【1529】 そんなはずはない  (sarasa 2006-05-24 22:56:48)


由乃が令ちゃんにロザリオを返したのは令ちゃんが嫌いになったからじゃない。
一方的に寄りかかるだけの関係が嫌になっただけ。二人で並んで歩きたい。自
分の足でしっかり立って歩きたい。ただそれだけだったのに。令ちゃんに強く
なって欲しい、そう思って令ちゃんの試合に合わせて心臓の手術までしたのに。
令ちゃんは何一つ分かってくれなかった。手術の前に由乃の想いを全て込めた
手紙を渡したのに。令ちゃんが分かってくれたらもう一度ロザリオを頂戴と言
うつもりだったのに。由乃の計画には何かが足りなかった。それが何だかは分
からないけれど。こじれた二人に間に立ってくれる人は誰もいなかった。もし
そんな誰かがいたなら。

(もう遅い。)

それでもこのまま卒業なんて嫌だから。二年生になったらとりあえず仲直りを
しようと思っていたけれど。令ちゃんが由乃のために選んでくれた緑石の綺麗
なロザリオは今別の子の首にある。四月に入ってまず紅薔薇様の祥子様が妹を
決めた。一年生の松平瞳子さん。何でも祥子様とはご親戚だとか。そして黄薔
薇様の令ちゃん。二人とも好き嫌いではなく人手不足解消の為に選んだだけと
かわら版には書いてあった。それがまた由乃の勘に触った。あんなに大切なロ
ザリオをたったそれだけの為に渡してしまうなんて。

その彼女が泣きながら教室に帰ってきた。三年生に呼び出されたようだから、
何かされたのだろう。赤く腫れた頬を濡らしたハンカチで冷やしている。何人
かのクラスメートが取り囲んで慰めている。由乃はざまあみろと笑っても良い
筈なのに、何故か少しも心は晴れずにむしろ罪悪感で痛いくらいだ。彼女があ
んな目に合ったのは由乃自身が仕向けたようなものだから。

実際、令ちゃんが新しい妹を作ろうとしたのはまだ冬の内の頃。ただお節介な
かわら版が由乃を悲劇のヒロインに仕立ててしまった為に、令ちゃんの妹にな
ろうなんて子がいる筈もなくて。去年一年リリアンの外に出ていて何も知らな
かったあの子だけが差し出されたロザリオをうっかり受け取ってしまっただけ
のこと。そうでなければ成績も容姿も並でしかないあの子を令ちゃんが選ぶ筈
なんかない。ただ笑顔だけは向日葵のように眩しいけれど。

リリアンでは山百合会の先導で自主的に携帯の持込をしないことになっている。
やむを得ず持たざるを得ない生徒は校門をくぐる前に電源を切る。だから授業
中にメールなんて風景は見られない代わり、古風な回し手紙がここでの日常。
由乃が他から回ってきた振りをして回した手紙はほんの出来心。剣豪に憧れる
由乃は曲がったことが大嫌い。そんな低レベルな嫌がらせなんて自分がする筈
なんてないと思っていたけれど。

『福沢祐巳は去年、妊娠して子供を産むために転校していた』

元々令ちゃんの妹になったことにやっかみを持たれていたのだろう。その効果
は絶大で、こうしてたびたび吊し上げられることになったわけだ。そして。

『二年松組福沢祐巳さん、至急生活指導室までお越しください。繰り返します…』



「由乃さん?」
「ひっ」
「ごめんなさい。驚かせちゃった?」
「祐巳さん?」
「はい」

こっそり生活指導室の様子を伺っていたら後ろから声をかけられた。ちょっと
驚いたけれど呼吸を整えてなんでもない振りをする。

「まだ中にいると思ったのに」
「もう済んだの。一度職員室まで行って戻ってきたところだから。もしかして
心配してきてくれたとか?」
「そんなんじゃないけど」
「そうよね。こうして直接お話することなんてほとんどないものね」
「ええ。ねえ、ちょっとお時間あるかしら?」
「うん。大丈夫だけど?」
「ミルクホールにでも行かない?立話は疲れるし」
「あ、ごめんなさい。そうしましょう」
「私の身体なら気を使わなくていいわよ。手術して丈夫になったんだから」
「そうなんだ」

並んでミルクホールへと歩き出した。とっさに誘ってしまったものの私は何を
話すつもりなんだろう。

「呼び出されたのって例の件?」
「例の件って、噂のこと?だったら違うわ。先生方は私の事情をご存知だか
ら根も葉もない噂を信じたりはなさらない」
「そうなの。じゃあ何で?」
「寮のことでちょっとトラブルがあって」
「寮?、祐巳さん寮に住んでいるの?」
「ええ」
「ご実家は遠いんだ」
「いいえ、バス二本乗り継ぐだけだから近いほうじゃないかな」
「じゃあどうして?」
「去年一年間、山梨の古い神社で巫女をしていたの。巫女って言うのは神様の
花嫁でもあるのだから生家に戻ってはいけない決まりがあるの」
「巫女」
「今時、信じられない話でしょう?でもそう言う世界もあるのよ」
「良く分からないけれど寂しくないの?」
「もちろん寂しいよ。だから令様に優しくされてつい縋ってしまったの。由乃
さんのこと何も知らなかったから。本当にごめんなさい」

そう言って祐巳さんは手をついて頭を下げた。テーブルの上だけれど土下座に
近い。

「止めて、祐巳さんが悪いわけじゃないじゃない」
「それでも一度ちゃんと謝りたかったの。私が令様のロザリオを受け取ったこ
とで由乃さんが傷ついたのは本当のことでしょう?」
「全く傷つかなかったと言えば嘘になるけれど、こんな風に謝られたら私が恥
ずかしい。だって謝らなければいけないのは私のほう何だもの。ごめんなさい」
「ど、どうして?由乃さんが謝るの?」

おろおろする祐巳さんの頬をそっと撫ぜる。

「今日、打たれたでしょう」
「う、うん」
「それだけじゃなくて色々嫌がらせされてるよね?元になった噂流したの私
なの。ごめんなさい」
「泣かないで。ありがとう由乃さん」
「どうして?、怒らないの?」
「正直に話してくれて嬉しかったから」

にっこりと微笑む祐巳さんの顔はやっぱり向日葵のようだと思った。

「最後に由乃さんと話せて良かった」
「最後?」
「私ね、山梨に戻ろうと思うの。どうしてもリリアンに戻りたくて帰ってきた
けれど、もうここは私のいる場所じゃないんだって気がついたの」
「そんな。何時?」
「今月一杯。だからね、寮に無理に部屋を用意してもらったのに、また直ぐ出
たいなんて言い出したから怒られちゃって」
「そうだったの」
「令様より由乃さんに先に会っていたら、私たち友達になれたかも知れないね」
「嫌だ、行っちゃ嫌だ」
「由乃さん」

由乃は祐巳に抱きついて泣きつづけた。


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