【1475】 桜の花が咲く頃に再び  (いぬいぬ 2006-05-16 01:51:27)


 このSSは、オリジナルキャラが乃梨子の妹候補として登場します。そして、あまりにも長くなったので、全四話に分けました。各話とも、それなりに独立した作品としても読めるよう努力はしましたが、できれば第一話から順にお読みいただければ幸いです。
 
 それでは第一話をお楽しみ下さい。






 春。今年もリリアンの銀杏並木には、1本だけ混ざった桜が咲き誇っている。
 まるで、何かを引き寄せるための甘い罠のように。



 新学期を向かえ、数週間が過ぎた。
 新入生を迎え、無事おメダイの授与も終わり、山百合会の仕事もひとときヒマになったので、今日は仕事無しで帰ろうと決った日のこと。乃梨子はひとり、銀杏並木を歩いていた。
 いつもクールな表情を崩さない乃梨子だが、今、その表情はなぜか冴えない。
 その原因は、志摩子と一緒に帰ろうと思ったが、そのためには彼女が環境整備委員の仕事を終えるのをぼーっと待たなければならないためか。それとも、盛大なすれ違いの果てに祐巳と姉妹になった“親友”瞳子を心配した気疲れが今頃出たのか。はたまた、入学式当日に姉妹の契りを結び、学園中を大騒ぎの渦に巻き込んだ黄薔薇姉妹の後始末に疲れたのか。
 ・・・・・・まあ、その全てが重なった疲労が原因であろう。
「 はあ・・・ 」
 歩きながら溜息をつく乃梨子。
 特に何か用があって銀杏並木を訪れたのではない。だが、特にすることも無いと自覚してしまった瞬間、なにやら疲労感に襲われたようだ。
 しかたなく目的地も決めずぶらぶらと歩いていると、やはりどうしても銀杏並木に1本だけ咲き誇る桜に目が行く。
( 志摩子さんとあの桜の下で出会って、もう1年もたったんだなぁ・・・ )
 なんとなく桜に近付き、立ち止まる乃梨子。
 普段は特に意識しないが、こうして傍で見上げると、やはり志摩子との出会いに関わる大切な樹だと思えた。
( あの頃は、お姉さまなんて存在が理解できなかったのにね )
 1年前の自分を思い出し、思わず苦笑する。
( まあ、“因縁”があったから志摩子さんとも姉妹になれたんだろうけど・・・ )
 志摩子と自分の関係を、なんとなく仏教用語になぞらえるところが、なんとも彼女らしいと言えよう。
( 因が私達の心。縁が志摩子さんに引き合わせてくれたこの桜や、京都の大雪ってところかな? )
 因とは、結果を生じさせる直接的な原因。縁とは、それを助ける外的な条件。仏教で言うところの因縁とは、そのような意味である。
( それにしても、不思議な美しさがあるわよね、この桜。だいたい、なんだって1本だけこんなところに植えたんだか・・・ )
 ヒマを持て余していることもあり、飽きることなく桜を見上げ続ける乃梨子だった。
( なんだか普通の桜とは違うように思えてくるよねぇ )
 普段なら、現実的な乃梨子はそんなことを思わないかも知れない。やはり、特別な桜だという思いが強いのだろう。
( なんだか、桜の精とかが潜んでても納得できたりして・・・ )
 自分らしくない子供っぽい考えに乃梨子が苦笑していると、突然、咲き乱れる花の隙間から桜の精が顔を出した。
「 ・・・えっ?! 」
 あっけにとられる乃梨子。思わず目をこすってもう一度見てみるが、やはり花の隙間から美しい顔が出ているのが見える。
「 え? え? な、何? 」
 何度見つめなおしても、その姿は消えない。
 さらさらと音をたてそうに流れ落ちる白金の髪。陶器のように白く滑らかな肌。極北の流氷を想わせるアイスブルーの瞳。それらが、完璧なほどの美しさを体現している。
 乃梨子は、自分の見ているものがまだ信じられないらしく、思わず自分の頬をつねってみる。
 すると、桜の精が、乃梨子を見下ろした。
( ・・・・・・魅入られる? )
 乃梨子がふと、そんな予感に囚われていると、桜の精が言葉を発した。
「 よお!! 」
 したっ!と片手を挙げながら、やけにフランクな感じで声をかけてくる桜の精。
「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え? 」
「 あ、やべぇ、違った。ごきげんようだ。ごきげんよう!! 」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごきげんよう 」
 外見とはあまりにもかけ離れた、良く言えば元気いっぱいな、悪く言えば下品な言葉使いに、乃梨子は機械的に返事をすることしかできなかった。
 やっぱり幻覚だろうか? そう思った乃梨子がもう一度頬をつねると、桜の精は不思議そうに聞いてきた。
「 ほっぺたつねるのクセなのか? 」
「 え・・・ いや・・・ 」
「 じゃあ、マゾなのか? 」
「 誰がマゾだ!! 」
 思わず突っ込む乃梨子。
 それと同時に我に返った乃梨子は、桜の精がリリアンの制服を着ているのに気付いた。
「 え・・・ あなたリリアンの生徒? 」
「 おう! 」
 白い歯を見せて、子供のようににぱっと笑う桜の精。
「 一年・・・ え〜と・・・ 松組? 」
「 なんで疑問系なのよ! 」
「 漢字良く知らない・・・ 」
「 ・・・ああ、ごめん 」
 明らかにアングロサクソン系の容姿を持つ樹上の彼女のようすから、まだ日本に馴染んでないと推測した乃梨子は、口調を和らげた。
「 日本に来てまだそんなに経ってないのね? 」
「 ・・・たって? 」
「 日本で暮してる時間がまだ短いでしょ? ってことよ 」
「 時間? 」
「 そう。 日本に住んでどのくらい? 」
 そう問いかける乃梨子に、桜の精は指折り数え始めた。
「 え〜と・・・ もうすぐ誕生日だから・・・ 」
「 だから? 」
 まだ日本語での会話に慣れてないのだろう。そう思った乃梨子は辛抱強く彼女の返事を待つ。
「 だから・・・ もうすぐ16年? 」
「 そう、16ね・・・・・・ って、中味バリバリ日本人じゃねえかよ!! (どごっ!) 」
 大声で突っ込みつつ、乃梨子は思わず桜の樹を殴りつけた。樹上の彼女も思わずビクっと身構える。
 出会いのインパクト(見た目と口調のギャップとか)が大きすぎて、乃梨子も失念していたが、思いっきり日本語で会話していたのだから、良く考えれば日本に来て日が浅いはずは無いのだ。
「 おお〜。 ずいぶん怒りっぽいな? 」
「 誰のせいだ誰の! 」
「 牛乳飲んでないだろ? 」
「 カルシウムなら足りてるわよ! てゆーかカルシウムが足りないと怒りっぽくなるってのは化学的根拠なんか無いわよ!」
「 きっと、おっぱい小さいのもそのせいだな? 」
「 それも科学的な根拠は・・・ っつーかアンタ、喧嘩売ってるわね? 」
 思わず胸の辺りを隠す乃梨子。繊細な乙女心はイヤな現実を素直に受け入れられなかったりするのだ。
「 とりあえず降りてきなさい! 」
 さすがにいつまでも桜の樹の上にいたら危ないと思い、乃梨子は彼女にそう呼びかける。
「 降りるのか? 」
「 そうよ! こっちに来なさい! 」
「 そっち? 」
「 そうよ! 早く! 」
 イライラと叫びながら手招きする乃梨子を見て、何故か樹上の彼女は何故かまたにぱっと笑った。
「 おーし! 降りるぞー! 」
 そう言って、座っていた枝の上に、こちらを向いて嬉しそうにしゃがみこむ彼女。
「 ・・・・・・え? 何して・・・ 」
 彼女の様子を不思議そうにながめていた乃梨子だが、そこではっと気付いた。
 さっき自分は何と言った? 確か「降りろ」。その次に「こっちに来なさい」。つまり・・・
「 いや! ちょっ!! まっ!! 違! 」
「 いっくぞー!! 」
 こっち(乃梨子のほう)に(飛び)降りる気まんまんな彼女の様子にうろたえる乃梨子だが、樹上の彼女はそんな乃梨子にはおかまい無しに、枝の上でその身をたわめる。まるで獲物に飛び掛る猫のように。
「 だ!・・・ そんな勢いつけたら・・・ 待ちなさ・・・ 」
「 せーのー・・・ 」
「 むむむむむむむむむ無理だから! そんな自由落下してくる人間なんて私 『 とうっ!』 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
 ムササビのように元気良く飛び出した彼女は、見事に乃梨子目がけて笑顔でフリーフォール。
 一瞬逃げようとした乃梨子だったが、自分が逃げたら彼女が死にかねないと思い直し、その場にとどまる。
「 く! ここここ来いやぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
 ヤケになり、絶叫と供に両手を広げる乃梨子。乃梨子の全身からは、見事受け止めてやろうという気迫がみなぎっていた。
 ・・・が、普通の女子高生にそんな筋力があるはずも無く。
「 ぬおぉぉぉぉぉぉ (どずん!!) ぁおうぐっ! 」
 もし、その光景を目撃した人物がいたのならこう思っただろう。二人の姿はまるで、プロレスでトップロープからダイビングを仕掛ける善玉レスラーと、お約束のようにそれをまともに受ける悪役レスラーのようだったと。
「 あははははははははははは!! 」
「 ううぅ・・・ 生きてる。私、生きてる・・・ 」
 何故か大喜びな桜の精と、とりあえず生き延びたことに安堵し、涙する乃梨子。二人は絡み合って大地に倒れているが、とりあえず無事なようだ。
「 あははははは! すごいすごい! 気持ち良かったぞ! もう一回やって良いか?! 」
「 ・・・・このバカ! なんてことするのよ!! 」
 我に返り起き上がった乃梨子に怒鳴られ、身をすくめる桜の精。
「 ・・・え ・・・怒った・・・ のか? 」
「 当たりまえでしょ! 運良く助かったから良いようなものの、最悪二人とも死んでたかも知れないのよ! 」
「 ・・・・・・・・・ごめ・・・ んなさ・・・ 」
 改めて見てみれば、まさに幸運としか言いようが無かった。
 飛び降りた彼女が150cmに満たないほど小柄だったこと。乃梨子が倒れこんだ地面で、芝生がクッションになってくれたこと。この偶然が重ならなければ、本当に危ないところだったであろう。
「 まったく! 高校生にもなって、その程度の判断もつかないの?! 」
「 ・・・・・・・・・・ごめんなさい 」
「 今日はたまたま怪我も無いけど・・・ 」
「 ・・・・・・が ・・・・・・・だから・・・ 」
「 え? ・・・あ 」
 乃梨子が見ている前で、桜の精はぽろぽろと涙をこぼしていた。まるで幼い子供が親に叱られたように。
 それを見て、乃梨子も口ごもる。考え無しに飛び降りたのは確かに彼女だが、乃梨子の言葉を勘違いしたことが原因なのだ。
 自分に非が無いとも言い切れないと、乃梨子は少し反省する。
「 私がバカだから・・・ 」
「 え? 」
「 私がバカだから・・・ いつも、みんな怒るんだ。 私が・・・ 頭が悪いから・・・ みんな・・・ みんな私から逃げてくんだ 」
 そこに、さっきまでの桜の精はもういなかった。
 そこにいるのは、鼻水まで垂らして泣きながら、自分を責める子供だけだ。
 乃梨子はそんな彼女を見て悟る。
( ・・・ああ、この子はいつも大真面目なんだ )
 そう。そこに悪意など何も無く、真っ直ぐに生きているだけなのだろう。そう悟る。
( でも、いつでも全開で生きてるから、まわりのスピードに合わせるってことができずに、それがまわりとの距離を生んで・・・ )
 不器用なのだろう。生き方も、何もかも。
( そうやって、気付けばいつの間にか、ひとりっきりになってたりしたのかもな・・・ )
 きっと彼女は、人と触れ合うのは大好きなのだろう。
 だから尚更、ひとりになるのを怖がる。まわりに拒絶されるのが怖いのだ。顔をくしゃくしゃにして泣き出すほどに。
「 ごめん・・・・・なざい・・・うっく 」
「 もう良いから 」
「 ・・・ぅえ? 」
「もう良いのよ。ホラ 」
 不思議そうにこっちを見る彼女の顔を自分のハンカチで拭きながら、乃梨子は微笑んでみせた。
「 ・・・・・・もう怒ってないか? 」
「 ええ 」
「 ホントか? 」
「 怒ってないってば 」
「 でも・・・ 私が飛び降りたから・・・ 」
「 怒ってないって言ってるでしょ! ・・・・・・・・・・・・・・あ 」
「うぇぇぇぇ! やっぱり怒ってるぅぅ! 」
 しつこく聞かれ、軽くキレた乃梨子を見て、彼女はまた泣き出してしまった。
「 ・・・ああ、もう、どうしたら・・・・・・ 」
 しばらく困った顔で彼女を見ていた乃梨子は、言葉ではなく態度であらわすことにした。
「 うあぁぁぁぁぁ! ・・・・・・うぇ? 」
 そっと自分を抱きしめている乃梨子に気付き、彼女は泣き止んだ。
「 良いのよ 」
「 ・・・・・・何が? 」
「 間違えても良いの。いや、間違えることは、悪いことではないのよ 」
 疑うような眼差しで見つめてくる彼女に、乃梨子は自分の取った行動に照れて赤くなってはいたが、優しく諭すように語りかける。
「 間違えても良いの。 失敗しても良いの。 大事なのはね? 間違いに気付いて、そこから正しい方向に向かって歩き出すこと 」
「 歩く? 」
「 人は、やり直せるってことよ 」
「 やり・・・直す 」
「 そう。・・・いや、正確には違うかな? 人生にやり直しは利かない。でも、あきらめずにもう一度挑戦することはできるわ 」
 乃梨子は「まるで子供を躾けてる母親みたいだな」と自覚しながら、やっと泣き止んだ彼女の頭を優しく撫でてやった。
「 だから、間違いを認めて謝ることができたあなたは、泣かなくても良いの。 正しい方向に、もう一度進みだそうとしたんだから。 判った? 」
「 ・・・・・・・・・・・・うん 」
「 返事は“はい”よ 」
「 はい 」
「 良く出来ました 」
 そう言って微笑む乃梨子の顔を見て、彼女もやっと微笑む。
「 ああもう、こんなに顔ぐしょぐしょにして。だいたい私はこんな人生語るガラじゃ ・・・・・・って、何笑ってるのよ? 」
「 お母さんみたい! 」
 笑顔で喜ぶ彼女の言葉に、乃梨子は恥ずかしくなって耳まで真っ赤になる。
「 うるさい! 誰がお母さんか! 」
「 でもホントのお母さんよりおっぱい小さ・・・・・・・・イダダダダダダダダダ!! ギウギウギウ!! 」
「 さっき泣いたカラスがもう笑ったって、こういう時に使うのかしらねぇ? 」
「 ギウギウギウ! ほへんははい! ははひへ〜! (訳:ギブギブギブ! ごめんなさい! 離して〜!) 」
 微笑みながら彼女の両頬をギリギリとつねりあげる乃梨子に、無条件降伏とばかりに泣きながらギブアップ。 ほっぺたをつねられてるせいで、正確に発音できていないけれども。
「 まったく! 調子に乗るんじゃない! 」
「 イタタタタ・・・ もげるかと思った 」
「 自業自得・・・・・・ あれ? あんた裸足じゃない 」
 見れば、彼女の小さな足は泥だらけだった。
「 お? そう言えばそうな 」
「 そう言えばって・・・ 自分のことでしょうが! 」
「 でも、裸足気持ち良いぞ? 」
「 ・・・・・・“でも”の使いどころおかしいし 」
「 日本語は難しいな 」
 困ったもんだとでも言うように、腕を組んで呟く彼女の顔を見て、乃梨子は再び悟った。
( ああ・・・ この子ホントにバカだ )
 哀れんだ笑顔で断言するのは、少し可哀そうな気もする。
「 ・・・・・・? なんで半笑いなんだ? 」
「 なんでもないわよ。それよりも、靴をどこにやったのよ 」
「 靴? え〜と・・・ 」
 乃梨子に問われ、辺りをキョロキョロ見回し始める。
「 う〜んと・・・・・・・・・・・ あ 」
「 思い出した? 」
「 うん! 」
「 どこ? 」
「 覚えてない! 」
 
どがっしゃぁぁぁぁ!

 笑顔で断言され、顔から地面に滑り込む乃梨子だった。
「 イタタタタ・・・ あ、あんた今、思い出したって言ったじゃない! 」
「 思い出したよ? 」
「 だから・・・ 」
「 覚えてないのを思い出した 」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ?! 」
「 な? 合ってるだろ? 」
「 威張って言うことか! 意味解かんねぇよ!! 」
「 頭悪いなぁ・・・ 」
「 オマエに言われたくないわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
「 だからなぁ・・・ 」
 乃梨子が残り少なくなってきた根気を総動員して彼女の話を聞いてみると、こういうことらしい。

 靴をどこに脱いできたか忘れた。
    ↓
 あちこち探し回ったが見つからない(この時点で足が泥だらけになった)
    ↓
 そうだ! 高いところから見れば見つかるかも! (ここで「 私って頭良いよな? 」と聞いてきた彼女の頭を乃梨子が無言ではたく)
    ↓
 桜に登る(銀杏より登りやすかったらしい)
    ↓
 乃梨子と遭遇
    ↓
 笑顔で乃梨子へとフリー・フォール   ( ←今ココ )

「 まったくもう・・・ どうやったら自分で靴を脱いだところを忘れられるのよ 」
「 不思議だな 」
「 だからオマエが言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 」
 突っ込みすぎて過労死するかもしれない。この時、乃梨子は本気で恐怖にかられた。
 それはさておき。彼女をこのまま放置するのも忍びない乃梨子は、どうするか思案する。
「 う〜ん・・・ 靴は後で探すとして、とりあえず履くものを・・・ ああ、そういえば薔薇の館の倉庫に、誰のだか判らない運動靴があったっけ 」
 薔薇の館の1階にあった靴を思い出し、乃梨子はとなりで立つ彼女の足を見る。
( 足首細っ! いやいや、そうじゃなくて・・・ こんな小さな足なら、とりあえずアレを履けるわね )
 一瞬、別のことに気を取られたが、彼女の足を見て、そう判断する。
「 よし、まずは薔薇の館に来なさい。履くもの貸してあげるから。それからアンタの靴を一緒に探してあげるわ 」
「 薔薇の館? 」
「そうよ。ここからそんなに離れてないから、裸足でもなんとか歩いて行けるし。 知ってる? 薔薇の館 」
「 知ってる! 菜々のいるとこな? 」
「 え? アンタ菜々ちゃんと知り合いなの? 」
「 尻を合わせてお知り合い〜 」
「 黙れ。 質問に答えろ 」
「 ・・・・・・知り合いです 」
 くだらないギャグを言ってケタケタ笑っていた彼女だが、乃梨子の顔を見て何かを悟り、急におとなしく答えた。ついでに初めて敬語でしゃべった。
「 まあ、同じ学年だから不思議ではないけど・・・ どこで知り合ったのよ? 菜々ちゃん松組じゃないでしょ 」
「 御聖堂の屋根に登ってたときに・・・・・・ 」
「 ・・・アンタら、どこで知り合ってんのよ。 つーか菜々ちゃんもアクティブにもほどがあるわね。うすうす判ってたけど 」
 なんだか未知の野生生物の生態を垣間見てしまったような気になる乃梨子だった。
「 とりあえず、御聖堂の屋根・・・ ってゆーか、むやみに高いとこ登るの禁止! 」
「 え〜? 」
「 ・・・・・・返事は? 」
「 はい。解かりました 」
 やたらとラフな口調の彼女も、少しはスムーズに敬語が出るようになったようだ。乃梨子の刺すような眼光のおかげで。
「 まあ良いわ。 とにかく薔薇の館に向かうわよ 」
「 うん・・・ じゃなかった。 はい! 」
「 よろしい 」
「 えへへへへへ 」
「 ふふふふふ 」
 いつの間にか自然に笑い合えるようになったふたり。
 でもその姿が、“姉妹”というよりも“ご主人様と飼い犬”という感じだったりするのはご愛嬌だ。
 微笑みながら薔薇の館へと向かうふたり。その姿は、とても十数分前に初めて出会ったようには見えない。
 まるで、ふたりでいることが当然のようなその姿は。
「 まあ、今行っても館には誰もいないはずだけど、おとなしくするのよ? 大事な書類とか備品とかもあるんだから 」
「 は〜い 」
「 そう言えばあんた名前は? 私は乃梨子。二条乃梨子よ 」
 乃梨子に問われ、彼女は元気良く答えた。
「 Светлана! 」
「 は? 」
 彼女の言葉はロシア語なのだが、乃梨子にはネイティブな発音が聞き取れなかった。
「 あ、そっか、ロシア語なんだけど・・・ えっと・・・ “すべとらーな”って言わなきゃ解からないかな? 」
「 ああ・・・ 日本語風に発音するとそうなんだ・・・ 」
「 “スヴェータ”でも良いぞ? お母さんはそう呼ぶし 」
「 ん〜、それもなんか・・・ 」
 なんだかしっくりこない。乃梨子はしばらく「スヴェ・・・ ラーナ・・・ スーナ・・・ 」などと呼び方を思案していたが、ぽんとひとつ手を打つと、こう提案した。
「 “とら”って呼んで良い? 」
「 乃梨子の好きにして良いぞ! 頭悪くてロシア語の解からない乃梨子ならしょうがないしな!」
「 ・・・・・・それはどうもありがとう。あと、呼び捨てにすんな 」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い。 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい乃梨子さまのお好きなようにお呼びくださ痛い痛い痛い・・・ 」
「 そう。理解してくれて嬉しいわ 」
 なんとなく、桜の樹からダイブしてきた姿から猫科の獣を連想したからこんな呼び名を思いついたのだが、彼女も納得してくれたようだ。
 初めて“ウメボシ”という激痛を伴なう日本文化に触れて、彼女も感動してくれたのかもしれない。
 ちょっと涙ぐんでたりするのも、きっと感動の涙だ。 ・・・・・・ということにしておこう。
「ところで、どこの出身? 」
「 千葉! 」
「 ・・・・・・同郷かよ。え? ちょっとまって、ご両親、ロシアのかたじゃないの? 」
「 お父さん日本人! お母さんロシア人! 」
「 そうなんだ。どんな出会いだったのかなぁ・・・ 」
 乃梨子の呟きに、とらが考え込む。
「 えっと確か・・・ お母さんが真夜中に真っ黒なゴムボートで宗谷岬の近くに上陸 『 判った、もういい、黙れ 』・・・どうした? 乃梨子 」
「なんか、このまま聞いてたら後戻りできないような単語が飛び出しそうだから 」
 聞かなきゃ良かった。てゆーか上陸すんな。乃梨子はまだ見ぬとらの母に、心の中で突っ込んだ。真正面から本人に言ったら命にかかわると思ったから。
「 ・・・ところで、そもそもなんで靴脱いだのよ? 」
 露骨に話題をすり替える乃梨子だった。
「 だって、追いかけてる時に足音たてると気付かれるし 」
「 ・・・・・・・・・は? 」
 また意味が解からなかった。
「 ・・・追いかけるって誰を? 」
「 ん〜とね〜、・・・・・・・・・・あー! いたー! 」
「 え?! 」
 突然叫ぶ彼女に乃梨子が困惑していると、彼女は腰を落とし、足音を殺して歩き始めた。完全に獲物を狙う体勢だ。
「 いったい誰を・・・・・・ って、猫? 」
 彼女の視線の先には、一匹の猫がいた。どうやら追跡対象は猫らしい。
「あれはもしやゴロンタ・・・ 」
 乃梨子達の視線に気付いたのか、ゴロンタがふいに歩く方向を変えた。その瞬間・・・
「 ね────こ────!!! 」
 いきなり叫びつつ全力疾走に移る彼女。その速度は瞬く間にトップスピードへと達していた。小柄な外見からは想像もつかないほどの瞬発力を秘めているようだ。
「 うわ速っ! って、ちょっと待ちなさい! そっちは薔薇の館とは反対方向・・・ 」
「 ね────────こ────────!!!! 」
「 アンタそんな絶叫してたら足音消した意味無いじゃない! ・・・って待ちなさいコラァ! 」
「 ね────────こ────────・・・・・・・・・・ 」
 乃梨子の叫びなど聞きもせず、彼女はドップラー効果さえ残しつつ、全速力で駆けてゆく。
「 待てぇぇぇ!! つーか人の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 止まれぇぇぇぇぇ・・・・・・・・ 」
 ひとり取り残された乃梨子も、とらの後を追い全力で駆け出したのだった。
 


 夕暮れのリリアンに響きわたるふたつの絶叫。
 後に『 突っ込んでシバくのが姉。 妹は全力天然ボケ。 』という、紅薔薇姉妹の持つ格言の劣化コピーのようなあだ名を地でゆく新白薔薇姉妹の伝説の、これが幕開けであった。


 


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