【1777】 堅苦しいのは苦手  (楓野 2006-08-12 02:25:23)


注:)オリキャラ警報&独自設定警報発令中。


「……そういえば、祐巳ちゃんに紹介していなかったわね」
学園祭から一週間、蓉子の唐突な呟きに山百合会全員が顔を上げた。
「紹介って……誰を?」
「棘(エピン)」
ピンとこない一同を代表して江利子が尋ねると、蓉子は一言だけポツリと応えた。
「えぴん……?」
聞き慣れない単語に祐巳は頭に疑問符を浮かべて首を傾げた。
しかし、周囲はそうではなかったらしく、口々に話しはじめる。
「……あまり彼女達を祐巳に関わらせたくないのですけど」
「そうもいかないでしょう?一応、彼女達も山百合会の一員なんだから」
祥子が渋面を浮かべ、蓉子はそれをやれやれといった感じの苦笑でたしなめる。
「私は嫌いじゃないんだけどな、あの二人」
「私だってそうだよ。皆だって、嫌ってるわけじゃないと思うけど」
「見てて面白いもの、あの二人は」
由乃が妙に楽しそうな顔をする横で、令は少し難しい顔をしていた。
それに対比するかのように、面白そうな表情の江利子。
「志摩子はどう?あの二人」
「少々騒がしいですけど、悪い方達ではないと思います」
問いかけてコーヒーをすする聖と、ほとんど考えることなく即答する志摩子。
しかし祐巳には何のことかサッパリ理解できない。
「あ、あの!!」
とうとう立ち上がって大声を上げた。
「はしたないわよ、祐巳」
「す、すみませんお姉さま……でも、その棘(エピン)って一体……」
祥子にたしなめられてパワーダウンするものの、しっかり疑問は口にする。
それに口を開いたのは、蓉子。
「そうね、言うなれば……山百合会の暗部というか……恥部というか……」
後半に向かうに連れてどんどんと声が小さくなる。
ついには頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。
「お姉さま……お気を確かに」
「大丈夫……ちょっとあの二人の破天荒ぶりに頭痛を覚えただけだから」
眉間に指を当て、頭を振って頭痛を追い払おうとする蓉子。
「簡単に言うとね、祐巳ちゃん。棘っていうのは私達の護衛」
話が進まないと思ったか、聖が口を開いて解説し始めた。
「護衛?」
「そうよ。薔薇の棘は花を守るためにあるって聞いたことあるでしょう?」
相槌を打ったのは、ようやく復活した蓉子であった。
その手には、手帳サイズのやや古い冊子が鎮座していた。
「これは山百合会についての規則を書いた本なんだけど」
言いながらペラペラとページをめくり、とある部分でその手を止めた。
「ここよ」
とある一文を開いて祐巳の前に差し出す。
「……読みにくいですね」
冊子は何度か作り直されたのだろうが、文章そのものは当初のままなのだろう。
蓉子が指し示した文は、旧仮名遣いやカタカナが多用されて随分と読みにくいものであった。
「要約すれば、『薔薇一色につき一人の護衛をつける』。そんなところかしら」
苦笑しながら蓉子が解説する。
「明治や大正の頃にはこういう護衛をつける必要があったみたいなの。
 軍人や警官の娘とか、令みたいに道場の跡取りとかそういう人が棘となっていたようね」
「はあ」
続く蓉子の解説に、祐巳はわかったんだかわかってないんだか微妙な返事を返した。
「もっとも、今はセキュリティも向上しているし、棘と言っても本当に護衛を行うわけじゃないよ。
 まあ、万が一そういう事態になったら本来の役目をしてもらうことになるけどね」
蓉子の後を継いで聖が補足し、『そんな事態にはならないほうがいいんだけど』と付け足した。
「棘についてはわかりましたけど……紅薔薇さまが頭を悩ます理由がわからないんですが」
「そこよ」
はぁ、と大きくため息を吐く蓉子。
「今の棘はね、言ってみれば問題児の駆け込み寺なのよ」
「へ?」
ほとんどお家芸のようになった間の抜けた声を漏らす祐巳。
「校外・校内問わず一定度合以上の暴力事件を複数回起こした生徒の更生を目的とし、
 生徒会業務に関わらせることで処分を保留・あるいは軽減する……これが今の棘の目的なのよ」
重々しい声と面持ちで、蓉子は淡々と告げる。
「な、なんでそんなことに……?」
「リリアンから暴力沙汰で退学者なんて出そうものならとんでもないスキャンダルだからねえ」
再び疑問符を浮かべた祐巳の問いに、聖が応えてあはは、と笑った。
「ついでに言うと棘の仕事はほとんど雑用だよ。
 あんまり表に出るわけにはいかないからイベントで表立っては手伝えないけどね」
更生になんてなりゃしないよ、と聖は肩をすくめて首を振った。
「………」
もはや言葉すらない祐巳であった。
自分が何の疑問もなく通っていたリリアンにそんな政治的(?)な取引があったこと。
そして暴力事件を起こす生徒がいたというのもまた衝撃であった。
「棘については理解できたの?」
「は、はい……ちょっとまだ動揺してますけど」
祥子の問いかけに、どもりなからも応える祐巳。
「紅薔薇の棘は一年生、黄薔薇の棘は二年生。二人ともそれほど危険な性格してないのが救いよね」
「へぇ……あれ?白薔薇の棘は?」
「白薔薇の棘は現在空席よ。むしろ空席の方が望ましいのだけど」
祥子が祐巳の疑問に答えると、中空を見つめ、溜息を吐きながらぼやいた。
棘がいないということは処分の対象になるような生徒がいないということなのだから。
「……そろそろ呼びましょうか」
「いつでもどうぞ」
「むしろ歓迎」
「あなたたちね……」
ものすごく不本意そうな蓉子の声に、聖はあっけらかんと、江利子は満面の笑顔で返した。
頭痛がぶり返したか、眉間を押さえながら窓へと向かう蓉子。
再び首を傾げる祐巳を他所に、蓉子は窓を開けて外に身を乗り出す。
そのまま首を捻って屋根の上に顔を向けると、大声で叫ぶ。
「杏子!!いるの!?いるなら降りてきなさい!!」
「おうよ!!」
蓉子の声に、屋根の上から威勢のいい返答が返ってくる。
「天が呼ぶ!地が呼ぶ!俺を呼ぶ!!騒ぎを起こせと轟き叫ぶ!!」
随分と使い古された口上の後、ガンガンガンと屋根の上を走る音が薔薇の館に響く。
「おりゃっ!!!」
気合一発、鋭い声が響いたと同時。
窓の外、逆光に照らされた女生徒の人影が突如現れた。
屋根のふちに手をかけたと思しきその女生徒は、勢いを全く殺さずに窓から室内へと飛び込む。
そのまま鉄棒の要領で天井スレスレまで跳ね上がり、膝を抱えて風車のごとく縦回転する!!
『おーーー!!』
何人かがその常識離れした運動能力に歓声を上げる。
しかし。

ゴシャアッ!!!!

『落ちたぁっ!?』
回転を続ける勢いのまま、床へと盛大に墜落した。
「ぅぐぅぅぅぅぅぅぅ……!!!!!」
首を抱えて悶絶する女生徒。
そしてそれを楽しそうにつつき回す江利子。
「……首からいったよね、今」
「……あれで大人しくなればどんなに楽かしらね」
令の汗ジトの呟きに、祥子は忌々しそうに返答した。
「痛っってぇー……」
祥子の言うとおり、墜落した女生徒はしばらくすると唸り声を上げながら起き上がった。
「どうしてそういちいちバカやらないと入ってこれないのあなたは!!」
「……そういうふうにできてるから」
「アホかっ!!!」
蓉子の叱責にふてくされたように答える女生徒。
あんまり怒るあまり、蓉子のキャラが変わってきている。
「ほら、立って」
「……食い物くれたら」
「立て」
「はい」
蓉子の不可視のプレッシャーを感じ取り、光速で立ち上がる女生徒。
その時点で、ようやく祐巳は女生徒の容姿をしっかりと見ることができた。
身長はおそらく祥子よりも低く、むしろ祐巳の身長に近いかもしれない。
何より目を引くのは赤味がかったボサボサの髪で、それを首筋あたりまで伸ばしている。
顔立ちは整っているものの、目つきが妙に悪いせいでそれがあまり目立たない。
全体的に見れば、野性味の強い美少女ということになるだろうか。
赤い髪をした彼女は、キョロキョロと辺りを見渡すと由乃に目をつけ、片手を上げた。
「おひさ、まづっち。体大丈夫なん?」
「まあまあってとこかな。つーかまづっち言うなって言ってるでしょ」
後半文句を言いながらも、由乃の顔は笑っている。
それなりに親しい間柄なのだろうか。
「センパイ方、それに藤堂も久しぶり」
リリアンの慣習を思いっきり無視した呼び方だった。
上級生と志摩子、特に聖や江利子に顔を向けて片手を上げる。
「やっほー」
「元気そうね」
「相変わらずだね」
「…………」
「お久しぶりね」
上から順に聖、江利子、令、祥子、志摩子であり、反応はそれぞれであった。
特に祥子は眉を吊り上げ、怒りをあらわにしている。
「杏子。その言葉遣いはなんなの」
杏子、というのが女生徒の名前らしい。
祥子は眉どころか目まで吊り上げて杏子を睨みつける。
「上級生にはさまを、同級生にはさんをつけるのがここでの礼儀よ。
 それにリリアンの生徒ならそんな品のない話し方はおやめなさい」
「性に合わねーし。それに、俺がアンタみたいな話し方してるなんざ気味悪いだろ」
髪をかき上げ、ニィッと口元を吊り上げて笑う杏子。
微妙に長く伸びた犬歯が牙のように見え、それが狼やライオンのような猛獣を想起させる。
誰彼構わず噛み付いて回りそうな獰猛さがそこにあった。
が。
「やめなさい、二人とも」
唐突に割って入った蓉子の一声で、二人の視線が蓉子に集まる。
「お姉さま」
「杏子の言葉遣いを直そうとしても無駄よ。放っておきなさい」
「ですが!!」
「疲れるだけなのよ。何度言ってもこれっぽっちも直りゃしない。
 私が一ヶ月間、毎日毎日毎日毎日口を酸っぱくして言っても改善の兆しが全く見られないのよ。
 おかげでこっちはストレスで胃が痛くなるし、終いには倒れて救急車初体験よ!!」
ミシミシと蓉子が掴んだテーブルの端が軋みを上げる。
その様子に周囲は怯み、祥子もまた口を噤むしかなかった。
「それに見なさい。祐巳ちゃんすっかり呆けちゃってるじゃないの」
蓉子が指し示す先では、祐巳がぽかーんと口を開けていた。
「祐巳さん、祐巳さん。口閉じて」
「ふえ?」
由乃の呼びかけに、慌てて開きっぱなしだった口を閉じる祐巳。
「あいつが、新入りか」
「ええ。福沢祐巳ちゃん。祥子の妹よ」
杏子の声に、蓉子が応える。
「ふーん……」
一つ呟いて、祐巳の元へと歩き出す杏子。
杏子は祐巳の元へと歩み寄り、祐巳の顔をじっと見つめる。
赤い髪が祐巳の頬に触れそうなほどに顔を近づけ、その目をまっすぐ覗き込む。
「……気に入った」
そう一つ呟き、杏子は祐巳に手を差し出し、名乗る。
「守笠杏子、紅薔薇の棘だ。よろしくな、福沢」
「福沢祐巳です。紅薔薇の蕾の妹。よろしく、杏子さん」
差し出された手を握り返し、韻を踏んで祐巳が名乗る。
祐巳がにっこりと笑みを浮かべると、杏子もつられて笑った。
「……すごいわ」
「あの杏子を手なづけるなんてね……」
「祐巳ちゃんって、猛獣使い?」
聖の一言に、三薔薇さまの脳裏に怪獣・祥子と猛獣・杏子、そして猛獣使いの祐巳の姿が浮かんだ。


―――後に最強の紅薔薇さまと呼ばれることになる祐巳。
その『人たらし』の力の片鱗が、この日、姿を見せたのであった。


〜〜オマケ〜〜

祐巳「ところで杏子さん、どうして蓉子さまにはあんなに弱いの?」
杏子「……俺の姉貴がちょうどあんな感じなんだよ」

〜〜オマケ・終〜〜


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