【1535】 アナザーユミレヴォリューション  (まつのめ 2006-05-26 16:30:17)


 私はお姉さまの部屋に居た。
 経緯は省く。というかそんなものはどうでもいい。なぜどうでもいいのかって言うと、今、私の目の前にそんなことは空の彼方へ吹き飛ばしてしまうようなものが鎮座しているからだ。
 ここは小笠原邸、我がお姉さまである祥子さまのお部屋。言わずもがな私は紅薔薇のつぼみこと福沢祐巳である。
 早速だけど、私は『これ』についてお姉さまに抗議というかその存在意義、つまりなんでこんなものがここにあるのか問い質すことにした。
「お、お姉さま?」
「なあに? 祐巳」
 私は『それ』を指差して問うた。
「ここ、これはいったい」
 どもってしまったが、それほど『これ』は私を動揺させる代物だったのだ。
「良く出来てるでしょ? 特注品なのよ?」
「特注って、なんでこんなものを?」
「あら、貴方だって私の写真をお部屋に飾ったりしてるわよね?」
「それは……そうですけど」
「それと同じ事よ」
 本当に何事も無いようにさらりとそう言うとお姉さまは麗しく艶やかな黒髪を揺らしてそれの傍に行き、その束ねられた髪を愛しいそうに優しく撫でるのであった。
「お、お、同じじゃありませんっ! どーして私とそっくりなっ!!」
「等身大人形よ。身長体重プロポーションから肌触りまで全て忠実に再現したのよ。あら祐巳、まだ眠るに早いわよ?」
 眠っていません。なんでそんなに得意げなんですか。呆れかえって思わず脱力したじゃないですか!
 そう、そこには私が居た。
 いや、私そっくりの人形(?)だった。それは本当にリアルで、リリアンの制服なんか着てるから一瞬鏡を見たかと思ったくらいだ。
「私、家に帰っても祐巳の事が恋しくて、それで考えたのよ。もちろん写真だってあるしビデオだってあるわ。でもそんな当たり前のことをするだけじゃ天下の小笠原家の名が廃るってものじゃなくて? だから総力を結集して製作させたのよ」
 いいえ、そんなことに天下の小笠原家の力を使わないでください。
「はぁぁぁ。判りました。もういいです」
「あら、良い出来だったから祐巳にも見せようと思って来てもらったのに。良く見て頂戴。ほらちゃんと動かせるのよ」
 そう言ってお姉さまはその祐巳人形(?)の首を私に向けた。
「ひ、ひぇっ?」
 目、目が合った?
「どうしたの? ほら、顔もそっくりでしょ?」
「そそ、そうですね」
 ちょっと瞳の色が違うかな? ん?
 その瞬間、
「ひっ!?」
「どうしたの?」
「いいい、いまコレ、笑った……」
 確かに私に向けられた顔の口の端が釣り上がったのだ。
「まさか」
 そう言ってお姉さまは私に向けられたその顔をご自分の方へ向けて顔を覗き込んだ。
「お姉さま?」
 お姉さまはしばらくそうやって検分するようにそれの顔を眺めていたが、やがて私の方に向いて言った。
「変なこといわないで。そんなわけ無いでしょう? 気のせいよ」
「そうでしょうか?」
「あまりにリアルに出来てるからそんな気がしただけよ。ほら肌触りだって」
 そう言ってそれの頬を撫でるお姉さま。
「ほら、祐巳も触ってごらんなさい」
「い、いえ私はちょっと」
 自分とそっくりな人形に触るのはちょっと気持ちが悪いかも。
「遠慮することは無いわ。ほら」
 そう言ってお姉さまは私の手を取り引っ張った。
「いい、いえ別に遠慮って訳では、ひぃぃぃぃっ!!!」
「ちょっと、どうしたの?」
 温いっ!?
 その肌は人肌のように柔らかいだけでなく暖かかったのだ。
 私は予想外の感覚に思わずお姉さまの手を跳ね除けてしまっていた。
「い、いえ、暖かいとは思っていなかったので」
「快眠抱き枕にもなるのよ。低血圧で朝冷えてしまう私にも最適なの」
 つまり保温機能付きなんですね。それは羨ましいかも。私も寒い季節は朝が辛いのだ。
 というか、
「お姉さま、コレを抱いて寝てらっしゃるんですか?」
 私とそっくりな人形を祥子さまが抱いて寝てらっしゃるなんて。
「ええ。お陰で朝すっきり目が覚めるわ」
 それはそれで恥ずかしいような気が。
 そんなことを考えつつ、その人形を眺めていたら、
「あら、祐巳?」
「はい?」
「もしかして人形なんかに嫉妬かしら?」
「めめ、めっそうもございません」
 でもなー、小笠原家の威信をかけたかなんだか知らないけど、こんなにそっくりに作るなんて。やっぱお金持ちのすることは理解できないな。
「じゃ、失礼して着替えさせてもらうわよ」
「あ、はい。私居てもいいんですか?」
「気にしないわよ。じゃあその人形を見てれば良いわ」
「はぁ」
 実は学校の帰りに誘われてここまで来た。だから祥子さまも今まで制服を着ていたのだ。
 お姉さまは少し離れたお部屋の向こうで着替え始められた。私は「気にしない」といわれたもののじろじろ見るのも失礼なので言われた通り『祐巳人形』の観察をすることにした。
 それは背もたれが大きくて肘掛のある高級そうな椅子に腰掛けている。
 服はさっきも言ったけどリリアンの制服。多分何種類も着替えはあると思う。もしかしたら、いやもしかしなくてもオリジナルの祐巳より高級な服を数多く持っていることだろう。
 顔を見る。
 なるほど、祐巳の父親譲りの狸顔をほぼ完璧に再現している。瞳の色が若干薄いのはオリジナルと区別できて良いと思う。あまりにそっくりだと間違えられてしまいそうだ。
 髪だってクセッ毛を両側で束ねてリボンを結んで。そしてもう少し下に視線を向けると……。
 ん?
 胸が若干……。思わず近くに寄って胸元を覗いちゃう。なんか胸だけ1割増し? ちょっと悔しい。いや、人形と張り合ってもしょうがないんだけど、でも。
「くちゅん」
「へ?」
 すぐ近くで可愛らしいくしゃみが聞こえた。
「お姉さま?」
「なあに?」
「い、いえ」
 お姉さまはお部屋の向こうの方に居る。あんな至近距離でくしゃみなんか出来ない。
 というか、これがしたとしか思えないんだけど? まさか?
 じっと見つめてみる。
 なんか冷汗をかいてるように見えるのは気のせい?
 その瞬間、
「あーっ!」
 今、目! 逸らした!
「祐巳、どうしたの?」
 お姉さまはもう着替え終わっていて、私の方に歩いてきた。
「めめ、め、そらしたっ、にに、人形の、くしゃみがっ!」
「落ち着きなさい、見苦しいわよ?」
「だって、今……」
「そうだわ、私お母さまに呼ばれているから少しここで待っててくれるかしら」
「え?」
 ちょっと、コレと私を二人きり(一人と一個?)にするんですか?
「すぐ戻るわよ。そんな顔しないの」
「は、はい」
 動揺する私を置いて、お姉さまは颯爽と部屋を出て行かれてしまった。
 き、気のせい?
 ちょっと疲れてるのかも。いきなりこんなもの見せられれば誰だって疲れもする。
 というわけで取り残された私と祐巳人形(?)。
 私は思わず呟いた。
「いやだなぁ。なんかコレ変だよ」
「変とは失礼な」
「きゃああああっ!!」

 ……。

「声でかいんだよ。でもまあ完全防音だから大丈夫だろうけどね」
「しゃ、喋った、動いたぁぁぁ……」
 あろうことかその人形(?)は行儀(ぎょうぎ)悪く足を組みひじ掛けに片ひじをついて顎(あご)を支え、唇の片側を釣り上がらせてにいと笑ったのだ。
「そりゃ生きた人間だもの、喋りもするし動きもするわ」
「にに、にんげん?」
 その自称人間祐巳人形はじろじろと観察するように満遍(まんべん)なく祐巳に視線を這わせた後、なにか物足りないように右手の人差し指と中指を擦り合わせるように動かして、それから言った。
「しかしあんたがオリジナルかい。まあなんだね、あんたに似てるって理由だけであたしのウチは一家離散だよ」
「ええ!?」
「ああ、心配には及ばないよ。ばばあどもにはいい金握らせたみたいだし、あたしも就職先が見つかったわけだから、むしろ幸運? まあリリアンのお嬢様が関知する必要はないね」
 もともとあまりよろしくない家庭環境だったようだ。いや、そんなこと冷静に推理してる場合か、私。
「ああ、あの? 小笠原の総力を結集してっていうのは?」
「総力を結集したんだろうよ。世間には似た人間が三人は居るっていうしね」
 お姉さま。小笠原の人たちはどうやら結集する方向を間違えたみたいです。
「あの、お姉さまは人形だって言ってましたけど?」
「中近東あたりに売られるよりかよっぽどマシだね」
 この人がどんな人生を歩んできたのか、ちょっと想像したくない。
「っていうか、いくらお姉さまでも人形と人間の違いくらい判ると……まさか」
 そう、お姉さまは世間知らず度宇宙人級の人だった。
「意外と判らないもんだよ。もっとも祥子さんと清子さん以外はみんな知ってるんだけどね」
 そりゃまあ宇宙人級の双璧だけど、いや、それも問題といえば問題なんだけど、そういう問題じゃないし。
「……つまり、お手伝いさんとかもグル?」
「あんたも今日からグルだ」
「ええっ!」
「おっと、お嬢様のお帰りだよ」
「ちょ、ちょっと?」
「祐巳、待たせたわね」
 す、すばやい。
 その祐巳人形嬢はドアを開く音が聞こえた瞬間、組んでいた足を戻し、背筋をぴんと伸ばしてお人形さんモードに戻ってしまった。
「あ、あのお姉さま?」
「なにか話し声が聞こえたけど、祐巳、これとお話していたの?」
 お姉さまは穏やかに微笑まれながらそう仰った。
「あの、え、ええそうなんです」
「うふふ。お人形とお話するなんて。祐巳にもそんな可愛らしいところがあるのね。でも恥ずかしがることは無いわよ。そういう純粋な感性は大切にして欲しいわ」
「は、はあ」
 しかし、どうしよう。グルなんていわれてつい話を合わせてしまったけど、お姉さまを騙しつづけるなんて私の良心がグサグサに痛むんですけど。
 それに、お姉さまはさっきあの人形を抱いて寝るって……!
 そうだ、それこそ大問題じゃない! なんで忘れてたんだろう。一刻も早く真相をお姉さまにお教えしてあの不埒な自称人形を排除せねば!
「お姉さま、この人形ですけど」
「なあに?」
 お姉さまはなんにも知らない無垢な笑顔を向けてきた。
 その向こうではアレが『バラシタラワカッテルダロウナ』みたいな目で睨んでる。
「あー、えーっと、その、人形を抱いて寝るのはお控えになったほうがよろしいかと」
 うう、押しの弱い自分が憎い。
「あら、どうして?」
「そ、その、ですね、お人形を抱いて寝るのは可愛くて別にいいというか、でもそれが等身大となると意味がちょっと違ってくるというかなんというか……」 
 何を言っているんだ。しっかりしろ、私。
 そのとき何を思ったのか、お姉さまはクスクスと笑いながら仰った。
「あら、祐巳ったらもしかして羨ましいのかしら?」
「え、え、ええ!?」
 まさか、「じゃあ、今日は本物の祐巳を抱いて寝ようかしら?」なんて?
 それは困ります。いえ、嬉しいですよ? ものすごく。でもそんなことになったら私はどうかなってしまいそうで、はい、私、パニックしてます。
「そう。じゃあ考えておくわ」
「へ?」
「あの考えって?」
「それはおたのしみよ」
「はぁ」
 どうやら祥子さまのベットで一晩一緒に、なんて事にはならないみたいだ。
 ちょっと残念。
 じゃなくて、このままじゃ不味いじゃん。
「あのですね、この人形、人形なんかじゃないです! 祥子さま騙されてます」
 よし、言えた。アレが向こうで「ちっ」とか舌打ちしてる。
 なのにお姉さまはあっさり言った。
「あら、私もそう思っていたのよね」
「え? 祥子さま気づかれていたのですか?」
 じゃあ、人間だって判ってベッドを共にして?
 しかし、祥子さまの宇宙人振りは祐巳の予想を越えて邁進中だった。
「人形というには高性能すぎるもの」
「あ、あのー……」
「時々、喋ったり歩いたりするのよ。容姿だけって注文だったのに良くここまで作ったって感心するわ」
「は、はぁ」
「そうそう、この間なんか私の夜食をつまみ食いしてたわ」
 祐巳の脳裏で今は亡きあのお方のダミ声が聞こえた。『ダメだこりゃ』
 お姉さま、そんな人形この世界に存在してません。別の世界にならあるかもしれませんけど。
 向こうでは人形祐巳が『してやったり』という不敵な笑顔を私に向けている。
 きー、悔しい。
 あ、そうだ。お姉さまが人形だって言って憚らないのなら、
「あの、お姉さま、お願いがあるのですが」
「あら、なあに?」
「この高性能なお人形ですけど、私に貸していただけないでしょうか?」
「あら、貴方も気に入ってしまったのかしら?」
「え、ええ」
 そうなのだ。モノ扱いだから、借りてしまえばお姉さまから引き離せる。お姉さまだって妹のお願いなら聞いてくれるに違いないし。我ながらなんていいアイデア。
「是非とも一晩、いえ出来る限り長く貸していただけると嬉しいんですけど……」
「そうね。判ったわ。あなたってあまり私にお願いしてくれないからちょっと寂しかったのよ。そういうことなら今晩中に着くように梱包させるわ」
 ふふ、いい気味。荷物扱いで箱詰めされるといいんだ。
 私は悔しそうに眉を釣り上がらせてるあいつに笑い返してやった。ふふんだ。

 そして、清子さんにお夕食に引き止められたけど、今日はお家で用意があるからと断り、お姉さまには明日の再会の約束をして「おやすみなさい、ごきげんよう」と私は小笠原家を後にした。
 やはりお金持ちのやることは庶民の理解を超えている。
 とりあえず成り行きで自分のそっくりさんを家に招くことになっちゃったけど、別にいい。私の影武者として働かせても良いし、その辺は何とかなると思う。お姉さまとの付き合いでこういう常識はずれな事態には免疫が出来ているし。いや、そんな免疫欲しくなかったんだけど。
「だだいまー」
 お姉さまの家に寄って遅くなると連絡してあった。玄関に入ると早速お母さんが出てきて言った。
「お帰り、祐巳ちゃん、なにか大きな荷物があなた宛てに届いたんだけど、何か思い当たる?」
「あ、それ祥子さまからだ」
「あら、そうなの? 何かしら? お部屋に運んでもらったけどよかったかしら?」
「うん、いいよ」
 そして、何が届いたのか詮索したがる母を振り切って私は部屋へ急いだ。
 祐麒が部屋から顔を出してあの荷物なんだって聞いてきたけど、あんたが興味持つ必要なし。
 あ、でもあいつに祐麒にちょっかい出さないように言ってやらないと。
 そんなことを考えつつ部屋に入ると棺桶みたいに長細い箱が部屋の真中にでんと置いてあった。人ひとり箱に詰めて送っちゃうなんてちょっとエグイなぁ。というか私のせいだよね。これって。
 なんだか申し訳ない気がしてきて慌てて梱包を解き始めた。なにこれ本当に棺桶みたい。
 木箱をとめてある荷造り紐をカッターで切ると箱の上部が蓋になっていた。とりあえず出してあげて、お茶でも用意しようかなんて殊勝なことを考える暇も無く、その蓋を開けたと同時に祐巳は電池の切れたおもちゃの人形のように硬直した。

 しなやかな長い黒髪。

 麗しく整ったお顔。

 両手の細くて形の整った白い指が胸の下で組まれている。

 『それ』はやがて、その美しく長い睫(まつげ)に縁取られた瞼(まぶた)を開いて、優雅にその身を起こし、サファイアの双眸(そうぼう)で私を見つめ、その熟れた果実のような唇を開き甘美な声を放ったのだ。
「わたくしはお嬢様の影武者として今まで育てられてきましたが、今日(こんにち)新たに拝命いたしました任務により福沢祐巳さまの夜伽としてこちらに住まわせていただくことになりました。なにとぞよろしくお願いいたします」
 その、<傍点>お姉さまそっくりの人</傍点>はそう言って、箱の中で座り直し、三つ指を突いて私に頭を下げ、その後「これはお嬢様からでございます」と言って手紙を差し出した。
 そこにはこう書かれていた。


 祐巳へ

 祐巳があの人形を欲しがっていることをお爺さまに相談したところ、もう一体、こちらは私を模した人形があることが判りました。祐巳にはこちらの方がよいと思うので、こちらを送ります。 お爺さまには無理を言ってしまったのだけど、別に返さなくてもいいそうです。私だと思って可愛がってあげてね。


「お、お、お……」
 どうやら、今夜から夜は寂しくなさそうです。


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