【1525】 彷徨う心もう少しだけこのまま  (MK 2006-05-24 17:18:12)




 この作品は【No:1409】の続きになっております。この作品単品でもお楽しみ頂けますが、そちらをお読みになってからご賞味頂くことをお勧め致します。




「ごきげんよう、これからよろしく。」
 私はそう呟くと、シャッターを切った。



「一年菊組、内藤笙子。去年ご卒業なされた内藤克美さまの実の妹さんよ。」
 新聞部の部室で、そう真美さんから報告を受けたのは、一学期始業式の日の放課後だった。その時は、相変わらず仕事が早いものだと感心したのだけれど。
「蔦子さんにしては珍しいわね。特定の誰か、しかも新入生のことを調べて欲しいだなんて。」
 にやり、そんな擬音が聞こえてきそうな、意地悪な微笑みを見たときは少しだけしまったかなと内心歯噛みしたのである。
「んー、入学式の時に写真撮っててね。綺麗な子だなと思っただけよ。」
 まあ、嘘は言っていない。実際に綺麗な子なのだから。
「ふーん。ま、いいでしょ。入学式の写真のお礼代わりに不問にしましょう。その入学式の日の写真に、その子の写真が入ってなかったのは何故かしらって言うのも置いといて。」
 不問にしましょうと言っておきながら、真美さんの目は獲物を狙う猛禽類のように鋭く、私の心でも読むかのようにじっと目を合わせて離さなかった。
 見詰め合うこと少し。意外と真美さんは直ぐに解放してくれた。
「まあ、写真のことは本人の了承が取れなかったということにでもしておきましょう。そういうこともあるでしょうから。」
 真美さんは、「そういうこと」をやけに強調してにっこり笑って言った。
 私が撮った写真のほとんどは本人の公表許可を貰ってくる、その事実を知っての発言なのは明らか。だから、この場合の「了承を取れなかった」と「そういうこと」とは真美さんの中ではイコールではないのだろう。
「私でも説得に失敗することはあるわよ。」
 否。
 本当は写真を撮ることに失敗したのだけど。先ほどの真美さんの台詞に返すのに適切な言葉は、これ位。
 案の定、真美さんは少しだけ笑うと、こちらのずれた答えに敢えて乗ってきたようであった。
「そうよね。いくら写真部エースでも、説得までは容易じゃないわよね。」
 さくさくさくっ。
 自分の何かに、外から来た何かが刺さるような感覚を覚える。
 真美さん、絶対分かって返してるでしょう。
「まあ、そういうことなら。今はマリア祭に向けて忙しくなってくる時期だし。蔦子さんのより良い写真が増えることは新聞部としても嬉しいことだわ。」
 そう微笑んで、原稿が置いてある席に着く。化かし合いは終わりということらしい。今回は私の負けっぽいけれど。
 ただ、最後の所だけ気になったので、私は真美さんに釘を刺しておくことにした。
「ああ、しばらくは新聞部にあの子の写真を回すことはないわよ。」
 そこだけは確定済み。
 あの子の写真を公表しようと思ったら許可を貰ってこないといけない。勿論、私自身で。写真嫌いのあの子のこと、許可自体を貰うのが大変だろうし、こちらが「撮ってます」と伝えるのだからその後に支障が出ないとも限らない。
 それに何より。
「まだ写真撮りたいんでしょう。分かってるわよ。それと、あの子に接触もするな、でしょ?」
 そう言うと真美さんは再びにやり、と意地悪な微笑みを浮かべた。
「何でそこまで分かるのよ?」
 どきん、と跳ね上がった心臓もそのまま、苦し紛れに質問で返してみる。
「んー、何て言うのかな。一言で言えば勘、かな。蔦子さんが一つの作品を作り上げたそうな感じに見えたから。他人に、その過程の途中を邪魔されたくないのかなって。そう何となく思っただけよ。」
 同じ、他の人のことを映し出すことに携わっているからだろうか。真美さんが「何となく」でも、そう感じたのならその通りなのかも知れない。
「考え過ぎよ。単に、あの子が写真嫌いで隠し撮りするしかないだけよ。」
 これ位は、伝えていい範囲で理由としても妥当だろう。そこまで考えて、はっと真美さんの方を見るとにやりと意地悪く微笑んでいた。
 これで三度目。
「ふーん、入学式で綺麗だなと思っただけの子にしては、よく知っていらっしゃること。」
 不覚。
 弁論部に誘われたことのある私としては、口には自信があるのだけれど、今日はどうも調子が出ない。言わなくて良い事まで口が滑る始末。
 今日は早めに立ち去るに限るらしい、
「ずっと隠し撮りなんて…、想い人は大変ね。」
 …本当に。
 それにしても、想い人だなんて。こっちとしては、自分でもどう表現していいのか分からないのに。
「…ご想像にお任せするわ。」
 八割がた敗北宣言のような、そんな台詞を残して、私は部屋を出た。真美さんが少し残念そうな顔を見せたのが不思議ではあったけれど。

「珍しいわね、武嶋蔦子さん。」
 新聞部室を出て直ぐ、横手から声がした。
「貴女が真美に言い負かされるなんて。」
 真美さんのお姉さま、築山三奈子さまだった。
「いつもだったら写真の交渉に来て、帰った後は真美が凹んでいるのに。」
 そう言って悪戯っぽく笑う。凹んだ真美さんでも思い出しているんだろうか、三奈子さまも一緒になって凹んでいた時もあったような気がするのだけれど。
「そんなに頻繁に真美さんを凹ませてはいませんが。」
 部室が隣ということもあって、訪れる回数は多いかも知れない。
 でも、普通に記事に添える写真の話をしたり、写真の交渉について話したり、時には雑談だけで終わることも多い。
 今日みたいな、所謂化かし合いになることの方が少ないのに。
「そお?なんだか凹んでる真美が珍しくて、そんな印象があるのよね。」
 三奈子さまは本当に不思議そうな顔で、そう言った。ご自分が凹んでいたことなど忘れ去っているように。いや、本当に忘れ去っているのかも知れないけれど。
 そんなことを考えていると、三奈子さまは真面目な顔をしてこちらに向き直った。
「これからもよろしくね。」
 きょとん。
 私は、三奈子さまの思いがけない一言に、一瞬固まった。
 新聞部と写真部なのだから、よろしくしないはずはないけれど。それとは別の意味があるような気がして。真意を確かめる為に質問を投げかけようと、私が口を開く前に、三奈子さまは再び笑った。
「いい写真を期待してるわよ。」
「…は、はあ。」
 質問するタイミングを逸した私としては、そう答えるしかなかった。
 三奈子さまはそのまま部室の中に入っていったのだけれど、先程の「よろしく」が何故か引っかかってすぐには動けなかった。
 以前の三奈子さまとさっきの三奈子さまとが、何か違って感じられたのかも知れない。

「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
 今は下校途中の生徒が、廊下を行き交う時間。
 普段なら生徒の先回りしてマリア像辺りで撮影していたり、部活をしている生徒にカメラを向けていたりするのだけれど。
 今はいつもの場所に向かって走り出す気にはなれず、廊下をただ教室に向かって歩いているだけだった。
「…新聞部に…。」
 そんな馴染み深い単語が、私の耳に飛び込んで来た。
 そちらの方を見ると、馴染みのない子達が部活動の話をしていた。おそらくは一年生だろう。
 高等部で入る部活の話でもしているのだろうか。
 リリアンで中等部と高等部の交流と言うものはない訳ではないが、こと部活となると話が変わってくる。
 校則の厳しい中等部までと違って、高等部では融通が利くようになり部活動の時間も自ずと余裕を持てるようになってくる。得てして成果と言うものは、努力した時間に比例するものであったりする訳で。高等部の部活動は中等部のそれと比べて、大幅に内容が濃くなってくる。
 実際、中等部では茂みに隠れてパシャリなんて週に三回くらいしか出来なかったし。
 まあ、そんな理由もあって今の時期、専ら一年生の口に上るのは部活動の話題。…それと姉妹のこともだっけ。
「私は、新聞部に入るわ。」
 先ほどの声の主が元気な笑顔で話しているのが見えた。
「いい、笑顔ね。」
 気づくと、思わずそう声を出していた。そうして自分の顔が緩むのが分かる。
 顔が緩んだ。ということは、少なからず緊張していたのかも知れない。何に?と問われれば、さて何と答えればいいだろう。
「あ、ごきげんよう。蔦子さま。」
「はい、ごきげんよう。」
 カシャッ。
 乾いた音が響く。私は無意識のうちにシャッターを切ったらしい。
 彼女の明るい声につられたのか、それとも眩しい笑顔につられたのか。
「きゃっ。」
 短い悲鳴をあげると、被写体の彼女は笑顔で顔を手で覆う。
 うーん、初々しい反応だなあと思ってしまう自分を、大丈夫かなとは思うけれど。
 自然と、私の顔は綻んでいた。

「あなた、新聞部に入るの?」
 元気な彼女とそのお友達の写真を数枚カメラに収めてから、私はそう切り出した。
「はい、中等部の頃からリリアンかわら版を読んでいて、こんな風な記事を自分でも書いてみたいなと思いまして。」
 再び元気な笑顔を見せて、彼女はそう答えた。
「それに、文章を作るのが好きなんですよ。何かの出来事を興味を引くように、面白く書いたり、友達に聞かせたりするのが。」
 文章を作るのが好き。その言葉に、少しだけ不安を覚える。
 書くのが好き、ではなく作るのが好き。ポニーテールの上級生を思い浮かべたが、すぐに頭から追い出す。杞憂ってこともあるんだから。
「あと、これは悪い方に聞こえてしまうんですけど、出来事や事件を追いかけていると一番かそれに近い順番で知ることが出来る。それも私にとっては魅力なんです。」
 それは知識欲とか、そういったものに近いかも知れない。だから別段それを悪いとは思わないし、むしろそういうことを私に話す目の前の子に共感を覚えた。
「それにしても、蔦子さまに写真を撮ってもらえるなんて嬉しいですっ。」
「ありがとう、欲しければあげるわよ。でも、いい笑顔だったから新聞部の新入部員として紹介してもらえると思うわ。その時は公表の許可を頂戴ね。」
 話題は写真のことに移っていた。私はいつもの口上が出てきたことで、調子が戻ってきたことを実感した。
「わあ、ありがとうございますっ。かわら版の記事の美しい写真も好きだったので、蔦子さまに撮って頂けて嬉しいです。」
 もちろん写真部エースを自任している私のこと、自分の撮った写真を褒められて嬉しくない訳がない。目の前の彼女につられて笑顔になっていた。
 彼女の次の言葉を聞くまでは。
「私も早く蔦子さまの写真に負けないような、立派な記事を書いてみたいです。」

「それは、違うわ。」
 思わず、私は真顔で答えていた。いや、叱っていたと言った方がいいのかも知れない。
 目の前の彼女は少しびっくりした後、少し泣きそうな感じでこちらを伺うような目で見つめてきていたから。
「それは…違うわ。」
 再び同じ言葉を、今度はゆっくりと言い含めるように呟く。
 それは、目の前の彼女だけでなく、自分にも言い聞かせるように別の場所から出てきたような言葉だった。
「記事や写真が先にあるんじゃないわ。事実が私たちの目の前にあるだけよ。だからそこに勝ち負けなんてのはないわ。私はそれを写真というモノに移しているだけ、三奈子さまや真美さんはそれを言葉というモノに移しているだけ。手段が違うだけなんだから、どちらか一方がもう一方を害するなんてことはないわ。いえ、あってはならないのよ。どちらか一方がもう一方に負けている…そう感じることがあるとすれば、そうね…事実の何パーセントかを片方は入れられなかった、ただそれだけじゃないかしら。」
 一旦、言葉を切って目の前の彼女を確認する。そして自分の心の内を。
 大丈夫、目の前の彼女に先ほどの伺うような様子はない。私の言葉を真摯に受け止めているようだった。
 そして、私自身の心も。
「私は好きな写真を撮っているだけ、多分、三奈子さまや真美さんも好きな出来事を追いかけているだけだと思うわ。その中から、いくつかだけ選んでかわら版に載せているだけ。そうね、載せたい事実をいくつか選んで、その事実に文章と写真を添えている…そんな感じなんじゃないかしら。どれが欠けても成り立たない、そういうものよ。付け加えるなら、私も三奈子さまも真美さんも、好きなものを追いかけて出来上がったものだから、いい物が出来たのよ。」
 好きというのは何者にも代えがたい強い原動力になる。そう自覚したとき、私の心には少し前の緊張のかけらさえも残っていないことに気づいた。
 目の前の彼女が気づかせてくれたのかも知れない。だから最後に少しだけ応援の言葉を贈ることにした。
 感謝の気持ちも込めて。
「大丈夫。元気っていうのは、記者の必須条件よ。貴女はそれを持っている。そして元気っていうのは周りに伝わるものだから。」
 にっ、と笑って踵を返した。向かう場所は…。
 後ろから、元気な声で感謝の言葉が返ってきた。私はそれに片手をあげて応えると、いつもの場所に向かって歩みを速めた。

 ざあっ。
 校舎を出たところで、春風が吹いた。数日前に感じたものと同じ空気を感じて、私は視線を巡らせた。
 すると、ふわふわ巻き毛の可愛い少女が視界に映った。と同時に、周りの景色が霞む。
 思わず、近くの茂みに隠れた。
「好きなものを追いかける…。」
 少女を見つめながら、さっき自分が言った言葉を口の中で繰り返してみる。
「自分で言ったことには責任持たないとね。」
 そう呟いて、にっ、と笑う。
「そういうわけだから、内藤笙子ちゃん…。」
 そう言いながら、シャッターボタンに指をかける。

 レンズの向こうの少女は、桜の絨毯の上で楽しそうに歩いていた。


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