まえがき。
HPでキリ番を踏まれた翔さまのリクエスト作品ですが掲載させて頂きます。タイトルと関係なし…かな。いや、繋がれ(笑)
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「――はぁ」
盛大な溜息が祥子さまから発せられた。書類に目を落としていた志摩子は今日何度目かのそれに顔を上げる。祥子さまの表情には『私不快です!』とありありと浮かんでいた。
「…ちょっと志摩子!アレ何とかして頂戴」
志摩子は『アレ』と指差されたものに目を向けて小さく息をついた。そして再び祥子さまの顔を見る。
「何とか、と言われましても…」
「あなた妹でしょう!?」
「ええ…」
妹――その言葉からわかるように『アレ』とはお姉さまのこと。
「全く!陰々鬱々と…鬱陶しいにも程があるわっ」
「お、お姉さま!」
祥子さまはかなりご機嫌斜めらしい。祐巳さんが慌てて宥めに入る。
「祥子さまじゃないけど…確かにアレじゃあ鬱陶しくてやりにくいものがあるわよね」
「こら。由乃言いすぎたよ」
「はーい」
令さまがめっと言って由乃さんを嗜めた。
祥子さまの溜息をきっかけに緩やかに休憩の空気が流れ出す。
「でも…本当にどうしたんでしょうね?聖さま」
「白薔薇さま。何かお心当たりはございませんの?」
お茶を入れ直していた乃梨子と瞳子ちゃんが戻ってきた。
(心当たり…ね。ありすぎる程にあるわ…)
『アレ』ことお姉さまは窓際の、いつもの定位置に置いた椅子の上で、膝を抱えて陰気な雰囲気を醸し出している。久しぶりに薔薇の館へ顔を出したというのにさっきからずっとこの調子なのだ。祥子さまが鬱陶しく思うのも当然だろう。
(もう…お姉さまったら…まだ根に持っているのね)
「志摩子さん何かあったのっ!?」
人知れずついた溜息に由乃さんが目を光らせた。獲物を見つけた肉食獣のごとく爛々と輝く瞳。正直恐い…
「い、いえ。別に大したことじゃないわ」
「でも何かあったんでしょう!?何なの?ねぇ!!」
「ちょっと由乃…やめなさいって!」
「だって…いーじゃない。令ちゃんだって本当は聞きたいくせに!」
由乃さんと令さまが言い合いを始めてしまった。志摩子は悪いと思いつつもほっと胸を撫で下ろす。
(良かった。話の矛先が逸れたみたい)
祥子さまは少しイラついた様子で乃梨子は無表情で二人同時にカップを口元に運び、瞳子ちゃんは興味なさげに書類の角を揃えている。祐巳さんはというと…
「志摩子さん本当に何があったの?私で良かったら相談に乗るよ!」
……しっかり話を元に戻してくれた。それによってまた視線を一身に浴びる。
「――そうね。私たちで良ければ話くらいは聞くわよ?仲間なのだから」
祥子さまが皆を代表して言った。先程までの険しい顔ではなく穏やかな微笑みを湛えている。
『仲間』――その言葉に志摩子は胸が熱くなった。
「ありがとうございます。では…少しだけ。お付き合いして頂いても宜しいでしょうか?」
「いいに決まってるじゃない!」
祐巳さんはマリア様のような暖かい笑顔をくれた。いや、祐巳さんだけではない。『仲間』たち全員だ。
「実は――」
志摩子はその暖かさに背中を押されるように話し出す。
「――お姉さまは拗ねているんです」
「「「…へ?」」」
固唾を飲んで見守っていたが皆気抜けしたような言葉を漏らした。志摩子は構わず続ける。
「二日程前。お姉さまが私に…その…『愛してる』と…言って欲しいと…仰られたんです」
「「「…はぁ?」」」
目が点になっている山百合会一同。
(呆れられても仕方ないわね…私だってこんなこと言うのは恥ずかしいもの。でも、きっと真剣に聞いてくれるはず。だって私たちは『仲間』なのだから!)
「い、家まで送って頂いた車の中で…いつものようにお姉さまに…えっと…『愛してる』と言われながら…抱き締められてて」
恥ずかしくて死にそうとはこういうことを言うのか、と志摩子は思った。きっと既に顔は赤くなっているだろう。
「私…私、ぼーっとしてて…そうしたら、その…お姉さま。志摩子から一度も『愛してる』って言われたことないよって…仰られて…それで。今日は志摩子から言ってと……でも!私…言えなかった、んです…」
そこまで詰まりながらも一気に話して息をつく。情けない話だが少し息切れした。
「…それで怒ってしまわれて。今日までずっと…ああやって拗ねられて、口もきいてくれないんです」
「「「………」」」
「…あの、皆さん?」
誰も何も言わないものだから不安になる。
「…何で言えなかったの?」
由乃さんが何かを我慢しているような、そして何かにじっと耐えているような顔で聞いてきた。
(由乃さんどうしたのかしら…あら?他の皆さんも…)
見れば殆どの者がそうである。
「それは…その―「聖さまのこと好きなんでしょ?」」
口籠もっていると更に由乃さんが言い募ってきた。
「ええ…」
「だったら何でよ?」
「……」
言葉に窮して俯いてしまう。あんな理由だなんて、恥ずかしすぎる。
「志摩子さん?」
しかし由乃さんは容赦してくれない。
「しま―「『愛してる』だなんて恥ずかしくて!それに…お姉さまの顔が近くて…見惚れてしまってて…それで言えなかったんですっ」」
再度名前を呼ぼうとした由乃さんを遮って志摩子は叫んでいた。もう涙目だ。
「…だそうですよ。聖さま」
「え?……あっ!」
完全に忘れていた。そもそも、こんな原因を作ったのは他ならぬお姉さまが『ここ』で沈んでいたせいで…
「うん♪」
さっきまでの暗さが嘘みたいに明るくて嬉しそうなお姉さまの返事が返ってきた。頬が一段と赤くなる。鼓動は早まる一方で止まることを知らない。
(聞かれ、た…あんな恥ずかしい…それも大声で…喚き…散らして……)
終には考えることを放棄して頭の中は真っ白。
「…もう帰ろ」
誰が発したのか志摩子はその声に我に返った。
「そうね。帰りましょう」
「え?あの…」
皆さっさと帰り支度を始めてしまう。乃梨子まで。
「あーーーもう何かすんごい馬鹿馬鹿しいっ」
「まぁまぁ由乃。後でホットケーキ焼いてあげるから」
「由乃さんいいなぁー」
「じゃあ祐巳ちゃんも食べに来る?」
「え!いいんですかぁw」
「あの、皆さん?ちょっと…え?え?」
「全然いいよ♪祥子たちもおいでよ」
志摩子の言葉は聞き流された。呆然と口を開けて突っ立っている間にも会話はどんどんと進んで、いつしか山百合会全員でお食事会なんて話になっている。
そんなこんなとこれからの予定を歩きながら話しつつドアノブに令さまが手をかけた所で。……皆一斉に志摩子を振り返った。
「「「ごきげんよう」」」
「あの…っ!」
――バタンッ
またしても誰にも聞いてもらえず無常にも扉は閉められた。と思ったら…
「志摩子さん」
祐巳さんがひょこっと顔を出した。
「祐巳さん!」
(あぁ!祐巳さんだけは私を見捨てなかったのね)
満面の笑みで祐巳さんを迎え入れる志摩子だったが。
「志摩子さん。あのね」
「なぁに?」
志摩子に応えるように祐巳さんの顔も満面の笑みを形づくる。そして一言…
「あほっぷる」
「……え?」
祐巳さんは『じゃあね。ごきげんよう。聖さまもごきげんよう』と言って再び扉の向こうに消えてしまった。
(あほっぷるって何かしら?…林檎の一種?)
部屋に残された志摩子は、お姉さまの顔も見れないしだからと言って帰ることもできない。どうしていいかわからずそんなことを考えていた。
「あの時…私に見惚れてたんだ?」
ふわりと後ろから抱き締められる。お姉さまの優しくて、でも少しだけ意地悪な響きを含む声。なぜだか素直になれた。
「……お姉さまに見惚れない人なんていないです」
「ありがと」
お姉さまはくすっと笑う。その拍子に息が耳にかかってくすぐったい。
「愛してる」
「お姉さま…」
「志摩子…言って」
身を捩って顔を覗き込むと真摯な瞳に見つめられる。
「愛しています」
今まで言えなかった言葉がすんなり出てきた。ただ、心臓の音が余りにも煩くてどうにかなってしまいそうで。
でも抱き合ったままお姉さまの温もりを感じていると落ち着いた。
「お姉さま」
「ん?」
「あほっぷるって何ですか?」
「え?…さ、さぁ?」
語尾が少し上ずっている。これは明らかに答えを知っているのだろう。
「知ってるなら教えてください」
「…そんなに教えて欲しいの?じゃあね〜」
(何か企んでるのね…何となく予想はできてるけど)
だったら…と志摩子はすぐに教えてくれないお返しも込めて反撃に出ることにする。
「もういち―「お布団の上でなら…教えてくれますか?」」
お姉さまの言葉を先取りしてやった。志摩子はそのつもりだったのに…
「えっ!?」
なぜかお姉さまの顔が見る見る赤くなっていく。
「お布団って…志摩子…」
訝しく思いながら自分が言葉を重ねる直前のお姉さまの言葉を思い出そうとする。
(確か『もういち』…もう一度かしら?……え?…まさか)
「……っ!」
思い違い――気付いた瞬間、自分の発言に沸騰したように体が熱くなった。
「「……」」
沈黙が支配する。いっそ穴を掘って埋まってしまいたい気分だ。
「……志摩子」
お姉さまが意を決したように重い口を開いた。
「お布団の上で…もう一度…言ってくれる?」
顔は赤くて上目遣いで…甘えたような声。そんな風に言われて断れる訳がなかった。でも嬉しくて…
「……は、い」
志摩子は小さく小さく返事した。
◆◆◆
「うわぁ〜」
「やっぱり…聖さまと志摩子さんってあほっぷるだよね」
そんな二人を扉の隙間から覗き見る影が六つ。
「お姉さま。先程から言ってらっしゃるあほっぷるとは何なんですの?」
「あ、それ私も知りたい」
興味津々と五つの影が一つの影に目を向ける。
「ふふwあほっぷるって言うのはねーバカップルを素晴らしく上回る程のバカップルのことなのです!」
一つの影が高らかに言い放つ。
「「「…なるほど」」」
旧白薔薇姉妹を見て納得する影たちだった。