作者注:この作品は【No:1365】の続きとなっております。宜しければ、そちらの方をご一読なされてから、ご賞味頂くことをお勧め致します。
「由乃、ここがその秘密の場所だよ。」
「わあ。」
数年前、令ちゃんが近くの神社で秘密の場所があることを教えてくれた。
そこを見せて貰った後で、由乃が発作なんか起こすから令ちゃんはもう連れて行かなかったのだろう。去年は単に忘れていただけかも知れないけど。
そういう事だからとても印象に残る場所だった訳で。頭の中には鮮やかな景色が広がっていた。
それなのに。
「え、え、え、え。」
(なんで、なんで、なんで、なんで。)
由乃は完全にパニックに陥ってしまった。
「ここに、ちゃんと、梅の花が、黄色の。」
菜々に見せたかったのに。一緒に花を眺めたかったのに。
涙が、溢れてくる。悔しい思いが由乃の内側から溢れてくる。こういう事を菜々に伝えたい訳じゃないのに。菜々には楽しい気分でいて貰いたいのに。
遮るものは、何もなかった。
「綺麗な、ホントに、花が、いっぱい。」
目の周りが痛かった。景色が歪んで、菜々の顔も何も見えなかった。顔はもうぐしゃぐしゃだろう。でも、そんな事はどうでも良かった。
菜々の顔が見えない、そのことも溢れる思いに拍車をかけていた。
「令ちゃんに、教えて、貰った、そんな、場所、秘密の。」
ただ、菜々に気に入って貰いたかった。令ちゃんと由乃の秘密の場所を知って貰いたかった。
ただ…
「大丈夫みたいですよ?」
「ここに…え?」
そんな激しい思いを止めてくれたのは、顔の見えない知っている声。
今、一番欲しい声。
令ちゃんでは駄目だ。令ちゃんなら由乃を優しく包み込んでくれる。でも、それじゃ駄目なんだ。
「大丈夫みたいですよ。由乃さま。」
再び声が聞こえた。
景色は歪んだままだけれど、すうっと悲しい思いが取り除かれるようなそんな感じ。溢れる思いを遮るでなく、感情の流れを変えるでなく、ただ、すうっと。
由乃は頬をこすりながら、目を開けた。
そこには、めそめそしている由乃とは対照的にからっと、それこそ「何でもないですよ」という感じでこちらを眺めている菜々の姿があった。
「えっ……大丈夫って?」
由乃には一瞬何の事か理解が遅れた。
「ほら、つぼみが綻びかけてます。」
そう言いながら菜々は一つの枝を指した。
そう、由乃には鮮やかな景色の印象が強く、花が全く咲いていない、ただそれだけの事で梅の木自体が無くなってしまったかの様に感じられたのだった。
だってしょうがないじゃない。菜々にどうしても見せたかったんだから。
「他のつぼみも…ほら。そうですね、来週辺りなら綺麗な姿が見られるんじゃないでしょうか。」
他の枝も指しながらそう言うと、菜々はいたずらっぽく笑った。
でも、その時の由乃には今日見せたかったという思いが強すぎて、菜々が言いたい事が分からなかった。
「ですから。来週、又、来ましょう。由乃さま。」
「え。…え?」
少しだけ理解が遅れる。
そんな由乃の脳を畳み掛けるかのように、菜々は続けた。
「それとも…。来週はご都合が悪いんですか?」
菜々の目が少し曇る。そのまま菜々はじっとこちらを見つめていた。
由乃が菜々の言いたい事を全て理解した時、別の味の涙が溢れそうになった。
「ううん、もちろん大丈夫よ。」
瞳を潤ませながらにっこりと笑って返す。
「それにしても。」
「うん?」
顔を洗いに行く途中で、菜々は思い出したようにつぶやいた。
「それにしても、由乃さまは令さまのことが本当に好きなんですね。」
しまった。そう由乃は心の中で歯噛みした。
令ちゃんに教えてもらったのは間違いないけど、それを言うタイミングってものがある。
自分が一番目じゃないと分かったら、由乃ならどうする?由乃だったら怒るはずだ。クリスマスの時の様に。
「あ、あのね。」
そう思い込んで、焦った顔で振り向くと、由乃とは対照的に落ち着いた、言い換えれば静かな菜々の顔がそこにはあった。
「ひょっとして、由乃さまは私が気を悪くしたとお思いになられました?」
菜々は少しだけ顔を綻ばせると、そう言った。
「何故ですか?由乃さまはその、好きな令さま、が教えて下さった秘密の場所を私にお見せしようとしていた訳でしょう。」
菜々は一歩、由乃に近づいた。
「嬉しく思いこそすれ、悪く思うなんて事ありえませんよ。」
更に一歩、由乃に近づく。
「令さまが由乃さまを、由乃さまが令さまを、とても大切に思っていらっしゃる事は、この間のクリスマスでよく分かりました。」
一歩。由乃の目の前に菜々の顔がある。そして菜々はにっこりと笑って由乃の手を取った。
「その大切な思い出の場所を見せようと連れ出して下さったのは、とても嬉しかったんです。」
その由乃の手から小指だけ選んで、菜々は自分の小指と絡め合う。
「ですから…又、来週に来ましょう。」
同じ言葉を、今度は、自分も嬉しいんですよ、と言わんばかりの笑顔で伝えてきた。
令ちゃんとは違うのだけれど、由乃に向けてくれる優しい笑顔という点では変わらない。
「うん、そうね。」
にっこりと笑って、指を切る。涙の跡が残っているから、菜々にどう見えているか分からないけれど。
それにしても。由乃は顔を洗いながら思った。それにしても、笑顔を思うだけで泣き止んだり、令ちゃんのことを指摘されて焦ったり。菜々に振り回されている自分がいる。
この状況はどうなんだと。姉(候補)としては導く立場にいるのが由乃で、後ろをついて来るのが菜々で。常に主導権を握っていたいのに、と。
(でも……いいのかな。)
このままでも。菜々に振り回されるのも。
菜々に振り回される由乃がこうして笑っていられる。由乃に振り回されている令ちゃんが楽しそうにしているのだから、由乃にも何か見つけられるはず。
そう考えていたら、少し気が楽になった。
「菜々。」
でも、それだけじゃ由乃らしくない。くやしいじゃない?
だから。
「菜々。」
少し主導権を取り戻そうと試みる。
「はい、何でしょう。由乃さま。」
梅の枝を見ていた菜々は、二度目の呼びかけに応えた。振り返って小首を傾げている。
「菜々。」
更にもう一度。そして、菜々に近づいた。
「私ね、――――――。」
風が吹いた。でも菜々には届いたと思う。だって少しだけフリーズしていたから。
でも、菜々の顔はいつもと変わらなくて。ちゃんと伝わったかどうか不安で。そんな気持ちだったから。
「由乃さま、少しだけお話を聞いて貰えませんか。」
え、菜々。気分良くなった由乃を又、谷底に落とす気?とその時はほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、そう思ったのだけれど。
「前に由乃さまとお出かけした時にもこんな事がありましたけれど。」
前のお出かけ。菜々に会う約束をしていたら、当日に令ちゃんのお見合いの事を知って、急遽菜々を伴っての令ちゃん追跡行になったんだっけ。
「どうも自分では盛り上がっているつもりでも、他の人から見ると普段と変わらない顔をしているようなんですよ。」
「そうね。」
あの時の事を思い出しながらうなずく。あの時も盛り上がっている風には見えなかったんだけど。菜々の中では違っていたらしい。でも何で、菜々は今こんな話をしているのだろうとゆっくり思った。
「ですから今は。」
菜々はさっきの由乃の言葉を受けて話をしているのだろうから、えーと…。大切な人の事なのに頭がうまく動いてくれない。いや、大切な人の事だからだろうか。
由乃の考えが次に移る前に、菜々の声が聞こえた。
「今は、――――――。」
又、風が吹いた。でも、由乃には届いた。だって。
菜々が精一杯の笑顔を見せて伝えようとしてくれたのだから。
だから由乃は、大丈夫だよ、と言う代わりに菜々の手を取った。
「今日は見られなかったけど、来週は一緒に。」
「ええ。」
お互いに、ほんのちょっとだけ先の未来を思い描きながら、笑い合う。
そして、気持ちが通じた証とばかりにしっかりと手を握り合った。
もう風が吹いても、寒くはなかった。