沙貴さんの【No:1163】『見上げる狂い咲き』のラストをちょっといじってみた
【No:1233】『桜の木の下で花は幻想のままに絡み合う』のさらに裏バージョンの
【No:1294】『痛みを知るきっかけ花や散るらむ』の続き。(……よりにもよって)
「お姉さま?」
「え?」
紫苑は妹の声に我に返った。我に返ったことで、自分がそれまでぼうっとしていたことに気付く。
「あ、ごめん。何だっけ?」
今日は久しぶりに妹と一緒に帰ることにしたのだった。もちろん、リリアンでの妹(プチ・スール)だ。ちなみに今居る場所はなんとなく避けていた銀杏並木。なぜなら避けて通る理由を思いつかなかったから。
今の自分があの日の若菜の様子に酷似していただろうことに気付いて、紫苑は取り繕うような笑顔を見せた。
だというのに。このかわいげのない妹ときたら。
「何だっけ? じゃないです」
はあ、とこれ見よがしなため息をついて言う。
「最近ぼうっとしっぱなしじゃないですか」
「そんなことないわよ。たまたまよ、たまたま」
「………」
じっ、と見つめられて、思わず目を逸らす。
「若ちゃんが失踪してショックなのはわかりますけど……」
紫苑の顔から表情が消える。触れて欲しくないことだった。
若菜は失踪したということになっていた。けれど、そうではないことを紫苑は知っている。
あの日、若菜が目の前で桜の木に喰われたあの時以来、紫苑はあの桜の木を憎悪していた。切り倒そうと考えたこともある。それができなかったのは他でもない、若菜がその木に呑み込まれたからだ。桜の木を切り倒したら、中にいる若菜ごと切ってしまいそうな気がした。もちろん、そんなことはありえないのだろうけど。
紫苑は逸らした視線をその桜の木に向けた。
風が、吹いた。
「え?」
あたりが一瞬にして桜色に染まる。
そして、桜の木の下に、一人の女性が佇んでいた。
「若、ちゃん?」
こんなシーンを見たことがあったような気がした。
あれは1年の時だったか2年の時だったか。桜もあの桜の木ではなかったかもしれない。
若菜が、不思議な表情で満開の桜を見ていた。それは愛しさと切なさと懐かしさをないまぜにしたような、笑顔とも悲しみの表情ともつかない不思議な表情で、ひどく印象的なシーンだった。
「お姉さま!!」
「っ!?」
若菜に向かってふらふらと歩き出した紫苑は、腕を強い力で引かれてたたらを踏んだ。
反射的に振り解こうとして、その必死な声に、腕に込められた力に、紫苑はハッとしたように振り返る。
「あ」
その必死な、そして泣き出しそうな表情を見て、紫苑の意識は急速に覚めていった。
そんなそぶりは見せなかったけれど、妹がずっと自分のことを心配していたのだろうということに、紫苑はようやく思い至る。
桜色の幻影は既に消えていた。
妹にこんな顔をさせていたなんて、姉失格だ。
若菜が紫苑にしたことを、紫苑自身が今、妹にしようとしていたのだと気付く。
同時に、あの時の若菜の表情を思い出した。
もしかすると、彼女も誰かを見ていたのだろうか。
胸が、痛かった。
もしもあの時、紫苑が強く引き留めていたら、若菜は消えずに済んだのかもしれない。
それは悔しさ故か悲しさ故か。
我知らず、紫苑は妹を抱きしめていた。
その涙を、妹には見せたくなくて。
妹には、決してこんな想いをさせてはいけない。
「お、お姉さまっ!?」
いきなり抱きしめられて、うわずった声を上げた後固まってしまった妹に、紫苑はかろうじて言葉を絞り出す。
「ごめん、ちょっとだけこのまま、いい?」
「は、はい」
紫苑の腕の中で、ぎこちなく頷く。
そのぬくもりを噛み締めながら、紫苑は泣いた。
声を殺して、ただひたすらに。
そんな二人を見守るかのように。
桜の木はただ静かに。
佇んでいるだけだった。