【1728】 止まらない天然系きらめくの  (朝生行幸 2006-07-27 22:12:58)


 パリ。
 パキ。

 昨日は、とても真冬とは思えないような生暖かい雨の日だった。
 そして、一日中降り続いた雨で出来た、そこかしこの水溜りが、今朝の冷え込みによって氷結していた。

 パリ。
 パキ。

 黄薔薇のつぼみ島津由乃は、薔薇の館へ続く道にある凍った水溜りを、真っ白な息を吐きつつ、わき目も振らずに踏み割っていた。

 パリ。
 パキ。

 足裏に響く氷の割れる音が、あまりの寒さで赤くなった耳に心地よい。
 時折、踏み損ねて滑りそうになるが、体勢を立て直して、改めて踏みつける。

 パリ。
 パキ。

 去年までは、心臓の病ゆえ、通学〜帰宅時を除いて碌に外に出してもらえなかった。
 しかし、手術を受けて健康な身体を手に入れることが出来た今、もはや何も遠慮することはない。
 足の裏に力を込めながら、これまで出来なかったことが出来る喜びを噛み締める由乃だった。

 パリ。
 パキ。

 パリ。
「あ」
 突然横合いから現れた誰かの足が、由乃が狙っていた凍った水溜りを踏み割った。
「ごきげんよう、由乃さん」
「あぁ、ごきげんよう志摩子さん……って、どうして割っちゃうのよ!?」
 その足の主は、由乃の同級生であり親友であり同僚である、白薔薇さま藤堂志摩子。
 寒さに若干頬を赤くしながら、穏やかな笑みを浮かべていた。
「だって、とても楽しそうだったものだから、私もやってみようかなって」
「だからって、私が狙っていたのをわざわざ選ばなくても」
「うふふふ」
 微笑モードの志摩子は、はっきり言って無敵。
 理由も理屈も通じない。
 責めるのをさっぱり諦めた由乃は、再び氷を踏み割り始めた。
 志摩子も同じように、可愛い掛け声と共にパリパリと氷を踏み始める。

「えい」

 パリ。

「とりゃ」

 パキ。

 競うように、パリパリ。
 争うように、パキパキ。
 二人して振り返って見れば、ここまでにあった氷は、全て割れていた。
「ふ〜ん、割ったもんねぇ」
「そうね」
 そして二人の先には、大きな水溜りが一つ残すのみ。
『………』
 しばし無言で見詰め合った二人は、視線を外すと同時にダッシュした。
 体力では志摩子に劣る由乃だが、瞬発力ではちょっとだけ勝る。
 ほぼ横並びで、あと数歩のところまで迫ったその時。

 バキ。

 まるで誰かのように、再び何者かの足が、最後の水溜りを踏み割った。
『あぁ〜!?』
 由乃と志摩子、同時に落胆の声をあげた。
 二人の前に現れたのは、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳。
 彼女は、してやったり、と言わんばかりの表情だったが。

 バチャ。

「あ」
『あ』
 思いのほか深かったみたいで、哀れ祐巳の足は、くるぶしの辺りまで沈み込んだ。
 まさしく凍るように冷たい水が、容赦なく祐巳の靴と靴下を侵食してゆく。
「ごぎげんよう〜、よじのざんじばござん〜……」
 一転今度は泣きそうな顔で、挨拶する祐巳だった。


 薔薇の館二階会議室にて、慌てて靴を脱いだ祐巳。
 早めに登校していたため、薔薇さまたちは未だ来ていない。
 幸いこの部屋には、最新の超ウルトラスーパーハイテク暖房器具『火鉢』がある。
 早速志摩子は、慣れた手付きで火を起こし始めた。
 しばらくして、炭が赤熱し始める。
「祐巳さん、早く乾かして」
「ありがとう、志摩子さん」
 只でさえクソ寒い会議室、片足が素足ってだけで、その寒さはひとしお。
 歯の根が合わないようで、ガチガチと震えつつ、火鉢の縁に靴を起き、靴下を軽く絞って炭で炙る。
 みるみる湯気が出て、乾き始める靴下。
「バチが当たったわね、祐巳さん」
「え〜、なんで?」
「私たちの邪魔さえしなければ、こんなことにはならなかったのに」
「そうね。そうすれば、同じ目にあったのは由乃さんか私か。少なくとも祐巳さんには、何も起きなかったはずだわ」
「うう〜……」
 正論に言い返せない祐巳は、不満そうに呻き声を出す。
「へいへい、どうせ私が悪いんですよ。郵便ポストが赤いのも、パトカーが黒白ツートンなのも、全部私が悪いんです」
 拗ねたように、そっぽを向いてぶつぶつ呟く祐巳を前に、由乃と志摩子は苦笑い。
 その時、何やら鼻を突くような嫌な匂いが、辺りに充満した。
「うわ、何? この匂い」
「ゴムが焼けるような匂いね……祐巳さん!?」
「へ……? ってうわぁ!?」
 志摩子が指差す先には、なんと祐巳の靴がいつの間にか火鉢の中に転がり落ちており、嫌な匂いと煙をブスブスと立てているではないか。
 大慌てで靴を拾い上げる祐巳に、大慌てで窓を開け放つ由乃と志摩子。
「ああ〜……」
 落胆する祐巳。
「……踏んだり蹴ったりとはこのことね」
 由乃の的を射た意見に、祐巳を尻目に大きく頷く志摩子だった。

 半ばヤケクソで、穴が開き、ゴムが溶けて焼け焦げが着いたままの靴を履き続けようとした祐巳。
 しかし、由乃と志摩子の制止によってようやく思い止まり、慌てて購買まで新しい靴を買いに行ったのだが、お金が足りなくて涙ながらに由乃から借金することになったのだった……。


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