【1563】 ??????????  (七式 2006-05-31 23:51:08)


元より無謀な作戦だった。もはや勝機は残されていない。
多くの部下を失い、自身も複数の銃弾を浴び、退路も完全に絶たれてしまった。
目の前に立ち塞がるのは、未だ幼さ残る少年兵。
長年戦場を駆け抜けてきた戦士は、今ここに己の最期を悟る。
男は手榴弾のピンを抜くと、虚空にその身を躍らせた。
「見て置くが良い、戦いに敗れるとは、こう言う事だ!」

「ラル親父こそ、真の漢。」
菜々は画面の前でそう独りごちて、リモコンの停止ボタンを押した。
そう、大事なのはモビルスーツの性能ではない。熱い漢の魂なのだ。
深い溜息をつき、夜空の星となった一人の英雄に思いを馳せる。
青い巨星よ永遠なれ!
菜々の頬を、一筋の雫が伝った。



某月某日(日曜日)、由乃は自室で頭を抱えていた。
菜々が押し付けてきた豪華11枚セットのDVD。総再生時間は約1100分。
これが由乃の頭痛の種だった。

菜々がこの厄種を押し付けてきたのには、一応だが理由がある。

先週から、薔薇の館では学園祭で公演する劇の選定作業が行われていた。
昨年までは三人の薔薇さまが独断で作品を決めるのが慣例だったのだが、今年
は紅薔薇のつぼみの松平瞳子が選定への参加を強行に主張した。そのため選定
方法を巡って一悶着あり、結果、各薔薇一家が一本ずつ作品を提案し、その中
から会議で絞り込むという事になったのだ。そして黄薔薇のつぼみこと有馬菜
々が、黄薔薇さまこと島津由乃に推した作品というのが『某アニメ』だったと
言う訳である。

「はぁ…気が滅入るわねコリャ…」
今朝の剣道部の朝練の時、つい「あと少しで見終わるわよ」なんて言ってしま
ったのが悔やまれる。おかげで菜々が、DVDの受け取りがてら感想を聞きに
家にやって来ることになってしまった。あの時の菜々の無邪気な笑顔を思い出
すと、「実はまだ1本も見てないの」なんて到底言い出せそうにない。

そうこうしていると、窓の外から激しいホイールスピン音が聞こえてきた。
神に祈るような気持ちで外を窺う。
そこには、白煙を上げて激走する1台の自転車の姿があった。
間違いない、菜々だ。通常の3倍のスピードでこちらに向かっている。あれは
以前菜々が話していた公道最速理論って奴だ。駄目だ、もう時間がない。

「ジーク・ジオン!」
呼び鈴も鳴らさずに玄関前で菜々が叫んだ。
ああなってしまった菜々は、もう誰にも止められない。
完全にスピードの向こう側へ旅立ってしまったのだ。

覚悟を決めてドアを開けると、案の定、極上の笑顔を浮かべた菜々がそこに立っていた。

「ごきげんよう、菜々…」
「ごきげんようであります、由乃少佐殿!」
敬礼して挨拶に応える菜々はとても可愛いいのだけど、とても扱いに困る。

家に上がった菜々少尉は、玄関に飾ってあった壷を気に入ったようだ。
「これは良い物だな。」
「へえ、菜々は骨董にでも興味があるの?」
「北宋だな。」
思いっきり有田焼だったのだが、あえて黙っている事にした。

無言で階段を上って部屋に入ると、菜々少尉はいきなり本題(?)に切り込んできた。
「由乃少佐殿は、どのモビルスーツがお気に入りになりましたか?」
はい?モビルスーツ?何ですかソレ?
あまりに突然かつ難解な不意打ち攻撃に、私は思索の海に潜らざるを得なかった。

素直に「実はまだ見てないの、ゴメン」と言うのが一番の方策なんだろうけど、
それができる私じゃない。何とかこの場を切り抜けないと。(0.21秒)
しかし、モビルスーツとはこれ如何に。ひょっとして、試し言葉って奴なのだ
ろうか?あの作品を見た者だけが答えられる言葉。だとすると、私はここで正
しい「シボレテ」を探し出さないといけない。(0.35秒)
考えるんだ由乃!リリアンの灰色の脳細胞(自称)が、この程度の問題に躓いて
どうする!小宇宙を燃やせ、頑張るんだ由乃!(0.58秒)

「が…ガンダム…かな…」
私が唯一知っている単語。結局これしか思い浮かばなかった。
これで駄目ならもう後がない。

「連邦の白い悪魔!少佐殿、本気でおっしゃっているのですか?あの悪魔にど
れだけの同胞が殺されたことか…その名前は、ジオン公国国民にとって、まさ
に悪魔と同義語です。軽々しく口にして良い物ではありません!」

地雷を踏んでしまったようだ。あの菜々少尉が激昂している。
どうやら『ガンダム』と言うのは、ヴォルデモート卿と同じような存在らしい。
そんな厄介なタイトルを付けるなよサンライズ!

「あの…アレよ…あの…その…ほらっ!」
「はい?」

「ちょ、ちょっとお茶でも淹れてくるから待っててね。」
軽く引きつった笑顔でそう告げ、部屋に菜々少尉を残して1階に下りた。
完全に逃げ口実だったが仕方ない。しかし、まさかこのリリアンの黄色い暴走
特急と呼ばれる島津由乃が、無様にも敵前逃亡する羽目に陥ろうとは。
やかんに水を入れ、コンロにかける。
はぁ、我ながら恐ろしい妹を持ったものだ。

お湯が沸き、丁寧にお茶を淹れる。「美味しい」という菜々の笑顔が見たいから。
そして、ようやく冷静さを取り戻してみると、何だか罪悪感のようなものが芽生
えてきた。今の私は、菜々を騙している事になるんじゃないだろうか。
素直にまだ見ていない事を告白しよう。やっぱり、あの子に嘘はつきたくない。
こんな些細なことで、あの子との信頼関係にヒビを入れるのは絶対に嫌だ。

お茶を持って2階に上がると、素直に菜々に謝罪した。
「ごめん、菜々。本当はね、私まだDVDを見ていないの。」
例えこれで気まずくなってしまったって、嘘をつき続けるよりずっとマシだ。

「………………」

「………………ねぇ。」

「………………」

「………………菜々?」

ひょっとして、かなり怒っているのだろうか?
確かに家に来た時の菜々のテンションは凄かった。かなりこの作品を愛してい
るのだろう。だとすれば、今の落胆たるや筆舌に尽くしがたいものがあるに違
いない。脳裏に「黄薔薇革命」が過ぎった。まさかロザリオを叩き返されるの
では。それだけは耐えられない。あの時の令ちゃんの気持ちが痛いほど分かる。

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「お姉さま、本当は私、お姉さまが見ていらっしゃらないの、最初から気付い
てました。」

…はい?

「お姉さまがあまりにも必死なものですから、ついつい言い出せませんでした。」

…つまり?

「私は全然気にしてませんよ、お姉さま。」

菜々は最初から全て知っていたのだ。
そして、知りつつも私の反応を慎重に窺っていたのだ。
「ごめんなさい」と舌を出す菜々の瞳が悪戯に光った。
凸だ。あれは凸の目だ!
認めたくないものだ、若さ故の過ちってやつを。

すっかり一本取られてしまった私は、菜々と思いっ切り笑いあった。
菜々の凸化は微妙に納得いかないけれど、勇気を出して正直に告白して本当に
良かったよ。

「とっても美味しいです、お姉さま。」
菜々は私が淹れたお茶を飲んで、とても可愛らしく微笑んだ。



元より無謀な作戦だった。もはや勝機は残されていない。
多くの部下を失い、自身も複数の銃弾を浴び、退路も完全に絶たれてしまった。
目の前に立ち塞がるのは、未だ幼さ残る少年兵。
長年戦場を駆け抜けてきた戦士は、今ここに己の最期を悟る。
男は手榴弾のピンを抜くと、虚空にその身を躍らせた。
「見て置くが良い、戦いに敗れるとは、こう言う事だ!」

「ラル親父こそ、真の漢。」
由乃は画面の前でそう独りごちて、リモコンの停止ボタンを押した。
「令ちゃんにも見せてあげよう。」

後日、薔薇の館にて黄薔薇一家がランバ・ラルの素晴らしさについて小1時間
に及ぶ熱弁を振るったが、もちろんそれが学園祭で上演される事はなかった。


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