【1450】 ど真ん中直球  (無糖 2006-05-07 06:13:27)


「あの、何やってるんですか?」
放課後、今日も仕事が待っている薔薇の館へと向かっていると、
由乃さまと祐巳さまが10メートルほど離れて向かい合っている。
何をしているのやらと声をかけてみたのだが。
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん。お姉さまたちは三年生の集まりで少し遅れるって」
祐巳さまはそう言いながら何かを投げる。
やわらかそうな球状のそれは、放物線を描いて5メートル前方にぽとりと落ちる。
「つぼみだけじゃできることもないから、こうしてあそんでるのよ」
そうそう志摩子さんも委員会で遅れるって、そう付け加えた由乃さまは
祐巳さまが投げた球を拾って元の位置に戻り、えいっという掛声と共に投げ返した。
今度は祐巳さまから5メートルほど右後方にそれてまたもや落ちる。
「それで、これは何のあそびですか?」
うすうす気づいてはいるものの、もしかしたら違う可能性も否定できないので、
球を拾いに行っている祐巳さまを尻目に仁王立っている由乃さまに聞いてみると、
「見てわからない? キャッチボールよ」
と、胸を張って返してくれました。
(……キャッチできてないじゃん)


「そうだ、三人いれば野球ができるわねっ」
止める間もなく薔薇の館へ走っていく由乃さま。
バットなんてないだろうという私の予想を覆し、手に棒状の物を持って帰ってきた。
「って、竹刀じゃないですか!?」
「いいじゃない、どっちも結局は棒でしょ」
そう言われればそうなのだ。第一遊びだし。ただ……
「いいの?竹刀を遊びに使っちゃって」
そう、そこが気になるところである。
「いいの、いいの。私のじゃないし」
やだなあ、そんなこと気にしないでよと笑いながら
ぶんぶんとスウィングを始める由乃さま。
見るからにやる気満々だ。
「それって黄薔薇様のっていうことじゃ……ないよね」
「まさか、いくらなんでも」
まさか……ねぇ?
「じゃあ乃梨子ちゃんピッチャー、祐巳さんキャッチャーね。あ、打たれたら球拾いは乃梨子ちゃんだから真剣にね。
あとヒット一本ごとにジュースおごりってのもいいわね〜」
傍若無人,唯我独尊といった感じでさっさと役割を決めていく。
つーか、その条件どうなのよ。明らかに守備側というか私のみに不利じゃないか?
でもまあスイッチの入った青信号が文句や抗議を受け付けるはずもなく、祐巳さまを連れてさっさと離れていく。
やり場のない怒りをかかえながら、受け取った球をふと見てみるとなんとあの玉逃げに使われた球ではないか!
(おのれ黄薔薇のつぼみ。このうらみはらさで……そうだっ!コントロールが狂った振りして、あの時の志摩子さんの仇を!)
「そうそう乃梨子ちゃん。ぶつけられたら乱闘ありだから」
それも楽しそうねと今度は竹刀の正しい使い方で素振りをはじめる。
さすが本職。さっきのスウィングとは音が違う。いや、それは普通に死ぬから。
(祐巳さま、なんとかしてくださいよ)
最後の希望をアイコンタクト。
(ごめん。無理)
バッテリーの意思疎通は万全だった。

「さあ、きなさい」
予告ホームランの構えを見せる由乃さまはとりあえず置いておいて、ひとまず冷静に。
いろいろ思うところはあるけれど、要は打たれなきゃいいんだから。
さっきの素振りを見ても由乃さまは明らかに経験が少ない。
いや、あのはしゃぎっぷりからして経験がないのかもしれない。
それならヒット性の当たりを打たれる可能性は低いのではないか。
基本的に投手有利なはずだし。
それに短気な由乃さまのことだ、打てなければすぐやめるに違いない。
(……とりあえず3アウト頑張ってみよう)
それくらいで飽きてくれるだろう。たぶん。

「……いきます」
未だ予告ホームランの構えを取っていた由乃さまに一言言って振りかぶる。
欲しいのは球威よりも制球力。死球は文字通り(私の)死へとつながるし。
そして打たれないよう遠いところといえば、狙うのは外角低め。
(あとは念には念を入れて……)
「その投げ方はっ!!!」
体を沈み込ませて、腕を地面すれすれに平行させて
(投げるっ!)
えいっと投げた球は見事祐巳さまの左膝辺りへと吸い込まれた。
「やるわね、乃梨子ちゃん。千葉出身は伊達じゃないみたいね」
祐巳さまが投げ返した球を拾いに前へ出ていくと由乃さまと目が合った。
「サブマリン投法。世界を制したその投法が私にも通用するとは思わないことね」
いつも思う。由乃さまの自信は一体どこから来るのだろうと。


「もらったーーーーーーー!!!」
豪快に振られた竹刀が唸る。
「ス、ストライク」
祐巳さまの申し訳なさそうな声が響く。
もっと言えば三振だ。
「何で打てないのよっ!」
2球前の態度はどこへやら。バシバシと地面をしないで叩く。
まあ、由乃さまらしいといえばらしいのだけど。
この調子でいけばこれで終わるかもしれない。
「そうだ!これよ、これだわ」
今度は左前方に逸れた球を拾いにいくと、何やら閃いたらしい由乃さまが早く戻りなさいよとアピールしてきた。
(何か嫌なスイッチが入ったみたいだから気をつけて)
(了解)
相変わらず意思疎通は良好だ。


まあ、嫌な予感というものは得てして的中するもので。
「さあ、きなさい」
と、前に聞いたような台詞を吐く由乃さまは腕を伸ばし片手で持った竹刀を前方に立てて構え、
反対側の手は肩に添えるという世界のリードオフマンのポーズを真似ていた。
「世界には世界で対抗よっ!」
(……まあいいや。これで打てなきゃあきらめるでしょ)
リリアンに入学してから幾度となく感じた諦念の感情を胸に秘めながら振りかぶった。


「あ〜もうっ!どうして打てないのよっ」
なんだかんだで2ストライク。
「世界一のトップバッターよっ!4割にもっとも近い打者よっ!262本よっ!なんで打てないのよっ!」
「「……本人じゃないから(でしょ)じゃないかなぁ」」
祐巳さまと心がひとつになった瞬間だった。
「……なるほど、そうよね」
あれ?珍しく落ち着いた反応。
うんうんと頷いて何かを確認している由乃さまの姿は……
(要警戒だよ)
(わかりました)
あのままいけば逆ギレ→終了という流れだったのに、何か嫌な感じ。
(よく考えれば打たれたとしてもジュースと球拾いだし。それくらいどってことないか……って何弱気になってるんだ私は)
さすが黄薔薇のつぼみ。知らず知らずプレッシャーを放っていたというのか。
「……」
由乃さまのポーズは先ほどと変わらない。
ただ違うところは黙ってこっちを待っているところか。
あれだけ騒いでいた後だけになおさら不気味に感じる。
(まあ、投げなきゃわかんないよね)
はったりという可能性もあるし。こっちのミスを狙う作戦かもしれない。
(とにかく丁寧にしっかりと……投げるっ)
よしっ、いつもどおりのサブマリン決まった!コースもどんぴしゃ外角低め!
「小さく、コンパクトに……」
!? さっきまでのスウィングと違う根本的に違う?
「当てるっ!」
竹刀に初めて球が当たった!?
「いっけーーーーーーー」
掛声と共にそのまま振りぬかれたその球は……










ボテボテッ
と、私の目の前に転がってきたのだった。
「「「…………」」」















「ヒットね」
「「え〜!」」
「なによっ、当たったんだからヒットでしょう!辞書ひいてみなさいよ!」
「わかってて言ってますよね?」
「由乃さん、それちょっと無理あると思う」
「大体9人いないんだから野球のルールが適用されるはずないでしょっ!一塁もないんだからアウトにもできないし!」

イケイケ暴走青信号を子狸と後輩が止めれるはずもなく……

「と、いうことで当てたらヒットということで決定。もちろんおごりは変わらないから」
となってしまったわけで。早く助けに来て志摩子さん……
「そのかわりアウトひとつで帳消しにしてあげるわ」
まあ頑張りなさいと再び打席となる場所へ戻っていく由乃さま。
「ま、まあ、由乃さんも本気でおごらせようとか考えてないはずだから」
「……祐巳さまは守備側なのでは?」
「私は球拾いだから攻撃側でも守備側でもないよ?」
うわ、ずるっ!
小首を傾げて可愛らしく言っても私には通用しませんよ。
紅薔薇さまや瞳子じゃあるまいし。
じとーっと見つめているとお姉さまたちが来るまでの辛抱だからと
祐巳さま言うところの球拾いへそそくさと戻っていった。……逃げたな。

(……理不尽だ)
向こうを見てみると何やらニヤニヤと笑う由乃さま。
(そりゃ当てて転がすだけなら簡単でしょうよ……)
空振りさえしなければヒットとなるのだから。変化球なんて投げれないし。
その奥にはいつも笑顔の祐巳さま。
(そりゃ他人事ですもんね……)
空を見上げれば志摩子さんの笑顔が。
(ヘルプミー志摩子さん……)
「乃梨子ちゃんまだー?」
……やる気満々の由乃さまの言葉で現実に引き戻された。

ああ!もう!こうなりゃやけだ!
「やってやろうじゃないっ!」
決意と共に地面を蹴飛ばす!
振りかぶりながら考える。
付け焼刃のサブマリンでは空振りはもう取れない(実はシャレでやってたし)。
必要なのは球速……球速といえば……
球速といえばあの球団のファンの私にはあれしかないのだ。

「フォームがちがう?」
「サブマリンではないようね」
余裕たっぷりのその表情、驚愕に変えてみせますよ。
振りかぶった腕を伸ばしたまま右ふとももの裏に。
ややひねり気味に同じく伸ばした足を高く掲げる。
それが溜めの動作。
(大丈夫、覚えてる。小さい頃真似したこのフォーム!)
伸ばした足を大きく回して戻す。その勢いを足から上体に、腕に伝えていき、最後に腕を……
(上から振り下ろす!!!)
マサカリ投法、200勝した大投手の投球フォーム!
(打てるものなら打ってみろ!!!)
そんな気合を込めた球は格段に速度を増して一直線に伸びてゆき……

「ぎゃうっ」
祐巳さまのおでこに直撃した。

「まさか……マサカリ投法とはね。千葉出身というより昔からあの球団のファンだったようね」
「痛いんだけど」
「由乃さまが知っているとは意外ですね」
「ねえ、痛いんだけど。あと由乃さんさっきのダジャレ?」
「私も思い入れがあるのよ。投手の命である腕を手術したなんてところは特にね。先発完投、直球勝負にこだわったなんてところもかな」
「無視しな……」
「また渋い趣味ですね」
「ねぇ……」
「お互いさまでしょ」
言い終えるとお互いに睨むように見つめあう。
「私は必ず打つ。同じ手術仲間だからね」
「必ず抑えます。なんたってファンですから」
「勝負ね」
「勝負です」
がっちりと握手を交わす。
「……痛いのに」
とおでこをおさえている祐巳さまを残して。



なんたってマサカリ投法は50歳にして140キロを投げられるフォームである。
正しくできれば速度は増す。
またさっきまでは下手投げだったためあまり球速は出ていない。
そして今は球速の出るオーバースローだ。速度差、つまり緩急までも付いて打者側の体感速度はさらに増すこととなる。ゆえに、

「ぎゃうっ」
こうなる。
「今度はお腹……」
キャッチャーもとい自称球拾いである祐巳さまにとってもキャッチするのはきつい速度になったらしい。大体キャッチボールの能力があれだし。
「あと一球ですから辛抱して下さい」
「ん……大丈夫」
普段よりもさらに弱弱しく投げ返された球を拾いに駆け寄ると、
「……真似では駄目みたいね」
そう呟くのが聞こえた。
今の一球に対して由乃さまは手を出さなかった。
新しい投法の一球目以外は見逃すことなく、イケイケとばかりにすべて振ってきた由乃さまが振らなかったのだ。
いや、今の発言から察するに振れなかったのかもしれない。
「決めた。今度は誰でもない、島津由乃として打席に立つわ」
そして勝つ。言わなくても伝わるその決意。
真似など私には似合わない。自分のままで勝負して勝てないはずがない。
根拠も理由も源泉もわからない自信。おそらく証明できない何か。
開き直りとも言うのかもしれないが、迷いがなくなった由乃さまは怖い。
(もう一度気を引き締めよう)
警戒レベルを再び上げた。
「それと祐巳さん、振り逃げって知ってる?もし今度うしろにそらしたら祐巳さんの負けだから」
……本当に、怖い。

「これで最後にしてあげる。全力で投げてきなさい」
そう言いきった由乃さまの表情は輝いている。瞳には力強い輝き。口元には自然な笑み。
わくわくといった擬音が飛び出てきそうな雰囲気が溢れ出している。
おそらくだが、こういった真剣勝負という舞台に立てるのがうれしいのではないだろうか。
(原因が私のプチギレだと思うとなんだかなぁって感じだけど……)
緊張感を楽しむかのように自然に構えている由乃さま。
青ざめた表情で後逸のプレッシャーに押しつぶされそうになっている祐巳さま。
実に好対照。
(こういう場面は嫌いじゃないし……)
ああ。意外と私も熱いもの持ってるのかも。
(せっかくだから楽しもう!!!)
もしかしたら、私も笑っているのだろうか。



振りかぶる。
(真剣勝負には文字通り……)




足を上げる。
(全力投球で相手してやろうじゃない!!!)






















「乃梨子、下着が見えてるわ」
!!!!!!!?
このタイミングはないよ志摩子さん……





あんなこといきなり言われたら当然投げられないわけで。
「ボークよ!ボーク!私の勝ちよ勝ち!」
それでいいのか、由乃さま。








〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
後日談

「と、いうことがあったわけだよ。だからしょうがないでしょ」
その翌日、目の前の親友に昨日行われた楽しくも悲しい出来事について説明してあげていた。
「何がしょうがないんですか!」
納得できませんわ、とぷいっと横を向く自称女優にこれ以上どう説明すればいいか悩む。
由乃さま、笑ってないでなんとか言ってください。大本はあなたなんですから。
「はぁ。わかんないかなぁ」
「わかるはずありませんわっ!」
あの後ちょっとした野球談義になって、すると流れからして当然変則投法の話も出るわけで。
「ごきげんよう乃梨子ちゃん」
あちゃー、こんなときに限って祐巳さま登場。
思わず顔を覆ってしまう。悪いタイミングは昨日から引き続きか。
「ごきげんようヒデオちゃん」
「瞳子の髪型はトルネードじゃありませんわっ!!!」
今度こそおわれ


一つ戻る   一つ進む