待たせすぎ感をビシバシ感じる今日この頃。このシリーズ忘れ去られてないか心配です。
…【No:935】―┬――→【No:958】→【No:992】→【No:1000】→【No:1003】→【No:1265】→
└【No:993】┘
結局、ずっと聖さまと一緒に猫をかまっていて、祥子さまとの朝の密会をすっぽかしてしまった。
今日はお手伝いは無いのでもうお姉さまと会う機会は無いというのに……。
「ごきげんよう、志摩子さん」
教室に着いてすぐに志摩子さんのところへ行った。
「ごきげんよう、どうしたの?」
志摩子さんは祐巳の顔を見てそう言った。
「え? どうしたって?」
「なにか良いことがあったような顔してるから」
「えっと、そうかな?」
と答えたが、すぐに先生が来てしまって、祐巳は「あとで話すね」と言って自分の席に戻り、結局、話は昼休みまでお預けとなってしまった。
教室では他人の目もあるし、その方が都合が良かったのだけど。
そしてお昼休み。
「え? 白薔薇さまと?」
いつもの場所で志摩子さんと二人でお弁当を広げながら、今朝の聖さまとのことを志摩子さんに報告した。
「うん。志摩子さんの言った通りだった」
志摩子さんは「声をかけてみれば」と提案してくれたのだけど会ったのは偶然。
でも、結局、志摩子さんの言葉通り、志摩子さん抜きで二人きりで話したらごく普通に話せたから。
「そう……」
「志摩子さんありがとう」
「よかったわね」
そう言って志摩子さんはやさしく微笑んでくれた。
「うん!」
……あれ?
元気よく返事をした時、志摩子さんの微笑みに陰りを感じた。
それはほんとうにちょっとした違和感で、良く見てなかったら判らないくらいの。
だから祐巳はあまり気にとめなかった。
志摩子さんはすぐに「祐巳さんったら」と言ってまた微笑んだから。
思えば志摩子さんは元気がなくなり始めていたのはこのときからだったというのに。
〜 〜 〜
翌日の朝のこと。
先日は朝の密会すっぽかしてしまって、結局、祥子さまとは一度も会えずそれを謝ることも出来なかった。
だから今日はまず謝って、それから聖さまのことを報告しなければならないのだ。
そんな決意を胸にマリア様へのお祈りを済ませた祐巳は古い温室に向かった。まあ決意といって張り切っているものの、時間はいつもと同じ。だいたい祥子さまの方が早いのだけど、祐巳は温室の植物に囲まれて一枚の絵のように静かに読書をされるお姉さまを見るのが好きなのだ。
そして、そんな祥子さまが祐巳に気付いて絵の世界から現世に戻るようにそのお美しいお顔をこちらに向け「祐巳」とその名を呼ぶのを聞くのはもう朝の至福の瞬間だった。
そんな至福の時間を昨日は逃してしまったが、聖さまとのことが進展したというようやく掴んだ成果らしい成果をお姉さまに報告出来ることの代償と思えばそれくらいはたいした事じゃない。祐巳はそう思って自分を納得させたのだった。
ようやく温室の前に到着して、中に入ろうと入り口の透明な扉に手をかけたとき、祐巳の目にいつもと違う光景が飛び込んできた。
いつもと同じ、温室の奥の植木棚の所に座っている祥子さま。
(もう一人、誰かいる?)
そしてその隣、手前の植物が邪魔でよく見えないが、いつも祐巳が座っているあたりに誰かの俯いている頭が見えたのだ。その、やわらかそうな巻き毛は?
(……なんで?)
見間違えるはずもない、志摩子さんだった。
ちょっと疑問に思ったけど、そういえば志摩子さんも学校に来るにのは早かった。
いつか講堂の裏手の桜の木のところで志摩子さんを見つけたのは祥子さまとの約束より30分も早い朝の時間だったのだ。
ゆえに、偶然か気まぐれで、ここ古い温室に志摩子さんが来て祥子さまと話をしていたとしても別に不思議なことでもなんでも無い。
(あれ? ということは、もしかして今までも志摩子さんに見つかる危険があったとか?)
危険と言えば危険である。志摩子さんにはつい最近祥子さまとどうのと聞かれた事があるのだし。
危険回避のことも含めて、祐巳がどうしたものかと思案していると、祥子さまが温室の外の祐巳に気付いて視線を送って来た。
祐巳が気付いて目を合わせると、祥子さまは祐巳に目を合わせたまま軽く顔を横に振られた。
おそらく「来ないで」というサイン。
祐巳は「わかった」というつもりでそれに頷いて答え、まだ俯いている志摩子さんが気付かぬうちに温室を去ることにした。
困った。
昨日に引き続いてまた祥子さまとのお話の機会が先送りになってしまった。
話したいことを抱えたまま下手すると明日の朝まで待たなくてはいけないのだ。
失礼を覚悟で今夜電話をしてしまおうか? そんなことまで考えつつ、祐巳はなんとなく校舎の方へ歩いていった。
校舎裏を抜けて中庭に入ると、前方の植え込みのそばに黒っぽいものがうずくまっているのが見えた。というか見慣れたリリアンの制服。だれか生徒が中庭の真ん中で座り込んでいるのだ。
こんな早朝に誰だろうと思って近づくにつれてそれは知っている人だってことが判った。
祐巳は声をかけるにちょうど良い距離まで近づいてから彼女に声をかけた。
「聖さま!」
「あれ、祐巳ちゃん?」
そこに座り込んでいたのは聖さまだったのだ。
祐巳はすぐそばまで行ってから聖さまに訊いた。
「あの、何をしてらしたんですか?」
聖さまは何かを熱心に観察してたようなのだけど。
「この子の朝ご飯よ」
「あっ」
遠くからは見えなかったけど、聖さまのすぐ目の前に昨日カラスから助け、手当てをしたあの仔猫がいた。
仔猫はカリカリと音を立ててクラッカーのようなものにがっついていた。
おそらくキャットフード。聖さまが持ってきたのだろう。
でも……。
昨日の聖さまの言葉を思い出して祐巳は言った。
「甘やかしては、いけないんじゃなかったんですか?」
「そうなんだけどね。 まだ、小さいから……」
親猫の保護が必要なくらいの間は面倒見ても良いでしょうって。
聖さまはとても優しい目で仔猫を見ていた。
――自分で餌を取ることを覚えるまでは。
野生だからと冷たく放り出すのではないのだ。
生きていけるように最低限の手助けをしている聖さまは、違って見えてもやはり聖さまなんだなと祐巳は思った。
今朝は祥子さまと話をしていた志摩子さんだけど、朝も昼休みもその話題は出なかった。
やはり一刻も早く祥子さまとお話をしなくては。
というか。
「志摩子さん?」
「なあに?」
「なんか元気ないみたい」
いつもおしとやかで、元気いっぱいってタイプじゃないのだけど、今日の志摩子さんはそれにも増して元気がないように見えた。
なんだか、お弁当も美味しそうでない。
「そうかしら?」
そういって志摩子さんは微笑むのだけど、なんとなく。
今日はお手伝いの日、いや単発ではなくて、今日からしばらくは毎日来るようにと前に紅薔薇さまから言われていた。
まだそんなに忙しい時期ではないのだけど、秋の催し物シーズンに向けてそろそろ閑散とした時期から充実した時期に切り替わる頃だからだ。今のうちに仕事にいろいろと慣れてもらう、という意味合いもあるのだろう。
これまでは実務というより雑用が多かったのだけど、今日は書類の整理も任された。
テキパキと指示をする紅薔薇さまに、これは本格的に二人とも山百合会に組み入れられつつあるなぁ、などと祐巳が思っていたら、なんと紅薔薇さまはその妹(つぼみ)である祥子さまに新人二人の世話係を命じられた。
つまり祐巳と志摩子さんの仕事上の責任者というか監督が祥子さまになってしまったということだ。
紅薔薇さまはこれで祥子さまを鍛えるおつもりなのか? あるいは「早く妹を作りなさい」とプレッシャーをかけているのかもしれない。
――すみません、祐巳はもう祥子さまの妹なんです。
祐巳は心の中で紅薔薇さまに謝った。
皆が作業に集中しだした頃、祐巳は蓉子さまに呼ばれた。
「祐巳ちゃん」
「はい?」
「ちょっと、一緒に来てくれる?」
「あ、はい」
なんの気負いも無く自然な感じで呼ばれたので思わず従ってしまったが、考えてみたら仕事中なのに良いのだろうか?
祐巳は席を立った時、祥子さまの様子を伺ったのだけど、祥子さまは祐巳の方に一度目配せしただけで何も言わなかった。
ビスケットの扉を出て、階段の手前付近で蓉子さまは振り返って言った。
「今朝、中庭で聖と一緒に居たわよね」
「あ、はい」
何処かで見ていたのだろうか? 流石は紅薔薇さま。祐巳はちょっと驚いた。
紅薔薇さまは祐巳がそんな様子を見せたからか、言い訳をするようにこう言った。
「べつに詮索するつもりもないんだけど、ほら、ああいうことがあったから気になるじゃない」
「あ、はい」
「ああいうこと」とぼかして言っているが、要はあの『事件』以来、聖さまは祐巳を避けているということであろう。直接紅薔薇さまからは聞いていないが、祐巳たちのお手伝いの時、紅薔薇さま公認で聖さまが来ないことは祥子さまから聞いて知っていた。
どうなってるのか、ってことだ。
「あの、猫の話をしてました」
それ以外は無いので率直にそう答えた。
「……仔猫の?」
「え?」
ただ『猫』って言ったのに紅薔薇さまが『仔猫』って答えたから。
もしかしたら紅薔薇さまのことだから、先に聖さまからなにか話を聞いてるのかもしれない。
紅薔薇さまは「いえ、続けて」と先を促した。
「その、先日、仔猫がカラスに襲われてて」
「カラス!?」
カラスと聞いて蓉子さまはちょっと驚いた。
「はい、私、カラスは追い払ったんですけど」
「危なくなかったの?」
「ええ、カラスはすぐ逃げちゃったから私は何とも無かったんですけど」
「無茶しないでね」
「すみません」
「いえ、それで?」
「その猫が怪我をしてて、それで、聖さまが」
「助けてくれたの?」
「はい、手当てを手伝ってくれました」
「じゃあ、そのときも聖とは話をしたのね」
「あ、はい。それで今朝も聖さまがその助けた猫に餌をやってたので」
「そうだったの。わかったわ。それで祐巳ちゃん?」
「はい」
「聖のことは……」
「え?」
「あ、いえ、もういいわ。ありがとう」
なにかもっと言いたそうだったのだけど、紅薔薇さまからの話はそれだけだった。
結局その日も祐巳は祥子さまと二人きりになる機会は無く帰宅した。