「さぁ、お姫様、カボチャの馬車へようこそ」
「・・・真っ赤なカボチャなんて無いと思いますよ柏木さん」
「はっはっは、夢が無いなぁ、祐巳ちゃんは」
いつも思うんだけど、この気障ったらしい雰囲気を纏って何が楽しいのだろう?
「優さん、ふざけて居ないで、しっかり運転してね。祐巳が事故に会うなんて嫌よ」
「そうですわ、優お兄様はともかく、お姉さまに何かあったら許しませんわよ」
「さっちゃんも瞳子も酷いなぁ、祐巳ちゃんが無事なら僕のことなんてどうでも良いのかい?」
「「もちろん」」
冗談のつもりが真顔で返されて、さすがの柏木さんも苦笑して眉間を圧えてる。
「よろしいんですの、お姉さま?瞳子も車を呼んでいますので、お送り致しますが」
「心配無いって、それに瞳子が家に帰るのが遅くなる方が嫌なのよ、ね」
「私はかまいませんのに・・・」
「それでは、お姉さま、瞳子、ごきげんよう」
そう挨拶して小笠原邸を後にする。気障ったらしい御者が操る真っ赤なカボチャの馬車に乗って。
今日は間近になったお姉さまの卒業と、ようやくロザリオを渡せた私と瞳子が姉妹になったお祝いをと、祥子のお宅でささやかなパーティを開いていたのだ。
和やかな一時が過ぎ、パーティもお開きとなった頃、その人は現れた。柏木優さん、祥子さまの元婚約者、そして瞳子の婚約者候補。
瞳子がクリスマスの日に思いどおりにならない白地図になぞらえたそれ、小笠原や松平の家を守るためだけの婚姻関係。
祥子さまと柏木さんが不仲だという噂がどこからか流れ、瞳子は保険、祥子さまの予備として周囲から扱われていたという。
祥子さまは自ら婚約を破棄することで呪縛から解き放たれた、遠い昔の勘違いのようなものだったが、心に影を落としていたのは確かだ。瞳子もようやく心を開き、同じ呪縛から抜け出そうと必死に頑張っている。
「しかし、あの二人には参ったね。僕のことなんか全く眼中にないって、言い切ってしまうんだからねぇ」
「祐巳ちゃんは可愛い。普段のラフなスタイルも良いけど、ドレスも似合っているよ」
柏木さんが軽口を叩いて場を盛り上げようとしているが、私はそれを無視する。その雰囲気を察したのか、二人とも黙り込んだまましばらく車は走り続けた。
M駅前を抜けた頃、私は「柏木さん、そこの公園で留めてください」とポツリと一言だけ漏らした。
何も言わずに柏木さんは公園の駐車場に車を滑り込ませる。そして、また静かになる車内。
「話があるのでしょう?私だけに」
「さっちゃんが言っていたけど、肝心なところは鋭いね。・・・僕はね瞳子との婚約を白紙に戻そうと思っている」
「・・・そうですか」
前振りも無く本題を出して来たということは本気なんだろう。
「瞳子も自由になれるわけですね。でも、それだけならあの二人の居るところでも話せますよね」
「あぁ、あの二人にはまだ話せないことがある、僕に好きな女性が居るなんて」
「なるほど、同性愛者だと偽っていた理由まで話さないといけなくなりますからね」
「祐巳ちゃんは分かってるんだ」
柏木さんはシートをリクライニングさせると、寝転がり大きく背伸びをした。
「えぇ、遊園地デートの後に話してくれましたよね。それに柏木さんが祥子さまや瞳子を見る目。私が祐麒を見る時と同じ目をしてました。恋愛の対象としてではなく、家族兄弟を見る目だった。だから瞳子にも同じ手を使った『自分は同性愛者だ』と」
「そこまで聞いているんだ」
「いいえ、でも雰囲気で分かります。これでも瞳子のグラン・スールですから」
ふっ、と柏木さんはため息を吐くと、ポツリポツリと話し始めた。
「君が気付いたとおり、僕はあの二人を恋愛対象として見ることは出来ない。そうだろう?大事な家族、可愛い妹達だから。それにあのままだと二人は自分の境遇から抜け出せず、ただ流されて行く可哀相な人生を送ろうとしていたことになる。ま、君という要素のお陰で二人とも自立する道を歩き始めたようだけど。もちろん二人が僕に好意をもっていることには気付いていたさ。だけど、僕が家族としての好意以上の感情を持てなければお飯事の域を出ない結婚生活になるだろうね。だから、僕は嫌われる方法を探した。それなりに上手くいっていたと思う」
それが現状の関係を招いているんですけどね。
「不器用なんですね・・・」
「すべてが上手くいく方法なんて無いさ。そんなものがあるのなら教えて欲しいよ」
「でも逃げるのは卑怯だと思います」
橙色の夕日がビルの向こうに沈んで行く。
「好きな人が出来たなら、全てを祥子さまや瞳子に話して上げてください。そうしなければ、あの二人は柏木優という呪縛からは完全に解き放たれる事が無いままでしょう。最後まで責任を持って解き放って上げてください」
「・・・そうだね・・・それがけじめかも知れないね」
「祐巳ちゃん、僕に勇気をくれないかな?」
聞き逃しそうになるが辛うじて聞こえた。
「祐巳ちゃん、君は本当にすごい子だ。傷つき頑なだったさっちゃんの心を溶かした。さっちゃんが周囲の人間と進んで関わりを持つようになったのは君と出会ってからだ。自分をさらけ出さなかった瞳子も良い方向に変わっている。君の影響でね」
「蓉子さまや皆が居たし、私はただ出来ることをしているだけですよ」
柏木さんは体を起こすと私の側に近寄り。
「それがすごいことなんだよ、さっちゃんや瞳子にとって周囲の人間、時には家族すらも敵だった。それなのに心を開かせたのは君だ。君の純粋さ、的確な判断、尊敬に値する・・・・・・いや、はっきり言おう」
柏木さんが右手を伸ばし私の左肩を掴み抱きしめられた。
「君が好きだ」
「・・・冗談」
柏木さんの視線が私を捕らえて離さない。その真っ直ぐに射抜くような視線にいつもの軽さは欠片も見えない。なのに、不思議と怖いとは感じなかった。
「本気だよ」
「嫌いです」
「本当にそう言い切れる?」
「柏木さんを恋愛の対象として見たことなんてありません」
「これから見てくれれば良い」
息が詰まりそうな時間がどれだけ経ったのか、真剣な眼差しに私の方が根負けしてしまった。
目を閉じて深呼吸をして、もう一度柏木さんと視線をぶつけ合う。
「私に祥子さまや瞳子を裏切れと?あの二人の想いはどうなるんです?」
「僕が祐巳ちゃんを好きになったんだ。あの二人に嫌われるのは僕の役だよ」
「それで納得してくれると思いますか?」
「納得してもらうまで何度でも説得するさ。その覚悟が出来たから、こうやって君に話しているんだ」
柏木さんはどんなことでも簡単にこなしている大人だと思っていた。でも、今目の前に居るのはごく普通の男の子に見える。
たぶん、それが柏木さんの本気なんだと分かってきた。
「私は柏木さんを好きになれるかなんて分かりませんよ」
「今はそれで良いよ。ただあの二人に全てを話すために、少しだけ勇気を分けて欲しい・・・」
そっと引き寄せられ、柏木さんの顔が近づき、優しく触れるように二人の唇が重なった・・・。
家に着いた頃にはすっかり陽も落ちてしまい、門柱の明かりだけが私たちを照らしていた。
「柏木さんって、どこまでも不器用なんですね」
「そうだね。君はあれからすぐに僕のいるところまで登って来たというのに、僕は足踏みしたままだ」
そうだ、祥子さまとの遊園地デートの後にそんなことを話したっけ。
「でも、歯車は動き出しました」
「あぁ、そうだね。・・・それじゃあ、さっちゃんと瞳子に罵られてくるかな。祐巳ちゃんをかどわかした罪人として」
「そうやって軽率に見せていたら説得力が無いですよ」
「手厳しいな」
祥子さまや瞳子と同じ、柏木さんは自分を軽い人間に見せることで、一人で戦ってきたんだ。
「私はまだどうするか決めていないんですよ」
「君に卑怯者呼ばわりされるのだけはゴメンだからね。けじめはつけてくるさ」
「・・・頑張ってください。一応、そう言っておきます」
「祐巳ちゃんのその優しさと強さ、好きだよ。ずっと傍に居て欲しい」
まいったな、こんなストレートに褒められることに慣れてないから照れてしまう。
「それじゃ」
柏木さんは車の中から気障ったらしく片手を上げて、闇の中に車を滑らせて去って行く。
嫌いになれれば簡単だけど、祥子さまや瞳子を守りたい同志だし、悪い人じゃないだけに嫌いにもなりきれない。
まったく、途轍もなく難解な宿題を置いていってくれたものだ。