【1606】 水野祐巳のパラソルでさして  (クゥ〜 2006-06-11 22:21:13)


パラレル設定、水野祐巳の第六弾に成ります。
【No:1497】―【No:1507】―【No:1521】―【No:1532】―【No:1552】―今回

                                  『クゥ〜』




 「祥子、このままでいいの?」
 夕暮れの薔薇の館に響くのは祐巳の実の姉である蓉子お姉ちゃんの声。
 その前には、祥子さまが座り。ただ、黙っていた。
 「今度は祐巳は動かないわよ、なら、貴女が動かないと」
 お姉ちゃんを前にして、その表情は晴れない。
 「でも、お姉さま……私は祐巳ちゃんにとって必要が……」
 「そうかもね、でも、貴女には祐巳が必要でしょう?」
 祥子さまは再び黙ってしまう。
 「黙っていても、祐巳は貴女のところに来ないわよ」
 「分かっています……」
 「本当に分かっているのかしら?」
 「分かっています!!」
 「だったら、言いたいことは言いなさい!!祐巳に伝えたいことがあったなら、伝えなさい!!」
 厳しい口調で怒るお姉ちゃんを見つめる祥子さま。その様子を同席している薔薇さま達は静かに見つめ、蕾の二人は少し呆れ顔。そして、令さまは何だかオロオロと聞いていた。
 「祥子、言いたいことがあるなら黙っていても伝わらないの、わからないのよ」
 「ですが……祐巳ちゃんには花園さまが……」
 「祥子……言っておくけど、私、家で祐巳にその花園さんの話を聞いたことがないのよ。祐巳にとってその花園さんがどのくらいの人なのかは知らない、でもね、貴女たち一学期の頃はあんなに仲良かったでしょう?その頃ね、あの子から何度も貴女のことを聞いたわ」
 お姉ちゃんはそっと祥子さまの頬を触り、少し力を入れ上を向かせ。お姉ちゃんの方に顔を向けさせる。
 「本当に、思わず両方に嫉妬するくらい」
 「お姉さまが、嫉妬ですか?」
 祥子さまは、お姉ちゃんの意外な告白に驚いていた。
 「そうよ、貴女は私のプティ・スールなのに、祐巳は血のつながった妹なのに、私を除け者にして仲がいいんだもの嫉妬くらい覚えるわよ」
 お姉ちゃんは楽しそうだ。
 「だから、自信を持って祐巳に会いに行きなさい。少なくとも貴女は祐巳にとって無視することが出来ない相手なのは確かなのだから」
 祥子さまは、お姉ちゃんの言葉に迷いながらも頷く。
 「うん、それでいい。そんな祥子に情報をあげるわ……」
 お姉ちゃんは祥子さまを抱きしめた。
 



 「ふぅー」
 息が白い。
 高等部の学園祭が終わり、中等部最後のテストも終わった。残すのは年明けの本番の高校受験だけになった冬のある日。
 祐巳は最近、今までより早く登校していた。理由は、お姉ちゃんとの仲が余り上手くいっていないからだ。
 だからと言って、お姉ちゃんと喧嘩しているわけではない。
 理由は祐巳にも分かっている。
 祥子さまが原因だろう。
 お姉ちゃんにとって大事なプティ・スールである祥子さま、そして、実の妹である祐巳に挟まれてお姉ちゃんも苦労しているようだ。
 学園祭から毎日、お姉ちゃんは祐巳の部屋に来ている。理由は祐巳の勉強を見るためと言っているが、実際は祥子さまのことで来ていることは祐巳にだって分かっていた。
 それなのにお姉ちゃんはまだ何も言わない。
 「本当に、お姉ちゃんらしくない」
 だから、何だか居心地が悪くって早めの登校をするようになった。
 このことにも、お姉ちゃんは何も言わない。
 「はぁ、私、何しているんだろう」
 そう呟いて思い出すのは、静馬さまの腕の中で聞いた怒った瞳子さんの言葉。
 「祥子さまが、私を妹に?」
 信じられないけど、嬉しい言葉。だが、その言葉を素直に喜べないのは、祐巳が祥子さまを泣かせたから。
 瞳子さんを怒らせたから。
 高等部の学園祭以後、祐巳は祥子さまだけではなく、瞳子さんとも会ってはいない。
 いや、正確に言うなら瞳子さんとはたまに出会うが、瞳子さんは祐巳の顔を見るなり睨みつけてどこかに行ってしまう。
 ……このままでも良いか。
 祐巳はいつしかそう思うように成っていた。
 全て祐巳の責任、祐巳に原因があるのなら、祐巳がいなくなれば全てが上手く治まる気がするのだ。
 祐巳は一人、マリア像に祈りを捧げ中等部の敷地の方に向かおうとする。
 「……おまちなさい」
 「えっ?」
 振り向けば、そこに祥子さまがいた。
 何だか少し脅えているようにも見えるが、どこかしっかりとした決意の表情で祐巳を見ていた。
 「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
 「ご、ごきげんよう、祥子さま」
 祐巳は一歩ひきながら挨拶する。学園祭から一度も会っていない祥子さま、もう、このまま話すこともないだろうと思っていたのに、その祥子さまの方から声をかけてくるなんて思っても見なかった。
 「祥子さま、お早いですね」
 「えぇ、本当はもう少し遅く登校しているのだけど、祐巳ちゃんと話がしたかったから」
 祐巳は祥子さまの言葉に、お姉ちゃんの差し金だと気が付く。
 「あ、祐巳ちゃん、コレ持っていてくれる?」
 祐巳に近づいた祥子さまは手に持った鞄を差し出し、祐巳は言われるまま祥子さまの鞄を持った。
 「あっぅ!」
 祥子さまは、祐巳に鞄を渡すと、ソッと祐巳の制服のリボンを直した。
 「これでいいわ」
 祐巳から鞄を受け取りながら、楽しそうに笑う祥子さま。
 「も、申し訳ありません」
 「いいのよ、それよりも少し付き合ってもらっていいかしら?」
 祐巳は頷いた。
 祥子さまの後について人気のない高等部の敷地を歩き、祥子さまは祐巳をあの古い温室へと連れて来た。
 「入って、ここなら生徒が来ても目立たないから」
 祥子さまに連れられ入った古い温室、この前来たのは高等部の学園祭。祐巳が静馬さまを連れて来た。
 「祐巳ちゃん」
 「は、はい」
 どうして祥子さまがここを選んだのか分からない。祥子さまが言うように人目につかないだけなのか、それとも違う意味があるのか。
 「最初に謝らせてほしいの、一学期の事故のことあの時私が不用意なことをしなければ祐巳ちゃんは事故に遭うことはなかったから……本当にごめんなさい!!」
 「さ、祥子さま!!やめてください、あれは本当にただの事故だったんですから」
 祐巳は慌てて頭を下げている祥子さまに止めてもらう。そんなことをされたら尚更たまらない。
 「本当にごめんなさい、でも、ここからやり直さないといけないから」
 「やり直す?」
 「そうよ。祐巳ちゃん、一つ聞きたいのだけど、高校はどうするのかしら?……やっぱり、外部に行くの?それともリリアンに残るの?」
 祥子さまは真剣な目で祐巳を見つめているが、祐巳自身何度も答えを出しながら未だ迷っている答え。それを求められても黙るしかない。
 「祐巳ちゃん」
 答えを急かす祥子さま。
 「まだ、受かってもいないのでお答えは……」
 だが、祐巳にはそれだけしか答えることは出来なかった。
 「そう、そうよね。急ぎすぎたわね……ねぇ、祐巳ちゃん。私はね、あの事故のとき、祐巳ちゃんが外部に行くと思ってついカッとしてしまったの。何故って、祐巳ちゃんは、お姉さま……蓉子さまの実の妹さんだからリリアン高等部に上がってくるものと思っていたのよ」
 「お姉ちゃんですか……」
 祐巳は祥子さまの話に少しショックを受けていた。祐巳と祥子さまの繋がりは、あくまでお姉ちゃんを挟んででしかないから仕方がないのだが。
 ……まったく私は。
 祥子さまにあんな酷いことをしながら、祥子さまの言葉にショックを受けている自分を知って可笑しくなる。
 なんと我侭なのかと、だから笑った。
 「ゆ、祐巳ちゃん?」
 「あ、すみません。祥子さま……それで、お話はそれだけでしょうか?」
 「あぁ、ごめんなさい。肝心なことを聞いていなかったわ。あの、祐巳ちゃんはどうして外部受験を受けようと思ったの?外部に出るのは大学に行ってからでも良いと思うのだけど……事実、多くの生徒が外部に出るのは大学からなのだけど、祐巳ちゃんはどうして今なのかと思って……あ、ごめんなさい、私ばっかり話してしまって、でも、聞いてよいかしら?」
 「……ふぅ」
 祐巳は半ば予想していた質問だったので小さく頷いた。
 「……えぇ、いいですよ。親しい友人数人には言ったことですが、元々、考えていたことではあって急にではないのです」
 「元々?それは何時頃から」
 「中等部入学の頃ですか、といってもただ漠然と考えていたに過ぎませんが……」
 そう、本当に漠然と考えていただけ。だから、このまま高等部に上がることがどちらかといえば当然に思っていた。
 「そうなの、そんなに前から……ねぇ、祐巳ちゃん」
 「はい?」
 祥子さまは真っ直ぐに祐巳を見つめ。
 「お願いがあるの祐巳ちゃん。リリアンに残って、そして、高等部に上がって私の妹に成って欲しいの」
 その瞬間、リリアンに残るのも外部に出るのも進学の選択肢でしかなかったことが、究極の選択に変わった。



 ショック。
 そんなものではなかった。
 でっかいショックです……なんだか言い方がおかしいがそれほどの衝撃だった。
 瞳子さんから、祥子さまの祐巳への想いは聞いていた。だが、それを本人から言われるのは、瞳子さんから聞いたときのショックの比ではなかった。
 余りに驚いたので答えは伸ばしてもらうことにしてもらった、そのはずなのだが……。
 お昼休み。
 今、祐巳の目の前には祥子さまがいた。
 ここは中等部の校舎で三年生のクラスが集まる階で祐巳の教室のはずなのだが、そこに祥子さまがたずねて来られていた。
 当然、教室だけでなく。廊下のほうにも野次馬が集まってくる。
 「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
 「ごきげんよう、祥子さま。あの、何か御用でしょうか?」
 「えぇ、一緒に昼食を食べようと思ってお誘いに」
 後ろの方で祐巳と祥子さまの会話を聞いている人たちが何だか騒いでいる。祐巳はこれ以上の騒ぎに成るのを恐れて、祥子さまと一緒に中等部の校舎を出た。
 祐巳は朝の答えを求められると思っていたが、祥子さまはそんなことはせずに。昼食を図書館前のベンチで食べ終わるとそのまま図書館で勉強を見てくれた。
 だが、この事件はお昼休みだけではすまなかった。
 放課後には瞳子さんの耳に入ってしまっていたのだ。
 「ごきげんよう、祐巳さま」
 ……あ〜、怒ってる、怒ってる。
 「ごきげんよう、瞳子さん……場所変えようか」
 祐巳は塾の時間を気にしながらも瞳子さんを連れ人気のない場所に移る。
 「さて、この辺でいいかしら」
 「そうですわね。それではお聞きしますがどういうおつもりなのですか?」
 「どういうって?」
 「お惚けもほどほどにしてもらいたいものですわね。花園さまだけでなく、祥子お姉さまにまで媚を売って」
 何だか豪く酷いことを言われている。まぁ、それも当然かも知れないが……。
 「何も言い返しませんの?」
 瞳子さんは祐巳を睨んだままだ。
 「そうだね、その通りだよ」
 祐巳は瞳子さんが怒って訪ねてきたのなら、黙って怒られようと思っていた。だが、この態度がさらに瞳子さんのカンに触ったらしく。
 瞳子さんの怒りはさらに激しくなった。
 「余裕ですか……それで、祥子さまは祐巳さまに何の御用で」
 瞳子さんは今にも爆発しそうなほど怒っているようだ。本当のことを言えばどうなるか、分かりきっている。
 「祥子さまは……私にリリアンに残って妹に成って欲しいって言われた」
 「な?!」
 怒りの表情が、驚きに変わり、すぐにさらに怒った顔に変わった。
 こんな時に不謹慎だが、流石は女優志望、百面相で面白い。
 祐巳はどんな罵声が来るかと覚悟を決めている。どんな罵りでも受けるつもりでいた、それだけのことをしてしまったと思っているから。いや、言ってもらいたかったのかも知れない。
 「そ、それで、祐巳さまは何とお答えに成ったのですか?」
 まるで嵐の前の静けさの中に、瞳子さんの静かな声が響く。
 「まだ、なにも言っていない。答え出なかったから」
 瞳子さんは祐巳を睨み。
 「またそうやって!!貴女はそうして、また、祥子お姉さまを弄ぶ気ですか!!」
 ――パァァン!!
 瞳子さんの手のひらが祐巳の頬を叩いた。
 「何か反論があるなら仰りなさい!!」
 瞳子さんは怒っていた、泣いていた。その姿は、祐巳の心の奥の子供のような感情を引き出してしまう。
 「だって、祥子さまには瞳子さんが居るから、瞳子さんが祥子さまの妹に成ると思ったから」
 言ってしまった。
 言いたくなかったことを口に出してしまった。
 最初はただ漠然と考えていただけの行動、でもそれを始めたのは子供のような感情だった。
 だが、それを言うことが出来るほど祐巳は大人ではなかった。
 「……はぁ?」
 それなのに瞳子さんの返事は間抜けなものだった。
 「あの瞳子さん?……『はぁ?』はないと思うのだけど?」
 祐巳のほうも力が抜けてしまう。
 「私が、祥子さまの妹にですか?何故?」
 「何故って、祥子さまのこと好きでしょう?妹に成りたいと思っていないの?」
 祐巳の言葉に、今度は呆れ顔の瞳子さん。
 「えぇ、そうですわね。何処かの鈍感な誰かさんと違って、祥子さまのスールに成れたら本当にどんなに素敵なことか、あぁぁ、もう!!なんて無駄な時間を過ごしたのでしょう!!」
 なんだかまた怒り出す瞳子さん。
 「これ以上、祐巳さまと話していても無駄だと感じましたわ。それでは、ごきげんよう。祐巳さま」
 「あの……瞳子さん?」
 祐巳は瞳子さんを呼び止めるが、瞳子さんは怒ったまま居なくなってしまい。残された祐巳は一人呆然と残された。



 二学期の終業式。
 お昼に開かれたお聖堂から生徒達が出て行く。
 皆、ミサに参加して帰っていくのだ。その中には祐巳のよく知る人たちも多い。薔薇さまやお姉ちゃんに祥子さま。
 祐巳はミサに参加しなかった。
 本当は中等部に上がってからは参加しているので参加したかったのだが、今は祥子さまと会いたくはなかった。
 まだ、祐巳は決めていないから。
 ……でも、時間がない。
 何でも放課後の薔薇の館でクリスマスパーティーをするそうだ。そこに祐巳は、祥子さまから誘われていた。
 祥子さまは急がなくてもいいからと言ってはくれたが、そこで何かしらの結論を言うことが良いように思えるのだ。
 祐巳はお聖堂から人がいなくなるのを見て、お聖堂に向かう。
 「あっ」
 祐巳はもう誰もいないと思ったお聖堂の中に人を見つけ慌てて隠れる。
 ただ、人が残っているだけなら気にしはしないが、それが抱き合っている人たちがいればそうもいかない。
 「あれは……」
 お聖堂の中は薄暗かったが、そこにいるのが誰かは分かった。
 一人は白薔薇の蕾と呼ばれるお姉ちゃんの友人の一人である佐藤聖さま。
 そして、もう一人は体育祭で会った聖さまの妹候補で……栞さま。
 「まいったな」
 迂闊に隠れたことで、今度は出て行きづらくなった。
 ……それにしても。
 お二人を見ているとまるで逢引でもしているようだ。
 それにしては雰囲気が少しおかしい。以前、お会いした二人はそれは楽しそうに笑っていたのに、今のお二人は二人とも泣いているようだ。
 「逃げよう」
 不意に聖さまの声が響く。
 「大丈夫、わたし達なら上手くやっていける。二人でどこか誰も知らない土地に行こう」
 ……も、もしかして、私ってタイミングが悪すぎ?!
 祐巳は聞こえてくる聖さまの声にジッと黙って隠れているしかなかった。
 「それじゃ、駅で」
 聖さまはそれは楽しそうな笑顔でお聖堂を出て行く、椅子の影にいる祐巳になんて気がつかない。
 「聖……え?」
 「あは、ども」
 だが、その後について出て行こうとした栞さまと目が合ってしまった。
 はっきり言ってこの瞬間、祐巳の思考からは祥子さまのことも進学のことも吹き飛んでしまっていた。
 「貴女は確か、蓉子さまの妹さん?」
 「はい、そうです。あはは」
 気まずい。
 「そう、今の話を聞いたのね」
 「いえ、何のことか……はい、聞きました」
 どうにか誤魔化そうと思ったのも一瞬、祐巳は素直に頷いた。
 祐巳はこの後どんなことに成るのだろうと思っていたが、栞さまは微笑んで祐巳を見つめていた。
 ……。
 …………。
 栞さまと別れ、祐巳は一人呆然とお聖堂の前に立っていた。
 「あぁ、祐巳ちゃん。ここにいたのね」
 祥子さまが向こうから祐巳を見つけやってくる。その後ろには、お姉ちゃんがいた。
 栞さまからの伝言。
 それを考えるほど、今の祐巳には辛かった。
 「どうかしたの?」
 祥子さまが、祐巳を見て何か様子が変だと思ったのか心配そうに覗き込んでくる。
 「いえ、薔薇さま方が待っていらっしゃるのでしょう?急ぎませんと」
 「そうね」
 祐巳は努めて明るく振舞い先頭に立ち薔薇の館に向かう。
 薔薇の館。
 高等部の生徒会の象徴でもある薔薇さま方のいらっしゃる場所で、高等部生のみならず中等部生にとっても憧れの場所である。
 の、はずなのだが……。
 一歩、薔薇の館の二階のサロンに足を踏み入れた祐巳は固まった。
 一瞬、ここは何所?と思ってしまったほどだ。
 量販店で売っているようなクリスマスツリーはよしとして、問題はその飾りつけ。七夕に幼稚舎のお遊戯会、少し薔薇さま方のセンスを疑ってしまう。
 「祐巳、挨拶」
 「あ、本日は薔薇の館のクリスマスパーティーにおま「あ〜、祐巳ちゃん。そんなのいいからさっさと座りなさい」……」
 「そうそう、いまさら自己紹介をする間柄でもないでしょう」
 「はぁ……」
 確かに今更なのだが……祐巳は小さく溜め息をつき、集まっている人を見る。
 紅薔薇さまにお姉ちゃん、祥子さま。
 黄薔薇さまに、妹の江利子さまに令さま……。
 「あれ?お姉ちゃん、由乃さんは?」
 「由乃ちゃんは何だか体調を崩したとかで来ないみたいね」
 「そうなんだ」
 確かに令さまを見れば楽しんでいるよりも、何だかソワソワしているように見える。従妹である由乃さんが心配なようだ。
 そして、白薔薇さま。聖さまはいない。
 パーティーは祐巳が到着してすぐに始まり、祐巳は栞さまからの大事な伝言をなかなか言う機会に恵まれなかった。
 祥子さまとお姉ちゃんから聞いていた令さまのクッキーは美味しかったが、祐巳は栞さまの伝言が気になって楽しめないでいた。
 「どうしたの、祐巳ちゃん?」
 機会は不意に向こうからやってきた。
 「私の顔に何か付いているかしら?」
 どうやら祐巳は、栞さまの伝言を気にする余りに、何度も白薔薇さまを見ていたようだ。
 「あの、少しいいでしょうか?」
 「うん、いいわよ」
 祐巳の言葉に白薔薇さまは頷き二人で部屋を出る。
 祐巳はお姉ちゃんたちを警戒して、薔薇の館の外にまで白薔薇さまを連れ出した。日は暮れ、吐く息が白い。
 「聖のこと?」
 白薔薇さまは祐巳を見ていきなり核心に触れる。
 「はい、ですがこれは栞さまからの伝言です」
 「栞さんから?」
 祐巳は、栞さまから貰った伝言をそのまま白薔薇さまに伝えた。
 「そう、分かったわ。それじゃ、蓉子ちゃんにも伝えておかないとね」
 「え?お姉ちゃんにですか?」
 「そう」
 「でも、栞さまがお姉ちゃんに言って欲しいと言ったのは、あくまで白薔薇さまに伝えるためで……」
 「さて、それはどうかな」
 白薔薇さまは笑ってサロンに戻り、祐巳も後を追う。
 サロンに戻った白薔薇さまは、紅薔薇さまと黄薔薇さまに何か耳打ちして、お姉ちゃんを一度連れ出すとすぐに戻ってきた。
 二人はそれぞれ鞄とコートを取り、お姉ちゃんは令さまのクッキーをティシュで包むと、そのままサロンを出て行こうとする。それを見て、祐巳も慌てて鞄とコートを取る。
 「お姉さま?祐巳ちゃん?」
 祐巳の後ろで突然のことに驚いている祥子さまが見え、祐巳は小さく頭を下げ。祐巳は、お姉ちゃんと白薔薇さまの後を追う。
 「祐巳ちゃん!!」
 薔薇の館を出たところで二階から祥子さまに呼び止められる。その横には紅薔薇さま。
 「ここで戻ってくるの待っているわ!!」
 祥子さまはそれだけ言って祐巳に微笑み。
 祐巳はもう一度頭を下げ、お姉ちゃんの後を追った。
 お姉ちゃんからはどうして着いて来るのかと聞かれたが、白薔薇さまがフォローしてくれたので深くは追求されなかった。
 お姉ちゃんも白薔薇さまも聖さまのために駅に向かっているが、祐巳は多分そこに居るであろう栞さまに話が聞きたくて向かっているのだ。
 そして、栞さまはそこにいた。
 栞さまは、手に大きな荷物を持ち、祐巳たちを見て小さな会釈をしてそのまま去ろうとする。
 「まって!!」
 お姉ちゃんは慌てて栞さまを呼び止める。
 祐巳も、お姉ちゃんの後について栞さまの側に行く。
 「蓉子さま、それに祐巳さん」
 「ごきげんよう、栞さん。本当に行くの?」
 「はい、今、ホームにいる聖を見てきました。今の彼女を見て、出会って良かったと思える未来にするために行きたいと思いましたから」
 栞さまの瞳はどこか寂しそうで、どこか強かった。
 「そう、それならそれを聖にも伝えて欲しいの」
 「……それは」
 「分かっているわ。怖いのでしょう……聖に会うことが」
 祐巳はようやく分かった。栞さまも進む道を決めながらまだ迷っているのだ。
 「でも、それでは聖が進めないの。だから、手紙をお願い、それだけでいいから」
 お姉ちゃんは、栞さまに手帳を差し出し栞さまは受け取った。
 祐巳には、栞さまが聖さまに何と書いたのかは分からなかったが、きっとそれは栞さまから聖さまへの最後のメッセージ。
 栞さまが去ると白薔薇さまがやってきた。
 白薔薇さまは、ジッと後ろの方で待っていてくださったのだ。それは聖さまのお姉さまである白薔薇さまを見て、栞さまが困らないように配慮してくれたのだろう。
 「白薔薇さま、コレを」
 「うん、二人は駅前のファミレスで待っていて」
 白薔薇さまは祐巳とお姉ちゃんを残しホームへと上がっていった。
 白薔薇さまはファミレスで待っていてと言われたが、お姉ちゃんは動かず。祐巳もその隣で待っていた。
 どのくらいたっただろうか白薔薇さまが聖さまを連れ降りてきた。その顔は、祐巳とお姉ちゃんを見て呆れているようだ。
 「貴女たち、こんな所で……」
 「蓉子、祐巳ちゃん」
 「ほら、令ちゃんのクッキーよ」
 赤く腫れた目で、祐巳とお姉ちゃんを見る聖さまに、お姉ちゃんは持ってきた聖さまのクッキーを一つ食べさせる。
 聖さまの目にまた涙が溜まっていく。
 「さ、行きましょうか。祐巳ちゃんもおいで」
 そう言って歩き出す白薔薇さま。
 「あの、どちらに?」
 「私の家、聖のお家には泊まらせると連絡してあるから、問題はないはずよ。四人でパーティーをしましょう」
 白薔薇さまの提案は楽しそうだが、祐巳は祥子さまのことを思い出しお姉ちゃんたちから離れバスに乗った。


 「ねぇ、蓉子。祐巳ちゃんは一人でいいの?」
 祐巳の乗ったバスを見送り、聖さまはお姉ちゃんにそう尋ねる。
 「えぇ、残念ながら、今の私は必要ないのよ」
 「そんなことは……」
 「ない?……そうかもね。でも、今の祐巳は一人で考え一人で行動しているから」
 「寂しい?」
 「聖、貴女ねぇ……ふぅ、そうよ。だって仕方がないじゃない。祐巳は可愛い妹なのだから」
 「ふふふ、蓉子ちゃんもお姉ちゃんなのね」
 白薔薇さまの笑いに、お姉ちゃんは少し膨れ顔に成り。
 「えぇ、そうです。でも、それなら今日は祐巳のノロケ話に付き合ってもらいますよ」
 「「ええ〜ぇ」」
 雪が落ちてくる冬の空に、笑い声が響いた。



 雪が降っている。
 祐巳は白い息を吐きながらバスを降り、リリアンの校門前に急いだ。もうかなり遅い時間、校門は開いていなかった。
 だが、その前には祥子さまが雪の降る寒さの中で一人立っていた。
 「……祥子さま」
 「祐巳ちゃん、来てくれたわね」
 「……何をしているのですか?」
 「勿論、祐巳ちゃんを待っていたのよ」
 「待っていたって……こんな、寒い中で風邪でも引いたらどうするのですか?!」
 「そのときはどうしましょう?」
 祐巳は、祥子さまの答えに呆れたが、祥子さまは楽しそうに笑っていた。
 「祐巳ちゃん?」
 祥子さまは黙ってしまった祐巳を見る。祐巳はため息を吐き、祥子さまを見つめた。
 「祥子さま」
 「なにかしら?」
 祐巳の真っ直ぐな視線に、祥子さまも笑うのを止めた。
 「私は……」
 祐巳はこんなにまで祐巳を求めてくれる祥子さまを裏切ろうとしていた。祐巳は、自分で出した結論と希望を祥子さまに伝える。
 「そう、それが祐巳ちゃんが出した答えなのね」
 「はい、祥子さまには申し訳ないと思います。それでも、私は、私の出した答えを間違ってはいないと思っています」
 「それなら、仕方ないわね」
 祥子さまは、不意に祐巳を抱きしめ。祐巳も抵抗することなく、祥子さまの腕の中で目を瞑る。
 「祐巳ちゃん、ありがとう。こんな私の我侭に付き合ってもらって」
 「いえ、私こそ。自分の我侭ですから」
 「そうね、でも、それが祐巳ちゃんの意思なら、私は全力で祐巳ちゃんを応援するわ。それが私の意志よ」
 「祥子さま」
 祐巳は、祥子さまの温もりを感じながら「ごめんなさい」と呟いた。


 ――今日は夜遅くまで雪が降っていそうだ。



 冬休みに入ると、祐巳は冬期講習のために忙しくなった。
 それはもうお正月も返上で、祥子さまから誘われた小笠原邸訪問もお姉ちゃんだけが行って、祐巳は塾通い。
 ハッキリ言って、つまらない冬休みだった。
 それは三学期に成っても変わらなかったが、祐巳は忙しい中に時間を見つけては……。
 「ごきげんよう、瞳子さん」
 「祐巳さま、また来られたのですか?」
 「うん、一緒にご飯食べよう」
 瞳子さんと会うようにしていた。
 瞳子さんも最初の頃は、本当に嫌そうだったのだが最近は渋々ながらも付き合ってくれる。
 「それにしても、毎日良く続きますこと」
 「うん、もうこうやって瞳子さんと食事するのも終わるからね。せっかく仲良しに成れたのだからさ、喧嘩のまま終わるのは嫌だったし」
 「そうですね。もう、時間は少ないですわね……そういえば、まだ、祐巳さまの進学の話を聞いていませんでしたわね。どうなさいますの?」
 「うん、進学する」
 「そうですか」
 祐巳は、瞳子さんと楽しくお喋りがしたかったのだが、やっぱりこの時期は話がしんみりとしてしまうのだろうか?
 「でも、それは私が自分のために決めたことだから」
 「祐巳さま」
 祐巳は出来るだけ瞳子さんに笑顔を向ける。
 「だから、最後の中等部生活を楽しむつもり」
 「そうですか」
 「うん、だから瞳子さん、もう少し付き合ってね」
 祐巳は、瞳子さんの手を取り。異常気象だとTVで騒いでいようが、少し春の暖かさを感じられる晴れて暖かい中庭に急いだ。


 瞳子さんとの昼食会はそれ以後殆ど出来なくなった。
 まずは、リリアン高等部への進級試験。
 これは他校からの入学試験と同じ日に行われ、祐巳たちは大事な試験ながらどこか楽しく過ごし。他校からの入学希望者には悪いが緊張感は薄かった。
 そのせいか画用紙に『四月からよろしくね』と書いて窓に貼る作業も和気藹々とやっていた。
 祐巳にとって大変だったのは外部受験に成るミアトルの方だった。
 受験に行った祐巳の前には何故か静馬さまがやってきて、ただでさえリリアンの制服だった祐巳はさらに目だって困ってしまった。
 静馬さまは午後の面接までの空いた時間、祐巳を捕まえ学園のお気に入りという温室に連れて行ってくれた。
 温室の中には、テーブルと椅子があり。喫茶スペースに成っていた。
 祐巳はそこで静馬さまと僅かな時間だったが楽しいお喋りをした。そして、面接の時間が近づき、祐巳が退席しようとしたとき。
 静馬さまは、祐巳をまた抱きしめた。
 「必ず、来なさい」
 祐巳は、静馬さまの腕の中で小さく首を振り。
 「それは私自身の意思で決めたいと思います……ですが」
 「ですが?」
 「ミアトルに受かってリリアンに落ちたら、ミアトルに来ますし、リリアンに受かってミアトルに落ちたら、リリアンに行きます。両方落ちたら浪人ですね」
 「なら、両方受かったら?」
 「私にとって必要な方に行きます」
 祐巳の答えに静馬さまは、少し意地悪な笑顔を祐巳に向け。
 「そう」
 と、だけ……言った。


 受験も終わり。
 三年生に残されたイベントは最後の卒業式だけに成った。
 中等部ではバレンタインのチョコレート持込は許されていないので、バレンタインは日本中から蚊帳の外に置かれ。
 祐巳は、毎年のようにお姉ちゃんを含めた家族にだけ渡しただけだった。


 「いよいよ、明日ですわね」
 「そうだね、何だか、三年の一年間はいろんなことがあった気がするよ」
 「寂しいですか?」
 「うん、瞳子さんとももうこうして昼食をとる事もないだろうしね」
 「そうですわね」
 中等部の卒業式を明日に控えた昼下がり。
 明日の卒業式のために、半日授業だったのを利用して祐巳は瞳子さんとの最後の昼食会を楽しんでいた。
 少し前、薔薇さまたちも卒業した。
 お姉ちゃんがあんなに泣くとは思ってもいなかったが、それよりも久しぶりに会った聖さまが髪を切っているのは驚いた。
 そして、明日はいよいよ祐巳の卒業。
 本当に、最後の一年は楽しかった。だから、名残惜しいがそうもダダを言うわけにはいかないだろう。
 「本当に楽しかった」
 「祐巳さま」
 「その中には瞳子さんとの思いでも沢山あるよ。学園祭や体育祭そうそう叩かれたこともあったね」
 「あ、あれは……その、つい、すみませんでした」
 「あ〜、痛かったのになぁ。酷いよね〜、散々罵ったあげくバチィーンだもの」
 「ですから、こうして謝っているではありませんか!!」
 「謝るだけ?なんかお見舞いとかないの?」
 「お見舞いですか??」
 「うん、唇にチューとか」
 流石にからかい過ぎたのか、瞳子さんの顔が真っ赤だ。そろそろ、笑って誤魔化さないとせっかくの昼食会が中止に成ってしまう。
 「あ、瞳「仕方ありませんわね」……え?」
 瞳子さんは顔を真っ赤にしながら顔を近づけ、驚く祐巳の頬に唇が触れた。
 「こ、これは、お見舞いですから!!」
 結局、瞳子さんは顔を真っ赤にして驚いている祐巳の側からいなくなり、中等部最後の昼食会はそのまま終わってしまった。
 だが、祐巳は楽しそうに笑っていた。



 明日は、いよいよ卒業式だ。



 ……でも、瞳子さん。私がリリアン高等部に行くこと知っているのかな?
 祐巳は、そう思いながら、そっと頬を触った。





 祐巳が幸せな時間を過ごしているとき、薔薇の館で一つの問題が起こっていた。
 「どうしてですか、お姉さま!?」
 「だから、言ったでしょう?貴女のお姉さまとして、貴女の妹の問題には何も言わない。でもね、祐巳のお姉ちゃんとして、貴女に祐巳は任せられないと言ったのよ」
 薔薇の館に、お姉ちゃんの静かな声が響く。
 「それに祥子、貴女は祐巳に断られたはずでしょう?……祐巳がリリアンに来るのはあくまで自分のため、貴女の妹に成るためではないと」
 「はい、そうですが……」
 「それなら、諦めなさい」
 「それでも、私は!!」
 お姉ちゃんを祥子さまは睨んでいた。








 言い訳。
 キーの神さまが、せっかく揃えてくれたので、一気に卒業前まで話を進めた関係上、長く成ってしまいました。



 ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。

                                    『クゥ〜』


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