【1557】 たまにはゆっくり  (朝生行幸 2006-05-30 15:32:35)


 心地よい春の陽気に包まれた、リリアン女学園高等部。
 校舎に囲まれた中庭に、二人の生徒が佇んでいる。
 緑鮮やかな芝生の上で、いわゆる乙女座りで文庫本を紐解いているのは、リリアンの生徒会、通称山百合会の幹部、黄薔薇さまこと支倉令だった。
 そして、彼女の太股を枕にして、穏やかな寝息を立てているのは、令の従姉妹にして制度上の妹、黄薔薇のつぼみ島津由乃。
 時折、由乃の髪を撫でては、満足そうな笑みを浮かべる令。
 令に撫でられ、嬉しそうな表情を浮かべる由乃。
 まるで、一枚の絵のように、そこだけが輝いて見える。
 校舎の窓から、二人の様子を静かに見守る生徒たちも、皆一様に穏やかな表情をしていた。

 その様子を、薔薇の館から見ているのは、白薔薇さまこと藤堂志摩子と、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
「いいなぁ……」
 中庭の二人を見て、羨ましそうに小声で呟いた乃梨子だが、
「乃梨子も膝枕をして欲しいのかしら?」
 しっかり聞こえていたようで、微笑みながら志摩子は、乃梨子に問い掛けた。
「え? あ、いやその、ええと……」
 乃梨子らしからぬ、しどろもどろの口調。
 志摩子は、黙って乃梨子の手を取ると、そのまま引っ張って、二階から降りていく。
 由乃の眠りを妨げないように、静かに令の隣に腰を下ろすと、乃梨子の目を見つめながら、自分の膝をポンポンと叩く。
 真っ赤な顔の乃梨子だったが、諦めたのか、ゆっくりと芝生に腰を下ろし、そのまま頭を志摩子の太股に乗せた。
 見上げた乃梨子の目に映ったのは、慈愛に満ちた優しい目で見返してくる志摩子の姿。
 恥ずかしさよりも、照れの方が強い乃梨子は、頬を赤らめたまま、目を瞑ることしか出来なかった。

「あら?」
 紅薔薇さまこと小笠原祥子が、中庭に目を止めた。
「見て祐巳。微笑ましいわね」
 隣を歩く、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳を促す祥子。
「わぁ……。なんだか素敵な光景ですね」
「そうね。学校じゃないみたいだわ」
 そこだけは、まるで高原のような雰囲気なのだが、校舎に鈴なりの女生徒たちのお陰で、イマイチ趣に欠ける。
「由乃さんも乃梨子ちゃんも、気持ち良さそう……」
 羨ましそうに呟いた祐巳の手を取った祥子は、そのまま中庭まで祐巳を誘うと、志摩子の隣に腰を下ろし、祐巳を手招きした。
「え? でも、あの」
『シーッ!』
 令、志摩子、祥子が、揃って口元で人差し指を立てた。
 身体をすくめて、口の動きだけで「ごめんなさい」と謝る祐巳。
 再び手招きする祥子に、これ以上逆らえない祐巳は、照れ半分、恥ずかしさ半分の顔で身を横たえ、祥子の太股にそっと頭を乗せた。

 まったく音を立てずに薔薇の館の陰から姿を現した、自称写真部のエース武嶋蔦子と、その一番弟子内藤笙子。
 蔦子は、愛用のカメラを構えると、六人がまともに動けず、声も出せないのをいいことに、様々なアングルから、パシャリパシャリと撮りまくる。
 笙子も、最適の露光になるように、蔦子の動きに合わせてレフ板を縦横に繰り動かす。
 フィルム3本分を消費したところで、ようやく撮影の手を休めた蔦子は、ハンカチで汗を拭いながら、満足そうな表情をしていた。
 祥子と令の、何か言いたげな目付きに、分かってますよと言わんばかりに頷く。
 こういう時の二人は、祐巳なみに分かり易い。
 ちょいと一休みとばかりに、カメラのレンズにカバーを付けながら、祥子の隣に座った蔦子。
 笙子にも休ませようと目を向けると、なんと彼女は、物欲しそうに人差し指を咥えて、真っ直ぐに蔦子を見つめてるではないか。
 さすがの蔦子もこれには焦ったが、周りを見れば、令も志摩子も祥子も、諦めなさいよとしか受け取れない視線を送ってくる。
 はぁ、と小さく溜息を吐いた蔦子は、カメラを脇に置くと、両手を広げて笙子を招き入れた。
 花が咲くように顔をほころばせた笙子は、蔦子の身体に飛び込んだ。

 音もなく、しかし土煙を巻き上げながら、新聞部姉妹築山三奈子とその妹山口真美は、中庭に駆けて来た、。
 薔薇姉妹+写真部姉妹?の、実に美味しいシーンを前にして、興奮気味の三奈子と真美。
 三奈子はB5ノートパソコンに、器用に右手だけでテキストを打ち込み、真美はいつものメモ帳に、愛用のカエルシャーペンで速記してゆく。
 記者魂に火がついたのか、ちょっとやそっとじゃ消えなさそうな勢いだ。
 ある意味、単に微笑ましいだけのこのシーンで、一体どんな記事を書くつもりなのだろう。
 呆れて苦笑いしか浮かばない4人を前に、新聞部姉妹は、カチャとも音を立てずに、記事を書上げてゆく。
 先に終わった真美は、両手を合わせて済まなさそうな表情で、令と祥子に頭を下げた。
 三奈子にはともかく、真美には全幅の信頼を置く紅黄の薔薇さま、二人は小さく頷いた。
 血走った目で、まだキーを叩きつづける姉を見た真美は、三奈子が終わるのを待つため、蔦子の隣に腰を下ろした。
 隣を見れば、由乃も、乃梨子も、祐巳も笙子も、皆一様に幸せそうな顔で、姉の膝に頬を乗せている。
 いいなぁ、と心底思うものの、あの姉のことだから、自分の考えなんて分かるはずがない。
 トホホと、ちょっと古い溜息を吐いていると、いつの間にか作業を終えた三奈子が、真剣な表情で真美を凝視しているではないか。
 まさかと思ったが、姉の目は本気だ。
 姉は妹の気持ちをあまり知らないくせに、妹は姉の気持ちを嫌というほど理解できてしまう。
 もし断れば、三奈子が拗ねるのはまず間違いない。
 あからさまにわざとらしく、ヤレヤレと肩をすくめた真美は、若干頬を染めつつ三奈子を手招きした。
 都合五組の膝枕。
 しかも、全員リリアンで知らぬ者がいないであろう有名人ばかり。
 見物人がいない窓はないくらい、注目を浴びていた。

 こうして、『姉妹は必ず一度は中庭の芝生で膝枕をしないといけない』という決まりが出来上がるのだが、それはまた後の話…。


一つ戻る   一つ進む