※完全オリジナルです。
　
　
　〜prologue〜
　
　
　それは晴天に恵まれた三月の吉日。
　吹く風はまだまだ冷たかったけれど、正門付近で早咲きの桜が一本だけ、枝に幾つか花を侍らせていた。
　季節はもう、春。
　例外を除いて蕾の並ぶ桜並木の下を、正装に身を包んだ多くの大人やそれに手を引かれたとても小さな子供が通ってゆく。
　市内の中央を流れる国領川、その西側全域を登校範囲とする市立西中学校。
　まりあ達の通うそこは、本日めでたい卒業式を迎えた。
　
　いや。違う。
　
　まりあ達の通っていたそこは、本日めでたい卒業式を迎えたのだ。
　
　
　有間　まりあ（ありま　まりあ）は十五歳。
　上から読んでも下から読んでも「ありま・まりあ」である彼女は、中学生になってから「髪が長い方が大人っぽいのよ」との持論から伸ばして手にしたロングへアがトレードマークの少女だ。
　性格は良く言って楽天的、悪く言って無鉄砲。考えるより先に口が出て、口が出るより先に手か足が出る。
　つまりが考えること自体が苦手という、典型的な元気印である。
　そんな彼女は、エスカレーター的義務教育の流れにより三月末日を持って中学生でなくなる。
　三年間連れ添ったその肩書きに関する思い入れも無くはないが、しかし、その翌日四月一日より彼女は高校生となるのだ。
　過去を振り返ることより未来を臨むことを好むくらいには、まりあも若かった。
　しかも来年度通うことになる高校は共学の普通高だが、小学校からの親友と中学校からの悪友も全員引き連れての入学となるのだからテンションも上がろうというもの。
　明確な未来予知として、四月以降の楽しい高校生活がまりあの脳内で何度も流れていた。
　中学時代はソフトボール部で三年間を過ごしたが、高校に入れば別の球技もしてみたいと彼女は考えている。
　バスケットか、バレーボールか。ソフトボールも嫌いではないから、部活の選択肢から完全に排するのは考えもの。どうしたものか。
　バイトもしたい。
　喫茶店でウェイトレス、本屋で店員。ガソリンスタンドで働くと車の勉強にもなりそうだし、そう、三年生になれば免許も取らなきゃ。
　休みの日にはカラオケ行って、ゲーセン行って、親に隠れてお酒を飲んじゃったりもするのだ。
　煙草は――多分吸わないけれど。
　
　そんな幸せな栄光の未来は今やまりあの眼前にぶら下がっている。後は飛びつくだけだ。
　けれど。
　けれど、それに飛びつく前にやらなければならないことが一つ、ある。
　その結果によっては思い描く未来予想図を大きく改変しなければならなくなるかも知れない。
　正直、それは嫌だ。
　親友と、悪友と、そして自分という今まで通りのグループで馬鹿をやっていきたい。これからもずっと、ずっと。まりあは心底にそう思っている。
　でもそんなことは不可能なのだ。
　時間は流れてしまうし、人は変わってしまう。
　いつまでも同じ場所には居られない。
　
　だからまりあは、今日一つの決意を胸に登校した。
　卒業式を終えた後、悪友の一人にある事を伝え、親友にまた別の事を伝え、そして、今、公園で待っている。
　式を終えてすぐ、一緒に帰ろうと言ってきた母親の手を振り切るのは一苦労だったが、そんなものは今から彼女が行うことに比べれば些事だろう。
　何故なら彼女はこれから、その親友と”修羅場”とやらを演じることになるからだ。
　
　
　〜principal part〜
　
　
「まりあ」
　聞き慣れた声で、呼ばれなれた名が背後から聞こえる。
　顔だけ振り返ったまりあの正面で、まりあと同じ学校規定の制服に身を包んだ――左胸には卒業生仕様の造花が刺さっていた――ボブカットの彼女がはにかんでいた。
　鞄は持っていない。まりあ同様、親に渡してきたのだろう。
「来たわね」
　言って、何だか悪役の台詞みたいだなぁとまりあの頭の片隅で誰かが囁いた。
　悪役、結構。
　決意新たに体全部で振り返った彼女の気迫を感じ取ったのか、正面の彼女も表情を引き締めた。
　
　彼女の名は東　ななみ（あずま　ななみ）。
　まりあの小学校からの友人で、彼女が親友と称する只一人の少女だ。
　同じクラスになったことは小学校の頃に三度と中学校では一年と三年の二度。姓が有間であるまりあとは、当然の如く出席番号一番二番の間柄だった。
　一番初めはそれが切っ掛けで仲良くなったのだから、まりあは有間の姓に今でも感謝している。
　出席番号が近く、二人とも名前が平仮名だけという微妙な共通項から仲良くなった彼女らは、何をするにしても一緒だった。
　そもそも波長があったのだろうと思う。
　ななみも余り物事を深く考えることなくフィーリングで行動する派だったし、それで被る被害は笑って済ます豪気さも持っていた。
　付き合わされるまりあに取っては笑い事ではなかったが、実際はお互い様なのでまりあも余り強くは追究できない。
　
　また、彼女ら二人には共通の友人が二人居る。しかも両方男子で、中学校に入学してからの悪友である。
　一人は黒澤慎二（くろさわ　しんじ）、通称シンジ。
　サッカー部のエースでスポーツ刈りの短い頭髪に弾ける汗が良く似合う、文字通りの体育会系。勉強もまぁそこそこできるので男女問わず人気が有る。
　リーダー気質もたっぷりで、班長やクラス委員なんかも（基本的には他人からの押し付けだが）良く担っていた。
　ちなみにななみの従兄弟に当たり、中学校に入学するのに合わせてまりあ達の街に引っ越してきた。
　
　そしてもう一人は早乙女幹高（さおとめ　みきたか）、通称ミッキー。
　慎二が街に来るまでは街一番のエースだったと豪語するこれまたサッカー馬鹿で、部活でのライバル関係を経て彼とは急速に親しくなった。
　しかし慎二と決定的に違うのは学力で、どういう訳か、彼は然したる勉強をしている素振りも見せないのに一年生の時から常に学年トップを維持し続けていた。
　結局それは彼の在学していた三年間で一度たりとも破られることはなく、彼の学内順位に「１」以外の数字が載ることは無かった。
　また、部を引退して以降髪を伸ばし始めたので、今では鼻頭くらいまで前髪が伸びている。
　それでも陰気な空気を感じさせないのは、生来の彼の明るさが要因だろう。
　しかし意外にシャイな部分があることをまりあは密かに知っている。
　
　中学校時代、特に二年生以降はまりあ、ななみ、慎二、幹高の四人で１グループだった。
　何をするにしても良く連んだし、修学旅行や体育祭など別クラスでも交流できるような機会があれば自然と集まっていた。
　喧嘩も余りなかった、ゼロではなかったけれど。
　でも”四人”というスタンスが一番心地良いことを全員が知っていたので、仲介の必要も殆どなく仲直りをして彼らは在った。
　在り続けた。
　まりあはけれど、それを崩そうとしている。その為には修羅場を超える必要があると知っていて、それでも壊そうとしている。
　
　何故なら、まりあは慎二が好きだから。
　そして又、ななみも慎二が好きだから。
　
　それ以外の理由は必要でなく、それ以外の理由で修羅場なんて彼女らの間には有り得ない。
　彼女らが昼食前の正午過ぎ、西中近くの公園で相対しているにはそんな理由があった。
　
　
「話って、何」
　ななみは言った。
　緊張して上擦った声が、今からまりあが言おうとしていることの全てを知っていると告げている。
　まりあは歴然と答えた。
「私、シンジに告白する。だからななみ、悪いんだけど諦めて」
　――。
　やや、歴然とし過ぎた感は否めない。
　余りのど真ん中直球に、待ち構えていたななみも手が出なかった。
　この大事な場面でそれが投げられる辺り、大物というか何というか。
　ななみは苦笑し、けれどすぐに笑みを消した。
「嫌よ」
　一言。
　その短い一言に万感の思いを込めて吐き捨てたななみの寄った眉に、まりあの緊張も跳ね上がる。
　ひり付くような空気が、ななみとの間に始めて流れたその空気が、泣きたくなるほど不快だった。
　
　緊張を隠すように小さく息を吐いてまりあは言う。
「でしょうね。でも、考えてみてよ。いつまでも今のままじゃ居られないわ、私達はもうすぐ高校生になるのよ」
「だから何だって言うの。私達は高校生になっても私達のままよ」
　即座に首を振ってななみは反論した。
「高校生になっても制服と学校が変わるだけ、私達には関係ないでしょう？　何をそんなに気にしているの」
「関係大有りよ、気にして当たり前じゃない。私達は変わるわ、子供じゃないんだもの。ななみこそ何も考えていないの？」
　目を僅かに見開いて驚きを露にしたななみに畳み掛けるようにして、まりあは続ける。
「私達、友達よね。私、ななみ、シンジ、ミッキーの四人で。友達。良い言葉よ、私も好きだわ。でもね。シンジだけは友達にしたくないの。シンジにだけは友達にされたくないの」
「それって」
「恋人にしたい。恋人にして欲しい。カレシにしたいしカノジョになりたい」
　中途で言葉を挟もうとしたななみを遮って、興奮したまりあは尚も続ける。
「四人を壊さずに済むならそうしたいわ。私だって今の四人が大好きだもの。でも、それとは別の関係をシンジと作りたい。作るつもり。だから」
「私に諦めろって？　何よ、それ」
　
　今度はななみがまりあの台詞を止めた。
　言葉にたっぷりと交じった棘が、熱の篭ったまりあを急速に冷えさせてゆく。
「まりあが言いたいことって結局自分の事じゃない。高校生だの、今のままじゃ居られないだの言っても結局それだけ」
　ななみは一歩、歩み寄って。
　まりあは半歩、後退って。
「勝手なこと言わないで。自分がどれだけ酷い事を言ってるか判ってるの？　まりあ、判ってるの？」

　数秒の重い沈黙が二人の間に落ちる。
　
「判って……るわよ。私は友情より愛情を選ぶの」
「それが子供じゃない証明？　高校生の証？　馬鹿じゃない」
　辛辣に切り捨てるななみに、まりあは口篭った。
　それを勝機と見たか、ななみが早口で被せる。
　熱くなった自分を静めようと――あるいは、胸のうちで燻る思いを確認しようと、胸に手を当てて。
「それに私だってシンジが好きよ。まりあよりもずっと好きだって自信もあるわ」
「そんなことない！」
「いいえ、私の方が絶対にシンジのことが好きよ！　まりあがシンジの何を知ってるって言うの！」
　聞き逃せない発言にまりあが声を荒げた。
　その反論に反論が重なり、二人のテンションが上がっていく。
「知ってるわ、私だってシンジのこと知ってる！　そりゃ、そりゃ、従姉妹のななみに比べれば知らないこともあるかも知れないけど……でもそんなこと！」
「そんなこと！　大事なことよ！　私はシンジを幸せにできる！　まりあにはできないわ！」
「ふざけないで！」
　
　春の公園の和やかな空気はそこにもう無い。
　まりあのロングヘアが風に揺れ、ななみのボブが勢いで振れる。
　
「ななみこそ勝手に決め付けないでよ、私だってシンジが好きだって言ってるじゃない！　私だってシンジを幸せにできるわ！　シンジに幸せにして貰える！」
「それは私の役目だって言ってるでしょ！　後から出てきたくせに何を言うの！」
「ええ、ええ、そうね！　でもシンジだって、昔から知ってるななみより後から出てきた私の方が新鮮に決まってるわ！」
「昔から知ってる私の方が気楽で良いのよ！」
　
　言い合いながら互いに歩み寄って間を詰める。
　後一歩踏み込めば平手打ちの間合い、というところまできて――まりあは足を止めた。
　ななみもそこで足踏みする。
　見えない最後の境界線が、そこに在った。
　
　
　大声で胸のうちを曝け出した所為で大きくエネルギーを消費した二人は、肩を上下させて荒い息を吐く。
　はぁ、はぁ。
　ぜぇ、ぜぇ。
　まりあは何故だかマラソン大会のことを思い出した。三十二位でゴールしたまりあと三十三位でゴールしたななみ。二人並んで膝に手を付いて、背中を丸めて息を吐いていた日があったことを。
　息を落ち着けるためだけの数秒を挟み。
　まりあはやがて、言った。
「埒が明かないわね。私はシンジが好き。ななみもシンジが好き。言い合ったってそれだけでしかないのかしら」
「まりあが諦めれば良いんでしょ」
「その言葉そっくり返すわ」
　皮肉交じりの言葉の応酬、ささやかながらもまりあの胸を抉る。
　気を奮い立たせて、彼女は改めてななみを見た。
「今日、一時。体育館裏にシンジを呼んでるの」
「体育館裏……杉の樹？」
　西中の体育館裏は年中日陰で暗い雰囲気に満ちているがその分静かな空気が常に漂っており、構内での告白場所としては五指に入る。
　また基本的には空き地である体育館裏だが、その最奥には大きな大きな杉の樹が一本植わっていて、樹齢百年だのニ百年だのと言われていた。
　まりあは頷いた。
「そこでシンジに直接選んで貰いましょ。それなら恨みっこなしよ」
　その最後の台詞を、ひゅうと吹いた春風がさらってゆく。
　
　たっぷり三秒ななみはまりあの目を見て。
　静かに、頷いた。
　
　
「必ず来なさいよね。来なかったら不戦敗なんだから」
　別れ際にまりあが言ったその言葉は。
　ななみの背中に無惨にも跳ね返された。
　
　
　〜〜〜
　
　
「あーあ」
　
　急に風通しの良くなった首筋を何度か撫でながら、天気の良い町並みを行くまりあは空を見上げて呟いた。
　時刻は午後の二時四十五分。
　道ずれは、無し。一人。
　デートの帰り？　そんなことはない。美容院に行っていただけだ。
　
　肩まで届いていた自慢の髪をばっさりカット。
　勇気は必要だったが、美容師に「ばっさりいっちゃってください」と言ってしまえば、後は意外にスムーズに事が進んだ。
　ばさりと耳元で大きくなる鋏の音と、時々刻々と軽くなる頭がとても印象的だったとまりあは振り返る。
　長いようで短かった一時、別離の時間。
　まりあはその間目をずっと閉じていたから、肩を叩かれて初めて目を開けた時の衝撃は大きかった。流石に。
　ショートヘアの自分。
　かなり引いた。
　ちょっと泣いた。
　
　でももう戻らない。
　お昼ごはんを食べてすぐに美容院に駆け込んだ時点でもう取り返しは付かない、それはもう、色々と。
　今頃ななみは慎二とどこかでデートしている頃だろう。
　行かなかったら不戦敗、言いだしたのはまりあなのだから。
　結局、彼女は後一歩踏み出せなかった。それだけだ。
　
　ななみの本気は知っていた。
　まりあも本気だった。
　でもそれをぶつけて。
　思い切りにぶつけ合わせて。
　
　良いかなと、思ってしまった。負けても良いかなって。
　友情より愛情を選ぶ。それはまりあの言葉だったけれど、中々どうして難しい。
　慎二のことは好きだ。ななみとの二者択一というなら、本当に二者択一――例えば、どちらかを選ばないと百万円貰う！　とかそんな脅迫を受けたのなら、まりあはきっと慎二を選ぶだろう。
　でもななみのことも好きなのだ。脅迫を受けていない以上はどちらかを選んでどちらかを捨てて、なんてできない。
　できると思っていたのは錯覚だった。
　
「あーあ」
　
　もう一度呟く。
　慎二のことは好きだ。本当に好きなのだ。愚痴りたくもなる、良すぎる天気に嫌気が差す。
　ばっさり切った髪と一緒に、美容院に色々置いていくつもりだったのに。
「有間？　有間か？」
　もう一度深い深い溜息を吐くと同時に、聞き慣れた声がする。
　顔を上げれば、美味しそうなクレープ片手にした幹高が音楽プレイヤーのイヤホンを外しながら彼女に手を上げていた。
「ミッキー」
　最高なんだか最悪なんだか。
　絶妙なタイミングで微妙な人物と出会ったまりあは、力なくその名を呼んだ。
　
　
「ははぁ……ん」
　商店街に備え付けられているベンチにまりあと並んで座り、彼女の話を聞き終わった幹高は中途で買ったカップのコーヒーをぐいっと煽って飲み干した。
　元々幹高が購入していたクレープ（チョコバナナクレープ　三百五十円)は、既に隣の失恋少女に強奪されている。
　飽き足らず、追加購入したコーヒーも既に彼女の分は胃袋の中だ。
　彼女の食いっぷりは相変わらずだが、イメチェンを済ませたまりあの髪型は酷く新鮮。
　中学校以来の付き合いである幹高にとって、まりあ＝ロングヘアであったからだ。
　けれどそれ以上に言葉の内容に衝撃を受けた幹高は、彼女の新しい髪形にコメントできなかった。
　
　自分の知らぬ間に進んでいた恋模様。
　そして判りきっていた――まりあ以上に初めから判りきっていた――失恋の宣告。
「じゃ今頃、東はシンジと居るのかな」
　ん、とまりあは頷いた。
　そか、と幹高は唇だけで言葉を刻んだ。
　
　幹高はななみに恋をしていた。
　彼女が慎二に惹かれていることを知っていながらも、彼女らが実際に付き合いだしたりしなかった現状に甘えてずっとその友人という立場に甘んじてきた。
　対象こそ違うが、彼もまたまりあやななみと同じ立場の人間だったのだ。
　彼らの描き出す四角形は、二重三重の恋慕が連なってもう随分と前からその本質を変えていた。
　それに気付いていなかったのは、きっと慎二だけだろう。
　そしてななみもまた、幹高の想いには気付いていなかった。
　
「何、俺に対する死刑宣告っすか」
　そしてははと力なく笑った幹高は、唸ってベンチの背凭れに身体を預ける。
　木製のベンチは酷く硬くて背中が痛んだけれど、そんな痛みは胸のそれに比べれば蚊が刺したようなもの。
「私に対してもよ」
　正面を向いたまま前屈みの姿勢で前髪をちらちらと触りながら愚痴るまりあの声は投げやりだ。
　さもありなんだが、慰めるだけの余裕は幹高にも無い。
「でもシンジ、ビビったんじゃね？　有間が呼びつけたのに東が居たらさ」
「あぁ、それは大丈夫。私かななみのどっちか行くからって言ってあったから」
「何、それじゃ元々諦めるつもりだったのか？」
「そんな訳ないじゃない！」
　
　カッとなって声を荒げたまりあが立ち上がる。
　睨み付けた彼女の強い視線は、けれど眉尻を下げた幹高の困り顔に吸収された。
　彼が右手の掌を下に向けて上下させる。「座れ」、そういうように。
　渋々座ったまりあは、再び彼から視線を外して言った。
「もしかしたら、とは思ってたよ。でも本当に私が行くつもりだった。説得できると思ってた」
　でも駄目だった。
　言葉に乗らなかったそんな最後の台詞に、幹高は目を伏せた。
　
　
　緩やかな休日の午後が過ぎてゆく。
　街の雑踏がどこか耳に心地良く失恋二人組みを包んだ。
　
　
「これからどうすんだ？　俺は完全無関係だから別に良いけど、東とは結構言い合ったんだろ？　四月から顔あわせ辛いんじゃないか？　シンジともさ」
　空に投げるように幹高が言った。
　けれど返事はすぐには返らない。
　どうするつもりか、もう一度聞こうか聞くまいか幹高は悩んで。
　聞かなくても良いかなと結論付けた丁度のタイミングで、でもまりあは答えた。
「ななみには今日中にでも電話するつもり。ごめん、おめでとって。許して貰えるかどうかは判らないけど……何とか四月までには」
「シンジは」
　すぐに聞き返されたその一言がまりあの胸を締め付ける。
　幹高は言っているのだ、諦められるのかと。
　ななみのカレシとなった慎二に今までどおりに接することができるのかと。
　
「頑張る、としか。ま、元々振られたら同じことになってた筈だから今日を選んだんだしね。二週間……三週間かな。顔をあわせなければ何とかなると思う。これからは生暖かく二人を見守っていくよ」
　まりあは言って、立ち上がった。
　振り返って首を傾げる。
「ミッキーだって無関係じゃないじゃん。大丈夫なの？　シンジの彼女紹介されてさ」
　最後の一言が強烈だったか、「うぁー」と大袈裟に唸った幹高は、けれど、数秒の間を持ってから顔を戻した。
　そしてはっきりと頷く。
「悪いけど、報われない恋に関しての年季は俺の方が長い。心配無用さ」
　
　違いないね、とまりあは。
　軽くなった髪の毛を春風に棚引かせて、朗らかに笑った。
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　〜pre-epilogue〜
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
「で」
　
　幹高をベンチに置いて歩き出したまりあは、やがて川縁で見慣れた後ろ姿を見つけた。
　驚いて駆け寄った相手の片手にはこれまた美味しそうなクレープ（イチゴミントクレープ　三百二十円）だが、流石にそれを奪い取る気にはならない。
　と、言うか。
「何で、ここに、居るの、ななみ！」
　いつものボブを揺らせて振り返った彼女は、今頃慎二とデートしている筈の東ななみその人だった。
　クレープを齧ったまま凍りついた彼女の目は赤い。
　泣いていたんだろうと直感した。
　
「ななみ、どうしたの、何があったの？　何、シンジに酷いこと言われたの？」
　思わず取り乱し、まりあは彼女の肩を掴んでがくがく揺する。
　勿論慎二がななみに酷いことをいうようなやつではないことは知っていたけれど、状況が状況だ。
　いつもの彼ではない――ななみの言葉を借りるなら、まりあの知らない彼がそこに居たのかも知れない。
　けれどクレープから口を外したななみの言葉は、それこそまりあの思考を停止させるに十分なものだった。
　
「まりあ、シンジと一緒に居たんじゃないの？　何やってるの？　って言うか、髪、それ、どうしたの」
　
　――。
　待て。
　待て待て待て。
　
　ななみの肩から手を離し、三歩後退したまりあは首を振り振り、事態を整理しようと必死で頭を働かせた。
　おかしい。色々おかしい。
　ななみがここに居ることはおかしいし、ななみが泣いていたこともおかしいし、ななみの言っていることもおかしい。
　ななみ的にはまりあがここに居ることがおかしいらしい。髪の毛はまぁ確かにおかしいだろうけれど。
　待て。
　待って待って待って。
　もしかして。
　もしかしてもしかしてもしかして。
　
「ななみ、行ってないの？」
「まりあ、行ってないの？」
　
　声が完全に被った。
　そしてつまりが、そういうことなんだろう。
　
　
『えーーーーーーっ！！』
　
　
　お互いを指差して二人は絶叫する。
　最悪な事態が起きていた。
　
「何考えてるの！　好きだって言ってたじゃない！　来なかったら不戦敗だって私言ったよね！」
　まりあが叫ぶ。
「そうよ、まりあが言ったんじゃない！　だから私は行かなかったのに！　頑張って頑張って行かなかったのに！」
　ななみが嘆く。
「そうだ携帯……って、あー、私電源切った！　ななみ、あんたは！」
「切ったわよ！　今、誰かと話せる状態な訳ないじゃない！」
「うっそ有り得ない有り得ない有り得ないって！　うーわーうーわ、どうすんの！　シンジ絶対今でも待ってるよ！」
「絶対待ってるわよ、シンジだもの！　ってかシンジ呼んだのまりあでしょ、私は知らないわよ！」
「ううん、私が無理ならななみが行くからって言ったもん！　ななみも同罪だって！」
「何よそれ！　勝手に何言ってるの！　髪切ってる場合じゃないわよ！」
　
　そこまで一気に言い合って。
　昼間の公園を二人同時に思い出して。
　何だか。
　何だか馬鹿らしくなって。
　あんまりにも馬鹿馬鹿しくて。
　
「――は」
「ふっ」
　
　そして二人同時に、吹き出した。
『あはははははっ』
　
　
「お互い馬鹿だね」
　まりあは笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭って言った。
　ななみもお腹を押さえて頷く。
「馬鹿だよ。馬鹿馬鹿」
　大仰に頭を抱えてまりあはぶんぶん髪を振った。
「髪まで切ったのに、私、本当馬鹿過ぎるー！　返してー私の髪と時間を返してー」
　えーんえーん、と笑いながら泣き真似を始めたまりあにクレープを手渡し、ななみは身体をくの字に追って笑った。
「あはははは、ホントだよ。ま、ま、クレープでも食べて機嫌直して。髪はいつか、あはは、伸びるって。あ、あはははは！」
　
　川縁で肩を寄せ合って馬鹿笑いする二人。
　祝福するように何処からか飛んで来た早咲き桜の花弁が、ひらりひらりと彼女らの眼前を通って川に落ちた。
　
　
　〜〜〜
　
　
　同日。午後三時。
　誰にも連絡が付かず、けれど約束した以上はそれを反故できずに延々杉の樹前で待ち呆ける件の色男、慎二の携帯が鳴った。
　メールだった。
　
　件名：ごめん！　（−人ー；
　送信者：有間　まりあ
　本文：ちょっと色々手違いがあって私もななみも行けなくなっちゃった……ゴメン！(汗)
　　　　この埋め合わせは今度必ずするから(^^;;　今日は本当ごめんなさい(平謝)
　　　　byまりあ・ななみ
　
　画面を見詰めて一言。
「俺、何かしたか……？」
　彼のそんな自問に答えてくれる者は、勿論居なかった。
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　〜epilogue〜
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　同日。午後八時。
　ななみ、慎二、幹高の携帯が一斉に鳴った。
　メールだった。
　
　件名：中学三年お疲れ様！
　送信者：まりまり(ななみの携帯)
　送信者：有間　まりあ(慎二の携帯)
　送信者：有間(幹高の携帯)
　本文：終わったねー！
　　　　いやー、長いようで短かった三年間だった気がするよ。私だけ？(笑)
　　　　まー色んなことあったけどサ、四月からはまた一緒の高校だからそこんところ宜しく（はぁと）
　　　　そんな訳で、高校生活を見越して早速の親睦会を開催したいと思います！　＼（＾o＾）／
　　　　日時は明日朝十時に、いつものDAMでどう？　
　　　　ナナ→とりあえずシンジ分は私と割り勘！
　　　　シンジ→埋め合わせも兼ねてるんで、財布なしでもおっけーよん☆
　　　　ミッキー→てめーの分はしっかり払えよ！(笑)
　　　　
　　　　返信求む！
　
　
　同日、午後八時一分、同三分、同二十二分。
　三回に分けてまりあの携帯が鳴った。
　メールだった。
　
　
　件名：了解！
　送信者：なな
　本文：朝十時おっけー！
　　　　てか今月お金無いのにー(涙笑)
　
　件名：ま、当然だな(爆
　送信者：シンジ
　本文：明日はみっちり今日の事を聞かせて貰うんで覚悟しておくように！(笑
　　　　でもま、一応金は持ってくぜ。ぱーっとはしゃぐんなら金が尽きてもアレだしな。
　　　　んじゃまた明日。歌うぜーっ！
　
　件名：Re:中学三年お疲れ様！
　送信者：ミッキー
　本文：風呂入ってたっつーの。っつーか何なんだあの格差は。
　　　　ま、良いけどなー。とりあえず了解。
　
　
　
　三者三様の返答、けれど大筋で「OK」の返答を、ベッドに転がったまま携帯のディスプレイで眺めて。
　まりあは再び四月以降の未来予想図に思いを馳せてにんまりと笑った。
　続いていく。
　まだまだ続く、まりあ、ななみ、慎二、幹高の四角形。
　まだまだ続く、二重三重の恋模様。
　”これからは生暖かく二人を見守っていく”などと言っている場合ではない。
　まりあだけがリタイアするにはまだ早い、勝負は始まってもいないのだから。

「見てなさい、ななみ」
　にやにや笑うまりあが呟く。
　殆ど同じ言葉を、今頃ななみも呟いている事を確信しながら。