【1448】 見てないようで見てる  (翠 2006-05-05 18:56:19)


【No:1286】→【No:1288】→【No:1291】→【No:1297】→【No:1298】→
【No:1413】→【No:1416】→【No:1418】→【No:1427】→【No:1434】の続き




「七不思議?」
祐巳さんが聞き返した。
「ええ、そうよ」
真美さんが答える。
「桜組伝説は?」
あれにいくつか書かれていたと思うけれど、と志摩子さん。
「それとは別に」
「つまり噂になっている七不思議を私たちで検証しろと?」
「そう」
なんで私たちが?
「由乃さん達なら、きっと私の想像以上の成果を上げてくれると思ったのよ」
どういう意味よ、それは?
「心当たりはあるでしょ?」
ありすぎて答えられないのはなんだか悔しい。
「夏も近いし、怪奇特集として瓦版に載せたいの」
「でも、七不思議ねぇ……、そんなのがリリアンにもあるとは知らなかったわ」
「七不思議といっても微妙なのが多いのよ。書類にまとめておいたから見てみて」
真美さんが書類を渡してくる。
祐巳さんがそれを受け取った。
「受けるとは言ってないわよ」
真美さんを睨みつけながら言う。
これ以上、厄介事は御免だもの。
「受けるわ」
「ちょっと祐巳さん、なに勝手に決めてるのよ!」
「面白そうだから」
面白そうって……。
「あ!ひょっとして、こういうの苦手なの?」
ニヤニヤと笑いながら祐巳さん。
「誰がっ!いいわよ、やってやろうじゃない!」
「じゃ、決まりね」
しまった、つい……。
「待って。私はまだ賛成してないわよ」
志摩子さんが助け舟を出してくれた。
真美さんに渡された書類の一文を祐巳さんが読み上げる。
「七不思議、其の一。『倉庫の謎の呻き声』」
「もちろん、賛成するけれど」
志摩子さんの助け舟は、祐巳さんの一言であっという間に沈んだ。
あ、やっぱりその事は知ってたのね。
さすが祐巳さん。
三人とも賛成した所で、
「じゃ、あとはお願いね」
真美さんの言葉に仕方なく頷く。
ん?
なんだか真美さん、不思議そうな顔してない?
「どうしたの?」
「……さっきから思ってたんだけど、祐巳さんの椅子だけちょっと豪華な気がするんだけど?」
祐巳さんと志摩子さんが私を見た。
「こ、壊れたから新しく買ったのよ」
私の気持ちの分だけ上乗せしたけど。
志摩子さんの私を見る視線が痛いモノに変わってきた。
「そうなの?まぁいいわ。ちょっと気になっただけだから」
こうして、あの恐怖の夜が幕を開いたのである。



土曜日、深夜。
よくもまぁ学園側が許可したわね、と思ったけれど、どうやら祐巳さんが何かしたらしい。
納得しておく事にした。
余計なものは突付かないほうがいい。
「さて、みんな揃ったわね」
なんで祐巳さんが仕切ってるんだろう?
薔薇の館に集まった私たちは、とりあえず学園にある七不思議の最終確認をする。
「祐巳さん、私を騙したことを後悔させてあげるわ」
まだ根に持ってたのか……。
志摩子さんが祐巳さんを睨んでいる。
「私は『薔薇の館の』とは言わなかったわよ」
書類を見る。
『七不思議、其の一。第一体育館・倉庫の謎の呻き声』
確かに。
そもそも、薔薇の館の一階にある倉庫として使ってる部屋は噂になるような所ではない。
私たち以外の生徒が入り込む事はない、と言っても過言ではないもの。
それにしても、うまく誤解させるように言ったものね。
気付いた時の志摩子さんを宥めるのに苦労したけど……。
まぁ、それは置いといて、
「改めて言うけど、酷いものね」
溜息をつく。
「そうね」
志摩子さんが頷いた。
「碌な噂がないわね」
同じく頷く祐巳さん。
所詮は噂。
どうしようもないのばかりしかない。
「なんで『音楽室を徘徊する人体模型』なのよ?」
これには呆れてしまった。
「歩く肖像画よりいいんじゃない?」
祐巳さんが言う。
「それは普通に怖いと思うけど?」
「肖像画が歩くのよ。額縁ごと」
ああ、なるほど。
「それは難易度高いわね」
「いっその事、新たに七不思議を私たちで作るとかどうかな?」
祐巳さんが提案してくる。
「『銀杏の悪魔』。季節限定で、ふわふわ巻き毛のなんとなく白っぽい薔薇さまが、
 座敷童子と一緒に銀杏を収穫するために出没するの」
「祐巳さん。『紅白薔薇戦争、薔薇の館崩壊』なんて七不思議を今ここで作ってもいいのよ?」
「二人とも、ケンカするのはやめてよ」
とりあえず、仲裁に入る。
「仕方ないわね。由乃さんに感謝してね」
「あら、そちらこそ命拾いできたのだから、感謝するべきではないかしら?」
ガタッ。
椅子から立ち上がり、お互いに近寄って睨み合う二人。
もういい、私はどうなっても知らない。
「ところで、あなた達は妙に静かね?」
視線を二人から外して、菜々たちに向ける。
何故か菜々たちは部屋の隅の方に固まって静かにしている。
「どうしたのよ?」
「……え?あ、いえ、別になんでもありません」
菜々がそう返してくる。
あのね、なんでもないようには見えないんだけど。
「瞳子と可南子は怪奇現象が苦手なのよ」
「乃梨子も同じよ」
こちらは全く見ずに、睨み合ったまま二人が言ってくる。
言われた三人が苦笑いを浮かべた。
なるほど、そういう事。
しかし、そういう素振りは全く見せなかったのに、
「まさか菜々もそうだとはね」
「な、何を仰っているのですか?こ、この有馬菜々が怪奇現象を恐れているなんて……」
「一人で見回りしてみる?」
言うと、菜々が一瞬で青褪めた。
菜々の苦手発見!
こういうところは可愛いわね。
ずっと見ていたいけど、そういうわけにもいかない。
「ねぇ。そろそろ、行かない?」
まだ睨み合ってる二人に問い掛ける。
「そうね」
「いいわよ」
あっさりと二人は睨み合うのをやめた。
「じゃ、まずは『第一体育館・倉庫の謎の呻き声』からね」
皆が頷いた。



――第一体育館へ向かう途中――
なんというか、自分はそうでもないと思っていたけれど、実際にはやっぱり不気味ね。
静まり返った学園の敷地内、第一体育館を目指して歩く。
今夜は月が雲に隠れているから辺りは真っ暗。
懐中電灯で各自、道を照らしながら進んでいる。
本当に何か出てきそうな雰囲気が漂ってるんだけど……。
微妙に祐巳さんに寄り添うように歩く。
「怖いの?」
「ちょっとだけ……」
聞かれたのでそう返すと、そっと私の手を握ってくる。
「ゆ、祐巳さん……」
「着くまでね」
クスリ、と笑う祐巳さん。
私は頷いた。
祐巳さんの手、祐巳さんの手、祐巳さんの手、祐巳さんの手。
……温かい。
今なら幽霊でもお化けでも、何が出てきても平気な気がする。
ふと後ろを見ると、菜々が瞳子ちゃんに寄り添っている。
瞳子ちゃんが私の視線に気が付いて、困ったような表情で視線を返してきた。
そのまま体育館に着くまで菜々をよろしく。
でも、ちゃんと後で返してもらうわよ?
瞳子ちゃんが溜息をついた。



――第一体育館――
鍵は祐巳さんが用意していた。
今回の事で許可を取りに行った時に借りたらしい。
扉を開けて覗いて見ると、当たり前なんだけど体育館の中は真っ暗。
これは……、ちょっとシャレにならないわね。
舞台の方は暗すぎて何も見えない。
いかにも何かが出てきそうな雰囲気が、前に進む事を躊躇わせる。
「さっさと行くわよ」
祐巳さんがそう言って、一人で先に進み出した。
な、なんで躊躇わないのよ?
慌てて私たちは後を追った。
みんなで固まって歩いて、倉庫の前で止まる。
「ここよね?」
書類を懐中電灯で照らしながら祐巳さん。
「うん、そうだけど」
倉庫は鉄の扉で倉庫側と体育館側に区切られている。
祐巳さんが扉の鍵を開けた。
「開けるね」
祐巳さんがそう言って、扉を開く。
ゴロゴロゴロゴロゴロ……。
扉の下に付いているローラーの回転する音が静かな体育館に響く。
普段はなんとも思わないけど、今はとても嫌な音に聞こえた。
倉庫に入ると、中は埃の臭いが立ち込めていた。
大小様々な道具が置かれている。
周囲を見回してみたけど、特に怪しい物などはない。
「呻き声なんて聞こえないわね」
思わず呟く。
「昼間なら聞こえるんだけど」
え?
みんなの視線が祐巳さんに集中する。
「ここは密かに人気の場所なの」
チラリ、と祐巳さんがあるモノに視線を向けた。
みんなが祐巳さんの視線を追う。
そこにあったのは、運動用のマット。
あー、分かった。
もう言わなくてもいいわ。
祐巳さん、この事を知ってたのね。
「私としては『倉庫の謎の呻き声』よりも『倉庫の謎の喘ぎ声』を推すわ」
祐巳さんのことは放っておいて。
ここまで風紀が乱れているとは思わなかった。
まぁ、生徒の代表であるはずの紅薔薇さまからしてこんなのだし。
溜息をつきながら、祐巳さんの方に視線を向けると、
「実は何度かここを利用した事があるの」
「……お相手はどなたです?」
「その方に盛大に御挨拶しなければなりません」
つぼみ達が色々と大変そうだった。
盛大って、いったい何する気よ?
放っておくと、何時までも続きそうなので仕方なく止める。
「時間が勿体無いし、さっさと次に行くわよ」
と、
ていーん。
え?なに?
思わず振り向く。
倉庫の入り口よりずっと向こう、闇の中で確かに何か物音がした。
みんなが一斉に静かになる。
懐中電灯の光を、音のした方向に向けたまま耳を澄ます。
てんてんてんてんてん……。
何かが段々と音の間隔を短くしながらこちらへと近付いてくる。
「……」
固唾を呑んでその方向を見ていると、懐中電灯の光の中にバスケットボールが浮かんだ。
それはころころと転がってきて、私の履いている靴にぶつかって止まる。
ごくり、と誰かの唾を飲む音が聞こえた。
「ゆ、ゆゆゆゆゆ、祐巳さんっ!」
「どうしたの?」
「い、今っ!バスケットボールがっ!」
「書類にはそんなこと書いてなかったわよ」
そんなこと聞いてないわよっ!
大体、なんでそんなに平然としていられるのよ!?
「もう、由乃さんったら怖がり過ぎだって」
そう言ってさっさと倉庫から出て行く祐巳さん。
他のみんなに視線を向けると、みんなが一斉に視線を逸らす。
「お、お姉さまの言う通りですわ」
「そ、そうです。瞳子さん、祐巳さまを追いましょう」
瞳子ちゃんと可南子ちゃんが我先にと倉庫から出て行く。
「あら、乃梨子ったら震えているの?」
「だ、だだだだって志摩子さん、い、今の……」
「ふふ、一緒に行きましょうか」
なんだか余裕のありそうな志摩子さんと、震えている乃梨子ちゃんが二人で出て行く。
「な、菜々?」
「私は何も見てませんよ?」
「菜々?」
「私は何も聞いてませんよ?」
ぎこちない動きで菜々が一人で出て行く。
私は足元のバスケットボールに視線を落とした。
って、今この場所に一人きり!?
その事実に寒気がした。
「ま、待ってよ!」
私はみんなを追って倉庫を飛び出した。



――第一体育館から出たあと――
「次はどこ?」
「校舎の一階にあるお手洗いですわ」
尋ねた祐巳さんに瞳子ちゃんが答えている。
結局、さっきのアレはみんな見なかった事にした。
一応、真美さんには報告するつもりだけど。
「お手洗い?ああ、『女子トイレが男子トイレになる』ってやつね」
「さすがにどうかと思いますが……」
私もそう思う。
いくらなんでもありえない。
だから、できればパスしたい。
何かあってからでは遅いのよ祐巳さん。
決して怖いからではないの。
私はみんなの為を思って……。
「由乃さん、行くわよ」
祐巳さんが手を繋いでくる。
「ええ、最後まで付き合うわ」
隣にいた菜々が白い目で私を見ていた。



――高等部校舎・一階・トイレ――
「普通のトイレね」
祐巳さんが呟く。
どこからどう見ても普通のトイレだった。
辺りが暗いこと以外は。
ここに来るまでの方が怖かった。
暗いし静かだし声は響くし足音は不気味だし。
「ハズレね」
なんでそんなに残念そうなのよ?
一度でいいから祐巳さんの頭の中を見てみたい。
きっと、脳みその替わりに能天気が詰まってるに違いない。
そんな事を思っていると、
「次に行きましょうか」
と、志摩子さんが言ってくる。
そうね、と返そうと思ったら、
「悪戯されないうちに」
と、志摩子さんが祐巳さんを見ながらそう続けた。
どういう事?
「それはね……」
志摩子さんが何か言いかけた時、
「で、出たーーーー!!」
「ま、また遭遇ですわーーーー!」
「もうイヤーーーー!」
「…………」
何事っ!?
志摩子さんのセリフを遮ったのは乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんと菜々。
三人で、トイレの入り口にある鏡を指差している。
一人だけ無言だった可南子ちゃんは、なんだか魂が抜けかけてる。
……可南子ちゃん、本当に大丈夫?
今回の私には余裕があった。
それは志摩子さんの言葉が頭にあったから。
もしかして……、と思い浮かんだ事があったから。
三人が指差している鏡を見ると、そこに映っていたのは――――。
「桂さん……、何してるのよ?」
やっぱり思った通りだった。
それにしても、鏡にはちゃんと姿が映るのね。
少しばかり妙な感心をしていると、
「い、いつから幽霊とお知り合いに?」
瞳子ちゃんが恐る恐る尋ねてくる。
「同級生よ」
「えぇ?いつ死後の世界に逝かれたのですか?」
祐巳さんみたいな事を言ってると、その縦ロールを蝶々結びにするわよ?
「そんな……、なんだかそれって私に対して酷くない?」
祐巳さんが泣き崩れようとして、動きを止めた。
どうしたのだろう?
「いや、トイレだったから」
納得。
汚れるのがイヤだったのね。
ってゆーか!
「さっきから普通に人の心を読まないでよっ!」
「まぁまぁ、抑えて。それよりも桂さんに用があるんでしょ?」
そうだった。
鏡に向かって指差す。
「桂さん、そんな所で何してるのよ?」
「由乃さん、私はそっちじゃなくてこっち……」
桂さんの声が私の後ろから聞こえた。
あ……。
それはそうだ。
いくらなんでも鏡の中にいるはずがない。
「見た?志摩子さん」
「見たわ、祐巳さん」
「なんておバカな由乃さん」
「とても気の毒なおバカさんね」
……二人とも覚えていなさいよ。
あれ?
ちょっと待って。
「志摩子さん、桂さんのこと分かってたの?」
「薔薇の館に集まった時からみんなの傍にいたわね」
なんですとー!?
志摩子さん、認識できてるの!?
「いる事が分かったから、注意深く見ていると認識できたのよ。一度認識してしまえばあとは楽だわ」
「私の周りには化け物みたいなのしかいないのか……」
さすが悪魔。
今度から志『魔』子さんね。
まぁ、いいわ。
それよりも桂さんがここにいるって事は、
「さっきの体育館のも桂さんの仕業ね?」
「祐巳さんがやれって言ったから……」
そう……。
私は額に手を当てた。
「あのね、祐巳さん」
いくらんでもやり過ぎよ、と言おうとしたところで、
「お〜ね〜え〜さ〜ま〜?」
「ゆ〜み〜さ〜ま〜?」
瞳子ちゃんと可南子ちゃんが復活。
祐巳さんに詰め寄っている。
「二人とも想像以上に素敵な怖がり方だったわ」
祐巳さんが笑みを浮かべながら言うと同時に、瞳子ちゃんの手が閃いた。
スパーン!
「このバカーーーー」
どうぞ、可南子さん。
ええ、瞳子さん。
スパーン!
「あなたはアホですかっ!」
「二人とも、アホかバカかどっちかに統一してね」
あ、あの祐巳さんがハリセンの一撃を喰らってる!?
「ハリセンでのツッコミは避けたら負けなのよ」
私の隣で志摩子さんが呟いた。
あ、納得……。
いや、待て。
瞳子ちゃん、あのハリセンはどこから出したのよ?
今は可南子ちゃんが手にしているハリセンを見る。
瞳子ちゃんがそんな私に気が付いたのか、こちらを見た。
口元をニヤリと歪めて、私をバカにしたような目で見た後にプイっと顔を逸らした。
ど、どういう意味よ、それは!?
分かった、私にケンカ売ってるのね!?
「なんというか、タネが分かればどうって事なかったですね」
菜々、いきなり復活して私の邪魔をしないで!
「次の場所に行きましょう」
志摩子さんまで私の邪魔を!?
「あ、桂さんはこのまま帰っていいから」
「分かった。じゃあ、気をつけてね。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
祐巳さんと桂さんが挨拶を交わした。
……どいつもこいつも敵ね。



――高等部校舎・一階・廊下――
「で、次なんだけど……、これはねぇ……」
「どうしたの祐巳さん?」
書類を懐中電灯で照らして見る。
「『校舎内を走る影』ね。少し前から有名な噂よね。次の日は大騒ぎだったもの。
 でも、これだけだと範囲が広すぎるわね」
そう言いながら祐巳さんを見ると、なんだか複雑そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「んー」
いまいちハッキリしない。
言い難そうな顔をして瞳子ちゃんを見ている。
みんなで祐巳さんに怪訝な視線を向けていた時に、瞳子ちゃんが「あっ!」と声を上げた。
「もしかして……」
瞳子ちゃんが祐巳さんに尋ねる。
「うん」
私たちにはちっとも分からない。
「何か知ってるの?」
「知ってるというか……」
言いかけて止める。
こんなの祐巳さんらしくない。
なんなのよ、もう!
「お姉さま、よろしいですか?」
瞳子ちゃんが祐巳さんに話し掛ける。
「……うん」
祐巳さんが頷いた。
祐巳さんの替わりに瞳子ちゃんが話をしてくれるみたい。
「それが目撃された日にちを見てください」
日にち?
みんなで書類を確認する。
あ!
すぐに気付いた。
忘れるはずがない。
祐巳さんが泣いて館に帰ってきた日のことだもの。
「これって……、あの時の?」
「はい。クリスマスパーティーの時のことです」
気まずそうに言う瞳子ちゃん。
そんな瞳子ちゃんを祐巳さんが後ろに下がらせた。
「いいわ、瞳子。あとは私が言うから」
「お姉さま……」
瞳子ちゃんが祐巳さんの後姿を見つめている。
そんな瞳子ちゃんの頭をやさしく撫でてから祐巳さんは話し始めた。
「瞳子に姉妹の申し出を断られたあと、私は校舎内を無我夢中で走ったわ」
ずっと、泣きながら祐巳さんは走ったらしい。
「どこをどう走ったのかなんて覚えてないけど、とにかく、涙が枯れるまで走ったの」
結局、枯れはしなかったけど、と祐巳さんは続けた。
「あとは、みんなの知ってる通り。その時の私の姿を誰かが見ていたのね」
「……」
誰も何も言えなかった。
結局、姉妹になったとはいえ、その時の祐巳さんの気持ちを思うと誰も何も言えなかった。
「走っているときに思ったの」
皆が祐巳さんを見た。
「なんでこんなに心が痛いんだろう?って」
祐巳さん辛かったのね…………、あれ?
ちょっと待って。
校舎内を走る影が祐巳さんだとすると……。
「そんな時に、テレビ番組で見た事のある、懐かしの名曲が頭の中で流れたの」
「え?」
「夜の校舎♪窓ガラス♪壊してまわった♪」
「あんたの仕業かーーーー!」

冬休み初日、部活の朝練に来た生徒が大量に割られている窓ガラスを発見。
学園長が通報、警察沙汰になった。
前日に校舎内を走る謎の影が目撃されていて、それが犯人ではないかと生徒達の間で憶測が飛び交う。
その日の昼頃に、割れていたガラスが全て元通りになる。
ウロウロしていた警察の人たちも一斉に姿を消す。
結局、犯人は見つからず。
以上が『校舎内を走る影』と合わせて噂になっていること。

「ガラスはお姉さまが弁償してくれたの。学園長にはちゃんと私も謝ったわ」
祥子さまの方はともかく(だって、あの溺愛ぶりは異常よ)、学園長の方はよく許してもらえたわね。
「学園長の誰にも言えない特殊な秘密を知っているから」
もちろん、教師やシスターのも含めた全員分の秘密をね、と祐巳さんは続けた。
「えっと……」
どんな秘密があるのか、ものすごく聞きたいんだけど。
「それはダメ。教えたら由乃さんを始末しないといけなくなるから」
……祐巳さんがそう言うならやめとく。
っていうか始末って……。
冷や汗が背中を伝った。
「そろそろ、次に行きません?」
瞳子ちゃんが、私に話し掛けてきた。
「ええ、そうね」
答えるついでに、
あなたがバカにした視線を私に向けた事は、絶対に忘れないから!
そんな思いを込めて睨むと、
「どうぞ、ご自由に」
と返ってきた。
……この子もすっかり祐巳さん色に染まったわね。
「瞳子はお姉さまのモノですもの。当然、お姉さま色に染まりますわ」
頬を赤らめて瞳子ちゃん。
そんな事はどうでもいいから、人の心を読まないで……。



――高等部校舎&芸術棟・一階・渡り廊下――
今度の目的地は美術室。
校舎が違うため渡り廊下を歩いて芸術棟に向かう。
「今度はどんな噂?」
祐巳さん、なんで覚えてないのよ?
館を出る前に確認したでしょ。
「次は『美術室に響く足音』です」
可南子ちゃんが即座に答えた。
少し前まで魂が出かけていた人物と一緒だとは思えない。
「覚えてなくてもいい事を覚えていると、碌な目に遭いませんよ?」
か、可南子ちゃんにまで読まれた……。
紅薔薇姉妹はいったいどうなってるのよ?
あなた達の方がよほど怪奇現象じゃない!
そういえば、いつも祐巳さんの傍にいるはずの瞳子ちゃんは?
姿を探してみると、列の最後尾で自分より後ろ、高等部校舎の方を見て力なく項垂れていた。
なんなのかしら?



――芸術棟・二階・美術室――
ガラガラガラ……。
扉を開いて中を見回す。
変わった所は何もない。
私としては、何もない方がいいんだけど。
だって、ここ本当に不気味なのよ!
暗いし、油の臭いが篭ってるし、置いてある胸像はなんだかやけに怖く見えるし。
そんなことを思っていたら、隣にいた菜々が手を握ってきた。
「怖いの?」
こくん、と頷く菜々。
か、かわいいじゃない。
「大丈夫よ。私が『憑いて』るわ…………、祐巳さん、やめて」
「なんだか二人がいい雰囲気だったから」
え?ひょっとして嫉妬?
祐巳さんが?
ドキドキしながら祐巳さんを見ると、祐巳さんは微笑を浮かべながら言った、
「自惚れないでね」
「……」
悪かったわね!
「菜々、行きましょう」
みんなと同じように中に入る。
「足音ねぇ……、足音」
ペタペタ。
ヒタヒタ。
菜々と一緒に止まる。
「い、今?」
「落ち着いて、きっと祐巳さんの悪戯よ」
ペタペタペタペタ。
これはスリッパの音。
ヒタヒタヒタヒタ。
これは何の音?
再び私たちは止まる。
妙な音も止まる。
私は、さっと振り返って言った。
「祐巳さん!いい加減に……」
「なに?」
部屋の向こうの方で、可南子ちゃんと一緒に祐巳さんがこちらに振り返った。
「な、なんでそんな所にいるのよぉ……」
「お、お、お、お姉さまぁ……」
隣の菜々は今にも泣き出しそうだ。
私は、そんな菜々を見て決心した。
守る!
菜々だけは何があっても守る!
菜々の手をぎゅっと握って、一歩踏み出す。
ペタ。
ヒタ。
「ひっ!」
隣で菜々の怯えた声。
二歩踏み出す。
ペタペタ。
ヒタヒタ。
菜々の手が震えている。
ダメ!私はともかく、このままじゃ菜々が……。
走ろう。
祐巳さんの所まで。
きっと、祐巳さんならなんとかしてくれる。
「菜々、走るわよ!」
「は、はい!」
ペタペタペタペタペタペタペタペタ。
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ。
「ま――――て」
「うぁ――――」
「ひぃ――――」
声が聞こえた。
声まで聞いてしまった。
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて!
祐巳さん、お願い助けて――――。
私の心の声が届いたのか、祐巳さんがこちらに顔を向ける。
私たちに向かって驚いた顔をしたあと、
「どうしたの桂さん?帰ったんじゃなかったの?」
私は菜々と一緒に盛大にズッコケた。
「忘れ物をしてたみたいだから、持ってきてあげたんだけど」
ははっ、この声は本当に桂さんね。
や、やってくれるじゃない……。
「そうなの?ありがとう」
祐巳さんが桂さんにお礼を言ってる。
私はゆっくりと立ち上がり、スカートに付いた埃を払って、
「紛らわしい事しないでよっ!」
きっとその辺りにいるだろう桂さんに向かって思いっきり叫んだ。
「二人に分かるように足音をさせてたじゃない」
「あんな怪奇現象みたいな足音で、それが桂さんだって分かるわけないでしょっ!」
「ちゃんと『待って』って言ったわ」
「余計怖かったわよ!」
それこそ、殺されるかと思った。
「だって由乃さんたちが急に走り出すから」
「うがーーーー!」
もう怒った!!
「そもそも最初から普通に姿を現せばいいじゃない!それに、足音だってそう!なによあれ!?
 こちらが止まったらそっちも止まったりして、脅かそうとしていたとしか思えないじゃない!」
「クセなのよ……」
はい?
「クセなのよ!姿を消してしまうのも!その場所にいる事を隠そうとするのも!」
ええっと?
「お陰で誰も私の事なんか覚えてない。出番もない。……苗字までない」
シクシク泣き始める桂さん。
出番と苗字は私じゃどうにもならないわ、と思っていると、
「由乃さん、桂さんを苛めないで」
祐巳さんがそう言ってきた。
苛めてなんかないんだけど……。
そっと、桂さんに手を差し伸べる祐巳さん。
「苗字がなくったっていいじゃない。名前があるんだから」
「祐巳さん……」
手を差し伸べている祐巳さんを見上げる桂さん。
「それと、私はちゃんと桂さんの事を覚えているから。それにほら、出番だってあるじゃない」
「あ……」
「バカね、今ごろ気付いたの?」
「私、本当にバカね……」
祐巳さんの手を取って立ち上がる桂さん。
「ごめんなさい、迷惑かけたわね」
そのまま謝ってくる。
「いいわよ別に。勘違いした私も悪かったんだし」
「ありがとう由乃さん」
「だから、別にいいって」
ありがとう、なんて正面から言われると、ちょっと照れくさい。
「で、忘れ物って?」
「あ、これ。大事な物なんでしょ?トイレの洗面台の所に置き忘れてあったわ」
桂さんが渡してきたのは瞳子ちゃんのハリセン。
「ああっ、それはっ!!」
私が持っている物を目敏く見つけた瞳子ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。
私の手からハリセンを奪い取って、愛しそうに抱き締める。
「もう……、ダメかと思ってました……」
あー、そっか。
あの時、校舎の方を気にしていたのはそういう事か。
忘れていたのには気付いたけれど、怖くて取りに行けなかったのね。
確か、最後にハリセンを持っていたのは可南子ちゃんだったから、
瞳子ちゃんが忘れたわけではないんだろうけど。
……って、ということは結局、また紅薔薇姉妹に振り回されたってこと?
思いついてしまい、その場にがっくりと膝をつくと、菜々が私の肩をポンポンとやさしく叩いてきた。
ふふっ、菜々はやさしいわね。
膝をついたまま菜々を見上げる。
「菜……」
「ああいう瞳子さまって、すごく可愛いですね……」
ぽ〜っとした表情で、頬を桜色に上気させながら菜々が呟いた。
「……」
ねぇ、あなたの姉は私なのよ?
その辺り、忘れないようにお願いするわ。
ところで志摩子さんたちは?
見回してみると、少し離れた所で美術部員の描いたと思われる絵を二人して楽しそうに見ていた。
なんだか悔しかった……。

ああ、そうそう『美術室に響く足音』ってのは桂さんの事ではなく、ただのガセネタだと思われる。
桂さんはここには滅多に来ないらしいし、そもそも時期がずれている。
だって、私たちが入学するより以前からあった噂話だもの。



――芸術棟・三階・音楽室前――
「『音楽室を徘徊する人体模型』ですか」
「どうしたの、可南子ちゃん?」
なんだかばつが悪そうにしていた可南子ちゃん。
気になったので話し掛けてみた。
「いえ、この怪奇現象には心当たりがありまして」
「そうなの?」
可南子ちゃんが頷く。
「体育祭のフォークダンスの練習をしていたんです」
「……」
それって、あの午前と午後の部の繋ぎのフォークダンスのことよね?
「なんでまた?」
「祐巳さまと踊りたくて……」
なるほど。
「でも、あれって自由参加だから、祐巳さんが踊るとは限らなかったんじゃないの?」
「祐巳さまが参加するのは確信していました」
どういうこと?
「数百回に及ぶストーキングで得た祐巳さまの行動パターンの緻密な分析結果による……」
「いや、もういいから」
真顔でそんなことを言わないで。
「それにしても、なんで人体模型と?」
「高さがちょうど良かったんです」
ああ、確かに祐巳さんの身長と同じくらいだったような気がする。
「なんでそんな物を持ってきたのよ?理科室は一階でしょ?」
「確かに最初は理科室で練習をしていたのですが、気付いたらここまで来てました」
あらゆる意味で恐ろしい子ね。
それほど集中していたって事なんだろうけど……。
「それで、どうするんです?」
「え?」
「音楽室の見回りです。今回は別に見なくてもいいのではないかと」
「そうね……、祐巳さんどうする?」
隣で話を聞いていた祐巳さんに話し掛ける。
「一応、見てみるだけ見てみない?」
「それは構わないけど……」
変なことしないでね。



――芸術棟・三階・音楽室――
祐巳さんがグランドピアノに手を伸ばしている。
妙に懐かしそうにしていたので話し掛けてみた。
「どうしたの祐巳さん?」
「ここで一年生の頃、お姉さまと連弾したことがあるの」
「祥子さまと?」
「うん」
それは初耳だ。
「私が間違えちゃって、すぐに終わったんだけどね」
きっとガチガチに緊張していたのだろうと思う。
『当時の』だけど、祐巳さんらしいなって思った。
「幸せな日々はすぐに過ぎていくから」
グランドピアノに伸ばしていた手を引きながら祐巳さん。
「大切に過ごさないとね」
祐巳さんが私を見つめてくる。
「由乃さんは今、幸せ?」
幸せ……か。
高等部に入って、山百合会に入って、祐巳さんたちに出会って、菜々に出会って、
「そうね……」
ドタバタした毎日だけど、やっぱり自分は幸せなんだと思う。
「うん、間違いなく幸せよ」
祐巳さんが頷いた。
「由乃さんはマゾという事か」
「どういう意味よ?」
「私に苛められる毎日なのに、『幸せよ』なんて……」
「……」
いい話をしていたはずなのに、なんでこんな会話の流れに?
「あのね、祐巳さ……」
「お姉さま。そろそろ、次に行きませんか?」
私のセリフの途中で、部屋の入り口のところから菜々が言ってくる。
これ以上、祐巳さんに付き合うのもなんだし……。
「ええ」
私は答えて祐巳さんから離れた。
入り口に向かって歩いていると、ポンッと肩を叩かれた。
「なによ?」
振り返って、私の肩を叩いた祐巳さんをジト目で見る。
「私も幸せだから」
え?
「由乃さん達といる事が、ね」
そう言って、私に向かってウインクして先に音楽室を出て行く祐巳さん。
「……」
最初から素直に言えばいいのに……。
私は苦笑した。



――芸術棟・三階・廊下――
「遠回りになるわね」
懐中電灯で書類を照らしながら志摩子さんが言った。
「書類の通りに行けばね。どうする?」
懐中電灯で下から自分の顔を照らしながら祐巳さん。
「今まで書類の順番通りに回って来たんだし、このまま行く」
それを見てちょっと引きながら私。
靴を履き替えるのは簡単。
各自、袋を持っていて、中に履き替え用の靴を入れてるから。
「じゃあ、由乃さんの言う通りでいいわ」
「同じく」
祐巳さんと志摩子さんが賛成してくれた。
「決まりね」
次の目的地は古い温室。



――高等部校舎・裏手――
「ここ行くの、本当に?」
枯れた桜が立ち並ぶ、あまりにも静かな道が闇の中へと続いている。
できればここから先には進みたくない。
「行かないと温室までいけないし」
祐巳さんがそう言って先頭を歩き始める。
そのあとをつぼみの二人が追う。
あ、今度は手は繋いでくれないの?
祐巳さんの背中をじっと見ていると、菜々が近寄ってきて手を差し出してきた。
「いいですか?」
「ええ」
手を繋ぐ。
私も菜々も、二人とも怖がりだけど、こうしているとお互いに安心できる。
「行くわよ」
「はい」
祐巳さんたちの後を追った。
そんな私たちの隣では白薔薇姉妹が腕を組んでいた。
乃梨子ちゃんが潤んだ瞳で志摩子さんを見上げている。
志摩子さんが舌なめずりしていた。
こんな所で、変な事始めないでよ?



――古い温室――
草の臭い、ジメジメした空気。
色々な植物。
小さな室内はとにかく不気味だった。
「えっと、『動く植物』?」
書類を懐中電灯で照らしながら菜々。
「そうですわ。動くんです!」
「きゃ」
瞳子ちゃんが大きな声で言った後、ガクガク震えている。
突然の声だったので思わず小さく叫んでしまった。
恥ずかしくなって辺りを見回すけど、誰も気付いた様子は無い。
ほっと胸を撫で下ろす。
瞳子ちゃんは構わず話を続ける。
「あ、あんなおぞましい物は生まれて初めて見ました……」
ちょっと、待って。
その言い方だと……。
「発見したのはこの私です」
「瞳子ちゃんが?」
「噂を流したのはお姉さまですが」
「……」
なんだか、帰りたくなってきたわ。
「ある日の放課後、お姉さまと甘くて熱い一時を……」
何してたのよ、あんた達は?
「それは……、とても人様に言えるような事ではありませんわ」
頬を真っ赤に染める瞳子ちゃん。
両手で顔を隠しながら頭を左右に振る。
なんの真似よ、それは?
今更、恥ずかしいとか言わないでよ?
それにしても祐巳さんったら、こんな所でそういう事をしてたのね。
この場所、取り壊してやろうかしら……。
「それで、どうしたの?」
瞳子ちゃんが続ける。
「お姉さまが『瞳子、かわいいわ』と仰いながら、その紅い唇で情熱的に私の唇を塞ぎ、
 同時にお姉さまの手が私の制服のスカートをたくし上げ、私の――――」
「そこは続けなくてもいいから」
「それは残念ですわ。これからがいい所なのですが」
何が悲しくてそんなこと聞かされないといけないのよ?
だいたい、恥ずかしかったんじゃないの?
「ええっとですね。全てが終わったあとに、気だるげに熱い吐息を吐いて、
 乱れた服を直そうと、ふと横に視線を向けた時に私は見てしまったんです!」
「学名、Dionaea muscipula」
今まで静かにしていた志摩子さんが瞳子ちゃんの言葉を遮る。
「はい?」
「英語ではVenus Fly Trap」
「あの、志摩子さん?」
何を言ってるの?
今は瞳子ちゃんが目撃した、謎の動く植物の話をしてるんだけど?
「ハエトリソウの事よ」
「動くに決まってるでしょ!」
「あんなモノが動くだなんて信じられませんわ!」
こう、パクって動くんですよ?
と、両手を使ってその動きを再現してくれる瞳子ちゃん。
なんていうか、もう少し利口な子かと思ってたけど……。
「最低でも黄薔薇さまよりは利口ですわ」
「それを言ってはダメよ。由乃さんはとても気の毒なおバカさんなんだから」
「なんだとこらー!?」
「お姉さまダメですっ!」
菜々に止められる。
「私が育てたの。凄いでしょう?」
「あんなモノを育てるなんて、気が知れませんわ」
……あのさ、私を無視しないでくれる?
私が落ち着いてから、菜々に解放された。
私って苦労人よね……。
溜息をつく。
そういえば祐巳さんたちは?
周囲を見回すと、すぐに見つかった。
祐巳さんは、乃梨子ちゃんと可南子ちゃんと共に木を見ていた。
「これがロサ・キネンシス」
「これがですか?」
可南子ちゃんが祐巳さんに尋ねている。
「ええ。私と瞳子と可南子、そして乃梨子ちゃんの花よ」
「はい。私、絶対に忘れません」
乃梨子ちゃんが祐巳さんを見つめながら応えた。
あんたは白薔薇家でしょうが!!



――高等部校舎に戻る途中――
「いよいよ最後。『屋上の踊る人影』ね」
祐巳さんが言う。
「どうせ、大した事はないと思うけど」
一応、そう言っておいた。
だって、今まで本当に大したことがなかった。
桂さんの事だけは別だったけど、まともに怪奇現象なんて呼べるのは一つもなかったし。
「由乃さん、祐巳さんも、二人とも置いていくわよ」
志摩子さんがこちらを振り返って言ってくる。
「今、行くから」



――高等部校舎・階段――
「さすがにもうこの雰囲気にも慣れてきたわ」
階段を一段一段上りながら志摩子さんに向かって言う。
「そう?」
「ええ」
最初は確かに怖かった。
でも、今は違う。
このメンバーなら、怪奇現象でもなんでも、恐れる必要なんて何もないんじゃないかと思う。
特に祐巳さんと志摩子さんの辺りが。
「油断してると、痛い目に遭うかもしれないわよ?」
「その時は祐巳さんと志摩子さんに任せる」
志摩子さんが微笑んだ。
「ふふ、それなら期待に応えないとね。ね、祐巳さん」
「うん。任せて」
祐巳さんも微笑んだ。
二人の笑顔だけで私は安心できる。
さぁ、最後の怪奇現象、どーんと掛かってきなさい!



――高等部校舎・屋上――
屋上から外へ出る扉を開くと、少し肌寒い空気が辺りに漂っていた。
少し、風が強い。
私たちより向こう側には貯水タンクが見える。
でもそんな事は、どうでもよかった。
今、私たちが見ているのは、人影。
それも複数。
まるで踊るように、あっちへ行ったりこっちへ来たりを繰り返している。
その様子をみんな青褪めて見ていた。
いや、祐巳さんと志摩子さんだけは違った。
厳しい目をしてそれを見ていた。
「な、なな何よアレ……」
声が震えた。
「な、なんでででですの?」
瞳子ちゃんの声も震えていた。
「……」
「……」
可南子ちゃんと菜々は応えられる状態じゃない。
「しっ!静かに……」
祐巳さんが言う。
皆が耳を澄ました。

何か聞こえる!
――――歌!?
「♪のーりーこーさーまー」
皆が乃梨子ちゃんを見た。
乃梨子ちゃんは、ぽかーんと口を開いて呆けたようにその人影を見ていた。
人影は私たちに構わずに歌を続ける。
「♪ろーさぎがーんてぃあーあんーぶーとぅんー」
「♪ろーさぎがーんてぃあーにぞっこーんでー」
「♪のーりーこーさーまーはガチレズ「やかましい!」
乃梨子ちゃんが大声を出して歌を遮る。
「えっと……、知り合い?」
「一応、残念ながら……」
乃梨子ちゃんが項垂れた。



私たちの前には五人の女の子。
どうやら全員一年生らしい。
「えっと、あなた達は?」

「私たち」
「元・名もない中等部生」
「逆青田買い同好会・一番隊!」
「高等部一年生になって!」
「再登場!」
「「「「「乃梨子さまに狩られ隊!!」」」」」

祐巳さんが彼女たちから少し離れた。
瞳子ちゃんも可南子ちゃんも同じように一歩下がる。
菜々も下がった。
私も下がる。
志摩子さんも一歩下がった。
乃梨子ちゃんは志摩子さんに背中を押されて、前に一歩踏み出した。
あ、なんだか裏切られたみたいな顔してる。
「あ、あなたたち、こ、こんな所で何を?」
乃梨子ちゃんが恐る恐る尋ねる。

「乃梨子さまの妹になるために」
「私たちは毎夜毎夜」
「この場所で」
「厳しく辛い修練を」
「積んでいたのです」

「瞳子」
「どうぞ乃梨子さん」
瞳子ちゃんからハリセンを受け取る乃梨子ちゃん。
「アホかーーーー!!」
乃梨子ちゃんの手が霞んだ。
スパーン!
「これですっ!」
スパーン!
「このツッコミ!」
スパーン!
「最高っ!乃梨子お姉さまぁ」
スパーン!
「痛っ!……けど!」
スパーン!
「もっと……」

「人気者ね、乃梨子ちゃん」
「……」
話し掛けてみたが返事が無い。
なんだか脱力して、何も言いたくなさそうだ。
「それで、乃梨子ちゃんの妹になる事と、ここで修練を積むのと、どう関係があるの?」
仕方ない、あまり近寄りたくないけど、話を進めるために尋ねてみる。

「私たちは」
「乃梨子さまの持つ」
「ロザリオを」
「奪ってでも」
「もっと……」

「……最後のその子は大丈夫?」

ほら、しっかりしなさいよ。
もっと……。
あー、ダメだ。この子、逝っちゃってるよ。
仕方ないわね。とりあえず額に『M』と書いておきましょう。
で、続きはどうするの?
私に考えがあるわ。
……ふむふむ、なるほど。
では、早速。

「私たちは乃梨子さまの持つ」
「ロザリ……」

「四人でやり直そうとしなくてもいいから」
さっきので十分に分かったから。
途中で止められた彼女達は非常に残念そうだった。

「あの子達、乃梨子ちゃんからロザリオを奪ってでも妹になりたいそうよ」
「この間ので懲りたと思ったんですけど……」
どうにか復活した乃梨子ちゃんの話を聞くと、少し前に彼女達が襲い掛かってきた事があるらしい。
その時はすぐに撃退したとか。
「可南子にその時の自信は粉々に砕かれましたが……」
「?」
なんの事よ?
可南子ちゃんに視線を向けると、可南子ちゃんは心当たりがないのか、不思議そうな顔をしていた。

これ以上、あまりお近づきになりたくなかったので、
早く帰りなさいよ、
と言い残して、私たちは屋上を後にした。



――帰宅途中・マリア様のお庭――
「もう二時ね」
祐巳さんが腕時計を見ながら言う。
「早く帰って休みたいです」
菜々が言う。
「ご自宅が遠い方は、迎えの車を用意させましたのでどうぞ」
瞳子ちゃんは気が利くわね。
「ふっふーん」
何よ祐巳さん?
え?祐巳さんが言っておいたの?
やるわね、祐巳さん。
「それにしても、怪奇現象なんてありませんでしたね」
乃梨子ちゃんが安堵の溜息をつきながら言う。
「そうね。でもある意味、普通の怪奇現象よりも怖かったわ」
「言えてます」
可南子ちゃんが頷いて、みんなで笑いあった。
マリア像に手を合わせる。
「月曜日には真美さんに報告しないといけないわね」
「どうする?そのまま伝える?」
「何も無かったでいいんじゃない?」
志摩子さん、祐巳さんと三人で話す。
「じゃあ、帰りましょうか」
みんなで正門へと向かって歩き始める。
怖くて楽しかった夜はこれでお終い。
寂しい気もするけれど、まだまだこのメンバーで一緒にいられるんだから贅沢は言わない事にする。
「それでその時の瞳子ったらね」
「お姉さまっ!いい加減にしてください!」
「あははははは」
「あんた達っ!いい加減に――」
言いかけながら、その時、ふと私は後ろを振り向いた。
本当に何気なく。
何の気もなしに。
「しなさ――!?」
私の視界に奇妙なモノが映った。
それはピョンと台座から飛び降りると、全力でこちらに目掛けて走ってくる。
「ななななななななななんあななんんあ!?」
「どうしたの由乃さん?ぐぇ――」
それはそのままの速度で跳躍して、不思議そうな目で私を見ていた祐巳さんに飛び蹴りを喰らわせた。
吹っ飛ぶ祐巳さん。
「祐巳さんっ!?ぶっ――」
次いで、そんな祐巳さんに気を取られた志摩子さんの延髄に、空中で回転して廻し蹴りを叩き込む。
志摩子さんが倒れた。
ふ、不意打ちとはいえ、あの二人が一瞬で沈黙!?
「え――――」
スタっと地面に着地したそれを見て、可南子ちゃんが目を丸くした。
あまりにも無防備だった可南子ちゃんは、それの平手打ちを受けて昏倒。
「な、なっ、なん――――」
続いて瞳子ちゃんがそれの餌食になる。
「ひっ……――――」
その隣にいた、怯えている乃梨子ちゃんが地面に沈むのに一秒も掛からなかった。
「菜々っ!逃げるわよっ!?」
言った瞬間に、隣にいた菜々の姿が見えなくなった。
吹っ飛んでいったのが視界の端に映っていたので、そちらに顔を向けようとした瞬間に、
後頭部に強い衝撃を受けて私はその場に倒れた。
薄れゆく意識の中で最後に私が見たのは、中指を立てた――――。




――数日後――
真美さんには、あの日の夜の事をちゃんと報告した。
でも、最後に起こった事だけは報告しなかった。
きっと大騒ぎになるだろうから。



私達、山百合会のメンバーは、今日もマリア像に向かって両手を合わせながら、
『まさかまた動き出したりしないでしょうね……?』
と、恐れ戦いています。
あれはきっと、この学園で好き勝手していた私たちに下った天罰だったのだろう。
見てないように見えて、案外、見ているものなのね……。



って、そんな綺麗に納得できるかーーーー!!
なんだったのよアレは!?
なんで動いたのよ!?
いや、そんな事はどうでもいい……。
「あれ、ぶっ壊す!」
「お姉さま落ち着いて下さい!」
「黄薔薇さまっ!?抑えて下さい!」
「黄薔薇さま!また動き出したらどうしてくれるんですか!?」
「誰かお姉さまを止めてー!」
「っ!?」
「ひぃぃ!志摩子さんっ!アレがまた動いた!」
「いくわよ、志摩子さん」
「ええ、祐巳さん。粉々にしてやるわ」





――あとがき――
逆青田買い同好会・一番隊については、
まつのめさま作、
【No:579】『逆青田買い風になれ』と、
【No:961】『青田「狩られ」隊額に「肉」』
をどうぞ。
って、勝手に使ってよかったのかな……(汗
ダメだったら、ごめんなさい。


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