枚も上手だった。
「来年は祐巳さまの番ですよ?」
「へ?」
いったい何の事だろうと思っていると、
「さっさと妹を作って祐巳さまをたくさん妬かせて差し上げますから」
ふふん、と澄まし顔でとんでもない事を言われた。
「ええ!?」
「何を驚いているんですか?まだ一年も先の事です。それとも、私に妹を作るな、と祐巳さまは仰る?」
できれば作らないで欲しい、なんて思ってても言えない。
「そ、その時は、お手柔らかにお願いします」
うぅ……、敵わないなぁ。
新入生歓迎会、当日。
ついに、この日が来てしまった。
朝早くにあった志摩子さんを抜いた最終ミーティングを済ませて、私達は各自の持ち場へ向かう。
「祐巳さま、今からそんな顔しててどうするんですか」
私と一緒に歩いている瞳子ちゃんが話し掛けてきた。
「また、顔に出てた?」
「しっかりと出てました」
二人で溜息をつく。
「じゃ、行ってくる」
「頑張って下さい」
瞳子ちゃんは自分の教室へ。
私は一人で一年生の下駄箱の前に向かった。
「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう」
挨拶をしてきた一年生に私は笑顔で返す。
……ごめんなさい、お姉さま。
できるだけ目立たないように、と言われましたけど無理でした。
目立っているようです
ただ立っているだけなのに、もう何人に挨拶された事か。
おまけに遠巻きにこちらに視線を送ってくる生徒までいる。
更には、
「どなたをお待ちになっていらっしゃるのですか?」
なんて、尋ねてくる子まで出てくる始末。
場所を変えよう。
そう思って動こうとした時に、ようやく目的の人物が姿を現した。
二条乃梨子ちゃんだ。
彼女が一年椿組の教室に入るのを見届けてから、
渡り廊下で待機しているお姉さまと令さまに報告する事になっているんだけど……。
このまま尾行なんてしたら、どんな噂が立つことやら。
そんな面白い事はできない。
お姉さまと瞳子ちゃんの怒っている顔が目に浮かぶもの。
えっと、教室に入る所を見ていればいい訳だから……。
そうだ。先回りしよう。
二条乃梨子ちゃんが教室に入るのを見届けた私は、お姉さまの元へと急いだ。
今、私の前ではお姉さまと令さまが並んで歩いている。
行き先は一年椿組。
もう誰も止める事はできない。
止まる事なんてできない。
うまくやるしかない。
もし、失敗なんてしたら……、どうなるんだろ?
「二条乃梨子さんを呼んで頂けるかしら?」
辿り着いた教室で、出てきた生徒に取り次いでもらう。
「しょ、少々お待ちください」
緊張気味にそう応えて、その生徒が教室の中に戻った。
お姉さまに話し掛けられて、それ位で済んだのだから立派なものだと思う。
私なんて半年前に、名前を聞かれただけなのに、どんな漢字なのかまで答えてしまった。
今、思い出しても恥ずかしい。
お姉さまが覚えてなければいいんだけど。
「ごきげんよう、二条乃梨子さんね?」
っと、どうやら本人が出てきたようだ。
令さまがそう切り出した。
私は、お姉さまと令さま、そして二条乃梨子ちゃんの三人を少し離れた所で見ていた。
言動から察するに、二条乃梨子ちゃんはなかなか強気なようだ。
令さまの大胆にして失礼な行動を手で払って止めたもの。
それしても令さま、それはやりすぎではないですか?
まさか、いきなり相手の顎を掴むとは思わなかった。
しかも上下左右に動かして観察するとは……。
それはともかく、令さまと瞳子ちゃんが合作したシナリオでは、そろそろこの奇妙な時間も終わるはず。
瞳子ちゃんは無事に数珠を持ち出す事ができたのだろうか?
その為にお姉さま達が今こうして時間稼ぎをしているんだけど。
と、どうやら話が終わったようだ。
お姉さま達が二条乃梨子ちゃんから離れて歩き始めた。
遅れないように私が後を追おうとした所で、
「待って下さい」
と、二条乃梨子ちゃんの声が廊下に響いた。
すると、令さまが彼女の所まで戻って、一言二言ほど会話して帰ってきた。
二条乃梨子ちゃんは首を傾げたあと、教室に戻っていく。
なんて会話したんだろう?
と思っていると、彼女が戻っていった扉と反対側の扉を開いて瞳子ちゃんが姿を現した。
瞳子ちゃんが、私を見つけてスカートのポケットを押さえ、Vサインをしてくる。
どうやらうまくいったらしい。
全てのカードは揃った。
新入生歓迎会。
この儀式は教師もシスターも抜きで行われる。
生徒の自主性を重んじての事らしいけど、私にはよく分からない。
前まで私のいた学校は、こういうイベントには当たり前のように必ず先生がいたから。
午前中には神父さまによるミサ。
そして午後の現在、お聖堂には一年生約二百人が集められ、
既にクラスごとに六つのブロックに分かれて席に着いている。
その様子を扉の影から窺っていたのだけど、
「なに、コソコソしているの」
と、コツンと頭を後ろから小突かれた。
振り向くと、そこにはお姉さまが立っていた。
「あ、いえ。初めて見るものなので」
「そういえば、あなたはそうね」
儀式があったのは転校してくるより前でしたから。
一年前にもし私がここにいたなら、お姉さまはその時に私を見つけてくれていただろうか?
「薔薇が曲がっていてよ」
さっき直したばかりなので、そんなはずはないと思うけど、
私の胸ポケットに挿してあるサーモンピンクの薔薇の位置をお姉さまが直してくれる。
「祐巳」
「はい?」
「……いえ、いいわ」
お姉さまが何かを言いかけて止めた。
なんだろう、お姉さまのこの表情は?
不安……?
これから私達が始める芝居の事を考えての事だろうか?
だとしたら、私に出来ることが一つだけある。
「お姉さま」
「どうしたの?」
「私が、傍にいますから。ちゃんと見ていますから」
私の言葉にお姉さまは驚いた顔をした。
「祐巳……」
私の名前を呼んで、やさしい微笑みを浮かべながら私の手を握ってくる。
「本当に傍にいてくれるのね?」
「え、ええ」
なんだろう?お姉さまの様子が少しおかしい。
「そろそろ、始まるわね。見ていてちょうだい」
お姉さまがそう言って、私の前から去っていく。
その後姿を見ていると、入れ替わりに蔦子さんがやってきた。
新入生歓迎会には写真部が絡んでいるから、ここに蔦子さんがいてもおかしくない。
おメダイ授受のシーンを、写真部の副部長でエースの蔦子さんが撮るのは当然だと思う。
その蔦子さんは何か気になる事でもあるのか、しきりに首を捻っているけど。
「……」
「蔦子さん?」
蔦子さんも様子が変だ。
私の前まで来ると足を止めた。
胸元にあるカメラを両手で構えたまま尋ねてくる。
「祥子さま、おかしくない?」
「えっと……」
「私が写真を撮れなかった」
それは蔦子さんがおかしいから……、なわけないか。
「今の祥子さま、妙な違和感があるのよ」
それは私も感じていた。
「何かあったの?」
「私にも分からない……」
ここの所、ずっとあんな感じ。
落ち込んでいたり、元に戻ったり、嬉しそうだったり、また落ち込んでしたり。
お姉さまが近くなったり遠くなったり、ワケが分からない。
「祐巳さん、祐巳さん」
「あ、ごめん」
何時の間にか俯いていた顔を上げる。
「祐巳さんが暗くなってどうするの」
「……そうね」
蔦子さんが心配してくれているけど、やっぱりお姉さまが気になって仕方がない。
本当に何があったんだろう?
志摩子さんと由乃さんが開会時間ぎりぎりになってお聖堂に到着した。
それは、志摩子さんと乃梨子ちゃんを会わせない様に、うまく引き止めておく事ができたという事。
二人が数珠の事を休み時間中に相談できないようにする事が目的だった。
なぜなら、持ってきていたはずの数珠が無くなった事に、乃梨子ちゃんはもう気付いているはずだから。
ところで、由乃さんがやたらと疲れたような表情をしてるんだけど……?
「由乃さん、お疲れ様」
「本っ当に疲れた……」
何かあったのだろうか?
本当に疲れているようだった。
新入生歓迎会が始まった。
「一年生の皆さん、入学おめでとう」
お姉さまの挨拶。
そんなお姉さまに向けられている一年生達の視線を確認して、私は満足した。
多少、こちらにも視線が向けられているような気もするけど、それは気にしないでおこう。
一年椿組の方を見ると、二条乃梨子ちゃんはすぐに見つかった。
不安そうな表情をこちらに向けている。
いや、正しくは私の後ろにいる志摩子さんにだろう。
きっと、消えた数珠の事を伝えたいに違いない。
そんな二条乃梨子ちゃんの後ろの席に、瞳子ちゃんの姿を発見した。
私と目が合うと、ニヤリと笑った。
まったくあの子は……。
そう思った事が表情に出てしまったのか、瞳子ちゃんが頬を膨らませて抗議してくる。
う、ごめんなさい。
瞳子ちゃんは満足げに頷いて、元の澄ました表情に戻った。
もう私の方を見ていない。
「まずは、記念におメダイの贈呈を」
お姉さまがそう締めて、マイクを令さまに渡した。
ここからが本番だ。
李、藤、菊組の生徒が令さまの指示に従って通路に並ぶ。
私と由乃さん、それにアシスタントの真美さんは、おメダイの入った籠を抱えてお姉さまの隣につく。
唯一、真美さんだけは、その相手が志摩子さんなのでお姉さまではないけれど。
それはともかく、籠の中のおメダイは一つずつお姉さまの手によって新入生の首に掛けられていく。
それを見ていると、なんだかお姉さまが次々と知らない生徒にロザリオを掛けているみたい見えた。
お姉さまの浮気者……、なーんて。
そんなバカな事を考えていると、抱えていた籠の中身が空になる。
「次は、桃組、松組、椿組。前に」
空になった籠を次の籠と替えていると、マイク越しに令さまの声が聞こえた。
椿組……。
二条乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんのクラスだ。
椿組は志摩子さんの受け持ちだ。
この場面では私は特に何もする事はないのだけど、それでも緊張してきた。
そんな私に気付いたのか、祥子さまが小声で言ってくる。
「落ち着きなさい」
でも、そう言ったお姉さまだって緊張しているように見える。
チラリと視線を走らせると、二条乃梨子ちゃんがおメダイを受け取るまであと二人と迫っていた。
「マリア様のご加護がありますように」
何も知らない志摩子さんがそう言って、おメダイを椿組の生徒の首に掛ける。
あと一人!
瞳子ちゃんが、並んでいる列から横に一歩踏み出した。
お姉さま達の動きが止まった。
そして、二条乃梨子ちゃんが志摩子さんの前に進み出たその時、
「お待ちください!」
瞳子ちゃんが絶妙のタイミングで声を上げた。
瞳子ちゃんは二条乃梨子ちゃんに向かって言った。
「その人には、おメダイを受け取る資格がありません」
どういう事か、と言い返してくる二条乃梨子ちゃんに瞳子ちゃんは数珠を取り出して叫んだ。
「あなたにはこれがお似合いよ!」
二条乃梨子ちゃんの顔色が変わった。
けれど、彼女も負けてはなかった。
うまいこと瞳子ちゃんの追及をかわす。
そこにお姉さまと令さまが瞳子ちゃんの援護に入った。
こちらは打ち合わせまでして協力してやっているわけだから、
三人を相手にする事となった二条乃梨子ちゃんの旗色が悪くなるのは目に見えていた。
案の定で、二条乃梨子ちゃんは遂に数珠を自分の物と認めた。
けれど、私達はそれが彼女の物でない事を知っている。
それを私達が認めて、ここで話が終わってしまったら違う意味で何もかも終わってしまう。
だから、少しばかり強引に令さまが話を進めた。
あとは志摩子さんが舞台に上がるのを待つばかり。
そんな時、ふと気付けば、私の隣の真美さんが後ろに回している両手で速記でメモを取るという、
高度な技を披露していたのだけど、私の他には誰も見てなかった。
「もう、およしになって!」
声のした方向を見れば、志摩子さんの姿。
お姉さま達の容赦のない尋問に耐えられなかったのは、二条乃梨子ちゃんではなく志摩子さんだった。
「その数珠の持ち主は私です」
「志摩子さん!」
二条乃梨子ちゃんが悲鳴を上げた。
駆け出そうとした彼女を志摩子さんは手で制する。
「敬虔なクリスチャンのあなたがどうして?」
尋ねられると、志摩子さんは自分の家の事情を話し始めた。
「私の家が、仏教の寺だからです」
私達の前で。
二百人近い生徒の前で。
どんなに勇気がいる事だろう。
でも、それは彼女の為。
この場所でただ一人、二条乃梨子ちゃんという少女の為。
「せっかく庇ってくれたのに、ごめんなさい」
「志摩子さん……」
二人は抱き合って泣いた。
その時、お姉さまの声がマイクを通してお聖堂に響き渡った。
「美しい姉妹愛を見せてくれた志摩子と乃梨子さんに拍手を!」
しばらく呆気に取られていた生徒達の間から、幾つかの拍手が聞こえてきた。
それは次第に数を増やして、今ではお聖堂中に響いている。
それとは逆に、志摩子さんと二条乃梨子ちゃんが、ぽかーんとした表情を浮かべていた。
どうやら、事態が理解できていないらしい。
そんな二人の所に令さまが歩み寄って行き、志摩子さんに数珠を返した。
「良かったわね、志摩子」
「え?……ええ」
まだ呆けているようだ。
そんな志摩子さん達の様子を見て、私はお姉さまに近寄った。
「これでよかったのでしょうか?」
「いいのではなくて?」
尋ねると、お姉さまはそう聞き返してきた。
もう一度、志摩子さん達の方を見てみると、ようやく全てを理解したのか、
二条乃梨子ちゃんと二人で嬉しそうに抱き合っている。
瞳子ちゃんと令さまが一緒になって二人に話し掛けていた。
きっと今回の事を全部話しているんだろう。
やり方は強引だったけど、結果は良かったと思う。
「そうですね」
だから、私はそう答えた。
私の答えにお姉さまが微笑を浮かべる。
そんな時、
「瞳子ー!あんた、その前に謝れよっ!!」
乃梨子ちゃんの怒鳴り声がお聖堂に響き渡った。
歓迎式が終わった。
「じゃあ志摩子、二人でお願いね」
「はい」
一年生が全員去った後、志摩子さんと乃梨子ちゃんの二人が歓迎式の後片付けをする事になり、
さぁ私達は帰ろうか、という時に瞳子ちゃんが皆を引きとめた。
「待って下さい。帰る前に皆様にご報告したい事があります」
なんだろう?
見ていると、瞳子ちゃんに呼ばれた。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃありません!マリア祭は終わりましたよ?」
えっと、だから?
「皆様にご報告しなければならない事があるでしょう?」
あ!
「い、今?」
「イヤなんですか?」
私は首を左右に振った。
イヤなんて、そんな事あるはずがない。
「何?報告したい事って?」
令さまが由乃さんと一緒に近寄ってくる。
由乃さんが、なんだかニヤニヤ笑っている。
由乃さん、意地悪だ……。
志摩子さんと乃梨子ちゃんも近付いてきて、なんだろう、って顔してる。
お姉さまもこちらに寄ってきた。
皆が揃ったのを確認して私は口を開いた。
「ええっと、その。実は私、瞳子ちゃんと……」
うぅ、マズイ。緊張してきた。
瞳子ちゃんがそんな私を見て溜息をついた。
「祐巳さま、もう一息です。頑張って下さい」
「う、うん」
瞳子ちゃんにそう小声で応援されると、不思議な力が湧いてくる。
一気に言ってしまおう。
「実は私、瞳子ちゃんと姉妹になりました」
よし、言えた。
令さまは口を大きく開いて、ぽかーんとしている。
由乃さんはさっきから笑いを堪えていて、今にも吹き出しそうだし。
志摩子さんと乃梨子ちゃんは目を丸くして驚いている。
お姉さまは私と目が合うと、微笑んできた。
あれ?今……?
「お姉さ……」
「ええっ!?い、いつから!?」
お姉さまに声を掛けようとしたその時、令さまが驚きの声を上げた。
「せ、先週の金曜日です」
「嘘っ!?仲が悪いように見えてたのにっ?」
「瞳子ちゃんとは仲良しですよ」
ねぇ、瞳子ちゃん、と話し掛けようとしたらそっちはそっちで、
「瞳子。あんた、何時の間にっ?」
と、乃梨子ちゃんに突っ込まれていた。
由乃さんが堪え切れなくなってとうとう吹き出した。
辺りに由乃さんの笑い声が響く。
「よ、由乃?」
そんな由乃さんの方を振り向く令さま。
由乃さんは大きく息を吐いた。
「はぁー、苦しかった。令ちゃん、祐巳さんが困っているわ」
「いや、でも……」
由乃さんには弱いですね、令さま。
「祐巳さんが言ってるのは本当よ。仲良さそうに一緒にいた所を私は見てたもの」
「え?」
由乃さんの言葉に驚いている令さま。
「姉妹になってたとは知らなかったけど」
その事は祐巳さん、教えてくれなかったし、と由乃さんは続けた。
令さまは由乃さんのセリフで、どうやら納得してくれた様子。
ほっとしていると、志摩子さんが話し掛けてきた。
「良かったわね、祐巳さん」
「うん、お互いに。でも、志摩子さんを取られちゃったみたいで、ちょっと寂しいかな」
「それもお互い様ね」
二人で笑った。
「これからもよろしく」
「こちらこそ」
まるで、半年前のあの時みたいに言葉を交わして握手。
そんな私達の所に、瞳子ちゃんと乃梨子ちゃんが近寄ってきて不思議そうに見てくる。
私と志摩子さんは同時に頷いた。
私は乃梨子ちゃんに、志摩子さんは瞳子ちゃんに体を向ける。
「志摩子さんをよろしく」
「祐巳さんをお願いするわ」
言われた二人は驚いた表情をした後に、はい、と頷いた。
お聖堂を出たところで聖さまに出会った。
結局、気になって来ちゃったんですね。
ですが、もう終わってますよ。
そう伝えると残念そうに、でも嬉しそうに去っていった。
卒業はしたけれど、それでもやっぱり志摩子さんのお姉さまなんだなぁ。
去っていく聖さまの後姿を見送りながら、そんな事を思った。
令さまと由乃さんとはお聖堂の前で別れ、瞳子ちゃんは今、自分の教室に戻っている。
私とお姉さまは薔薇の館へ。
「祐巳、何か欲しいものはあって?」
薔薇の館まで帰ってきた所で、そうお姉さまに聞かれた。
あまりにも突然だったので理由を尋ねてみると、ホワイトデーと誕生日のプレゼントをくれるらしい。
しばらく悩んだあと、思い付いたのは遊園地。
確か、あの遊園地はまだ残っていたはず。
「あの、それなら遊園地に行きませんか?」
お姉さまと瞳子ちゃん、柏木さんの三人に初めて出会ったあの遊園地。
とても大切な思い出のある遊園地。
お姉さまは少し考えたあと、
「ジェットコースターには乗らないわよ」
と答えた。
それでもいい。一緒にあの遊園地に行けるなら。
私は微笑んだ。お姉さまも微笑んだ。
けれど……、一つだけ私には気になっている事がある。
皆に瞳子ちゃんと姉妹になった事を報告した時、お姉さまが一瞬だけ浮かべていた表情。
本当に一瞬だけだったからよく分からなかったけど、悲しそうな表情だったような気がした。
夕暮れの放課後、マリア像の前で瞳子ちゃんを待つ。
お姉さまは気を利かせてくれたようで先に帰ってしまった。
私は手に握っているそれに視線を落とした。
夕日に染まったそれは、私が受け取った時とは違って茜色に輝いている。
お姉さまが受け取った時にはどんな色だったのだろうか?
いずれ、瞳子ちゃんが自分の妹となる下級生に渡す時には、どんな色に染まっているのだろうか?
「祐巳さま」
名前を呼ばれて顔を上げた。
そこには瞳子ちゃんが立っていた。
茜色のマリア像の前に二人だけ。
今、この時この場所には私達二人しかいない。
半年前と時間も季節も違うけど、お姉さまからそれを受け取った時と同じような空気を私は感じた。
お姉さまがしたように、それを両手で持って瞳子ちゃんの前で輪のように広げる。
「私のロザリオを受け取ってくれる?」
何の気負いもなく、緊張もせず、ごく自然に私は瞳子ちゃんにそう言えた。
「お受けします」
「ありがとう、瞳子ちゃん」
瞳子ちゃんの首にロザリオを掛けた。
「そういえば……」
少しして、思い出したように口を開く瞳子ちゃん。
「どうしたの?」
「『ありがとう』って、ちゃんと言えるようになったんですね」
確かにあの時の私は自分から言えなかった……、でもね。
「祥子さまが人に言う幸せを教えてくれて、瞳子ちゃんが人に言われる幸せを教えてくれたのよ」
「ふふ、そうなのですか?」
「うん、そうなの」
答えて手を差し出した。
珍しく素直に、そっと私の手を握ってくる温かな瞳子ちゃんの手。
私の事を覚えていてくれた瞳子ちゃんの手。
お姉さまの事は気になるけれど、今はこの幸せに浸っていたい。
「帰ろっか」
「はい」
瞳子ちゃんの返事を聞いて、私は茜色に染まっているマリア像に視線を向けた。
ねぇ、マリア様。
あの頃の私の願いは届きましたか?
あなたが叶えてくれたのですか?
見てください。
私は今、こんなに幸せです――。