いつものように、マリア像の前。
紅薔薇のつぼみ福沢祐巳が、朝のお祈りを済まして身を翻したその直後。
ぼすん。
と、いつの間にか目の前に立っていた深い緑色の壁に、顔から突っ込んでしまった。
痛みを堪えようと、目を瞑って歯を食いしばったのはいいのだが、返って来た衝撃は思いのほか軽かった。
やたら柔らかく、また同時にやたら弾力のある、暖かくて、しかもなんだか良い香りがするその謎の壁。
祐巳にしては珍しくパニックを起こすことも無く、妙に冷静な頭のまま、壁の正体を探るべく両手を伸ばして触ってみれば。
むにむに。
もにもに。
遥か昔〜と言っても十数年ぐらい前〜に経験したことがある、なんだかちょっと懐かしい感覚。
一歩下がって確認すれば、それはリリアン女学園高等部の制服で、ちょうど祐巳の額辺りに、タイの結び目があった。
ふと顔を上げてみれば、そこには若干赤くなって祐巳を見下ろす後輩の顔があった。
つまり祐巳は、自分の真後ろに立っていた細川可南子の豊満な胸に、顔面から突っ込んだ形になっていたのだった。
「あ、ごきげんよう可南子ちゃん」
「ご、ごきげんよう祐巳さま」
何故かどもる可南子。
「ごめんね。後にいたなんて、全然気が付かなかったもんだから」
「いえ、大丈夫ですのでお気になさらず」
「そう。お祈りは済んだ?」
「はい」
「じゃぁ、一緒に行こうか」
「ええ」
可南子の手を取った祐巳は、そのまま下足室まで引っ張るように歩いていった。
「祐巳さん、早く早く。理科室まで移動しないと」
「ああ、待ってよ由乃さん」
親友にしてクラスメイトにして山百合会の同僚、黄薔薇のつぼみ島津由乃にせっつかれた祐巳は、
「先に行ってるからね」
教室を飛び出して行った由乃に、数秒遅れて教室を後にした。
出来るだけ見苦しくないように最大限急いで、階段手前の角を曲がった途端。
ぼすん。
と、突然現れた深い緑色の壁に、顔から突っ込んでしまった。
痛みを堪える間もなく返って来た衝撃は、思いのほか軽かった。
やたら柔らかく、また同時にやたら弾力のある、暖かくて、しかもなんだか良い香りがするその謎の壁。
まさかねぇ、と、妙に冷静な頭のまま、壁の正体を探るべく両手を伸ばして触ってみれば。
ふにふに。
ぷゆぷゆ。
数時間前にも体験したはずの、なんだかちょっと懐かしい感覚。
一歩下がって確認すれば、それはリリアン女学園高等部の制服で、ちょうど祐巳の額辺りに、タイの結び目があった。
ふと顔を上げてみれば、そこには案の定、若干赤くなって祐巳を見下ろす後輩の顔があった。
つまり祐巳は、角から姿を現した細川可南子の豊満な胸に、再び顔面から突っ込んだ形になっていたのだった。
「あ、ごきげんよう可南子ちゃん」
「ご、ごきげんよう祐巳さま」
何故かどもる可南子。
「ごめんね。急いでいたもんで、止まれなかったものだから」
「いえ、大丈夫ですのでお気になさらず」
「そう。このお詫びは、放課後にするから」
「いえ、そんなにお気を使われなくても」
「いいのいいの。じゃぁ、また後で」
「あ、はい」
可南子に手を振りながら祐巳は、そのまま理科室まで急いで歩いていった。
「ごめんなさい、通して、通して下さい」
ミルクホールで、アンパンとチョココロネを買ったあと、後に続く生徒たちを掻き分けつつ移動する祐巳。
昼休みのミルクホールは、高等部のみならず中等部の生徒たちも利用するため、かなり混雑する。
皆の邪魔にならないように移動し、ようやく人の波から解放された途端。
ぼすん。
と、目の前にあった深い緑色の壁に、顔から突っ込んでしまった。
パンだけは潰さないように、とっさに体を捻って堪えようとしたが、返って来た衝撃は思いのほか軽かった。
やたら柔らかく、また同時にやたら弾力のある、暖かくて、しかもなんだか良い香りがするその謎の壁。
おいおいまたか?、と、妙に冷静な頭のまま、壁の正体を探るべく片手を伸ばして触ってみれば。
まにまに。
もすもす。
今日だけでも三度目の、なんだかちょっと懐かしい感覚。
一歩下がって確認すれば、それはリリアン女学園高等部の制服で、ちょうど祐巳の額辺りに、タイの結び目があった。
ふと顔を上げてみれば、そこには案の定、若干赤くなって祐巳を見下ろす後輩の顔があった。
つまり祐巳は、列の最後尾に並んでいた細川可南子の豊満な胸に、三度顔面から突っ込んだ形になっていたのだった。
「あ、ごきげんよう可南子ちゃん」
「ご、ごきげんよう祐巳さま」
何故かどもる可南子。
「ごめんね。前が良く見えなかったから、気付かなかったの」
「いえ、大丈夫ですのでお気になさらず」
「そう。でも、迷惑かけてばっかりだね」
「いえ、そんなことは思ってもいませんので」
「ううん、ちゃんとお礼はするからね。また後で」
「あ、はい」
可南子に手を振りながら祐巳は、薔薇の館に向かった。
「ごきげんよう、皆様」
放課後、担当区分の掃除を済ませ、薔薇の館を訪れた祐巳。
ビスケット扉を開けて、元気良く挨拶をしながら会議室に足を踏み入れた途端。
ぼすん。
と、目の前にあった深い緑色の壁に、顔から突っ込んでしまった。
なんとなく予感があったので、いちいち堪えようとはしなかったが、やはり返って来た衝撃は思いのほか軽かった。
やたら柔らかく、また同時にやたら弾力のある、暖かくて、しかも嗅ぎ慣れた大好きな香りがするその謎の壁。
こんなこともあるもんだねぇ、と、妙に冷静な頭のまま、壁の正体を探るべく両手を伸ばして触ってみれば。
まふまふ。
ぱふぽふ。
四度目のはずだが、なんだかちょっと違う懐かしい感覚。
一歩下がって確認すれば、それはリリアン女学園高等部の制服で、ちょうど祐巳の鼻の辺りに、タイの結び目があった。
ふと顔を上げてみれば、そこには若干赤くなって祐巳を見下ろす先輩の顔があった。
つまり祐巳は、たまたま扉の前に立っていた、姉である紅薔薇さまこと小笠原祥子の豊満な胸に、顔面から突っ込んだ形になっていたのだった。
「あ、ご、ごきげんようお姉さま」
「ご、ごきげんよう祐巳」
何故かどもる祐巳と祥子。
「申し訳ありませんお姉さま。まさか扉の前に立ってられるとは思ってなかったもので」
「いいのよ祐巳、事故だったのだから」
「いえ、そればかりか、お姉さまのお胸になんてことを」
「…それにはちょっと驚いてしまったけど」
「あ、あの、お詫びと言ってはなんですが、よろしければ私の胸を…」
「な、何言ってるの祐巳。そんなことは、誰もいない所で言って頂戴」
辺りを見渡せば、当然山百合会関係者が勢揃いしているわけで。
由乃はニヤニヤしているし、黄薔薇さま支倉令と白薔薇さま藤堂志摩子は生暖かい目で見ているし、白薔薇のつぼみ二条乃梨子は羨ましそうな顔をしていた。
恥ずかしさのあまり、祐巳は真っ赤な顔で俯いてしまった。
「うう、可南子ちゃんのせいで…」
「?」
涙ぐみながら責める祐巳に、可南子は訳もわからないまま、困惑の表情をするだけだった…。