【1660】 神の愛し子、祐巳  (まつのめ 2006-07-04 13:13:23)


 自分で書いたクロスオーバー(【No:1624】【No:1631】)のパロディですが、突発型の設定改変モノと思っていただいた方がいいと思います。






 あるよく晴れた日の昼休み。
 薔薇の館で昼食をとっていた祐巳は、向かいで同じようにお弁当を広げている由乃さんに話し掛けた。
「由乃さん」
「ん?」
「わたし、魔王になっちゃった」
 椅子からずり落ちそうになった由乃さんは、無言でガタガタと音を立てて、また座り直して何事も無かったようにまたお弁当に箸を伸ばした。
 なんだか無理に興味が無い振りをしているみたいにも見える。
 由乃さんは視線はお弁当に向けたまま言った。
「いつよ?」
「今朝。気が付いたらなってたの」
「ふうん」
 口に運んだご飯をもぐもぐと味わいながらまた箸をお弁当にのばし、今度は何を考えたのか、綺麗な造型のタコさんウインナーを一つ箸でつまんで、そのまま祐巳のお弁当のご飯の上に置いた。
「生贄」
「いらない」
「魔王が、好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ」
 由乃さんは、祐巳の言い分をてきとうにあしらってお弁当を味わうのに集中しているようだ。
 頬を膨らませて不満をアピールするも完璧に無視を決められて、祐巳は「ふぅ」とため息を一つ。
 まあいい。急いで信じてくれなくても。祐巳だって急なことで戸惑っているのだから。
 由乃さんのくれた『生贄』を箸で摘み上げつつ言った。
「とにかくね、私もなったからにはちゃんと自分の役割を果たしたいと思っているんだ」
 魔王といったらキリストさまのお父さまたる天の創造主さまとは敵対する存在だ。
 仏教では第六天魔王といって一応、六道の最上位の天の中でも最高位にあり、絶大な力を持つがゆえに創造主に逆らい六道世界を支配しようとする悪しき存在といわれている。
 カトリック系の女学園に通ってる女子高生がいきなりそれになるなんて笑っちゃう。
「でも、魔王ってなにをしたらいいのかな……」
 窓の外に視線をやり、そう呟いた。
 ああ、いい天気。今日みたいな日は外でお昼寝すると気持ちが良さそう。
「とりあえず、」
 由乃さんはなんだか詰まらなそうな口調で言った。
「小テストの予習でしょ」
「やっぱ信じてない」
 午後の授業の小テストが目の前の問題で、お弁当を食べ終わったらのんびり過ごすわけにはいかなかった。
 いつもイケイケ青信号な由乃さんが妙に詰まらなそうにしているのはその辺も関係している。
 その抜き打ち小テストの情報はクラスの違う志摩子さんからもたらされたのだけど……。
「今、魔王の話をしてたわよね? 祐巳さん?」
 その、ちょっと離れて乃梨子ちゃんと一緒にお弁当を食べていた志摩子さんが、いつのまにか食べかけのお弁当を手に祐巳の隣に立っていた。何が嬉しいのか向日葵みたいに微笑んで。
「え? う、うん」
 志摩子さんはお弁当を祐巳の隣の席に起き、椅子を引いて祐巳の方に向いて座り、目をキラキラ輝かせて言った。
「わたしも気づいていたわ。今日の祐巳さんは一味違うって」
「え? わかったの?」
「家がお寺だから判るのかしら?」
 なんか由乃さんが興味なさそうに突っ込み(?)を入れた。
 確かに志摩子さんはお寺の娘だけどあまり関係ない気がする。
 志摩子さんはテーブルの方に向いて座り直し、両手を胸の前で組んで回想するようにして言った。
「遅刻しそうになって廊下を走ってシスターに咎められていた祐巳さんは、昨日と違う!」
 そして、目を見開いたかと思う上体ごと祐巳のほうを振り向いて続けた。
「禍禍しいオーラに満ちていたわ!」
 やはり、わかる人にはわかるのだ。
 由乃さんも思い当たったかもしれないので訊いてみた。
「由乃さん、禍禍しかった? 私?」
「堂々とはしていたけど。遅刻して来た割には」
 すげない由乃さんの答えは置いといて。
「で、志摩子さん?」
「なあに?」
 志摩子さんはマリアさまみたいに微笑んで祐巳を見ていた。
「魔王って何をしたらいいの?」
 祐巳のことを魔王と見抜いた志摩子さんならきっと判るに違いない。
 そう思ったのだけど、志摩子さんはきっぱりこう言った。
「それを私に聞くのは間違いよ」
「え? そうなの?」
「ええ。私は途上とはいえ神職を業とする人間よ」
 そう言うと志摩子さんは急に椅子を蹴って立ち上がり、ロザリオを十字架が見えるように巻いた手を祐巳の方にかざして言った。
「なあに?」
「さあ、祐巳さん、大人しく降伏されなさい!」
「えーっと……」
 そう言われても。
「ねえ、志摩子さん、私、何をしたらいいのかな?」
 志摩子さんのロザリオを輝きを見ながら訊いてみた。
「わからないわ」
 はあ、志摩子さんでも判らないんだ。
 ちょっと期待しただけにガッカリ。
 志摩子さんはそんな祐巳の手を取って言った。
「判らないなら、調べましょう?」
「協力してくれるの?」
「ええ、祐巳さんが立派な魔王になれるように。そうしないと張り合いが無いもの」
「あ、ありがとう」 
 手を取り合う祐巳と志摩子さんに由乃さんが言った。
「あなたたち、どこをツッコンだらいいか判らないわ」


 *


「魔王といったら勇者と戦うものよ」
「うん」
 というわけで、ここは武道館。
「えーっと、祐巳ちゃん。武術の心得は?」
 竹刀を構えて困惑しているのは『勇者』こと令さまだ。
 祐巳たちは武道館で自主練習していた剣道部に乱入したのだ。
 いきなりの薔薇さまとつぼみたちの登場に驚いていた剣道部員や武道館に居た人たちだけど、彼女達は今、興味津々なギャラリーと化していた。
「えっと、無いです」
 と、令さまの問いに答えた祐巳は丸腰だった。
 竹刀を構える令さまの前にただ突っ立っているだけ。
「さあ、祐巳さん、魔法を使って勇者を苦しめるのよ!」
「えー? わかんないよ」
「令さま、遠慮なくやっちゃってください」
「そう言われても……」
 実は祐巳の後ろで由乃さんが腕組みして『祐巳さんを傷つけたら承知しないからね』みたいに睨みをきかせているのだ。
 さっきからやる気、いや、やらせる気なのは志摩子さんだけなのだけど。
「大丈夫ですよ。祐巳さんは魔王です。竹刀なんて令さまごと魔法で蒸発させることも可能ですから」
「それはいやだなぁ」
 苦笑しつつ令さまがそう言うと、志摩子さんは促すように一言。
「令さま」
 微笑みつつも志摩子さんなんか迫力があった。
 令さまはちょっと引きつつ言った。
「あ、あのね志摩子、そうだ、せめて祐巳ちゃんにも竹刀持たせてよ。無防備な人相手じゃやりにくくて」
 志摩子さんにびびりつつ、令さまはそう提案した。
「そうね。本来はいらないのだけど、じゃあ祐巳さん、魔法の杖の代わりに」
 そう言って志摩子さんは他の剣道部員から竹刀を借りて祐巳に渡した。
 というか、志摩子さんが妙に魔王に詳しそうなのは何で?

 結局、条件を同じにってことで令さまは着けていた防具を外した。
「じゃ、軽く行くよ」
「あ、はい」
 祐巳は見よう見真似で竹刀を構えた。
 令さまが動いたと思ったら、祐巳の竹刀が軽くはじかれ、スパンと竹刀が祐巳の頭にあたった。
 さすが有段者。まるで祐巳の竹刀が無かったみたいにスムーズだ。
 でも。
「痛い」
 結構痛かった。
「祐巳さん、魔法出さなきゃ駄目じゃない」
「そんなの判らないよ……」
 祐巳は頭を抑えてしゃがみこんだ。
 そのとき後ろの方から由乃さんの低めの声が聞こえた。
「令ちゃん」
「よ、由乃?」
「ちょっと来て」
 由乃さんは令さまを連れて武道館から出て行ってしまった。

「ちょっと方法を変えた方がいいかしら?」
 由乃さんに引きずられるようにして出て行く令さまの後姿を眺めながら、志摩子さんが言った。


 *


 今度は薔薇の館。
「えーっと?」
 ビスケットの扉の前だ。
「中には祥子さましか居ないわ」
「う、うん」
 令さまは由乃さんとどっか行っちゃって帰ってきていない。
「さあ、祥子さまを支配するのよ」
「ええっ! どうやって?」
「どうやってもいいのよ。人一人支配出来なくて世界征服なんてできないわよ?」
「魔王って世界を征服するの?」
「それも一つの目的よ。欲望のままに強大な力を行使するのが魔王なんだから」
「そうか。そうだよね。頑張ってみる」
 そんな会話を普通の声でしているもんだから、中から祥子さまの声が聞こえてきた。
「祐巳、そこにいるの?」
「あ、はい!」
 志摩子さんは「ほら」と言って祐巳をドアの中に押し込んだ。
「ごきげんよう、祐巳」
「ご、ごきげんようお姉さま」
「一人?」
「え?」
 振り返ると、祐巳からは見える位置に居た志摩子さんが微笑んでいた。怖い雰囲気で。
「は、はい、一人です」
「そう」
 そう言って祥子さまは、おそらく今まで読まれていたであろう文庫本に視線を戻された。
「お茶のお代わりは如何でしょう?」
「いいわ。いれたばかりよ」
 そういうことなので、祐巳は自分のお茶だけいれて祥子さまの隣に座った。
 座ったはいいが、祐巳はビスケット扉の方から視線を感じて落ち着かなかった。
 なにか言わなくちゃ。
「あ、あの、お姉さま」
「なあに?」
 本に視線を向けたままだけど、祥子さまはちゃんと聞いてくれている。
「実は私、魔王になりました」
「聞いてるわ」
「あ、そうですか」
 話題が途切れる。
 また、茶色い扉の微妙に開いた隙間から視線が突き刺さる。
(うーっ、どうしよう)
「あ、あの」
「なにかしら?」
 祥子さまのお顔を見ると、読書の邪魔をされてお不快という表情でもない。
 ここは伝えるべきことを伝えてしまおう。
「私、魔王ですから、お姉さまを支配しないといけないんです」
 言った後で、ちょっと変だったかななんて思ったが、祥子さまは文庫本の活字から視線を上げて祐巳を見た。
「あら?」
 そして見詰め合って沈黙。
「……あ、あの」
「何をしてくれるのかしら?」
 そう言った。
「え、えーと、まず魔力でお姉さまを魅了……」
 って何を言ってるんだ。十人並みのタヌキ娘が。
「……出来たらなぁって」
 祐巳は思わず俯いてしまった。
 あ、なんか扉からの視線も痛い。
「うふふ」
 何故だか祥子さまは微笑まれていた。
「それは必要ないわ」
「へ?」
「だって、私はもう祐巳に夢中ですもの」
(えー、えーっ!)
 胸がどっきんどっきんしてる。
 祐巳は熱くなった頬に両手を当てて動揺が収まるのを待った。
 というか、お姉さまいきなり爆弾落とさないでください。
 ちらっと祥子さまの方に視線をやると、なんだか楽しそうに微笑まれていた。
(うーっ)
 手玉に取られてしまった。
 扉の向こうにいるであろう志摩子さんの視線が痛い痛い。


 *


 結局、放課後に仕切りなおしとなった。
 今度は屋上だ。
 空は良く晴れていて、いい天気。
 由乃さんもなんとなく付いてきてる。
「まだやるの?」
「祐巳さん。そんなことじゃ立派な魔王になれないわよ」
「っていうかもう魔王」
「だったら頑張らないと」
「う、うん」

 というわけで。

「さあ、嵐を呼ぶのよ!」
「呼んでどうするの?」
「祐巳さんは威厳に欠けるから」
「そりゃ、女子高生だし」
「だから威容を示すのよ」
「どうやって?」
「ほら、あの一番高いところに立って雷と嵐を背景にこう言うの『我こそ、魔王祐巳なり!』って」
 そう言って志摩子さんは校舎のてっぺんを指差した。
 なるほど。
 祐巳は自分がどす黒い空と稲光を背景に校舎の上に立っているところを想像してみた。
 なんか違和感ありまくり。
「……そういうの、私の趣味じゃないんだけど」
「趣味じゃなくても、嵐くらい呼べないと魔王とは言えないでしょ?」
「そりゃそうだけど」
 魔王というくらいだからそのくらいの魔法は使えて当然だ。やったこと無いけど。
「だったら頑張ってくれるわよね?」
「う、うん」
「祐巳さん丸め込まれてるわよ?」 
 由乃さんのツッコミが入る。
 これじゃどっちが魔王なのか判らないよ。
 結構、志摩子さんって魔王の素質あったりして。
「あら? 祐巳さん、なあに?」
「い、いえ」
 やっぱり、志摩子さんは怖い。


 そして。


「あめよー、かぜよー」
「祐巳さん頑張って!」
「かみなりよー」
 祐巳は屋上の真ん中に立って、雨乞い(?)をしていたのだけど。
「……全然駄目ね」
 由乃さんは白けきってるし。
「頑張りが足りないのよ」
 志摩子さんは何を考えてるやらよく判らないし。
 空は青いし。
 雲は白いし。
「もう疲れたよ」
「そうね。でも何がいけないのかしら? 祐巳さん魔王になったのでしょう?」
「うん、なったよ?」
 そんな、人が聞けばバカっぽいと思われるような会話をしていたら、由乃さんが言った。
「あのさ」
「なあに?」
「私、思ったんだけどさ、魔王って、こういうことは手下にやらせるんじゃないの?」
「「え?」」
「だって王様なんでしょ?」
 思わず顔を見合わせる祐巳と志摩子さん。
「それは盲点だったわ」
「そうだったんだ」
 確かに。自分で嵐呼んだりとかより手下にやらせるって方が魔王っぽいかも。
 そして、志摩子さんは由乃さんの手を取って、目をキラキラさせて言った。
「その通りだわ。さすが由乃さんだわ」
「い、いや、そこまで感動するのはどうかと」
「じゃあ、祐巳さん試しにやってみて」
「え? 何を?」
「手下の魔物に命令するのよ」
「手下って?」
「由乃さん」
「ああ、なるほど」
「マテや」
 いきなりの言葉のデッドボールに由乃さんの額に青筋がたった。
 でも、言われて納得できてしまったのは何故なんだろう?
「え、えーっと……」
「誰が手下なのよ!」
「あら、魔王の直属の部下なんて凄いじゃない」
 すごくない、すごくない。
「いつ決まったのよ! そんなこと!」
 ちょっと収拾がつかなくなりそうなので祐巳は言った。
「由乃さん、とりあえず嵐を呼んでみて?」
「あんたまで言うか! 本当に呼んだろか!」
 その瞬間、ピカッと空が光った。
「「え?」」
 そして一瞬遅れてどっかーんと大きな音がした。
 下の方から「キャー」と悲鳴が聞こえる。
「雷が落ちたようね」
 志摩子さんが平然と言った。
「晴れてるのに?」
「いいえ、ほら空が」
 志摩子さんが見上げているのでそれに倣って上を見ると、
「ああ!?」
 どす黒い雲が空を覆っている最中だった。
 時々稲妻が光り雷の音がゴロゴロと鳴っていた。
「あ、嵐になる?」
「そりゃ呼んだから」
「凄いわ、祐巳さん」


 *


 三人は薔薇の館に戻っていた。
「止まないわね」
「うん」
 外は大雨。
 大粒の雨を窓に叩きつけて降り続いていた。
「ねえ由乃さん」
「いやよ」
 雨を止ませてもらおうと思って祐巳は由乃さんにお願いしたのだけど、拒否されたのだ。
「でもこれじゃ帰れないよ?」
 傘を差しても意味が無いくらいの激しい雨と風なのだ。
「って、なんで私に言うのよ。こんなの偶然に決まってるじゃない。そのうち止むわよ」
「でも由乃さん」
「とにかく、私に変なこと頼まないで!」
 こんなやり取りをさっきから続けているのだ。
「祐巳さん」
「なあに? 志摩子さん」
「ちょっと」
 志摩子さんは祐巳をビスケット扉の外に誘い、階段の手前あたりで祐巳に言った。
「あれじゃ多分駄目よ」
「駄目って?」
「屋上のときと何処が違うか考えていたのだけど」
「違うところ?」
「ええ、『お願い』するんじゃなくて、『命令』しないとだめなのよ、きっと」
「命令?」
「ここに来てから祐巳さんは由乃さんにお願いしかしていないでしょ?」
「うん。だって由乃さんは友達だから」
「そうかしら? そうね例えば……」
 その時ちょうど乃梨子ちゃんが一階のドアから入ってきた。
「あ! 志摩子さん、祐巳さまもごきげんよう」
「あら、どうしたの、乃梨子」
 乃梨子ちゃんは一応傘をさしてきたようだけど、水をかぶったみたいな有様で髪の毛からも水が滴っていた。
「うん、教室に忘れ物取りに行って来たんだけど、雨が降り出しちゃって、でもにわか雨だと思ってたら……」
 いつまでも止まないでむしろ本降りになって来たから仕方なく傘をさして来たのだそうだ。でも。
「急に滝みたいに降ってきて……」
 しかも突風まで吹いて、足元は川みたいで、その上風に煽られて転んだそうだ。
 その割に汚れていないのは雨で洗い流されてしまったとか。
「そうだわ、乃梨子」
 スカートの裾を絞っていた乃梨子ちゃんに向かって志摩子さんは言った。
「なに?」
「私と祐巳さん、鞄を教室に置いて来てしまったのよ。乃梨子、取ってきて」
「え? でも」
 戸惑う乃梨子ちゃんに志摩子さんはにっこり微笑んでまた言った。
「取ってきて」
「うっ、……うん」
「あ、鞄は濡らしたら駄目よ?」
「は、はいっ!」
 顔を青くした乃梨子ちゃんはたった今畳んだ傘を持って外に出ようと扉を開けた。
 でもいきなり雨が吹き込んできて、慌てて扉を閉めた。
 そしてちょっと祐巳と志摩子さんがいるほうに視線を向けてから、諦めたように視線を戻し、傘を置いてから暴風雨の中に飛び込んでいった。
 その間、志摩子さんはずっと微笑んでいた。
 ……志摩子さん怖い。
「判った?」
「え? なにが」
「命令っていうのはこういう風にするのよ」
 それを祐巳が由乃さんにしろと?
「あ」
 そのときちょっと思いつくいたことがあった。
「なあに?」
「もしかして志摩子さんにしてもいいのかな?」
 またもや志摩子さんは『にっこり』笑って言った。
「いいわよ? してみて」
 『できるものなら』
 志摩子さんの背後にそんな文字が浮かんでいるような気がした。
「や、やっぱり止めとく」
 怖すぎる。
「そう、じゃあやっぱり由乃さんね」
「何を話してるの? 今、乃梨子ちゃんの声が聞こえたみたいだけど?」
 なんかタイミング良く由乃さんが茶色の扉から顔を出した。
 祐巳は扉の方に向かって歩いて行き、廊下の角を曲がったあたりで、
「えーっと、由乃さん聞いて」
 そのまま由乃さんのいる扉の前まで行った。
「なによ」
「雨、止めて」
「はぁ? まだそんなこと言ってるの? そんなことできるわけないでしょ」
「いや、出来るとか出来ないとかは良いから、止めて」
「ちょっと祐巳さん言ってる事がめちゃくちゃよ?」
 祐巳は由乃さんの手を掴んだ。
「由乃さん、早くしないと、中庭が池みたいになちゃうよ」
 はっきり言って異常な豪雨だった。
 雨足は強まる事はあっても全然止む気配がないのだ。
 さっきから雷もひっきりなしに続いているし。
「だからぁ……」
「いいから止めて!」
 そのまま由乃さんを引っ張って廊下を進んだ。
「って、ちょっとっ!」
 由乃さんは剣道部に入ったはいえ、まだまだ基礎体力では祐巳の方が上だったようだ。
 抵抗したけれど、強引に引っ張ったら割と簡単についてきた。
「簡単だから」
「簡単って」 
 そのままぎしぎしと音をたてて階段を降りる。
「ちょっ、祐巳さん危ないから」
「危なくないよー」
 雨はまだ続いていた。
 外への扉を開けると、思い切り雨が吹き付けてきた。
 シャワー浴びてるみたいだ。
「ちょっと濡れちゃうじゃない!」
「だから早く止めないと」
「誰がよ!」
「由乃さんでしょ」
 そのまま一緒に外に出る。
 足元は本当に川みたいになっていた。
「よいしょ」
 さらにその『川』に足を踏み入れる。
「こらっ! なによこれー」
 もう、頭はびっしょり。雨は下着にまで進入してきた。
 どかーん、ごろごろと雷も。
 結局、命令とはいっても由乃さんがその気にならないと駄目だって思ったから、祐巳は由乃さんをここまで引っ張ってきたのだ。
 でも由乃さんだけ放り出すのはあんまりなので祐巳も付き合うことにした。
 祐巳は由乃さんを目を真っ直ぐ見詰めて言った。
「由乃さん、雨止めて」
 前髪から水が滴り落ちる、というよりもう途切れなく流れて落ちている。
 当然服は下着まで完全に浸水している。
「うーっ」
 由乃さんが悔しそうに唸る。
「由乃さん」
 もう一押しだ。
「もうっ! 判ったわよ!」
 やけくそのようにそう叫んたあと、顔に雨があたるのも構わず空を見上げて、
「雨も風も消えろっ!」
 その瞬間。
「……」
「……」
 雨も。
 風も。
 空を覆っていたどす黒い雲も。
「……消えたね」
「……消えたわ」
 流石に足元を流れていた川はすぐには消えなかったけれど。
 晴れ渡った空に、傾きかけた太陽。
 雨で洗い流された木々や建物に残った水滴たちが陽に照らされて輝いている。
「祐巳さん!」
 志摩子さんが薔薇の館から呼んでいた。
「戻ろ」
「うん」


 *


 さて、暴風雨は消すことが出来たけれど、濡れ鼠が二匹残った。いやもう一匹。
「志摩子さ、あ、いえお姉さま」
「あら、乃梨子お帰り」
 乃梨子ちゃんが祐巳と志摩子さんの鞄を持ってきた。
 『濡らさないで』という命令に従順に、どこで入手したのか大きなポリ袋で鞄を包んで抱えていた。もちろんスカートからも髪の毛からも水を滴らせて。
「雨、止みましたね……どうなさったんですか?」
 乃梨子ちゃんは祐巳と由乃さんの姿をまじまじと見つめてそう言った。
「見ての通りよ……」
 由乃さんが横でお手上げのポーズをした。
 祐巳はそれに付け加えて言った。
「由乃さんのせいで」
「なんで私のせいなのよ」
「だって、なかなか止めてくれなかったから」
「それは、そもそも祐巳さんが変な命令をするからでしょ」
「でも最初に嵐だって言ったの志摩子さんだよ」
 そんな会話を聞いていた乃梨子ちゃんは言った。
「なんの話ですか?」
 それには志摩子さんが答えた。
「祐巳さんが魔王になったのよ」
「それは聞きましたけど」
「だからね、立派な魔王になれるように祐巳さんを手伝っていたのよ」
「じゃあ、今の雨ってもしかして祐巳さまが?」
「そうね。正確には祐巳さんの命令で由乃さんが」
 志摩子さんは、祐巳の魔王としての力は誰かに何かをするように命令することで発現するらしいということを、乃梨子ちゃんに説明した。
 本当だろうか?
 祐巳がそれに疑問を挟んだら乃梨子ちゃんは言った。
「試したら良いんじゃないですか?」
「試す?」
「ええ、丁度良いですから、祐巳さまと由乃さまと私の服をその力で乾かしてみたらどうです?」
 なるほど。上手くいけば一石二鳥。
 祐巳たちはどうにもならないほど濡れてしまって一階の吹き抜けのところで立ち話をしていたのだ。
「じゃあ、志摩子さん。お願いできる?」
「祐巳さん、お願いじゃないでしょ?」
 志摩子さんは微笑みつつ答えた。
「あ、そうか、じゃあ、志摩子さん、私達の服を乾かして」
「了解したわ」
 そして、志摩子さんはしばらく目を瞑り、そして両手を見えない何かを乗せているように上向きにそろえて胸の前に差し出し、そのままその何かを空中に撒き散らすようにすばやく手を上に伸ばした。
「うわっ」
 本当にレモン色に光った何かが吹き抜けの空間に撒き散らされ、それらはゆっくりと祐巳たちの上に降ってきた。
 乃梨子ちゃんはその光を手に受け止めて言った。
「暖かい?」
「うん、なんか気持ちいい」
「あ、服が」
 そのレモン色の光が触れたところから、湿って濃い色になっていた服が乾いていつもの色に変わっていった。
 やがて、撒き散らされた光が全部降り積もった頃には、服も髪もすっかり乾いて濡れる前の状態に戻っていた。
 ついでに雨に遭って冷えた身体もなんかぽかぽかしていい感じになっていた。
 「なんか素敵」とは乃梨子ちゃんの感想。
 やがて光ったつぶつぶは消えて、三人はすっかり元通りに乾いていた。
「これって私の力?」
「そうだと思うわ。祐巳さんの命令に従おうと思った瞬間に何をすればいいのかが判ったから」
「由乃さんは?」
「うーん、そんなような気がするけど……」
 そうか。
 なんかちょっと使いにくい気がするけど、とりあえず祐巳の言うことを聞いてくれる人がいれば何でも出来そうだ。
「志摩子さんがあのキラキラした魔法?」
「なあに、由乃さん」
 由乃さん、なにか言いたいことがあるようだ。
「で、私が暴風雨?」
「どうしたの?」
 由乃さんは薔薇の館に響き渡る声で叫んだ。

「納得いかないわー!」 




 そんな魔王になったお話。


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