【No:1529】→【No:1537】→【No:1544】→【No:1548】の続き
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「大分遅くなっちゃった」
バス停に佇みながら祐巳は腕時計を見て呟いた。ぶるっと身体が震える。四月
の終わり近くとは言え、夜はまだ寒い日もある。これで最後だからと東京を離
れる前に祐巳はどうしてもある建物が見たかったのだ。三階建てのお洒落な家。
一階には設計事務所のオフィスがあって、この家を設計したのはそこの所長。
何でこんな夜に見に来たかと言えば、昼間ではその家の住人やご近所の方に見
つかるかも知れなかったからだ。祐巳が子供時代を過ごした大切な思い出のつ
まった家。ほんの数分のつもりだったけれど、気がつけば40分が経っていた。
バスの外に滲む景色を眺める。夜に隠れて細かい部分は見えないけれど、幼稚
舎から中等部まで11年間通った懐かしい道。
(月が明るいのになんで景色が滲むのかな)
しっかり記憶に焼き付けておきたいのにと祐巳は思う。お社を出ることを許さ
れるのは一度だけ。舞い戻ればもう二度と出てくることは出来ない。そう思う
のに。結局祐巳は瞼を閉じて涙を堪える。少しだけ溢れてしまった分はハンカ
チで押さえて拭き取った。
(もういいか。)
M駅が近づいて来たので万一の為の変装にと被っていた帽子を取ってショルダー
バッグに押し込んだ。
「福沢祐巳さん?」
「は、はい」
バスを降りてリリアン循環に乗り換える為、駅の構内を通って反対口へ向かお
うとしている時だった。改札口の前あたりで三人の年上の女性に取り囲まれた。
「お話があるの。一緒に来てもらえるかしら?」
「え?」
(まさか誘拐?)
「ふふ。そんなに怯えなくても大丈夫よ。私達は別に怪しいもんじゃないわ」
「そうね。先に自己紹介だけはしておこうかしら。私は水野蓉子」
「鳥居江利子」
「佐藤聖」
(どこかで聞いたことがあるような)
祐巳は必死に記憶をサーチした。そして。
「先代の薔薇様方!」
「正解」
「さあ行きましょう」
「あの?」
「立ち話は疲れるし、祐巳ちゃんもお腹すいているでしょう?」
「はい。あ、いえ」
「くすっ、いいのよ。私達もだから」
「あ、でも私持ち合わせが……」
「いいって。こちらが誘うのだから奢らせてもらうわ」
「そんな。初対面なのに申し訳ないです。それに寮の門限がありますから」
「大丈夫よ。送って行ってあげるから」
「寮長とは知り合いなのよね」
「そうなんですか」
「そうそう、何時までもぐずって先輩を困らせない」
「は、はい」
というわけで祐巳は先代の薔薇様方に捕獲された。
「それでは改めて。私は元紅薔薇様こと水野蓉子。祥子の姉です」
「はい」
「元黄薔薇様こと鳥居江利子。令と由乃ちゃんが随分と迷惑をかけたみたいね」
「いえ」
「元白薔薇様こと佐藤聖。志摩子のことありがとうね」
「いえそんな。えっと、福沢祐巳です。ごきげんようお姉さま方」
やはり自分も挨拶しなければと立ち上がってお辞儀をする。
「「「「ぷっ」」」
「面白いわね祐巳ちゃん」
「え?」
元薔薇様方は揃って吹き出した。
「ぎゃっ」
「ちょっと聖、何やってるのよ」
「柔らかくて良い抱きごこち」
「あ、あの」
聖様に突然抱きしめられて祐巳は吃驚してわたわたしてしまう。
「変わらないわね」
「へへへ」
「話が出来ないからいい加減にしなさい」
「はーい」
(な、なんなのこの人)
「それで話というのはね」
「はい」
「祐巳ちゃんの転校はなしになったから」
「はい。……って、ええーっ?」
「祐巳ちゃんの書類に不備があったのよ。貴女ご両親の署名と印鑑偽造したで
しょう?」
「ど、どどどど」
焦ってしまって上手く喋れない。元薔薇様方は楽しそうに祐巳を見つめる。
「どうして知っているのかって? それは企業秘密なのだけれど」
「まあ伊達に薔薇様をやっていた訳じゃないってことね」
「はぁ」
「知っているかもしれないけれど、祥子は外面とは違ってとても弱い一面があ
るの。性格もあんなだし」
「令はへタレだし」
「正直、今年の山百合会は駄目なんじゃないかって心配してたのよ」
「祐巳ちゃんのことにしたって、祥子と令がしっかりしてさえいれば私達が出
しゃばる必要なんてなかったのだし」
「はぁ」
「そこに愛の天使福沢祐巳が登場して大騒動の末、山百合会は理想的な形にま
とまることが出来た。」
「へ? 愛の天使って?」
「これよ」
蓉子様はバッグから折り畳まれた紙を取り出した。
「リリアンかわら版」
「そう」
かわら版には騒動の顛末が書かれていたのだけれど。主役である筈の黄薔薇姉
妹よりも、もう一組の白薔薇姉妹よりも、祐巳の巫女姿の写真が一番大きく
載っていたのであった。確かに愛の天使というキャプション付きで。文章の方
は物語仕立てになっていて、祐巳が正義のヒロインのように書かれていた。
「この文章は三奈子ね」
「相変わらずだわね」
「はぁ、イエローローズを思い出すわ」
その後しばらく思い出話に花が咲く。
「そういうわけで祐巳ちゃん。世話のかかる子達だけれど、山百合会をよろし
くね」
「でも」
「薔薇様の妹でなければ居られないなんてことはないのよ。理由なんてどうに
でもなることだわ」
「でも、やっぱり私は……」
祐巳は目を伏せた。
「まだ令のファンや由乃ちゃんのマニアが恐い?」
「そんなことはありませんけれど」
「令の側にいるのが辛いのかな」
「いえ」
「じゃあ何?」
「私はマリア様が大好きなんです。仕方なかったとはいえ、私はマリア様を裏
切って巫女に」
「馬鹿ね。貴女自身が志摩子に言った台詞をもう一度私達が言わなければいけ
ないのかしら?」
「それは……」
「それにもう一つ情報を掴んでいるんだな」
「え?」
「祐巳ちゃんに縋っている背の高い一年生。あの子のことはまだ解決していな
いよね? 見捨てて行く気?」
「見捨てるだなんて」
「祥子も瞳子ちゃんも」
「令も由乃ちゃんも」
「志摩子も乃梨子ちゃんも」
「みんな貴女が好きよ。そしてまだまだ不安定。貴女が居なくなったら又バラ
バラになってしまうかもしれないわ」
「祐巳ちゃんは知らないかもしれないけれど、貴女一年生にもの凄く人気があ
るのよ」
「元薔薇様が三人がかりで説得して落とせないなんて名折れだわ。全校生徒の
期待がかかった私達の顔をつぶす気?」
「祐巳ちゃん、リリアンには貴女が必要で、貴女にはリリアンが必要なの」
三人は祐巳に顔を寄せてじっと目を見つめた。
「……はい」
「良かった。じゃあ行きましょうか」
「え? どちらへ?」
「私の家よ」
「江利子様の?」
「そう。寮長にはもう泊らせるって話してあるから」
「三人がかりで色々と教えてあげるわ」
「色々って?」
「ふふふ。色々は色々よ」
(なんだか急に三人とも目付きが怪しいんですけど。マリア様、私は無事に生
きて帰れるのでしょうか?)
五月。数日降り続いた雨も上がり、陽射しも暖かく爽やかな風がさらさら吹い
て由乃の髪を揺らす。街路樹の緑も鮮やかで気持ちの良い一日。部活の朝練で
令ちゃんが先に行った為、一人のんびりと歩く。しばらくは祐巳さんを迎えに
行って二人。復縁してからは令ちゃんと二人。たった一週間ほどなのに由乃は
二人で歩くことに慣れてしまって一人が寂しい。
「うそ」
見慣れたツインテールがマリア様にお祈りを奉げている。由乃は真後ろに立ち
腕を組んだ。
「……」
「……」
どうやら由乃に気がついているらしく、何時までもお祈りを止めようとしない。
「やり過ごそうたって、そうはいかないわよ。第一同じクラスじゃない」
「はぁ」
しぶしぶといった感じで祐巳さんは振り向いた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよろしくなんかないわ。何で居るのよ?」
「それが」
「それが?」
「親に内緒で手続きしたのばれちゃって、転校の話はなかったことに」
「はぁ?」
「ついでに学園長様にリリアンの高等部を卒業しますなんて誓約書を書かされ
たりなんかも」
「居るのね、ずっとリリアンに居るのね?」
「うん」
「祐巳っ」
由乃は祐巳に抱きついた。頬に熱いものが伝う。
「それにね、由乃さん。ほっとけない子が現れちゃったから、どっちにしても
転校しないつもりだったりして」
「ふっふっふ」
「由乃さん?」
「さあ、どうしてくれようかしら?」
「あの?」
「送別会したわよね」
「うん」
「私いっぱい泣いたわ」
「そうだね」
「祐巳さんの頬にキスまでしたわ」
「えへ?」
祐巳さんはそっと由乃の腕をほどくとじりじりと後退する。由乃は指を鳴らす
真似をしながら後を追う。
「きょ、教室行かなくちゃ」
「ふーん?」
「ご、ごめんなさぁい」
「待て、こら、この狸娘」
逃げ出した祐巳を追って走る。
「待てーっ。鍋にしてやるぅ」
由乃は走りながら心の底からの笑顔になる。
「捕まえた。必殺黄薔薇脇固め」
「痛い、痛いよ由乃さん」
「あはははは」
「えへへへへ」
向日葵二輪咲き誇る。
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おまけ
その日の放課後、山百合会幹部による狸狩りが行われたとかなかったとか。
おまけ2
「山百合会から祐巳への処分を発表するわ」
「紅薔薇様?」
「卒業するまで薔薇の館でのお茶汲みを命じます」
「ええっ? 卒業するまでお茶汲み?」
「衣装のことなら心配要りませんわ。私達がご用意させて頂きますから」
「衣装? 何それ瞳子ちゃん?」
後にお茶薔薇様(ロサ・オドラータ)と呼ばれたとかなかったとか。
おまけ3
「黄薔薇様(菜々様)、何で薔薇の館の一階に衣裳部屋があるのですか? そ
れもコスプレっぽいのばかり」
「私も詳しくは知らないんだけどね。私のお姉さまの代にお茶汲み様というの
が創設されたらしいわ」
「へえ。でも色々揃っている割には定番の巫女さんの衣装がありませんね」
「それは永久欠番らしいわよ」