【1451】 静かなる奇跡眠りなさい、この胸で  (若杉奈留美 2006-05-07 12:10:29)


薔薇の館の住人たちは、大きなため息をついた。

(まったく…パソコン同好会も何考えてるのかしら…
「オフ会専用の建物を作れ」ですって?そんなもの自分たちで見つけなさいよ)

ことの発端は1時間ほど前。
突然パソコン同好会の会長が薔薇の館にやってきた。

「山百合会の皆様方、どうかわがパソコン同好会に、オフ会専用の建物を作って頂きたいんです」
「…お、おふかい?何なのそれ?」

瞳子はこの手の話題があまり得意ではない。

「ネットつながりの仲間が直接会うことだよ」

乃梨子に説明されて、ようやく納得した感じ。

「なぜ学園内に必要なのかしら?」

ちあきは至極もっともな質問をした。

そのとたん、会長の目がキラリと光ったかと思うと、まるで山奥を流れる激流のように、
自分たちのネットワークの広さと規模の大きさ、気遣いなしに気楽に集まれる場所の大切さをよどみなく説かれてしまった。
しかもこちらが用意した質問にも、あたかも予想していたかのような態度であっさりと答えられてしまう。
あまりにも堂々と質疑応答に応じるため、ちあきは自分のペースをすっかり乱され、
思わず許可してしまいそうになった。

「ダメだよ」

乃梨子の一言に救われた。

「そんなこといちいち認めてたら、いくら金持ちなこの学校でも破産する。
それほど必要なら、学園内じゃなくてもっと別の場所を探せばいいじゃない。
少なくとも、これが認められるほどこの学校は甘くはないよ?」

その目に有無を言わせないものを感じ取ったのか、会長は

「ではこの件は保留で」

と一言言い残して、あっさり引き下がるしかなかった。

「ちあき、お疲れ様」

乃梨子と瞳子は、かたわらでぐったりしている紅薔薇のつぼみにそっと声をかけた。


それから残っていた仕事を片付けて、さあ帰ろうかという頃。

「ちあき?どうしたの?」

ちあきはまだ動けないでいる。
しかもなんとなく様子が変だ。
額に手を当てた乃梨子がつぶやいた。

「熱はなさそうだけど…疲れきってて動けないみたいだね」
「ちあき、大丈夫?立てる?」
「…分かりません…」

無理もない。
各部の部長や先生方との交渉、妹たちの面倒など、ちあきは先頭にたって
積極的に仕事をこなしている。
その中には、さっきのパソコン同好会みたいに、まるで自分たちのことしか
考えてない人間もいる。
そういった人間とも持ち前の交渉能力でできる限りの話をしなければならないの
だから、疲れて動けなくなっても責められない。
ちあきの辞書には、きっと「他人に甘える」という文字がないのかもしれない。
もうすぐ校内の施錠の時間。
このままちあきを放って帰るわけにはいかない。
どうしようかと考えあぐねる乃梨子だったが…
先に動いたのは瞳子だった。

「ほらちあき、こっちへきなさい」

なんと自分より20cmは背が高いだろうという妹を、瞳子は背負って帰ろうとしたのである。

「ちょっと瞳子、無理するなってば」
「乃梨子さんが手伝ってくださればいいんですわ」

すでにちあきは眠ってしまっている。
完全におんぶするつもりでいる瞳子を、止めるわけにもいかなくて。
乃梨子はしかたなく、ちあきを瞳子の背に負わせた。

「よいしょ…っと」
「ありがとうございます」

乃梨子たちは校門を出た。


太陽はすでに西の空。
東の空から一番星が、ごきげんようと姿を現す。
背中に感じる重みとぬくもり。
そしてかすかな息遣い。
穏やかな時間の中を、ゆっくりゆっくり歩み行く、紅白の薔薇。

「…今まで私はたくさんの人に守られて、ここまできましたわ。
だから今度は私の番なんです。
ちあきは自分ですべてを背負い込んでしまうから…
今度は私がちあきを守る番なんです」

瞳子は優しいまなざしを見せた。
その横顔が、なんとなく輝いて見えるのは、夕日のせいだろうか。

「いい妹にめぐりあえて…よかったね」
「祐巳さまが教えてくれたんです。何があっても、愛しぬくことを。
だから私も、何があっても、この子を愛しぬきます」

それはとても、静かなる奇跡。

「大丈夫よちあき…どんなことがあっても、おばあちゃんになっても、
なんとしてでも守ってあげる。
あなたは大切な、大切な妹なのだから…」

今夜は一晩中抱いていてあげよう。
この胸で眠らせてあげよう。
ちあきのご両親には自分から言えばいい。

すでに空は青みを増している。
星たちも光を放ち始めている。
柔らかな思いを胸に、瞳子は家路を歩いていた。




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