【1473】 沈黙の歌姫雨の足音紅桜と共に過ぎてゆく  (クゥ〜 2006-05-15 01:18:54)


 ARIA第五弾です。本来ならGW中に書きたかったのですが【五歳】にはまってしまい書けませんでした。
 今回、話を大きく進めるつもりだったのですが、自分で走ってしまった感じに成ってしまいました。いつものようにゆるゆる読んでください。

                                      『クゥ〜』


【No:1328】―【No:1342】―【No:1346】―【No:1373】―【No:1424】




 「あつ〜い」
 「ぷいにゅ〜」
 アクア・アルタも終わり、本格的なAQUAの夏が近づいてきたようだ。それとも浮き島の火炎之番人―サラマンダーさんたちが今日は暖めすぎているのかも知れないが、今日は本格的な夏を思わせるほど暑い。
 祐巳は何時もの通りゴンドラの練習をしていたが、この暑さに少しバテ気味。
 「はぁ〜、アリア社長。ジェラートでも食べますか?」
 「ぷいぷい!!」
 「それじゃぁ、灯里さんが教えてくれたジェラート屋さんに行きましょう!!」
 「ぷいにゅう!」
 祐巳はゴンドラを旋回させ、ジェラート屋さんを目指す。
 灯里さんが教えてくれたジェラート屋さんは、サン・マルコ広場にいつもお店を出している。若い夫婦で、味の種類は少ないがジェラートにしては少し硬めで祐巳も気に入っているお店だ。
 サン・マルコ広場の名物、翼を持つ獅子の像を掲げる二本の柱が見えてくる。
 「あれ?」
 よく見れば今日はやたらとサン・マルコ広場に屋台が出ている。
 「なんでしょう?お祭りでしょうか?」
 祐巳は船着場にゴンドラを着けると、アリア社長とジェラート屋さんに向かう。
 ……風鈴?
 いつも見ない出店には、風鈴がいくつも飾られ。いつかTVで見た、風鈴市のような光景。
 ……日本からの入植者の人が広めたのかな?
 祐巳がなんとなくそう思いながら、ジェラート屋さんに向かう。アリア社長はもうすでにジェラート屋さんの前で祐巳を待っていた。
 「はい、ありがとうね」
 祐巳はジェラートを二つ、若い奥さんから受け取ると建物の影に入り、ジェラートを嘗める。
 「う〜ん、冷たい!!」
 「ぷいにゅ〜!!」
 祐巳はジェラートを食べながら、風鈴屋さんを眺める。ときどき、風が吹くと、飾られた風鈴たちが優しい音を響かせる。
 「夏かぁ」
 本当なら、大事な友人たちと受験の準備や、山百合会の仕事に大忙しだったはずだ。こちらの時間とあちらの時間が同じに流れるなら、もうお姉さまは卒業し大学生として祐巳たちを見守ってくれている時期。
 だが、祐巳はここにいて未だ戻る術はなく、こちらから離れたくない友人や理由も出来てしまった。来た当初なら、きっと帰れると分かれば帰っていたと思うが、今、帰れると分かったとき祐巳はどう選択するのか、自分でももう分からない。
 もしも、本当にもしもだが、お姉さまが、由乃さんが、志摩子さんが皆がこのAQUAに来ることがあるなら、祐巳が知っている多くの場所を案内したい。
 勿論、祐巳が漕ぐゴンドラで。
 このジェラートや、おいしい、じゃがバター屋さん。お気に入りの小道―カッレや静かな無人島。この前教えてもらった、鳥居がまるで迷宮のような日本村に行くのも良いかも知れない。
 ――ちり〜ん。
 この風鈴市の光景も見せてあげたい。
 修学旅行で行ったヴェネチアと、違う姿を持つネオ・ヴェネチアの風景。
 でも、それは決して叶えられない夢。
 「風鈴かぁ、買って帰ろうかな」
 「風鈴、違う。夜光鈴」
 ――ちり〜ん!!
 「ぎゃう!!」
 「ぶいにゅ!!」
 突然、後ろから声をかけられ驚く祐巳とアリア社長。
 「ごきげんよう、祐巳、アリア社長」
 「こんにちは、祐巳ちゃん、アリア社長」ちり〜ん。
 「あぁ、ごきげんよう。アテナさん、アリスさん」
 振り向くとそこにはオレンジ・ぷらねっとのアリスさんとアテナさん。まぁ社長は……「ぶいにゅう!!」
 すでにアリア社長のもちもちポンポンに噛み付いていた。
 アリスさんが手馴れた手つきでまぁ社長を抱き上げ、まぁ社長の脅威から助かったアリア社長だったがジェラートが地面に落ちていた。
 「ぷい〜にゅ〜」
 ――ちり〜ん。
 落ちたジェラートを見つめ泣くアリア社長の前にアテナさんが風鈴を持って座り込み鳴らしていた。もしかして慰めているのだろうか?
 「あれ?」
 見ればアテナさんだけでなく、アリスさんも風鈴を持っている。しかも……。
 「アリスさんも風鈴を買ったの?それにそのオレンジ・ぷらねっとの制服」
 「はい、夏服に変わりました。それと、祐巳はでっかい間違いをしています。これは夜光鈴です!!」
 「夜光鈴?」
 「はい、風鈴とは違い、夜に夜光鈴の中心の玉が光ります」
 「光るの?」
 「はい、でっかく光ります。祐巳は買わないのですか?」
 「う〜ん。どうしようか考えていたところかな?でも、そんなに素敵な物なら買ってみてもいいかも」
 「でっかいお薦めです。なにせ夜光鈴はAQUAの夏の風物詩ですから、良い物は早い者勝ちですよ」
 それを聞いた祐巳は夜光鈴を買うため、落ちたジェラートを未だ諦めきれないアリア社長を連れ。アリスさんたちと別れて、夜光鈴の出店に向かった。
 勿論、その前に落ちたジェラートを綺麗に掃除しておく。ネオ・ヴェネチアの観光業に携わる水先案内人―ウンディーネ見習いとして街を汚さないのは当然の心がけ。
 祐巳は夜光鈴屋さんをいくつか見て回る。
 夜光鈴の形はTVでよく見るガラス製がほとんどでどれも素敵だ。
 でも、せっかくならコレと思うお気に入りを買いたいと思ってしまう。
 ……どれが良いかなぁ。
 そんなことを思っていると、祐巳を呼ぶ声が聞こえてきた。
 「お〜い、祐巳ちゃ〜ん」
 「あっ、灯里さん、藍華さん」
 声の方を見れば灯里さんと藍華さんが向かってくる。近づいてくる二人の手には夜光鈴。よく見れば藍華さんの制服も半そでに変わっている。どうやら姫屋も夏服に変わったようだ。
 「ごきげんよう、灯里さん、藍華さん」
 「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
 「お二人はもう夜光鈴を買ったんですね」
 「勿論、夜光鈴はAQUAの夏の風物詩よ。買わないでどうしますか」
 「そうそう、でも、祐巳ちゃん。夜光鈴のこと知っていたんだ」
 「いいえ、風鈴は知っていましたけど。夜光鈴はついさっきアリスさんに教えてもらったばかりですよ」
 「え〜ぇ、そうなの……せっかく祐巳ちゃんを驚かせようと思っていたのに〜」
 灯里さんは残念そうに呟く。
 「灯里ったら、それじゃぁ、いまから買いに?」
 「はい」
 祐巳が頷くと、理由は違うがしょぼくれている灯里さんとアリア社長を藍華さんが連れて行ってしまった。ただ、アリア社長はなんだか嬉しそうにしていたからもしかしたら灯里さんにジェラートを強請るつもりかもしれない。
 ……一言、言っておくべきだったか?
 祐巳はクスクスと笑いながら、夜光鈴のお店を見て回る。
 夜光鈴の絵柄は金魚や花火、笹などや、にゃんにゃんぷ〜などのキャラクター物などもあった。
 だが、やっぱりコレと思う一品が見当たらない。
 ……困ったなぁ。私ってこんなので悩みだすと長いから。
 自己分析をしながらも、なかなか決まらない。
 「ふぅ、暑い」
 こうして日向にいると汗が落ちてたまらない。
 「ハンカチ、ハンカチと」
 ハンカチで汗をと思っていたら……。
 「ひゃう!!」
 「祐巳ちゃん」
 首筋に冷たいものがあたる。見れば灯里さんが祐巳の横に立っていて、その手には濡れたハンカチが握られている。
 「はいコレ。今日は暑いから、少しみっともないけどコレで冷やしているといいよ」
 「…………あっ」
 優しい笑顔の灯里さん。祐巳はちょっとだけその笑顔に見とれてしまう。
 ……私ったら。
 「それで、なにか良い物が見つかった?」
 「あっ、いえ、それがなかなか」
 灯里さんは今祐巳が覗いていたお店を一緒に覗く。
 「それで祐巳ちゃんはどんなのが好み?」
 「好みと言われても……風鈴……夜光鈴は買ったことないのでちょっと、そういう灯里さんは?」
 「う〜ん、私は第一印象かな?まぁ、せっかくの夜光鈴だから気に入ったの選びたいよね」
 「そうですね」
 祐巳は灯里さんと連れ立って、お店屋さんを見て回る。
 何軒くらい見て回ったころだろうか、祐巳はようやくコレと思う夜光鈴を見つけた。
 薄い空色の色つきガラスに、何の花か分からないが赤と白と黄の花が三つ寄りそって花束のように書かれていた。
 「えへへ」
 ――ちり〜ん。
 祐巳は手の中で風鈴を振ってみる。夜光鈴の耳に心地よい音が響いた。
 「早く光るところが見てみたいですね〜」
 「うん。綺麗だよ」
 祐巳は灯里さんと船着場の方に向かう。
 「お〜い」
 船着場のところで藍華さんが手を振っている。
 「ぷいにゅ〜」
 その足元に座っているアリア社長は何だかまだいじけている。見れば藍華さんの手にはジェラート。
 アリア社長には渡らなかったらしい。
 「藍華ちゃ〜ん、アリア社長!!」
 灯里さんが先にゴンドラの方に入っていく。祐巳はこけたりしてせっかくの夜光鈴を壊したくないのでゆっくりと歩いていく。
 ――ちり〜ん。
 「ん?」
 祐巳がゴンドラの方に歩いていくと、サン・マルコ広場の二本の柱の片方にその女性を見つけた。
 この暑いのに真っ黒なドレスに顔を隠す黒いベール。
 「あっ、喪服だ」
 そうそれは喪服だ。だが、周囲に彼女のような服装の人はいない。
 もしかしたら誰かのために祈っているのかも知れない。そう思うと祐巳は女性をジロジロ見たことが恥ずかしくなり視線をはずそうとする。
 「あっ」
 そのとき彼女の顔が上がる。彼女の視線はベールに隠れ分からないが、祐巳は反射的に小さく頭を下げた。女性も小さく頭を下げる。
 祐巳は顔を真っ赤にして小走りで逃げるようにゴンドラの方に逃げ出した。
 「どうしたの、祐巳ちゃん?」
 ゴンドラのところに来ると、すでにゴンドラに乗り込んだ灯里さんが聞いてくる。
 祐巳は自分の態度が恥ずかしくなり、俯いてしまう。
 「もしかしたら噂の君にでも会ったんじゃぁない?」
 「噂の君?」
 「そう、なんか灯里も会ったことあるらしいけど、あの柱のところに出る幽霊。喪服姿の女性で、夜にゴンドラを漕いでいるとサン・ミケーレ島まで乗せていってと出るらしいわよ」
 サン・ミケーレ島は確か墓地だけの島。管理人などもいないと聞いた。
 祐巳が慌てて柱のほうを見ると、彼女はいなかった。
 「ひっ!!」
 「なっ!なに?どうしたの」
 「い、いえ、何でもありません!!ゴンドラ出します!!」
 祐巳は慌ててゴンドラを岸から離す。
 「まったく、本当に見たんじゃないでしょうね。まぁ、いいわ。祐巳ちゃん」
 「はっ、はい!」
 「肩に力が入りすぎているわよ。深呼吸」
 「えっ……はい」
 祐巳は藍華さんの指導通りにゴンドラを漕ぐのを止め、小さく深呼吸をしてゆっくりとオールに力を込める。
 「うん、いい感じ。それじゃぁ、そのまま舟謳―カンツォーネいってみよう!!」
 「うえぇぇぇ!!!」
 悲鳴を上げる祐巳に、藍華さんは容赦なくカンツォーネを求めてくる。
 「あはは、祐巳ちゃん、そんなに緊張しない。なんならお得意の「マリアさまの心」でもいいから」
 「うん、それでよし!!やりなさい」
 「うぅ……」
 祐巳はしょうがなくカンツォーネの変わりにマリアさまの心を謳う。
 ……あっ。
 マリアさまの心を謳いながら、祐巳はサン・マルコ広場にあの喪服の女性を見つけた。広場の岸から海を見ているようだ。
 ……なんだ、気のせいだったのか。
 祐巳は少しホッとして謳に気分を集中する。
 祐巳が謳うマリアさまの心がサン・マルコ広場の海に流れていく。


 「ところで、どうして藍華さんが、このゴンドラに乗っているんです?姫屋ってサン・マルコ広場の近くですよね?」
 「なに?この大先輩が指導してやったというのにその言い草は?うぅ、藍華、悲しいわぁ」
 「藍華ちゃんたら」
 藍華さんのお芝居に笑っている灯里さん。ゴンドラの先に吊るした祐巳の夜光鈴が涼しげな音を奏でながら揺れていた。
 まぁ、藍華さんが用もなくARIAカンパニーに顔を出すのはいつものこと、だから、祐巳も本当のところは気にしてもいない。
 ただ、あの後カンツォーネを二曲も歌わされ少し怒ってはいたが。
 「でも、祐巳ちゃん。カンツォーネはゴンドラを漕ぎながらも謳えるようにならないとダメだよ」
 「……はい」
 顔に出ていたのか、突然、そんなことを言われ祐巳は頷くしかなかった。
 「あれだったらアテナさんに頼んで教えてもらうのもいいわね」
 「アテナさんにですか?でも、アテナさんはオレンジ・ぷらねっとですよ」
 「私は姫屋よ」
 確かに祐巳はゴンドラを操りながらのカンツォーネはまだまだだった。
 「聞いてみます」
 「よろしい」
 祐巳が漕ぐゴンドラがARIAカンパニーに近づいていくと、ARIAカンパニーの前に白いゴンドラが停泊している。
 「あれ、これって」
 白いゴンドラに入ったラインはオレンジ。どうやらアテナさんのゴンドラらしい。噂をすればなんとやら。
 「あら、帰ってきたのね」
 祐巳と灯里さんの大先輩であるアリシアさんのお出迎え。その後ろからはアテナさんにアリスさんが顔を出す。
 「ありゃ、いつもの面々がそろった。うるさいの一人除いて」
 「うるさいとは誰のことだ?ああん」
 藍華さんが嬉しそうに呟くとアテナさんの後ろからもう一人、藍華さんの先輩で姫屋の晃さんが姿を現す。
 本当にいつもの面々がそろってしまった。
 「三人とも上がってきなさい。せっかく皆そろったのだから、夜光鈴を見ながら夕食と行きましょう」
 「「「はーい」」」
 三人の声が響いた。
 ARIAカンパニーの二階のテラスに小さなテーブルを出して、皆が持ち寄った夜光鈴をテラスに吊るし、夜光鈴の光と音を楽しみながらの夕食会。
 アリシアさんと祐巳、晃さんの共同で作った夕食は少しスパイスが効いていたが暑い日にはちょうどいい味で、お喋りも弾み。
 怪談話なども出てきたのはほんのお遊びだったが、藍華さんがアテナさんにカンツォーネの相談をしろと言ったため。見返りとしてその場で謳わせられたのはたまらなかった。
 まぁ、そのおかげでアテナさんが暇なときに練習に付き合ってくれると約束してくれたのだが、アテナさんも忙しい上これからは観光シーズンで暇なときだけとの約束になった。
 「それじゃぁ」
 楽しい時間というのは本当に早く過ぎていき、夜光鈴を楽しみながらの夕食も終わり、祐巳たちはアリスさんたちを見送る。二つの白いゴンドラが夜の闇へと消えていく。
 祐巳たちはゴンドラが見えなくなると、二階のダイニングへと向かう。
 「はい、祐巳ちゃん、灯里ちゃん」
 二階に上がった祐巳と灯里さんに、アリシアさんが真っ白な制服を手渡してくる。
 「わぁ、夏服ですね」
 「祐巳ちゃん、夏服は明日からね」
 「はーい」
 真新しい白い制服は、少し新品の服の香りがした。
 「……」
 「……」
 「「えへへへへ」」
 祐巳が制服を抱きしめていると、同じように抱きしめている灯里さんと視線が合う。二人とも同じように照れて笑った。
 やっぱり衣替えは何だか嬉しいものだ。
 と、言うことでアリシアさんが帰るとすぐに二人で夏服に着替えてみた。
 真新しい制服の見せ合いっこ、なんだか照れてしまう。
 「祐巳ちゃん、へへへ」
 「何ですか?」
 真新しい夏の制服を着た灯里さんは悪戯っ子のように笑っていた。
 「……?」
 灯里さんの笑いの正体、それは夜のネオ・アドリア海にゴンドラを浮かべ、ゴンドラの先に夜光鈴を一つ吊るしてのティータイム。
 静かな波に揺られながら、灯里さんとアリア社長と一緒に淡い夜光鈴の光一つを眺めて楽しむ、さっきの夕食とは違い静かに流れる時間。
 祐巳にとって、どちらもとても素敵な時間だった。


 一日一日が暑くなる日々のなか、祐巳はアリスさんと合同練習をいつものように続け。夜は灯里さんとアリア社長との静かなティータイムを楽しむ初夏の日々。
 残念ながらアテナさんとの練習はまだだったが、アテナさんと同じ水の三大妖精と呼ばれるアリシアさんの多忙さを見ていれば文句は言えない。
 そんなある日、その日は朝の間降っていた雨のおかげでアリシアさんも暇になり、同じく暇に成ったらしいアテナさんが約束を守ってきてくれた。
 祐巳は、日ごろの多忙さを知っていたから断ろうとしたが、アテナさんはこれからもっと忙しくなるからと言ってきかない。
 そこに助け舟を出してくれたのはアリシアさんだった。
 それならと祐巳のゴンドラ練習ついでにピクニックに行くことになった。
 祐巳のゴンドラに灯里さん、アテナさん、アリア社長が乗り込み。アリシアさんが最後にお弁当を持って乗り込んだ。
 「それじゃぁ、しゅっぱーつ!!」
 空は少し曇っているが時期晴れるだろう。灯里さんの掛け声で、祐巳はゴンドラを漕いで行く。
 「それじゃぁ、祐巳ちゃん。カンツォーネの練習開始」
 「はい!!」
 漕ぎ方の練習はアリシアさん。カンツォーネはアテナさんと贅沢な指導者に教えられながら祐巳のゴンドラはサン・マルコ広場の前を進んでいく。
 ……あっ、あの人、今日もいるんだ。
 ほぼ、一月前。夜光鈴を買った日に出会った喪服の女性。祐巳がときどきこのサン・マルコ広場を通るとたまに見かけるようになった。祐巳は見習いのため、お客は乗せられないので小さく頭を下げるだけなのだが、何時しか相手の女性も祐巳を見ると頭を下げてくれるように成っていた。
 「どうしたの祐巳ちゃん」
 「あっ、いえ、ちょっとした知り合いに挨拶を」
 「あらあら、祐巳ちゃんもこのネオ・ヴェネチアに慣れたのね」
 「えへへ」
 そう言われると少し恥ずかしいのは何でだろう?
 祐巳が漕ぐゴンドラはネオ・ヴェネチアの街を離れ田園風景の中の水路を進んでいく。
 「私、こっちまで来たの初めてです」
 「あらあら、そう、それじゃぁ、覚えておくといいわよ。こっちのほうには大事な観光場所があるから」
 「はい!!」
 祐巳は頷く。
 確かに街から離れたというのに、ウンディーネの白いゴンドラをよく見る。
 ……それにしても。
 何故だろうか?祐巳のゴンドラと相手のゴンドラがすれ違うさい必ず相手のウンディーネから「がんばれー」とか「もう少しよ。頑張ってね」とか声をかけられる。
 祐巳はゴンドラを操りながらのカンツォーネに悪戦苦闘していたから、返事が上手く返せなかったが相手のウンディーネはそれでもニコニコしていた。
 それにしてもこの水路はゴンドラだけでなく、大型の船も以外に多く通っていくので大変だ。
 大型の船が通ると波が起きてゴンドラを操るのも一苦労、それなのにカンツォーネの歌詞や音を間違うとあのおっとり系のアテナさんが怒るのだ。
 「ふぅぅぃ」
 どうにかこうにか祐巳はカンツォーネの練習をしながら、水路の行き止まりまで辿り着く。
 「ここが終点ですか?」
 祐巳がそう聞くとアリシアさん、アテナさん、灯里さんは同時にクッスと笑った。祐巳が行き止まりと思ったのは、水上エレベーターの門だった。
 水路を行く少し大きな船が一艘、入れるくらいのスペースに上から水が落ちてきて溜まっていく。ゆっくりのんびりしたエレベーターは三十分くらいかけてゴンドラを上の水路へと上げていく。
 「なんだか、のんびりしてますね〜」
 「そうね〜でも、そこがいいんだよ〜」
 「ですね〜」
 「あらあら、それじゃぁ、祐巳ちゃんはカンツォーネを謳ってね」
 「うえぇぇぇ!!」
 「はい」
 せっかくのんびり休めるかなと思ったのに、祐巳は再びカンツォーネを謳い。水上エレベーターの管理人のおじさんに拍手を貰ってしまった。
 祐巳のゴンドラは水路を進んでいく、先のほうには小高い丘と発電用の風車が並んでいる。二つ目の水上エレベーターを過ぎる頃には雲の隙間から日差しが差し込み、風を受けて回る風車は差し込んだ光に照らされ祐巳たちを誘っているようだ。
 祐巳が操るゴンドラが丘の水路の小さな船着場に辿り着く。
 「祐巳ちゃん、後ろを見てごらん」
 「?」
 アテナさんに言われ来たほうを見ると、やってきた水路の先にネオ・ヴェネチアが見える。
 「うっわぁ」
 「あの丘に登るともっとよく見えるよ」
 灯里さんに言われ丘に登る。
 「わぁ……」
 ネオ・ヴェネチア。ネオ・アドリア海。多くの島々に浮き島。360度のパノラマが広がる光景は確かに凄い。
 「あれ?」
 祐巳は周囲を一望しながら、丘の船着場の反対に小さな社を見つけて降りていく。
 「これは?」
 そこにあったのは小さなお地蔵さん。ただ、祐巳が知るお地蔵さんとは違い頭が丸くなく祐巳のようなツインテールをしているようなそんな頭。
 「見守りさん、と言うのよ」
 祐巳の後に来た灯里さんが教えてくれる。
 年代や製作者は分からないらしいが、日本からの入植者がここに置いたらしい。確かに方向は日本村の方を向いている。
 「でも、本当、なんだか祐巳ちゃんに似ているね」
 「そ、そうですか?」
 「うん、もしかしたら祐巳ちゃんを知っている人が作ったのかも知れないよ?」
 いや、流石にそれはないだろう。一瞬、乃梨子ちゃんの顔が浮かんだが、どう考えてもありえない話ではある。
 「祐巳ちゃん、立ってみて」
 「はい?」
 「合格おめでとう」
 灯里さんは、祐巳の前に立つと左手を取り。左手の手袋を外した。
 「あ、灯里さん!?」
 「ここはね希望の丘とウンディーネの間では呼ばれているのよ。難しい陸橋水路を一人でゴンドラを操ってこれるのが、両手袋―ペアが片手袋―シングルに成るための昇格試験なの」
 「?…え、えーと……それじゃぁ」
 「うん、だから合格。祐巳ちゃんは今からシングル。半人前さん」
 「あっ、あぁぁ」
 突然のことに驚きもあったが、嬉しさもあって祐巳は笑っていいのか、泣いて喜んでいいのか分からない。
 「なんか、凄く嬉しいです」
 「よかった。アリスちゃんもきっと喜ぶわ」
 「アリスさん?」
 「うん、あの子も今日、片袋手―シングルから手袋なし―プリマに成るための昇格試験を受けているはずだから」
 「そ、そうなんですか?!」
 アテナさんの言葉には少し驚いた。確かに考えればアリスさんほどのウンディーネを観光シーズンに使わない会社はないだろう。ただ、アテナさんが、大事な後輩の昇格試験ではなく。ライバル会社の見習いの練習に付き合っうとは思わなかったからだ。
 「大丈夫よ。今のアリスちゃんならね。それに祐巳ちゃんも会社は違っても大事な後輩だから」
アテナさんが嬉しいことを言ってくれる。
 「あらあら、そうね。でも、それよりも祐巳ちゃんの昇格試験に立ち会えなかったことに怒るかもよ。アテナちゃん?」
 「……な、なんで私が?」
 「あら、アリスちゃんにとって祐巳ちゃんは大事な親友。その昇格試験に立ち会いたいって前から言っていたのに、アテナちゃんが立ち会ったからかしら」
 アリシアさんの言葉にアテナさんが顔を青くする。
 「……そ、それはアリシアが……はぁ、困った」
 アテナさんの困った顔を見て祐巳たちは笑った。


 祐巳の昇格試験が終わり、丘の上でアリシアさん特性のお弁当を食べて水路を降りてくると辺りは真っ暗に成っていた。
 途中、用事があるというアリシアさんを降ろし、アテナさんをオレンジ・ぷらねっとに送っていくことになった。アテナさんには遠慮されたがそれでは流石に祐巳の気分が悪いのと、大丈夫とは分かっていてもアリスさんの昇格試験が気になるし、祐巳もアリスさんに報告したいという気持ちもあった。
 祐巳が漕ぐゴンドラは、オレンジ・ぷらねっとに向かう。その途中、ゴンドラはサン・マルコ広場も前を進む。
 「すみません」
 サン・マルコ広場の街灯の下、あの女性が声をかけてきた。
 祐巳はこんな時間までこの女性は何をしていたのかと思うが、女性は船着場の先端で祐巳を待っていたようだ。
 「あわわわ」
 何故か灯里さんが震えている。アリア社長は敵でも睨むように女性を見ている。
 「はい?」
 祐巳はゴンドラを止め、女性を見た。
 なんだか変な感じ。
 「サン・ミケーレ島まで乗せていってくださらない?」
 サン・ミケーレ島?!
 こんな夜に何の用事があるのだろう?でも、祐巳にしてみればこれが最初のお客さまになるわけだが、今はアテナさんを送らなくてはいけない。
 「アテナさん、灯里さんどうしましょう?」
 祐巳は、指導者である灯里さんとアテナさんにお伺いを立てるしかない。
 祐巳は、昇格したとはいえ一人前の手袋なし―プリマではない。いくらお客を乗せることが許されるとはいえ、あくまで同乗の指導者に従わなければいけない立場だ。
 「私はいいよ」
 「……うん、いいよ」
 灯里さんは少し考えて頷いた。祐巳としては二人もの指導者に従わない理由はなく女性を乗せ夜の海にゴンドラを漕ぎ出す。
 真っ暗な海。
 ランタンと夜光鈴の光だけが周囲を照らす。
 ……うぅ、ちょっと怖い。
 「あ、あの、お客さま。カンツォーネでも謳いましょうか?」
 沈黙と怖さに耐え切れなかった祐巳が話しかける。
 「歌?」
 「はい、何かリクエストがあれば知っている謳なら謳いますが」
 「そう、それじゃぁ……マ…マリアさまの心……そう、マリアさまの心がいいわ」
 お客さまの出したリクエストに少し驚いた。だが、祐巳にとっては一番良い謳であることに違いない。
 祐巳はゆっくりと謳い出す。
 マリアさまの心を……。

 祐巳の謳が暗い海に広がっていく。

 少しして祐巳の謳に、アテナさんの澄んだ謳声が重なる。

 そして、もう一人の謳声が重なった。

 三人目の謳声。それは灯里さんではなく。喪服姿の女性だった。

 アテナさんに負けないほどの美声。だが、祐巳はこの謳声を知っていた。

 ……ありえない。でも、本当に。

 祐巳が操るゴンドラはサン・ミケーレ島に辿り着く。
 「お客さま、着きましたよ」
 祐巳はゴンドラを船着場に泊める。船着場から見えるサン・ミケーレ島は赤い花でいっぱいだ。
 「ありがとう、貴女の謳声素敵だったわ」
 「いえ、お客さまの方が素敵でした」
 「いいえ、貴女のほうが素敵よ。だから、貴女ともっと一緒にいたいの」
 「祐巳ちゃん!!」
 灯里さんの声が響く。次の瞬間祐巳は女性に手を取られ引きずられるようにサン・ミケーレ島の墓地の中を入っていた。
 先の方に門のようなものが見える。後ろからは灯里さん、アテナさんが追いかけてくる。
 「ダメ!!ダメです!!静さま!!」
 祐巳が叫んだ瞬間。女性いや静さまが足を止める。
 「し……ず……ゆ、み」
 ゆっくりと顔を隠していたベールが風に飛ぶ。
 「……祐巳ちゃん?……」
 「はい」
 そこにいたのは、祐巳が知っている姿のまま何も変わらない静さまだった。
 ザッン!!
 灯里さんがアテナさんが追いつく。
 「その子から離れなさい!!」
 アテナさんの声が響く。祐巳は笑顔で大丈夫ですと告げると、灯里さんとアテナさんはその場に止まる。
 「祐巳ちゃん……私……」
 「静さま……どうして……」
 こんな再会があるのだろうか?そう思ったときもう一つ影が現れる。
 それは人よりも大きな姿の猫。猫の王さま。
 「ゴロンタ」
 「……ゴロンタ?メリーさん?」
 どうやら静さまもゴロンタの名を知っていたようだ。
 ゴロンタは優しい目で、静さまを見ている。まるで話しかけるように。
 「そう、ここにいる私はただの……」
 いや、話しているようだ。
 「祐巳ちゃん、祐巳ちゃんに謝らないといけないわね」
 「えっ?」
 「だって、ここに祐巳ちゃんは過去のリリアンから時間と空間を越えてきたのでしょう?ゴロンタが教えてくれたわ」
 そう言って静さまは話し出す。
 静さまがどうして地球―マンホームから離れたAQUAにいるのかその原因は分からないこと。そして、静さま自身、本当の魂ではないこと。
 ゴロンタが気がついたときには静さまはAQUAにいて、人を惑わせていたこと。
 ゴロンタにとって大事な人につながる人を助けたくても助けられず、マンホームとAQUAがもっとも近づく時と桜の力を借りて原因を探ろうとして祐巳を巻き込んだこと。
 それと今のゴロンタに祐巳を元の世界に戻す力がないこと。
 「そう、ですか」
 「地球と火星は離れていくだけ。今度の大接近まで何十年かかるか分からないと」
 全部の話を聞いた祐巳は暗い気持ちで俯いている。
 静さまも言葉なく立っていた。そんな静さまを見て祐巳は思う。静さまだけでもと。
 「ゴロンタ、静さまだけでも元の世界に返せない?」
 「祐巳ちゃん?」
 「静さまは一種の幽霊でしょう?だから」
 祐巳の言葉にゴロンタは小さく頷く。その顔は笑っていた。
 ガッゴン!!
 大きな音がして先に見える石の門が開き風が巻き起こる。
 「わっ!!」
 「きゅあぁ!!祐巳ちゃん!!」
 「祐巳ちゃん!!」
 祐巳の手を灯里さんがアテナさんが握り締める。その様子を静さまは優しい笑顔で見ていた。
 「祐巳ちゃん……良い友人をこちらでも持ったのね」
 「はい、静さま」
 「そう、それじゃぁ、ごきげんよう。祐巳ちゃん」
 静さまの体が浮き上がり門の方に流れていく。
 「あぁ、静さま!!これを!!」
 祐巳は慌てて、ポケットに入れていた左手の手袋を静さまへと投げる。
 「それを!!あの人に届けて!!」
 静さまは手を伸ばし、祐巳の手袋をしっかりと受け止め。微笑みながら、門の中へと消えていった。
 風が収まり静さまもゴロンタももういない。ただ、風に散らされた赤い花びらだけがあの日の桜のように舞っていた。
 「祐巳ちゃん」
 「えへへ、やっぱり帰れないみたいです。帰れるのか、帰れないのか知りたかったけど、やっぱり答えを知ってしまうときついですね」
 答えは知りたかった気もするが、同時に知りたくもなかった。それは、祐巳が帰れるか帰れないか自分で選択するとき答えが出せなく成っていたからだ。
 だから、帰れない選択だけと分かったのは、選択から逃げるようだが少しホッとした気持ちもあったのだ。
 灯里さんはそっと祐巳を抱きしめてくれる。
 祐巳は泣かなかったが、そっと灯里さんの胸の中で目を閉じた。
 止んでいたはずの雨が霧雨のように降り始め。
 「ごきげんよう、静さま」
 祐巳は小さく呟いた。



 「ジャンです!!」
 「じゃーん!!だよ」
 あの夜から数日後。雨に打たれしっかりと風邪をひいた祐巳、灯里さん、アテナさんは元気に回復し、快気祝いアンド祐巳とアリスさんの昇格を祝い。ゴンドラを三艘並べてのティータイムを楽しんでいた。
 祐巳とアリスさんはお互いの手を見て笑いあう。さっきまでアテナさんと一緒に叱られていたというのに……。
 ゴンドラの上には皆の夜光鈴が飾られ、本日のメインイベントを待っていた。
 夜光鈴の光る元である夜光石の寿命はだいたい一月。
 最後の夜はこうして役目を終えた夜光石に感謝して、夜光石が取れる海に最後の輝きを見守りながら還してやるのだ。周囲を見れば、祐巳たちだけではなく多くの人が夜光鈴を持って海辺へと出てきている。
 「あっ、私のが来た!!」
 最初は藍華さんの夜光鈴。それに続いて次々に夜光鈴が戻っていく。
 祐巳の夜光鈴も最後の輝きを放つ。
 「「「わぁ!!」」」
 祐巳の夜光鈴は驚くほどの光を放って、海に戻っていった。
 「祐巳!!それ!!」
 アリスさんの声に祐巳は自分の夜光鈴を見つめる。
 「……夜光石の結晶」
 なくなったと思ったものが、別の姿でそこに残っていた。

 祐巳の夜光鈴には小さな涙形の夜光石の結晶が輝いていた。






 「祐巳?」
 小笠原祥子はフッと呼ばれた感じがして空を見る。
 見たことのない赤い花びらが舞い落ちてくる。
 「何かしら?」
 その中にキラッと光るものが空から落ちてきた。
 祥子は両手を伸ばしそれを受け止める。
 それは青い片方の手袋だった。





  と、こうなりました。まぁ、あの方をこんな形で出して叱られそうですが、カンツォーネを書こうとするとどうしても登場させたかったのが本当のところです。まぁ、いろいろ布石しすぎて途中で気がついた人も多いでしょうが、なにせタイトルからしてアレですから。
 それと過去の作品にあったコメントの多くに見られた祥子たちが全員でAQUAに来る話しを祐巳の想いとして入れてみたのですが上手く言ったかどうか?夢オチみたいなことも考えてはいたのですが……雰囲気的にこちらかと?あぁぁ、でもう〜ん。←決断力ナシ!!
 あと、それともう少し続きます。あと二回で終わらせるなんて言ってすみません!!
『クゥ〜』の力量不足のせいです。本当、ごめんなさい!!
                               『クゥ〜』


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