【1632】 西洋人形がちがち夢幻  (朝生行幸 2006-06-21 21:55:11)


「祐巳、あの書類はまだなの?」

「祐巳、例の準備はもう済んでいるのでしょうね?」

「違うでしょう祐巳、もう一つの方よ」

「もういいわ祐巳、自分でするから」

「まったくあなたって子は……。志摩子の爪の垢でも飲めばいいのよ」

 多ければ一日に一度、少なければ週に一度は、紅薔薇さま小笠原祥子に何らかの形で叱られてしまう、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳。
 今日も祥子は、祐巳に辛辣な言葉を叩き付けると、後片付けは任せたわよと言い捨てて、さっさと薔薇の館を去って行った。

「はぁ……」
 テーブルに突っ伏し、溜息一つ。
「祐巳さん、大丈夫?」
 心配そうに祐巳に声をかけたのは、白薔薇さま藤堂志摩子。
 その隣で、同じように心配そうな顔の、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
「ああ、うん大丈夫だから」
 二人に気を遣わせないように、無理して笑顔を浮かべる。
 今日は黄薔薇姉妹は部活動のため、山百合会の仕事はお休みだった。
 従って現在、帰った紅薔薇さまを除いた三人が残っているのみ。
「はぁ、でも、やっぱり志摩子さんの爪の垢、煎じて飲んだ方がいいのかなぁ……?」
 カップを洗う乃梨子には聞こえないように、志摩子の指先を見つめながら、祐巳はボソリと呟いた。
「ふふ、実際に煎じて飲んでも、効き目なんてないわ」
「それは分かってるんだけどねー」
「何のお話ですか?」
 洗い物を済ませて、ハンカチで手を拭きながら、乃梨子が口を挟んだ。
「志摩子さんの爪の垢煎じて飲んだら、志摩子さんみたいになれるんじゃないかなって話」
「ははは、そんな話……」
「だよね、そんな話……」
 あり得ないよねぇと否定しかけた二人だが、途中で同時に黙り込むと、志摩子をじっと見つめ出した。
「……どうしたのかしら?」
『え? あはは、なんでもないの』
 声を揃えて、慌てて誤魔化す二人。
 志摩子みたいになりたい、と考えたのは同じだが、その方向性はまるで違う。
 祐巳は志摩子のような能力になりたいと考えたのに対し、乃梨子は志摩子のような身体になりたいと考えていたのだった。

「でもさぁ、志摩子さんの指って綺麗だよね」
 志摩子の手を取り、まじまじと指先を観察する祐巳。
 環境整備委員会での土仕事や、薔薇の館の水仕事、校内清掃など、結構な荒れ仕事を一切の手抜き無しでやっているにも関らず、志摩子の指は整っている。
 爪も、無意味・無駄に伸ばすようなこともなく、適度な長さで整えられており、色もまさしく綺麗な桜色。
「そんなことないわ。ごく普通よ」
「ぜんぜん違うよ」
 祐巳の指と並べて比べてみても、志摩子から見れば、大きな差は無いように思える。
 しかし、当人からすれば、やはり違って見えるのだろう。
「む〜〜〜……」
 眉を顰めながら志摩子の手を取り、その指先を凝視していたかと思うと、次の瞬間。

 ぱく。

 祐巳はイキナリ、志摩子の人差し指を咥えた。

 ちうー、ちうー。
 ちゅる、ちゅる。

「祐巳さん? 何を?」
 少しうろたえつつも手を引っ込めようとしたが、思いのほか強い力で手首を握り締められているため、振り解くことができない志摩子。
 そうしている間も、祐巳は志摩子の指を強く吸ったり、舌先でちろちろと舐めたり、軽く噛んだりと、まるでアイスクリームでも食べているような舌使い。
 志摩子は、指先に感じる妙に生温かい刺激に、気持ち良いようなむず痒いような、複雑な感覚を覚えていた。
 ようやく人差し指から口を離した祐巳。
 その唇から志摩子の指に、唾液が短く糸を引いたのも束の間。
 再び祐巳は、今度は中指を咥えたのだった。
「や、止めて祐巳さん……。一体何をしてるの?」
 それには答えず、一心不乱に志摩子の指を舐めしゃぶる。
「祐巳さま!!」
 そこに乃梨子が割り込み、強引に祐巳を志摩子から引っぺがした。
「……え? あれ?」
 ようやく我に返った祐巳、何が起こったのか分からないといった顔で、志摩子と乃梨子に交互に目をやった。
「あ、そうか。ゴメンね志摩子さん、ちょっとどうかしていたみたい」
 頭を掻きつつ、照れ笑いを浮かべながら謝る祐巳。
「志摩子さんの指があまりにも美味しそうだったし、爪の垢って思ったら、こう、口に入れずにはいられなかったもので」
「だからといって、あんなに夢中にならなくても」
 乃梨子が、少々不機嫌に責めて来るがさもありなん、少なからず嫉妬心が混ざっているのが窺える。
 志摩子も困った顔はしているものの、別に汚らしいとか汚らわしいといった嫌悪の感情は見えない。
 でも、やはり人の唾液がついているのは気になるみたいで、流しまで手を洗いに行った。
「でもさ、乃梨子ちゃんだって、やってみたいんでしょ」
「な!?」
 スキを突いて、小声で乃梨子に囁けば、図星だったようで、彼女の顔がボフンと赤くなった。
「二人きりにしてあげるから、心置きなく堪能してね」
 ニヤリと祐巳らしからぬ黒い笑みを浮かべると、
「本当にゴメンね志摩子さん」
「いいのよ。悪気はなかったんでしょ」
「それはもちろん。でも、志摩子さんの爪の垢を少しでも飲んだと思うから、ちょっとは変われるかな?」
「ふふふ」
「じゃぁ、先に帰るね。ごきげんよう」
「ごきげんよう祐巳さん」
 乃梨子に向かってウインク一つ、祐巳は薔薇の館を去って行った。

「さぁ、それじゃ私たちも帰りましょうか」
「………」
「乃梨子?」
 若干の緊張が見え隠れする乃梨子の表情を、訝しげに見つめる志摩子。
 意を決したのか乃梨子は、志摩子の右手、祐巳が咥えたのとは反対の手を取ると、頬を赤らませながら、

 ぱく。

 イキナリその人差し指を咥えた。

 ちうー、ちうー。
 ちゅる、ちゅる。

 志摩子は、抵抗しなかった。


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