下校帰りに拉致られて、やってきたのはホテルのロビー。
BGMはクラシック。真ん中にでかい噴水なんかある喫茶店内で、私こと二条乃梨子は戸惑いを隠せずにいた。
「あなたと落ち着いた場所で話がしたいと思って」
いや、落ち着けないですから。
目の前にいる誘拐犯こと小笠原祥子さまは100%善意でここを選んだのでしょうが、私にとっては新手の拷問のようにも感じる。
「それで何のお話でしょうか」
善意では文句も言えず。
居心地悪いのを我慢してさっさと帰るべく、一杯で午後ティーがボトルで3本は買える紅茶を眺めながら話を促した。
一方生粋のお嬢様は同じ紅茶を、ためらいもせず、優雅に口元に運んでから質問をしてきた。
「来年の山百合会についてどう思うかしら」と。
こんなとこに連れて来られた時点で2年生に聞かれたくない話だろうとは予想はしていたが、
祐巳さまか瞳子がらみと踏んでいたからちょっと意外。
(ああ、そういえば天下の紅薔薇さまだったっけ)
『また姉バカが』と思っていたのを心の中で謝罪して目の前の紅茶に手を伸ばす。
真摯な態度には真剣に対応しないと。
心を切り替えるために一服。
うわ、この紅茶めっちゃおいしい。
「正直に言えば不安です」
今年の山百合会は紆余曲折あったが全体的に安定していたといって良い。
紅がリーダーシップを発揮し、人当たりの良い黄が対外折衝を担当。
そのふたりをサポートする白薔薇さまこと志摩子さん。
この役割分担が自然に行われていたからこそ、紆余曲折あった時期もそつなく仕事が進んでいた。
それに対し来年度は、紅と黄の役割が入れ替わった形になるのではと予想する。
つまり祥子さまの役割に由乃さま。令さまの代わりに祐巳さまとなるのだが……
(微妙……だよなぁ)
文武両道な諸先輩方に比べると平均的なお二方。
しかも、よりわがままさと優柔不断さ(もっとも令さまの優柔不断は由乃さま関連のみだけど)が
パワーアップときたら不安になるのもしょうがないと思う。だけど……
「だけどまったく問題は無いと思います」
これが私の結論。
能力がどうとか比較してどうとか、そういうのは本来関係なく。
祐巳さまや由乃さま自身が薔薇様にふさわしいかと聞かれれば私は自信を持ってイエスと答えられるから。
一年間、一緒に仕事をしてきてお二人を見てきた私はそう確信しています、と目の前の心配性な紅薔薇さまにはっきりと言った。
「そう」
この一言に込められた安堵と少し誇らしげな感情が読み取れて。
私はようやく一息つけたのだった。
(まあ、志摩子さんがいるからというのが大きいんだけどね)
一仕事終えて気分良く再び高価な紅茶を楽しむ。
そしてスコーンへ。ん、これもなかなかいけるし。
この程度でこの紅茶が味わえたのはちょっとラッキーかななんて思っていたら、
少し考えている様子だった祥子さまは音も立てずにカップを置いてこう言ったのだ。
「だけど、私には薔薇となる自覚が足りないように思えるのよ」
ごほごほっと若干むせる。それだけのインパクトがあった。
薔薇と『なる』という点から志摩子さんは除外なんだけど……
あの祥子さまがそんなことを言うか?
予想外の展開に少し驚きながら言葉の真意を確かめる。
「由乃さま『が』ですか?」
「由乃ちゃん『も』よ」
絶句。
あの『祐巳ばか』こと祥子さまがこんなことを言うとは……
祐巳さまの前できつい発言をすることはあっても、
いないところではノロケか愚痴という名のノロケしか聞いたことが無い。
目の前にいる人物が本当にあの祥子さまなのかと疑いたい気分だ。
「自覚というのは?」
「つぼみと薔薇とは違うのよ」
自覚といわれてもまだリリアン暦1年の私には良くわからない。
何か特別なことでもあるのかしらと素直に聞いてみると、こんな言葉が返ってきた。
「本来つぼみが薔薇になるといった決まりはないわ。それなのにさっき乃梨子ちゃんは迷うことなく三人を想像したでしょう?
おそらくリリアンのほとんどの人がそう考えていると思うのだけど……まあ、それは良いとして」
一度言葉を切り、目を伏せる。
「問題は当人たちが自分が薔薇になるのが当然と思うことよ」
まあ、仕方の無いことともいえるのだけれど。そう呟くと少し溜め息をついていた。
つぼみだから薔薇になるわけではなく、
リリアンの皆に選ばれて初めて薔薇さまとなるということを決して忘れてはいけないということが言いたいのだと思う。
「いっそ『つぼみ』ではなく、『添え木』とでも変えてしまえばいいのよ。そうすれば驕りもなくなるわ」
勘弁してください。
白薔薇の添え木なんて呼ばれるのは御免です。
「ですけど、本当にそう思っているでしょうか?」
「すでにその兆候は出ているわね」
本当に当然なんて思っているのか。
その疑問には間髪いれずに答えられた。
ということは祥子さまには思い当たる事実があるわけで。
(一体何よ?当然と思う……驕り、慢心、特権意識……献金、収賄、パーティ、天下り、不正、権力の濫用……)
選挙で選ばれるといえばあの職業。
その辺りに勤める人たちの悪事っぽいことを羅列して自分たちに当てはめていくと一つ思い当たった。
自分たちのために山百合会主催で行われたあのイベントを。
「茶話会ですか……」
おもわず小さい声で呟くと、目がそうだと語っていた。
あれは生徒側の要望というよりは、こちらの目的を果たすために行われた感が強い。
まあ、私利私欲といえないこともない。
でも予算を流用したわけでもないし、それぐらいなら……とも思う。
しかし、そう思うこと自体を慢心と捉えているのかもしれない。
個人で新聞部に掛け合えたかといえばノーだし、個人であれだけの人数を集められたかといえばこれもノー。
山百合会の威光というか権力というかそういう力を利用したのは確かだから。
「薔薇になればそれに応じた義務と責任が出てくるわ。それを果たす気構えが足りていないように思えるのよ」
つぼみ時代にはない信任による責任と義務。
私利私欲に権力を使わない。自分勝手なわがままなことは許されない。
生まれながらのお嬢様である祥子さまならではの自戒なのかもしれない。
ノーブレスオブリージュ的な考え方を提示する祥子さまを私は見直していた。
「そこで、なのだけど乃梨子ちゃん」
「はい」
「あなた、選挙に立候補しなさい」
「はい?」
何でそんな話になるのか?
しかも自分勝手に命令してくるし。上げた評価をまた下げる。
「昔、蟹名静という人物がいたわ」
「昔というか、去年ですよね」
「その人も選挙に立候補したの」
「ええ。志摩子さんから話は聞いています」
「なら話は早いわ。その人のようになって欲しいのよ」
蟹名静という人の話は志摩子さんから聞いた。
なんと身の程知らずにも志摩子さんに宣戦布告したという。
その人のおかげで私は薔薇になる覚悟ができたの、と志摩子さんは笑っていたが。
そういう人のようになれということは……
「つまり、私にかませ犬になれと?」
選挙戦を通じてあのふたりに薔薇になる覚悟をさせろ。
言ってみれば薔薇になるための通過点、試練となれ。字面は立派だけど実態はかませ犬。
結局自信をつけさせるために戦わさせられるのだから。
そう私になれと?
祥子さまは何も言わない。ただ目がイエスと語ってくれる。やっぱこの結論で良いのか。
「いやです」
「あら、私がお願いしているのに?」
「大体なんで私なんですか」
「わかるでしょう?2年で知名度も高いけど一般生徒だった静さんと山百合会所属だけど1年の志摩子が戦って志摩子が勝ったのよ?
つまり2年で山百合会所属の祐巳たちに一般生徒が敵うわけないじゃない」
「蔦子さまや真美さまだって認知度は……」
「無理ね」
危機感すら与えられないかもしれないわ、そう言い放つ祥子さま。
「第一仮にそのふたりが出たとして本気で戦うと思って?
祐巳と由乃ちゃんをある程度本気にさせないと意味がないのよ。それができるのはあなただけよ」
「私、ですか?」
山百合会所属でも1年である私ではあのふたりには圧倒的に敵わないのではなかろうか。
立候補しても由乃さまあたりに鼻で笑われそうだ。
「つぼみであるあなたは認知度も高い。それにできる子だと祐巳たちも思っているわ」
もちろん私もね。そう続けられてちょっと照れる。そんな場合じゃないのだけれど。
「一番の決め手は立候補の動機よ」
「は?」
私は立候補したいなんて思ったことないし。
「あなた、あのふたりに思うところがあるのではなくて?」
「!?」
にやりと笑う祥子さま。完全に確信している表情だ。
そして…………図星でもある。
山百合会の先輩かつ志摩子さんの友人でもあるおふたりには決して悟らせないように
努力はしているが、色々鬱屈したものは確かにあった。
それは日々のわがままだったり茶話会参加の一年生へのアプローチだったりフォローだったり。
可南子さんと瞳子のいさかいのことだったり、つい最近までの瞳子のことだったり。
確かにちょっとしたことではあるけどマリア様でも仏様でもない私にとってストレスになったのはしょうがないと思う。
「立候補するだけでいいの。そうすればあのふたりはあわてるでしょうね」
「……」
「表立ってはできないけれど私も協力するわ。すべて終わったら私からも説明してあげる。あなたたちのために立候補したのだと」
「……志摩子さんと戦うなんてできないですから」
破格の条件提示にかなり揺れ動いているのも事実。
なにしろ合法的に一泡吹かせるチャンス。
しかも祥子さまの『あなたたちのために』というお墨付きがあれば窃盗すら容認されるのは身をもって知っている。
あのふたりにちょっとした意趣返しをすることがむしろ感謝すらされるというのだ。
(でも、志摩子さんがなんて言うか……)
私の良心の最後の砦。志摩子さんを持ち出した私に対して。
祥子さまはにっこりと笑いかけて
「あら。妹が姉を助けるのがどうして悪いのかしら?」
と、逃げ道を提示してくれた。
『薔薇姉妹を目指します』
これがおそらく立候補のキャッチコピー。
「志摩子さんと争うためでなく志摩子さんを手伝うために」が『表』の立候補動機となるのだろう。
(……納得しそうな自分がイヤ)
そして納得されそうな自分がもっとイヤになってたりもする。
姉妹愛を前面に押し出す選挙運動を幻視してちょっとそそられたのは内緒だ。
そして祥子さまがにやりと笑ったのを見逃さなかった。
全て想定の範囲内、そう思わせる表情だった。
「……少し考えさせてもらっていいですか」
とりあえず、落ち着くために残った紅茶とスコーンに手をつけながら考えをまとめることにした。
(メリットはあのふたりへささやかな報復……いやちょっかいがかけれること。それが正当化されること)
散々引っ掻き回されたんだから、今度は引っ掻き回される立場になってみろ、か。
(少しは暴走も抑えられるかなぁ……)
しかもそれをふたりのためリリアンのためという大義名分で正当化できるのは大変魅力的。
(デメリットは……山百合会での立場かなぁ)
自分の意思で立候補したのではないという事が証明できれば私を恨むのは筋違い。
つまり由乃さまと祐巳さまへのアフターケアは祥子さまの発言でカバーできるはず、不安だけど。
志摩子さんは話せばきっとわかってくれる。祥子さまに脅されて、とか言えば。
……あながち嘘でもないし。
そうなるとデメリットで思いつくのは山百合会やリリアンでの立場ぐらいか。
リリアンでの立場なんてそんなに興味がないから良いとして。問題は山百合会のほうだ。
接戦になれば発言力が上がるかもしれないが……
(無理無理)
思わずパタパタと手を振ってしまう。少し苦笑いさえ浮かんでくる。
ていうか、私の人気ってあるの?気にしたことないけど。
まあ、2年のつぼみであるあのふたりの人気から考えて、善戦できるとはとても思えない。
大敗すれば由乃さまあたりになめられるし、一年後の選挙にも響くかもしれないわけだ。
(それは私の努力しだいかな……)
真面目にやらないと立場が危うくなる。負ける前提とはいえ真剣勝負をしないといけない、と。
(ま、本気なら選挙に出ても失礼じゃないよねぇ……)
くいっと紅茶を飲み干して私も決心した。
……祥子さまに脅されてしょうがなかった、と自分に言い聞かせよう。
「条件が2つあります」
「なにかしら」
「ひとつは黄薔薇さまにもちゃんと了承を取ること」
「わかったわ」
即答された。
由乃さまに対する保険が甘いと思ったからだがあっさり了承されるとは。
大丈夫なんですかと私が聞いたら、
「令が私の言うことに従わないと思って?」
そう力強いお言葉が。
……まあ味方なら心強い。
「もうひとつは一筆書いてください。
二条乃梨子を立候補をさせたのは小笠原祥子であるという証拠が欲しいです」
「私が約束を破るとでも?」
「いいえ。でも万が一の保険になりますから」
双方ともに目で牽制。
さっきまでの会話からの読みどおり、証拠を残すのは少し嫌なようだ。
都合の悪そうな部分は口をつぐんでいたからなぁ。言質を取らせない処世術か。
だから、こうでもしないと祥子さまは何のリスクも負わない。
何かまずいことになれば「私は言ってない」と言い張ればいいのだから。
それは協力する側にとって大変困る。
裏切らせないようにも言質と証拠は必須だった。
「……わかったわ。その代わり終わるまでは見せてはだめよ」
「了解です」
「それにしてもなかなか抜け目がないわね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
フッと不敵な笑みを交し合う。
祥子さまはどう思っているか知らないが、こちらとしては山百合会で一番『思うところのある』人物だ。
マリア祭や志摩子さんの妹になるまでの扱いは忘れていない。
(やられっぱなしってわけにはいかないんですよ)
あのふたりの前に一矢報いたことは幸先良い。この調子でいければいいなぁ。
「では、細かいところを打ち合わせしましょうか」
ウェイターを呼んで、新しい紅茶とお茶菓子。
それをおいしく頂きながら、対象との接触日時、場所、そのときの発言内容。
選挙運動のパターンなどなど本当に細かいところまでを綿密に打ち合わせた。
こうして小笠原・二条同盟が締結された。
ただ二条乃梨子は気付かなかった。
小笠原祥子の提案は『最近瞳子ちゃん瞳子ちゃんと全く構ってくれない祐巳に構ってもらいたい』だけの理由からだったということ。
選挙で悩めば自分のところにやって来ると予測した。おそらくその考えは正しい。
これを知っていれば、乃梨子はこの話にはのらなかっただろう。知っていればだが。
そしてもうひとつは二条乃梨子の人気が祥子と本人が思っていた以上に高かったということ。
祐巳ばかである祥子はつぼみ2人の人気を過剰に想定し、乃梨子自身は自分の人気を低く見積もりすぎた。
そうして作られた「『大敗を想定した』シナリオ」で今後どうなるのかはマリア様だけが知っている。
……そして二条乃梨子は仏像愛好者である。