何だろう……。
誰の声だろう。体が重い…………。
――ごめんなさい!!――
何を謝っているのですか?
――ごめんなさい!!ごめんなさい!!――
あぁ……私……この声知ってる。
――ごめんなさい!!ごめんなさい!!祐巳ちゃん!!祐巳ちゃん!!――
祐巳ちゃん?……あぁ、私だぁ。
そして、この声は、小笠原祥子さま……でも、何で?
――ごめんなさい!!ごめんなさい!!――
祥子さま……どこ?
体が上手く動かないや……指も足も何だか重い。
――ごめんなさい!!ごめんなさい!!!ごめんなさい!!!――
祥子さま……泣いているの?
どうして?
お姉ちゃん……祥子さま……泣いているよ?
お姉ちゃん、祥子さまのお姉さまでしょう?……祥子さまの側に居て慰めてあげなきゃ……ダメだよ。
――祐巳ちゃん!!祐巳ちゃん!!祐巳ちゃん!!――
あれ?私に謝っているの?
どうして?祥子さま……泣かなくていいよ。私、元気だから……でも、今は少し眠いかな……だから、祥子さま。
少し寝させて……。
パラレル設定、水野祐巳の第四弾。
某お方のコメント怖かったので、楽しんでもらえることを願って(笑)
【No:1497】―【No:1507】―【No:1521】―今回
……真っ白な天井?
…………何所だろう?
「祐巳!!」
祐巳の目に最初に映ったのは白い天井だった。直後、視界いっぱいに祐巳の実の姉である蓉子の涙顔。
「……お姉ちゃん?」
「話せるの?話せるのね!?」
「なに言っているの、あたりまえじゃない……でも、何で泣いているの?」
「馬鹿!!」
「お、怒らないでよ!!……イタ!」
「祐巳!!待っていなさい、今、お医者さんを呼ぶから!!」
そう、お姉ちゃんが言ってしばらくすると白衣姿の男性と看護士姿の女性がやってきた。
「お姉ちゃん……ここは?」
「ここは病院よ……祐巳、貴女事故に遭ったのよ」
「えっ?!事故!!」
祐巳の前には、涙でグショグショの顔で呆れているお姉ちゃんがいた。
話を聞くとどうも祐巳は、祥子さまから離れようとしてトラックに撥ねられたらしい。
ゆっくりと祐巳の中に記憶が甦る。
「そうだ、私、祥子さまに手を握られて……振りほどいたんだ。それで、横断歩道が青だったのでそのまま渡ろうとして……」
「その時に、赤信号にブレーキが遅れたトラックと衝突したのよ。幸い、相手のスピードがかなり落ちていたから外傷は擦り傷程度ですんだようだけど。その時に、頭を打ったみたいで貴女三日間も眠っていたの」
先生の診断が終わり。祐巳はお姉ちゃんと事故の話をしていた。
医者とはいえ、男性に体を晒すのは恥ずかしかったので、お姉ちゃんに白ポンチョを頼んだら、お姉ちゃんばかりかお医者さんや看護士さんにまで笑われた。
「ところで……祥子さまは?」
何だか眠っているとき祥子さまの泣き声を利いた気がする。
「……祥子は」
笑顔だった、お姉ちゃんの顔が暗くなる。
「どうしたの?」
お姉ちゃんは、祐巳の顔を見ながら何か思案中のようだ。昔、お姉ちゃんに薔薇さまを紹介されたとき、祐巳ちゃんの表情は豊かで百面相だねと言われたことがあるが、どうやら、お姉ちゃんもやっぱり祐巳の姉妹らしくその表情が何度も変わる。
「祥子は、祐巳を事故に遭わせてしまったと自分を責めているわ」
「……なっ!!ならなんで、お姉ちゃんはここにいるのよ!!お姉さまでしょう!?祥子さまの!!」
「そ、そうよ!!でも!!祐巳のお姉ちゃんでもあるのよ!!」
睨み合う祐巳とお姉ちゃん。
「お姉ちゃん、祥子さま……泣いていたでしょう?お姉ちゃんが支えてやらないと、私の方は元気だから大丈夫」
「祐巳、でも、あの子は、私にロザリオを返したいって言っているのよ。それだけ、祐巳を事故に遭わせてしまったことを気病んでいるのね。でも、私は祐巳のことで気が動転していて」
大事な妹二人が大変なときに何の力もなかったと、お姉ちゃん。
確かに、今の祐巳にお姉ちゃんは医者ではないのだから役には立たないかもしれないが、祥子さまには誰よりも必要な人のはず。
「お姉ちゃん、行きなよ。祥子さまのところに、それと伝えて、祥子さまに祐巳は元気だから大丈夫だって」
「祐巳」
「えへへ」
「そうね、行ってくるわ」
祐巳が笑った先には、いつもの凛とした、祐巳の好きなお姉ちゃんがいた。
お姉ちゃんも大変だったと思う。祐巳のことに、祥子さまのことが加わって、さらに祥子さまがロザリオを返したいだなんていいだしたのだから。
お姉ちゃんは鞄を持つと、病室の扉を開く。
「あ!そうだわ祐巳。聞きたいことがあったの、貴女、外部受験受けるのかしら?」
「……祥子さまに聞いたの?」
「えぇ、あの子が泣きながら……どうなの?」
お姉ちゃんの声は何だか厳しい。それでも、祐巳は……。
「うん、受けてみるつもり。それと、夏休みに学校見学会があるらしいから退院したら行ってみる」
「そう」
「お姉ちゃんは、反対?」
「う〜ん、私は小学校までは外部にいたからね。その分、祐巳に迷惑をかけたと思うから貴女の自由にしていいと思うわ」
祐巳が幼稚舎からリリアンにいて、お姉ちゃんが外部の幼稚園に通っていたには理由がある。祐巳たちの両親の関係だ。詳しく言えば、両親の祖父母がリリアンを望んだのだが、両親がお姉ちゃんのことを考えて外部にしたらしい。
その分、祐巳にはリリアンをと押し切られて、祐巳はリリアンに通うことになった。
だが、そんな理由で通うことになったとしても、祐巳はリリアンが好きだった。
「でもね。祥子の姉としては反対なのよ」
「えっ?……それって」
「後は、祥子が言うのが筋でしょう?」
「後は?!なによ、それ?ねぇ、お姉ちゃん!!」
だが、お姉ちゃんは笑って出て行ってしまった。
一方、取り残された祐巳はドキドキする胸を押さえながら「けが人にあまり刺激的なこと言わないでよね」と、少し嬉しそうに呟いていた。
だが、祥子さまは残り少ない一学期の間、祐巳の見舞いに来ることはなかった。
そして、それから毎日忙しいのに見舞いに来てくれる。お姉ちゃんも表面では笑っているのだが、ときどき、何だか悲しそうに祐巳を見つめることがあった。
祐巳は、祥子さまの方が上手く行っていないのかと思ったが、見舞いに来た薔薇さま方からは意外な話が聞けた。
「だからさぁ、祥子ちゃんは以前にもまして、蓉子に甘えるように成ったんだよね」
祐巳は、それなら良いことではないかと思う。あの祥子さまが他人をたよるというのは想像しにくいが、決して悪いことに思えない。
だが、紅薔薇さまの口調は呆れているよいうよりも、困っている感じ。
「ダメ何ですか?」
「うん、ダメだね」
あっさり言ったのは白薔薇さま。
「あれでは祥子ちゃんは成長しない」
「成長ですか?」
「そう、祐巳ちゃんから逃げているだけだからね」
「私から、逃げている?」
「見舞い来ないでしょう?祥子ちゃん」
「そうですね」
確かに上手く行っているなら連れて来て欲しい。ただ、見舞いに来られた祥子さまと何を話していいのか、今の祐巳には思いつかない。
「本当は、蓉子ちゃんのことも祥子ちゃんのこともいろいろしてあげたいけど、今のところ白薔薇も問題抱えているから」
そう言って。白薔薇さまは笑う。
祐巳が話を聞こうとしても、薔薇さま方はそれ以上は教えてくれない。
ただ、一つだけ、「蓉子ちゃんも祥子ちゃんと祐巳ちゃんのことで大変なのに、白薔薇の方まで気を使わせているのよ。ごめんなさいね」と、お姉ちゃんのことを教えてくれた。
「流石、お姉ちゃんですね。その世話焼きなところ」
祐巳の素直な感想。
「そうね。でも、あの世話焼きは祐巳ちゃんから来ていると思うわ」
「私ですか?」
「そう、ところで、話変わるけど?」
祐巳が黄薔薇さまの言葉になんでだろうと思っていると、紅薔薇さまが頷き。少し意地悪そうな笑顔を浮かべる。
「な、なんでしょう?」
「祐巳ちゃん、外部受験希望って本当?」
どうして紅薔薇さまがそのことを知っているのか?お姉ちゃんは、妹の大事なことをベラベラ話すタイプではないと思うが。
「え〜、そうなの?」
「それはそれは、珍しいわ」
白薔薇さまと黄薔薇さまは知らなかったのか、驚いている。
「はい」
祐巳は頷いた。
「やっぱり、そうだったのね」
「でも、紅薔薇さまはどうしてそのことを?」
「ん?それはねぇ……秘密よ」
紅薔薇さまは嬉しそうに笑い。
「ヒント、職権乱用よ」
「あっ……」
祐巳は、紅薔薇さまの言葉に、紅薔薇さまが無理やりお姉ちゃんから聞き出したことを知った。
流石のお姉ちゃんも、自分のお姉さまには敵わないらしい。
「でも、そうかぁ。祐巳ちゃん、リリアンを出るのか」
「まだ、そう決まったわけではありません。選択の一つとして考えているだけです」
祐巳は、紅薔薇さまの言葉に少し嫌な感じを持ち反論する。
祐巳としては間違ったことを言っているつもりはなかった。実際、リリアン高等部への願書も出してはいるのだ。
受験日も重ならない。その理由はリリアンではなく、外部校の特殊な環境にあるらしい。
公立も考えては見たが、リリアンで育った祐巳には共学というのは抵抗があったのだ。
「そう、まぁ、祐巳ちゃんが選ぶことだから、私も大学は外に行くしね。でも、祐巳ちゃん」
祐巳の名を口に出した紅薔薇さまの表情は、今までになく真剣だった。
「一つ聞くけど今の祐巳ちゃんも、逃げているんじゃない?それで、外部に行くなら私は賛成しない」
「逃げている?何からですか?」
「それは祐巳ちゃんが、よく分かっているのではなくて?」
祐巳は、そう紅薔薇さまに言われ、違うと思ったがそれが言葉になることはなかった。
言葉には出来なかった。祐巳に、思い当たることがあるから……。
……学園祭の祥子さまと瞳子さん。
祐巳は、あのときの思いを吹っ切りたいと、思い外部受験を考え始めたのだ。確かに、それまでは漠然とこのまま高等部に上がると思っていただけで、外部を考えたことはあまりなかった。
祐巳が困って紅薔薇さまを見ると、紅薔薇さまは笑っていて……。
「悩め。若人よ」と年寄りくさいセリフを吐き。
「貴女、何歳よ」
などと、すかさず黄薔薇さまから突込みが入て、祐巳も笑った。
祐巳が病院に入院していた二週間。本当に多くの友人が祐巳を訪ねてきてくれた。
特に終業式の日にはクラスメイト全員がやってきて、さらに令さまや由乃さんに志摩子さんまで尋ねてきてくれた。
そんな皆を見て、祐巳はさらに悩んでしまう。
祐巳の外部受験の話は、お姉ちゃんと祥子さま、薔薇さま方しかまだ知らない。無論、お母さんは知っているが、お父さんにはまだ内緒。弟も知らないだろうが、知っていても言いふらさなければ問題はない。
薔薇さま方も、お姉ちゃんとちょくちょく来てくれたが祥子さまは夏休みに成ってもやはり来られない。
そんな日々の中、明日にはもう退院ということで面会者も早々に帰った後、ひょこっと顔を出したのは瞳子ちゃん。
「ごきげんよう、祐巳さま」
「ど、どうしたの?!瞳子ちゃん!!」
今まで一度も面会に来なかった瞳子ちゃん。まぁ、知り合いと言っても二年生だから仕方がないのかぁなんて思っていたのだが。
「遅くなりましたが、お見舞いに来ました」
「でも、明日、退院……」
「えぇ、どえす……あっ、こほん!ですから遅くなりましたと申しました。それに、退院なされても二週間は自宅療養だとか」
「う〜ん、そうなんだよね」
「流石に、ご自宅に私はいけませんので、こうして夏の演劇の発表会が近いというのに見舞いに来たのですわ」
少し高飛車なモノの言い方の瞳子さん。
「そ、そうなんだ。ありがとうね」
「い、いえ……」
今度は顔を赤らめる。
「それで、ご自宅で勉強ばかりではなんだろうと、その、暇つぶしにでもなればと思い……これを」
そう言って、瞳子さんは小さな紙袋を祐巳に手渡す。
「開けていい?」と祐巳が聞くと「どうぞ」と瞳子さんはぶっきらぼうに言った。
中身は、舞台を収録したDVD。
「暇つぶしにでも見てください……あ!!あの、DVDの機械ありますよね?」
「あるよ……でも、瞳子さん。もしかして機械のこと考えずに買ってきた?」
「な!なんでそう思われるのですか!!そのくらい、考えましたとも!!」
でも、今「あっ!」って言ったよね。と祐巳は心の中で呟く。
「第一、申し訳ありませんが、それは中古ですので」
「そうなんだ」
そう聞いてDVDを見ると確かに開封した後があるが、ケースも中身も新品にしか見えない。
……もしかして瞳子さん、私が遠慮しないように封を開けたのかな?
そう思い、その姿を連想すると何だか微笑ましいを通りこして笑ってしまう。
「ふふふ」
「な、なんで、笑うのですか?!もう、いいですわ!!」
怒ってしまった瞳子さんはそのまま帰ろうとして、慌てて鞄から封筒を取り出して祐巳に渡す。
「これは?」
「先ほど言いました演劇の発表会のチケットですわ。日にちは八月の第四日曜日」
「第四日曜日……」
「あの、なにか御用が?」
瞳子さんは何んだか心配そうに祐巳を見る。
「ううん、大丈夫」
祐巳は、外部校の日程を思い出して大丈夫なことを確認する。祐巳の言葉を聞いた瞳子さんは、嬉しそうに笑ってくれた。
「ところで、このチケット、祥子さまにも渡したの?」
祐巳の言葉に瞳子さんは「はい」と答えるが、なんだか元気がない。
「来れるかどうかは分からないそうですわ。その頃は、高等部の方は忙しくなるようですから」
「そうか……」
祐巳は瞳子さんに、祥子さまの様子を尋ねるべきか迷ったが、聞かないことにした。祥子さまが祐巳の事故に立ち会ったことはリリアンでは知られていないらしいから、余計なことは聞かないほうが懸命に思えた。
「祥子さまが何か?」
「あ!ううん、なんでもない……瞳子さんは、祥子さまのこと好きだものね」
「……勿論ですわ」
祐巳が聞く変わりに瞳子さんが聞いてきたので慌てて誤魔化すが、なんだか瞳子さんは不満そうに呟く。
結局、祐巳は瞳子さんの不満が何なのか分かることないまま、瞳子さんは帰ってしまった。そして、残された祐巳は、胸の奥に痛みを感じながら、瞳子さんなら祥子さまの良い妹に成れるだろうと考え。
……また、約束破っちゃうな。
瞳子さんの招待に出ないでおこうと考えていた。
祐巳が退院した日。
祥子さまはお姉ちゃんを連れて、別荘に行ったらしい。
祐麒は何だかブツブツ言っていたが、祐巳は自分が無理に行かせたこともあってホッとしていた。だから、病院の外れに止まっている黒い高級車を気にすることはなく。
「ごめんなさい。お姉さま」
「いいのよ。私は、貴女のお姉さまなのだから」
「はい……」
窓を開いて見つめている人影にも気がつくことはなかった。
――ガッターン、ガッターン、ガタンガタン!
電車が揺れる。
二週間の暇な――受験勉強はしている――自宅療養が終わり。お医者さんから外出が許可された祐巳は一人。外部受験の志望校の学校見学会に出かけていた。
慣れない電車を乗り継ぎ、祐巳は目的の駅に着く。
母から渡された携帯の時計を見ればまだ十一時。見学開始時間の午後一時まではかなり時間がある。
祐巳は困ったと思いながら、駅の周辺地図を見て適当に時間を潰せる場所を探す。
本屋で時間を潰す気にはなれない。だからといってリリアンの制服で来ている以上は、漫画喫茶などに行くわけにもいかない。
そう思いながら、案内板を見ていると目的の学校の側に小さな山があり。お寺があると書いてあった。
祐巳はコンビニでお茶とおにぎりを買うと、お寺に向かう。あまり時間がかかるようなら、引き返せばいいのだから。
本来の目的の学校とお寺に向かう道は途中まで一緒だったが、祐巳はお寺の本堂があるであろう参道の石段の下で悩んでいた。
「こんにちわ」
「ごきげんよう」
悩んでいると後ろから声をかけられたので、いつものように挨拶を返したのだが……声をかけてきた日本人形のような顔立ちの少女は少し驚いた顔をしていた。
……。
…………。
「はぁはぁ」
「大丈夫?祐巳」
「うん、なんとか」
あの後、祐巳は挨拶をしてきた彼女――二条乃梨子さんと少し話し、乃梨子さんが上の本堂に行くというので祐巳も着いてきたのだが、思った以上に勾配のキツイ石段は登るのに疲れる。呼び方は祐巳の方に乃梨子さんが合わせてくれた。
「う〜ん、その格好での参道登りは大変だと思うよ」
「まぁ、目的は、こっちではなく下の学校の見学だから」
「その前に体力を消耗しそうだけど?」
「あはは、それはそうだ」
「仕方ないなぁ、祐巳、手出して」
と、乃梨子さんは祐巳の手を取ると階段を上がっていく。乃梨子さんはジーンズに紫外線よけの薄手のパーカーをTシャツの上に羽織っただけで、靴もスニーカーと目的にあった格好をしている。
これで帽子をかぶっていたら美少年だなとは言わないでおく。
乃梨子さんのおかげで本堂のある山の頂上には以外に早く着き、一度、そこで祐巳と乃梨子さんは別れた。
祐巳は目的の学校が見える場所を探して、そして、乃梨子さんは女子中学生にしては渋い趣味の仏像を見に本堂の方に。
「あっ、アレか?」
少し見えるところを探していた祐巳は、ようやく学校が見える場所を探し出した。探し出したといっても、見えたのは校舎の屋根だけ。流石に敷地は上手く隠されているようだ。
「見えるところ見つかった?」
少しそのまま見ていると、横に乃梨子さんがやってきて、祐巳と同じ方を見る。
「ほとんど見えないね」
「そうだね」
祐巳も乃梨子さんもそれ以上見るのをやめて階段の方に向かう。
「ところで仏像は見れた?」
「あとでゆっくりみるからいいよ。それよりさ、祐巳はあの学校を今年受験するの?」
「そうだね。そのつもりはあるかな?乃梨子さんは来年でしょう、どこか希望校ってあるの?」
「希望校ね……一応、近くの公立かな。叔母さんが自分の出身校を受けろって騒いでいるけどね。私立のお嬢様学校だし、私には合わないから行く気はないけどさ」
「あはは、そうなんだ」
「祐巳もその口?あそこもお嬢様学校でしょ?」
歩きながら聞いてくる乃梨子に祐巳は首を振る。
「ううん、自分の意思……」
「なるほど、祐巳もお嬢様学校に憧れる口かぁ」
「?……別にその部分は関係ないかな」
「えっ?違うの……だってうちの学校の女子にはいるよ。お嬢様学校目指す子。それだけでブランドなんだって言ってる」
「そうなんだ」
祐巳は乃梨子の言葉にクスッと笑った。リリアンもお嬢様学校と呼ばれていることを思い出した。
「なんで笑うの?」
「いや、私の今いる学校もそう呼ばれていたなって思って、通っている本人たちは気にしていないんだけどね」
「なに?祐巳はお嬢様学校に通っているの?それでまたお嬢様学校を受験する?何所に今通っているのよ?」
「リリアン女学園って知ってる?そこの中等部」
祐巳がリリアンの名を出すと、乃梨子は何か幽霊でも見るように祐巳を見ていた。
「どうかした?」
「って!!オイ!!リリアンといったら超の付くお嬢様学校じゃない?!……あぁ、それでその制服に、あの挨拶なんだ……」
なんだか乃梨子さんは一人で悩みだした。祐巳は時間が気になり携帯を見るとそろそろ危ない時間。
「それじゃ、乃梨子さん、私、そろそろ行くから」
「あ?あぁ、うん、がんばってね」
祐巳は階段を下りようとして足を止め、鞄の中からコンビニで買ったおにぎりを取り出すと乃梨子さんに渡す。
「これ良かったら食べて、まだ、痛んではいないと思うから、それじゃ、ごきげんよう」
祐巳はそう言って階段を一人下りていき、残された乃梨子さんは溜め息をつき。
「ま、もう会うこともないか」
一人呟き、手渡されたおにぎりを見てもう一言。
「これ、食えるのかなぁ……」
おにぎりには『お菓子系チョコおにぎり』と『オカズ系シュールストロミングおにぎり』と書かれていた。
乃梨子さんの悲鳴が静かな山のお寺に響いた。
「どうやら間に合ったようね」
学校の校門前に着いた祐巳はそこに多くの見学者を見つけ、その列に入る。周囲を見れば祐巳以外は父兄同伴。その中で、たった一人の祐巳は浮いている感じを受けるが、祐巳は気にしないでおくことにした。
しばらくして正面に十人数人もの生徒がやってくる。よく見れば、その生徒たちの服装は三種類に別れていた。
その中の、白い制服の生徒が一人前に出て手にしたマイクで話し始める。
『皆さま、本日は我がアストラエアの合同見学会に参加してもらい大変に光栄に思っております。私はアストラエア合同生徒会のスピカ生徒会長・冬森と申します。さて、我がアストラエアは『聖スピカ女学院』『聖ル・リム女学校』『聖ミアトル女学園』の三校が集う場所です。よって、どの校に願書を出した場合でも目的以外の学校も見ていただくことは自由ですので、どうかゆっくりと、我がアストラエアをご見学くださいませ。それでは申し訳ありませんが、警備上のため確認をさせて貰います』
冬森さんの挨拶が終わると、周囲が慌しくなる。
まず、三校のそれぞれ願書を出した学校ごとに並び、提出した願書と本人の確認をおこなっていくようだ。そして、終わった人たちは学園に入っていくようだ。
……学校の中は自由見学か。
と思っていると、祐巳の番が来た。祐巳は、少しお嬢様モードというか、祐巳の十八番、必殺お姉ちゃんの真似をする。
「ごきげんよう、お名前は?」
「ごきげんよう、水野祐巳と言います」
言いなれた挨拶だったので、そのまま返すと相手の生徒は少し驚いた顔をしている。
「どうかしまして?」
「あ、いえ、水野祐巳さんですね……えっ?!」
今度は何だろう?祐巳は自分は何か変なことでもしたか気なってしまう。
「ええと、付き添いの方は?」
「いえ、いませんが、問題でも?」
「あぁ、いいえ……」
祐巳のところに来た生徒たちは、書類と睨めっこをしている。いったい何なのだ?
「あの」
「あぁ、どうぞ。お通りください」
「はぁ」
祐巳は何なのだと思いつつ、門の方に歩いていくと、先ほど挨拶に立った冬森さんと目が合ったので「ごきげんよう」と挨拶をしておく。
冬森さんも挨拶を返してくるが、その表情は先ほどの子達と同じようにびっくりしていた。
祐巳は顔に何か付いているのかな?と思って鞄から手鏡を取り出し確認するが、何も付いていない。
「う〜ん。わからん」
秘儀お姉ちゃんの真似を止めた祐巳は、いつもの自分に戻り自分が受験しようとする学園を見て回る。
リリアンもいい加減広いが、ここの場合三校が混ざっているというだけあって敷地は広大なようだ。
「迷子になったら、帰れないなぁ」
そう思いながら目の前にマリア像がある箱庭に出た。祐巳はそのまま習慣に従いマリア像に祈りを捧げ。目的のミアトルの校舎の方に向かおうとする。
「お待ちなさい」
不意に声をかけられ、祐巳はゆっくりと振り向く。驚いた、ここにもこんなに綺麗な女性がいるとは思わなかった。
「ごきげんよう。あの、何か御用でしょうか?」
「ごきげんよう。ええ、用があって呼び止めましたの」
女生徒の制服を見れば、案内書に載っていたミアトルの制服を着ている。
「貴女が噂のリリアンの蝶々さんですわね」
ちょ……蝶々って……。
「え〜と、私のことですよね?リリアンですし……」
「えぇ、そうですわ」
どうやらミアトルの上級生のようだ。だが、祐巳に何の用事なのか?
「それで、何か御用でしょうか?」
「いえ、せっかくですので、ご案内差し上げようかと」
「そうですか、それは助かります。私、水野祐巳と言います」
「水野祐巳さん……リリアン風で言えば祐巳さんでよろしいかしら」
どうやら上級生らしいこの女性はリリアンのことを知っているようだ。
「はい、それで貴女さまは?」
「え?あら、申し遅れました。花園静馬といいますわ。ミアトルでは五年生、普通にいうなら高校二年ですわ」
やっぱり上級生だったようだ。
「……それでは静馬さまでよろしいですか?」
「ミアトル風に言えば、静馬お姉さまなのですけど?」
どうやらこの人は知っていてワザと言っているようだ。
「それはちょっと」
リリアンで育った祐巳とっては抵抗の大きい呼び方。
「それでは仕方ありませんわ。その呼び方で、ではこちらに」
そう言って静馬さまは祐巳を案内していく。
校舎なども綺麗で、環境もいい。なにより寮がしっかりしていて今の祐巳にはこれは魅力的に思えた。
「いいところですね」
「そう?リリアンの生徒にそう言ってもらえると嬉しいわ」
「そうですか……ところで、一つ、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「なにかしら」
「先ほどから、こちらを見る生徒たちの視線が変なのですけど」
そう、部活か何かで出てきている生徒たちに合うのだが、彼女たちは何故か遠巻きに祐巳たちを見ているのだ。
「そうね。原因は二つ、一つは祐巳さん貴女。と、いうよりもリリアンからの編入希望者がいるという噂が流れているのよ」
つまり、祐巳の制服が目立っているということか?
「それともう一つは、私」
「静馬さまですか?」
「そう、アストラエア三校には、エトワールと呼ばれる制度があってね。一年に一回、三校の全生徒の中から、エトワール選で選ばれる特別な生徒なのよ。エトワールは生徒会長ではないけど三校皆の憧れの存在なのですわ」
薔薇さまに近いのかな?祐巳はそう思いながら、静馬さまを見る。その憂いを帯びた瞳はまるで祐巳の心の奥を見透かしていそうに見える。
祐巳は思わず怖くなって視線を外し、ようやく気が付く。
「あ!静馬さまがその……」
「そう、エトワールよ」
綺麗な人だとは思っていたが、まさかそんな有名人だとは思わなかった。
「さぁ、案内の続きをしましょう」
そう言って、次に祐巳が連れてこられたのは図書館だった。聞けば三校それぞれに図書館があり、アストラエアの三校の生徒ならどの図書館も使えるらしい。
「蔵書も多いし、ここも素敵ですね」
祥子さまに進められた本も見える。また、呼んでみるのもいいかも知れない。……何だろう?
祐巳の視界に、本棚の影でこそこそしている人たちが見えた。また、リリアンを見に来た生徒か、静馬さまを見に来た生徒だろうか?
「ところで祐巳さん」
「はい?」
――ドン!!
「きゃ!!」
「図書館ではお静かに」
て、静馬さまが祐巳を本棚に押し付けたのでしょうに……。
「それで、この図書館の別名はご存知?」
ご存知と呼ばれても、そんなの知るわけがない。
「別名はね。秘密の花園……ミアトルでは有名な逢引の場」
「あ、あ、あ、あ、あ、逢引?!あぁ、あの、私、そういうのは」
「あら、貴女の目がとても悲しそうだったから、ここを教えてあげたのに」
「悲しい?」
祐巳はほとんどヘビに睨まれた蛙で動けない。
その瞳に、祐巳は引き寄せられる。
「えぇ、貴女は何かから逃げようとしている。それが、何かわからないけど、そのためにこのミアトルに来ようとしている。違うかしら?……ねぇ、祐巳」
静馬さまは祐巳の手を放す。
「……あっ」
祐巳は慌てて、静馬さまから距離をとったが……。
「ふふ……祐巳……覚えておきなさい。貴女が何から逃げているか知らないけど、貴女がこのミアトルに逃げてくるなら、そのままの貴女を私が受け止めてあげる。抱きしめてあげる。だから、逃げてきなさい」
静馬さまは祐巳の手を取る。祐巳にはその手を振り払う気持ちはなかった。
ただ、静馬さまの声が響く。
「さぁ、今日はもうお帰りなさい。私の蝶々さん」
祐巳は静馬に連れられ、アストラエアを出た。
帰りの電車の中で、祐巳の心に幾度も響く静馬さまの声。
『逃げてきなさい……そのときは……祐巳』
薔薇さまは、逃げるのかと言っていた。
お姉ちゃんは、私の自由にと言っていたが、反対とも言った。
祐巳自身も、また、今の行動に疑問を感じている。逃げたのは祥子さまではなく、祐巳なのだと。
それなのに……。
「逃げてもいいの?静馬さま?……」
祐巳は夕暮れに染まる窓を見る。
静馬さまだけが逃げていいと言ってくれた。
そして……それはとても甘い言葉だった。
「そうだ、明日瞳子さんの舞台……行って見ようかな?祥子さま……来るかな」
祐巳は一人呟く。
夏休みは、もうすぐ終わる。
言い訳。
あぁぁぁ、やっと夏休みが終わった。この調子で行くと終わるのまだ先……長!!
と、言うことで第四弾、終わりです。
楽しんでもらえたなら、嬉しいのですが。今回『ストパニ』を絡ませてしまったのでいろいろ意見がおありだと思います。なにせ、あの作品は直球過ぎて……。
なにより、祐巳と祥子の距離が開きに開いて、収束するか心配。
なにより、静馬どうする?
なんだか、問題を増やしたような……何かあったらコメントください。
『ストパニ』分は修正するかも。他も修正するかも。
『ストパニ』は原作の一年前の設定で、知らない人ごめんなさい。
『クゥ〜』