『がちゃSレイニー』
† † †
「――沢さん。福沢さん? 聞いていましたか? 前に出て、この問題を解いてくださいね」
「へっ?! あ、はい……」
(ひぇぇ)
一時間目の授業中、暖房で使われているストーブの遠赤外線が気持ちよくて。
つい、うとうとしてしまったのが運の尽き。
隣の列の由乃さんがノートをチラリと見せてくれたから、なんとか切り抜けられたけれど。
危うく、先生に大目玉を食うところだった。
祐巳は黒板の問題を解いた後、席に戻る時に『ありがとう』と由乃さんに両手を合わせた。
『やれやれ』って、由乃さんはわかりやすく苦笑いしていたけれど。
やっぱり瞳子ちゃんのことが気になるようで、『後でね』って唇が静かに動いた。
朝。予鈴が鳴って、薔薇の館から直接教室に来たから、由乃さんとはあまり話せなかったけれど。
瞳子ちゃんと、うまくいっていることだけは伝えた。
そして昨日の騒ぎ。
どうやら独自に動いていた由乃さんは、火消しに大変だったと聞いた。
『うん』
祐巳はそう頷いて、席に座る。
もちろん、授業中に居眠りなんてしてしまった祐巳が悪いんだけれど。
昨日の夜に瞳子ちゃんと夜更かししてしまったからか、ひどく眠い。
それに。
さっきの夢(【No:766】)が、頭から離れないのだ。
薔薇の館で祥子さまに聞かれた。瞳子ちゃんのカナダ行きのこと。
それが誘因で見てしまったのだろうか。
瞳子ちゃんがカナダに行ってしまう。
考えただけで胸が締め付けられた。
苦しいよ。
切ないよ。
瞳子ちゃんの口からは、まだ詳しいことは何も聞いていないけれど。
それは多分、現実。
さっき見た夢の中の祐巳は、瞳子ちゃんを抱きしめて最後に何を叫んだのだろう。
ううん。
本当はわかってるんだ。
わかってる。自分が我慢して、瞳子ちゃんの進む道を応援するのは一つの方法だけれど。
でも。
一度手にした幸せを離したくなくて、きっと祐巳は我侭を言ってしまう。
瞳子ちゃんを困らせてしまうかもしれないけれど。
これは、今しか言えないことだから。
瞳子ちゃんと離れてしまってからでは、もう二度と言えないこと。
自分の気持ちに、嘘なんてつきたくなかった。
黙って見送るなんて、私には……できない……。
私、大人になんて、なれないよ……。
あの夢を思い出して。祐巳の目からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
こちらを心配そうに由乃さんが見ていたけれど、だめだ。止まらない。
(ごめんなさい)
濡れたノートに謝って、祐巳はぎゅっと目を閉じた。
次に、瞳子ちゃんに会った時に、言おう。
お昼休みかもしれない。放課後かもしれない。
大丈夫。瞳子ちゃんが『必ず』ってそう言ってくれたから、すぐに会える。
そのとき、伝える。
そのとき、このロザリオを返す。
言ってしまったあと、どうなるかはわからない。
瞳子ちゃんがどうするかは、わからない。
『お姉さまになる方が、情けないです』なんて怒られるかもしれない。
『ごめんなさい』そう言われるかもしれない。
けれど、大切なことを言わないことで後悔なんてしたくない。
結局この時間は、あの夢のことと瞳子ちゃんのことで頭がいっぱいだったから。
授業の内容なんてほとんど覚えてなかった。
早く。
会いたいよ。