【1672】 君が居た夏  (朝生行幸 2006-07-09 13:18:39)


「あれ、笹の葉?」
 薔薇の館を訪れ、会議室に一歩足を踏み入れた紅薔薇のつぼみ福沢祐巳は、部屋の奥に立てられた七夕用の笹(竹)を見て驚いた。
「ごきげんよう祐巳ちゃん。町内会で余ってた笹を貰ってきたんだ」
「ごきげんよう令さま。じゃぁ、願い事を書いた短冊を吊るすんですね?」
「うん。テーブルの上に短冊があるから、好きに書いていいよ」
「はい」
 黄薔薇さまこと支倉令に促され、数枚の短冊を手に取る祐巳。
 でも、いざとなると、なかなか願い事なんて思いつかない。
 いや、たくさんあるので絞り切れないと言った方が適切か。
「令さまは、どんなことを書くんですか?」
「んー? やっぱり受験のことかなぁ。それと、早く由乃に妹ができるように」
「さすがは令さまですね。ご自分のことだけでなく、由乃さんのことまで」
 照れたような表情で令は、高い場所に短冊を括りつけた。
「ごきげんよう!」
「ごきげんよう」
 必要以上にハイテンションで姿を現した黄薔薇のつぼみ島津由乃に、いつものように穏やかに微笑む白薔薇さまこと藤堂志摩子。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、由乃さん志摩子さん」
「あれ? 何してるの?」
 短冊を前にしながら眉をしかめている祐巳に、問い掛ける由乃。
「ほら、あれに飾るの」
「ああ、今日は七夕だったわね」
 合点が行ったように、頷く志摩子。
「良いわね。私も書こうっと」
「そうね、私も……」
 笹の枝を整えつつ、そんな二年生トリオを微笑ましく眺める令。
「ごきげんよう」
『ごきげんよう』
 そこに現れた、紅薔薇さまこと小笠原祥子と、白薔薇のつぼみ二条乃梨子、そして山百合会の助っ人松平瞳子。
「皆で、何をしているのかしら?」
 カバンを置きながら、声をかける祥子。
「今日は七夕だからね、願い事を書いた短冊を飾ろうと思って」
 親指で笹を指差しながら、祥子に答える令。
「なるほど。古典的ではありますが、面白そうです」
 もちろん乃梨子からすれば、自分以外が書いた願い事が、特に祐巳と瞳子の短冊が面白そうと思っているのである。
 志摩子の願い事が一番気になるのは内緒だが。
「そうですわね。私も書きたいです」
 乗り気なようで、瞳子も早速短冊を数枚手に取った。
 こうして、既に書き終わった令を除いた全員が、短冊を前に悩み始めたのだった。

「それじゃ、短冊は私が括っておくから、みんなは先に帰っていいよ」
「見ないでよね令ちゃん」
「由乃じゃあるまいし、そんなことはしないよ」
 苦笑いを浮かべる令。
 当然ながら、その辺の信用はピカイチの令なので、由乃も冗談を言っただけで、全員疑うような真似はしなかった。
「それじゃぁお先に。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 祥子を先頭に、皆一斉に立ち去って行った。

「……さて」
 嫌な笑みを浮かべた令は、早速一枚目の短冊を手に取った。
「ええと、これは祐巳ちゃんか……。なになに?」

『早く妹ができますように』

「まぁ当然と言えば当然の願いだね。次は……」
 ぺらりと次の短冊をめくると。
「志摩子か。えーと」

『銀杏』

 またストレートな。
 しかも、願い事か?
「まぁいいや。で、次は祥子か」

『男嫌いが治りますように』

 やはり祥子も、このままではイカンと自覚はしているようだ。
 でも、あまりに普通なので拍子抜けだった。
「で、次は由乃か。なになに?」

『令ちゃんのヘタレが無くなりますように』

 大きなお世話だよ、と思ったが、自分のことを心配してくれているので嬉しい反面、由乃に関ること以外ではほとんどヘタレたことはないので、イマイチ納得が行かない令だった。
「はぁ。で、次は乃梨子ちゃん」

『志摩子さんと……ウフ』

「なに? なんなの? すっごい気になる! 志摩子とナニがあるって言うの?」
 何故かクネクネと身悶えする令だが、彼女も多感なお年頃、変に興奮するのも仕方が無いだろう。
「ふぅ。気を取り直して、次は」

『祐……、いえ、やっぱり女優になりたい』

 変なところで、意地っ張りな瞳子の願い事が書かれた短冊。
 わざわざ残しているところが、瞳子らしいと言うべきか。
「ちゃんと消せばいいのに。まぁ気持ちは分からないでもないけどね……って、あれ?」
 何故か一枚多い。
 別に一人で何枚書いても構わないとは思うが、この短冊に書かれた字には、まったく見覚えがない。
「誰だろう? と言うより、いつの間にこんなものが?」
 しかし、事実まで否定はできないので、とりえあえず願い事を読んでみれば、

『もっと出番を』

 その短冊には、『桂』という名前が書かれていた。

「……誰?」
 その呟きに答えられる者は、リリアンにはいなかった。


一つ戻る   一つ進む