【1631】 おねがい神さま  (まつのめ 2006-06-21 18:02:51)


(【No:1624】からつづいてます。)




 あれから、志摩子さんが神仏ごっちゃの得体の知れない儀式をしたり、色々な呪文を試したりしたのだけど、目立った変化は無く、ひたすら祐巳が疲れただけだった。
「大丈夫?」
「うん、たぶん」
 で、もう帰らないと遅くなるからと、物足りなそうにしている志摩子さんを振り切って、ようやくK駅まで帰って来たところだ。
 ちなみに一緒に帰りたがっていた乃梨子ちゃんは志摩子さんに捕まっていたので置いてきた。
「家まで送ってこうか?」
「ううん、家に電話するから」
 なんだか歩くのもやっとなくらい祐巳は疲れ果てていた。
「医者行かなくていいの?」
 肩を貸してくれる由乃さんが心配そうにそう言った。
「疲れただけだから」
 別に熱があるわけでもなく、寝れば回復するって自分でも判っていた。
 でも家に帰るまでは寝入る訳にはいかない。
 由乃さんはお父さんの車が来るまで駅前のベンチで一緒に待ってくれた。
 そして、車でやってきたお父さんはもう遅いからと由乃さんにも乗っていくように勧め、由乃さんの家を回ってから家に向かった。


「ほら、祐巳ちゃん家に着いたよ」
 運転席からお父さんが声をかけてきた。
「うん」
 後ろのシートに倒れるように横になっていた祐巳は目を擦りつつ起き上がった。
 そして、鞄を抱えて車を降り、おぼつかない足取りで玄関に向かった。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
 家に入ると玄関までお母さんが出てきていた。車の音が聞こえたのだろう。
「お夕飯の用意出来てるけど?」
「うん、着替えてくる」
 廊下を歩きながらそう返事をした。
「じゃあ、来る時、祐麒も呼んでちょうだい」
「はーい」
 家族揃って夕飯は福沢家のポリシーみたいなもので、よほどの事がない限り、夕飯の時は家族四人が顔を合わせるのだ。
 今日のように少し遅れても、帰るのが判っていればこうしてみんなが揃うまで待つのは当たり前だった。


「それで祐巳ちゃん、何の神さまだか判ったのかい?」
 夕飯の席でお父さんが聞いてきた。
 祐巳が神さまになったことは家族には周知の事実だ。もちろん志摩子さんの家に何の神さまだか調べに行ったことも伝えてある。
「わかんなかった」
「そうか、今度、父さんの知り合いの神主さんのところへ行ってみるか?」
「んー、いい。めんどくさそう」
 たしかに自分がなんの神様になったのかは知りたいのだけど、いきなり神さまとして、行ったことも無い神社に行って会ったことも無い神主さんに会うのはちょっと遠慮したかった。
 そういうことはもう少し神さまに慣れてからにしたいのだ。
「それより、もう寝坊しないようにしなさいね。今朝は間に合ったの?」
「うん、先生来てたけど……」
「それ間に合ったって言わないぞ」
 祐麒がすかさず突っ込んだ。
「いーの、遅刻じゃなかったんだから」
「神さまになっても祐巳はおんなじだな」
「うるさい」
 祐麒、生意気。昔はもっと可愛かったのに。
 祐巳だって神さまになったんだからこれからもっとちゃんとするんだ。
 なんて思いつつ、テレビの方に目を向ける。
 さっきまで歌番組が流れていたのだけど、ちょうどニュースに切り替わっていた。
『ここで臨時ニュースをお伝えします』
 テロップに『台風急速接近』なんていう文字が躍っている。
「あれ、台風だって季節はずれだねえ」
 お父さんがのんびりした調子で言った。
『……洋上で発生した台風<ゆみ>は勢力を強めながら異常な速度で北上し、今夜半には関東地方に上陸する見込みです』
「ええ!?」
 気象衛星の写真に映る雲の渦巻きの中心に何故か祐巳の顔が浮かんでいた。
 でも祐麒もお母さんもお父さんも普通に画面を眺めている?
『雨量は少なく、瞬間最大風速が……』
「風が強いのか、立て付けが悪いと屋根を剥がされるな。家は大丈夫かな」
『……を超え、大きな被害を及ぼす危険があるとして警戒を強めています。では続いて中継です……』
「大騒ぎだな」
 これって、もしかして、昼間の?
 祐巳のせいだ。どうしよう。
 その時、電話が鳴った。
「あ、私出る!」
 とっさに自分宛てだと感じ、祐巳は席を立って電話のところへ急いだ。
「もしもし、福沢です」
『祐巳さん? 私』
 受話器からは緊迫した声が聞こえてきた。直感した通り由乃さんの声だった。
「由乃さん」
『ニュース見た?』
「うん」
『あれって昼間のよね? 風を呼ぶって』
「うん、たぶん」
 祐巳の顔が見えたし。
『祐巳さんって本当に神さまになっちゃったんだ』
 ということは、今の今まで信じてなかったってことか。
 でも、そんなところにツッコミいれてる場合じゃない。
「私、あんなに大きいの頼んでないよ!」
『学校、来れる?』
「う、うん!」


「何処行くの? 風が強くなっているから危ないわよ」
 外へ行く格好に着替えて玄関まで出るとお父さんとお母さんが部屋から出てきた。
「学校、行ってくる!」
「こんな中、何しに行くんだ?」
 お父さんの心配そうな声に祐巳は振り返って言った。
「わたし神さまだから」
 そういい残して玄関を出た。


 すっかり日は暮れて暗い空を見上げると雲が異様なスピードで流れていた。
「あれは?」
 半透明で一つ目のナマズとオタマジャクシを足して二で割ったようなお化け(?)がいくつも空を飛び回っているのが見えた。
「風の神さま?」
 祐巳はちょうと停留所を通り過ぎようとしたバスに走りながら手を振って止まってもらい、何とか乗り込んだ。
 さっきまで聞こえていた耳に吹き付ける風のノイズが聞こえなくなったせいか、バスの中は意外と静かに感じた。聞きなれた唸るようなエンジンの音だけが聞こえていた。
 この時間、駅へ向かうバスはガラガラで地味なスーツを着たおじさんが一人運転席のすぐ後ろの席の座っているだけ。祐巳は真ん中辺りの席に座り、窓の外に目を向けた。
 あの一つ目が目の前を通過した。と同時にゴウと風の唸る音が聞こえ、突風に煽らたバスが揺れる。どうやら『突風の神さま』といったところらしい。
 バスに乗っている間も空を覆う雲はどんどん多くなっていき、風も強くなってきているようだった。
 しばらくしてバスは賑やかな駅前のとおりに入った。
 なにか居るような気がして良く見るとロータリーの緑地帯やアーケード下の植え込みに小さな神さま(?)が蠢いているのが見えた。
 八百万の神というけど、さすがに都会では数が少ないのかな? と思い、見上げると、居るじゃない。
 ちょっと向こうのビルの上に大きな何かが座って空を眺めてるし、なんちゃら商店街の屋根の下にもなにか居る。
 とりあえず、祐巳も間違いなくその系統の神さまなのだ。
 K駅前でリリアン学園方面に向かうバスに乗り継いだ。
 そのバスに乗っている間も風はどんどん強くなり、校門前に着いた時にはもう歩いてよろけるくらいの風になっていた。
「祐巳さんこっち!」
「由乃さん!」
 閉まった門扉の横、通用門の所で由乃さんが手を振っていた。
 もうとっくに下校時間を過ぎているのに?
「どうやったの?」
「志摩子さんが」
「ごきげんよう、祐巳さん」
「あっ!」
 通用門のところには志摩子さんも居た。
「志摩子さん?」
 守衛さんが伸びてる気がするのだけど恐ろしいので聞かないことにした。
 志摩子さんはじっと祐巳を見つめて言った。
「台風を、止めるのよね」
「うん!」
「小寓寺は協力を惜しまないわよ」
 その申し出はとても心強かった。何を協力してくれるのかちょっと心配だけど。
 葉っぱに必死でしがみつく銀杏の神さまに「頑張って」と心の中で励ましつつ、祐巳は校舎に向かった。


 祐巳たちは昼間上がってた屋上にまた来ていた。
「うわぁ……」
 屋上から空を仰ぐと、沢山の飛び回る一つ目の向こうにその親玉みたいなのが浮いているのが見えた。
「あれが台風の神さま?」
 比較するものが無いからよく判らないけれどそれは一つの町を覆うくらい巨大だった。
「台風の目的地はここよ」
 志摩子さんは風に煽られるのを抑えながらなにやらノートに書かれているものを読んでいた。
「志摩子さん?」
「結界を張るわ」
 志摩子さんの指示で教室から拝借してきた椅子に重しを乗せて棒を括りつけた物を4つ用意して四角くロープを張った。
 結界の中には志摩子さんの用意したらしい仏具やら神具やらが並べられてまた何の宗教だか判らなくなっていたけど。
「って、乃梨子ちゃん?」
 ついでに巫女服の乃梨子ちゃんも一緒に鎮座していた。
「なにも聞かないでください」
 なんかおかっぱ頭を風になびかせつつ、ダーッと涙を流してるんだけど。
「法力の足しになると思うの」
「志摩子さん……」
 もう何も言うまい。
 強い風に煽られてロープがしなり、ロープに括りつけられている紙の飾りも激しく流され、揺れている。
「さあ、祐巳さん!」
 祐巳は結界の真ん中に立ち、お祓い棒のようなものを持って台風の迫る南の方を向いて空に向かって祈った。
(台風さん消えて)
 仏具の小さい物がカランと音を立てて飛ばされ、屋上の隅まで転がっていった。
(台風さん消えて!)
 面積の広い服のせいで乃梨子ちゃんが座っていられなくなり、床に張り付いて耐えている。
(台風さん、消えてっ!)
 例の一つ目が突風を伴って屋上を掠めた。
「「きゃーっ!」」
 その瞬間、結界を作っていた椅子ごと全部の道具が舞い上がり、同時に祐巳も飛ばされて横で一緒に祈っていた由乃さんに突っ込み一緒に屋上のフェンスにぶつかった。
 乃梨子ちゃんと志摩子さんも同じ状況だ。
「大丈夫?」
 祐巳は由乃さんの上から隣に移動して座り込んだ。
「ううっ……」
(どうして)
 風はまだ強くなっていく。
 台風の迫る南の方を見るとなにか竜巻のようなものが何本もうねりながらゆっくり近づいて来るのが見えた。
「これ、無理……」
(どうしてなの?)
 祐巳は思わず口にしていた。
「どうしてっ! 私、神さまなのに何も出来ないのっ!」


「祐巳さん……」 
 由乃さんが祐巳の手を強く握るのを感じた。
「ねえ、あれ」
「え?」
 由乃さんの声に顔を上げると、由乃さんは屋上の階段のある扉のさらに上方を見ていた。
「なあに?」
 そこには風になびく何かのシルエットがあった。
 目を凝らしてよく見るとそれは……
「お……お姉さま?」
 まさか。
 こんな時間にこんなところに?
「祥子さま!?」
「お姉さま!!」
 風に紛れて確かにお姉さまの声が聞こえた。
 「祐巳」と。
「ちょっと祐巳さん!」
 祐巳は風に足を取られながら上へ登る梯子へ向かった。
「危ないわよ!」
 風に飛ばされそうになりながらも祐巳は梯子をよじ登った。
「お姉さま!」
 上には確かにお姉さまが居た。
 強風に煽られて、必死で屋上を這うパイプにしがみついているお姉さまが。
「祐巳?」
「お姉さまっ!」
 風が強すぎて祐巳は梯子のてっぺんまで来てそこから動けなかった。
「祐巳っ!」 
「お姉さま!」
 お互いに名前を叫びあうしか出来ない。
 祐巳は必死で祥子さまに手を伸ばした。
 祥子さまもパイプをつたいながらゆっくり祐巳の方へ移動してきた。
 もう少し。
 祥子さまの手がもう少しで祐巳の伸ばした手に届こうとした瞬間。
「祐巳さん!」
 悲鳴のような由乃さんの声。
 風のお化けが祐巳の頭をかすめて通り過ぎた。
「逃げて!」
 志摩子さんの悲壮な叫び声が聞こえた。
 南の方角。
 台風が接近してきた方向、目の前にいつのまにか竜巻が迫っていた。
「お姉さまっっ!」
 祐巳の叫びも空しく、竜巻はつかまっていたパイプごとお姉さまを巻き上げていた。
 みるみる小さくなるお姉さまのシルエット。
(お姉さまを、)
 もう梯子にしがみついている場合じゃない。
(お姉さまを、助けなきゃ)
 手を離し、風に身を任せた。

 ――呪文はなんでもいいんだ。

「ろーさー」

 想いを乗っけることが出来ればそれでいいんだ――。

「きーねーんーしー、すー!」



 風が幾重にも集まって祐巳に身体を持ち上げていく。
 それは一つ目のお化けの実体だった。
 祐巳はそれに乗ってどこまでも上昇していった。

 お姉さまを追って。




    §




 翌日は台風一過の快晴だった。
 関東平野の広範囲に傷跡を残し、上陸と同時に消滅した台風<ゆみ>だったが、奇跡的に死者は無く、物的被害はあったものの、祐巳にその請求が来る事は無かった。
 いや、来て貰っても困るのだけど、多様な価値観がひしめく都会では神さまの存在を認めない人たちだって居るのだ。こんな中で、祐巳が呼んだ台風のことは、きっと都市伝説の一つとして埋もれていってしまうのであろう。うん。
「祐巳さん、なにぼーっとしてるの?」
「違うよ、都会を生きる神さまの生きざまについて考えてたの」
「なーにが生きざまなのよ。今朝は昼まで爆睡して大遅刻だったじゃない」
 由乃さんは相手が神さまでも相変わらず手厳しかった。
 今は昼休み。薔薇の館には祐巳の他に由乃さんと志摩子さん。乃梨子ちゃんはお休みだそうだ。
「だって、疲れてたんだから」
 そう、昨日は夜遅くへとへとに疲れて帰って寝て、朝起きたら昼前だったのだ。
 どうも力を使うとものすごく疲れて、そのあとたくさん眠らないと回復しないらしい。
「ところで祐巳さん?」
 横で静かに食後の紅茶を楽しんでいた志摩子さんが言った。
「なあに?」
「祥子さまのご容態は聞いたのかしら?」
「うん、学校に来る前に、家に電話があって、大事をとって休むけどなんともないから心配しないでって」
「そう。でもどうしてあんなところに居たのかしら?」
「えっとね、内緒」
 実は空中で祥子さまをキャッチしたとき、祐巳は同じ事を聞いていた。



「祐巳……よね?」
 お姉さまは祐巳の方を見て不思議そうな顔をした。
「ええ、お姉さま」
「髪が伸びてるわ」
「え?」
 本当だった。
 いつのまにかツインテールが解けて髪が、身長より長いくらいに伸びて、それが翼のように広がって風に舞っていた。
「それに私たち、飛んでるわ」
「ええ」
 いつの間にか嵐は収まり、空を覆っていた雲も跡形も無く消え去っていた。
 祐巳と祥子さまは互いに右手と左手を繋ぎ合って向き合っていた。
 祐巳をここまで運んだ風が今は二人を支え、二人はゆっくりと降下していた。
 祥子さまは祐巳の顔を見ながら言った。
「今日はあなたに助けられてばかりだわ」
「ばかり?」
「そうよ。お昼休みにも私を助けてくれたわ」
 奇妙な事をいう祥子さまだ。
 確かにお昼休みに祥子さまに会っているけど祐巳は何もしていない。
 それを伝えると祥子さまは言った。
「いいえ、あなたのお陰であそこから降りられたのよ」
「ああ、そういえばお姉さま、どうしてあんなところに登ってらしたのですか?」
 そう訊くと祥子さまはぷいと目を逸らした。
「……からよ」
「え?」
 声が小さくてよく聞き取れなかった。
「なんですか?」
 そう訊き返すと祥子さまは目を伏せたまま、ちょっと拗ねるような声で言った。
「あなたが、遊園地に行くなんて言うからよ」
「え?」
 それと屋上が何の関係が?
 そのつながりは次の祥子さまの言葉で明らかとなった。
「ジェットコースターと観覧車」
「ええ?」
「遊園地といったら定番でしょ? 祐巳が乗りたがったとき私が乗れないといったらあなたががっかりするから」
 ええと、つまり祐巳とジェットコースターや観覧車に乗るために、高い所を克服しようとして?
「もう少しだったのよ。登れたのだからあとは降りられるようになれば……」
 ん? 降りられるように? まさか。
「ってお姉さま、もしかして降りられなくてあそこにずっと?」
 なんて面白、いや、なんて一途な。
「お昼はあなたが来たら降りられたのよ。だからもう少しだと思って放課後にもう一度挑戦したの」
「お姉さま!」
「なによ」
 不満そうに口を尖らす祥子さまを祐巳は引き寄せて抱きしめた。というか格好としては『抱きついた』と言ったほうが良いかもしれない。
「……どうしたの?」
 そこまで祐巳の事を考えてくれた事ににたいする嬉しさと。
「誰も来なかったらどうするんですか」
 助けられて良かったという安心感と。
「でも二回とも祐巳が来たわ」
「もう、危ない事はしないでください」
 もう離したくない、何処かへ行ってしまわないように。
「そうね。でも」
「でも?」
「祐巳が助けてくれるから安心して思い切ったことが出来るわ」
「お姉さまっ!」
 そのままぎゅっと抱きしめた。
 いまは二人だけのランデブー。
 風が汚れを吹き飛ばし、澄んだ夜空でお月様だけが二人を見ていた――。

 なんてね。



「いや、私と志摩子さんも見てたから」
 祐巳と祥子さまとお月様だけの秘密だって言ったら由乃さんがそう突っ込んだ。
「ええっ」
「ええ、乃梨子もいたわよ」
「思い切り抱き合っちゃって、祐巳さんって意外と大胆」
 うわーっ。
「さあ、何を話したのか白状しちゃいなさい」
 話までは聞こえなかったみたいだけど、見られてたなんて。
「だめっ! 神さまにもプライバシーはあるんだから!」
「この際、神さま関係ないでしょ!」


 お姉さまの妹になって、山百合会に関わったせいか、天に二物も三物も与えられたような優秀な人たちに囲まれて。
 どこを取っても平均点。
 祐巳はそんな神さまだ。




(完)


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