「もう止めようよ」
仏頂面で、溜息を吐きながらイキナリそんなことを言ったのは、黄薔薇のつぼみ島津由乃。
なんとも思わせぶりなセリフなので、同室にいた全員が、『ギョッ?』とか『ドキッ?』としながら由乃を見た。
「……えぇと由乃さん、止めるって何をかな?」
恐る恐る由乃に訊ねるのは、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳。
若干頬が引き攣っているのが見て取れる。
「そう、まさにそれよ。その『さん』付けってやつ」
ビシと祐巳を指差す由乃。
「つまり由乃さんが言いたいのは、『さん』付け無しで、お互いを呼び合いたいと、そういうことね?」
「うむ、その通りだよ志摩子さん。伊達に無駄にでっかいオッパイしてないわね」
「胸は関係ないと思いますが。それに由乃さまだって、お姉さまを『さん』付けしているじゃないですか」
耐えかねて口を挟んだのは、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
同じつぼみでも、乃梨子はまだ一年生。
だが、生れつきツッコミ体質の乃梨子は、どんな些細なことでも、例え相手が上級生でも、突っ込まずにはいられない因果な性格だった。
「そりゃそうよ、未だ同意を得てないしね。でも、二人がOKと言うのなら、今すぐにでも呼び捨てにする準備はしてあるわ」
手を腰に当て、エヘンとばかりに胸を張る由乃。
相変らず、あまり成長は見られないが。
「私は構わないけど……。でも、そう簡単に切り替えられるかな?」
「私も構わないわ。おいおい慣れていけば済むことだし」
「よし、じゃぁ決まりね。祐巳さん志摩子さん」
『………』
無言のまま、ジト目で由乃を見やる一同。
「な……、何よ」
少したじろぎながらも、言い返した。
「『さん』付けはしないんじゃなかったかしら?」
「あ」
志摩子に言われて、ようやく気付いた由乃。
「ごめん、仕切りなおし。ええと、じゃぁまず祐巳さんからね。ゆ…ゆ…ゆゆ……」
言い出しっぺのくせに、抵抗があるのかなかなか口に出てこないらしく、『ゆ』の音だけが空しく響く。
「あーもう! 先に祐巳さんから私を呼んで」
「どうしてそうなるのよ!」
「私は一度だけだけど、祐巳さんを呼び捨てたことがあるから後でいいの!」
照れているのか、ワケの分からん理屈を持ち出した由乃の顔は、若干赤くなっていた。
「もう、勝手なんだから。じゃぁ行くよ?」
「おう、どんと来い」
呆れ顔の祐巳に、半ばヤケクソで応じた由乃の顔は、
「由乃」
祐巳の呼びかけに、みるみる真っ赤に染まった。
やはり多少の恥ずかしさはあるらしく、祐巳も少し顔が赤くなっていた。
「じゃ、じゃあ、次は志摩子さんね。由乃さ……由乃を呼んであげてよ」
「ええ、分かったわ。それでは……」
軽く深呼吸した志摩子は、由乃に向かって、
「由乃」
花も恥らう白薔薇スマイルと共に、志摩子に呼び捨てられた由乃は、真っ赤な顔のまま俯いてしまった。
「ずるいよ志摩子さん」
俯いたまま微動だにしない由乃はそのままに、志摩子を責める祐巳。
「あら、祐巳は私を呼び捨ててくれないのかしら?」
同じく白薔薇スマイルを伴って、さり気なく呼び捨てた志摩子に、祐巳も由乃のように真っ赤になった。
「そそそそそそんなことないよ、し、し……しま……、し、志摩子!」
「ふふふ、ありがとう祐巳。で、由乃は、一体いつになったら私たちを呼んでくれるのかしら」
由乃はやっと赤い顔を上げ、祐巳と志摩子を交互に見た。
「由乃が言い出したんだよ」
「そうよ、由乃だけ呼ばないなんて不公平だわ」
「由乃」
「由乃」
左右から詰め寄られ、もはや逃げ道はない。
「分かったわよ、呼べばいいんでしょ呼べば!」
「あ、逆ギレしてる」
志摩子の影から聞こえた乃梨子の呟きはあえて無視し、なんとか腹を括った由乃は、大きく数回深呼吸した。
「そ、それじゃ、いいいい行くわよ」
かなり緊張しているようで、もし心臓が治っていなかったら、その場で倒れてしまいそうな勢いだ。
「祐巳! 志摩子!」
目を瞑って、叫ぶように二人の名を呼んだ由乃。
「言えた!言えたわ祐巳さん志摩子さん!」
「やったよ由乃さん!」
「おめでとう由乃さん!」
「あのー、元に戻っているんですけど」
「もうこれからはずっと、祐巳さんと志摩子さんを呼び捨てにするからね!」
「してないしてない」
『そこ!五月蝿い!』
「はい!ごめんなさい!……うん?」
何故か三人一斉に非難され、思わず謝った乃梨子だが、どうにも腑に落ちない表情だった。
「どうしたの由乃。随分賑やかだね」
「また祐巳が何かしでかしたのかしら」
黄薔薇さま支倉令と、紅薔薇さま小笠原祥子が姿を現し、お互いにごきげんようと挨拶した。
「どういう意味ですかお姉さま」
「あら、珍しいわね。なんとも強気なこと」
「祥子さま令さま、実は……」
浮かれている由乃とちょっと拗ねている祐巳に代わり、志摩子が二人に説明した。
「そうだね。三人とも薔薇さまになることが決まったことだし、良いんじゃないかな」
「そうね。三人の友情も深まることだし、良い傾向だわ」
説明を受けて、納得とばかりに頷く二人。
「そんなワケで私たちは、お互いを呼び捨てることになりました!ね、祐巳さん志摩子さん?」
『呼べてねぇよ』
由乃以外、全員が一斉に突っ込んだ。