【1789】 スキンシップタイムあなたが好き  (まつのめ 2006-08-16 17:55:36)


※R14くらいでお願いします。
※長い




 出会いがあり、互いの事を知り、私たちは結ばれた。
 端的に言って私たちはそうして姉妹となった。
 端的すぎるにも程があるといわれてしまうかも知れないが、無論、そこに至るまでには色々な事があった。そして色々と重要な選択する場面もあった。
 その沢山の選択肢は失敗だったと思うこともあったし、あれでよかったんだと思ったこともある。でも結局最終的に私達姉妹は上手くやっている。
 だからそれらの選択肢はそれでよかったのだ。
 それはそのときの私の知識、判断力、思考力、条件等で、私に出来る最善の選択をしたのだ。
 結果的に間違ったと思ったとしても、そのときの“私の最善”を選択をするしかなかったのだ。
 そして今の私がある。
 これからもそうして最善の選択をする。
 それから言うと、誰でも、あえて悪い選択を取るなんてことはありえない。
 なぜなら、そのとき加わった条件でその“悪い選択”を選択するのが“最善”となるような要素が付け加わっただけだからだ。
 とにかく。私は最善の選択をしつづけるのだ。それはこれまでもこれからも。


 1


「祐巳さん♪」
 テーブルに向かう私の背中に由乃さんが張り付いた。
「なに?」
「何って随分つれないわね。祐巳さんと私の仲じゃない」
 首に手をまわしながらそんなことを言う。
「甘えた声出しても仕事は手伝わないよ?」
「ええー、酷い」
 と、大げさなアクションをする由乃さん。
「酷いって、配分は各自の条件に合わせて均等にしたじゃない。由乃さんも納得して引き受けたはずだよ?」
「そりゃそうだけど……」
 今、菜々ちゃんは春の新人戦に向けて稽古に集中している。もちろんそれも抱き合わせで配分の比率を決めたのだ。だから、由乃さんが担当する仕事は彼女が処理しきれない量ではない筈。
 私は書類に目を通しながら由乃さんに返事をする。
「そんなことしている暇に手を動かせば?」
「だって祐巳さん、妹の分まで引き受けて随分余裕じゃない?」
 私の妹の瞳子は7月の公演に向けて練習と新人の指導に大忙しだ。でも今はまだ菜々ちゃん程じゃないからここ薔薇の館では結構一緒に仕事をしている。今日は偶々予定の変更があって来れなくなったから、瞳子の分の仕事を私が引き受けているのだ。
 ちなみに白薔薇姉妹はもう、とうに今日のノルマを終えて仲睦まじく一緒に帰ってしまった。
 つまり今は由乃さんと私の二人きり。
 部活があるとき私は瞳子と待ち合わせて一緒に帰る。だから部活の終了時間までには今日の分の仕事を終えておく必要があるのだ。そのへんの事情は由乃さんも同じ。もちろんやり残して明日その分をやるのもありだけど、だからといって、あまり溜め込んでしまうと、あとで大変なことになるからそういうことはあまりお勧めできない。
 まあ、それはそうと、由乃さんの言う通り、私の仕事は待ち合わせ時間に余裕で終わりそうだった。
 私は聞いてみた。
「……で、どのくらい残っているの?」
「やった、さすが祐巳さん。話がわかる」
 そう言って後ろから顔を寄せてくる由乃さん。
「首筋に息をかけない。まだやるなんて言ってないよ」
「またまたぁ、なんだかんだ言って手伝ってくれる祐巳さん好きよ」
「『好きよ』とか耳元でささやかない。どれ、見せて」
 私の背中から離れた由乃さんは自分の席から書類を持って来て私の前に置いた。
 どさっ、て。
 「どさっ」だよ?
 ふむふむ、私の残りの10倍はある。なるほど、まずやる事は由乃さんを糾弾する事だ。
「って、何これ、全然出来てないじゃない!」
「あ、あはは……」
「あははじゃない」
 愛想笑いなんて要らない。
「だってぇ、菜々がね……」
 今度は眉をハの字にして人差し指同士をくっつけいじける由乃さん。
 はあ、頭が痛い。
「菜々ちゃんがなに? 妹が可愛いのは判る。判るけど、ちょっと居ないくらいで何も出来なくなっちゃうのはなに?」
 入学直後、菜々ちゃんを妹にしてからの由乃さんのとろけっぷりは記憶に新しい。
 それは由乃さんが菜々ちゃんが可愛くて可愛くて仕方が無くて、菜々ちゃんも本気なのか面白がってるのか由乃さんにベタベタでまわりで見ていて痒くなる程のバカップルぶりだった。
 が、
「うぅっ、私、いつかの令ちゃんの気持ち判るわ。ああ菜々……」
 ヘタれてる。
 ヘタれてるよ由乃さん。
 令さま以上にヘタれてるよ。
 これはもしかして黄薔薇の伝統なの? いや、江利子さまはヘタれてなかったから令さま以降の新しい伝統かも。
 嫌な伝統を作らないでほしい。
 まあ、身から出た錆び。ここで放っておくという選択肢もあるが、この場合、由乃さんの親友として“最善”の選択肢は……。
「ああもう。とにかく仕事にかかるよ? 流石にこの量じゃ菜々ちゃんがかわいそう」
 菜々ちゃんは新人戦に向けて稽古頑張ってるっていうのに、週一回の薔薇の館が毎回残業じゃ幾らなんでも酷というもの。それに、仕事はこれだけではない。これは今日のノルマであって、菜々ちゃんが来る日にはその日のノルマがちゃんとあるのだ。残してしまうと翌日にやらなければいけない仕事が増える。当然の摂理だ。
「ああ、祐巳さん、ありがとう感謝するわ!」
「って、また抱きつかない。でも今日出来る分だけだからね。残りはちゃんと菜々ちゃんと一緒に終わらすんだよ?」
「うん! そんな祐巳さん大好き!」
 感極まった由乃さんの腕に力がこもる。去年と比べて大分筋力がついてきたみたいだ。
 三年になってから三つ編みをやめた由乃さんの長いストレートヘアーが私の腕にかかり、抱きつかれるたび感じていた由乃さんのシャンプーの匂いがいっそう強く鼻をくすぐる。ってどっちかと言うと由乃さんの匂いだね。これは。
 そして、
「愛してるわよ」
 と言って、由乃さんは頬をすり寄せてきた。
 って、うわっ、唇っ! 触れたよ?
 さっと離れる由乃さん、私が視線を向けると頬を赤くして「あはは」と席に戻る由乃さんが見えた。どうやら狙ってたわけでなさそう。事故だね。うん。


 2


 結局、仕事を残すと菜々ちゃんと気まずくなるからと、エンジンの掛かった由乃さんに付き合った私は殆ど終わっていなかった由乃さんの本日のノルマを待ち合わせ5分オーバーで終わらせてしまった。
 まあ、私と瞳子の場合、仕事や部活が長引いて相手を待たすのはお互い様なので、大抵あとでケーキを奢ったりして埋め合わせをすることで丸く収まっている。だから多少のオーバーは許容範囲なのだ。

 というわけで、待ち合わせの場所に行くと我が妹、瞳子が眉を吊りあがらせてお待ちかねであった。
「ごめんね。ちょっと長引いちゃって」
「いえ、瞳子もよくお待たせしますから。仕事が長引いたのでは仕方がありませんわ」
 瞳子はツンとしてるけど、私と顔を合わせた瞬間、表情が緩んだのを見逃さない。
 遅刻されても私と顔を合わせることを喜んでくれるのだ。それが可愛くて仕方が無い。
 おっと、のろけている場合ではないか。
「ごめんね、あとで必ず埋め合わせするからね?」
「ええ、それは期待してますけれど、私は『仕事が長引いたのでは』と言ったんです」
「え?」
 なんだろう。今日の瞳子はなにか引っかかるな。
「山百合会の仕事は各自能力条件にしたがって仕事を分配してますわ。ですから自分の仕事は自分で行う。妹の手伝いも能力条件のうちですわ」
「そうね」
「ですから他藩の仕事には手出し無用が原則。そうでしたね?」
「う、うん」
 ちょっと冷や汗。もしかして見てたとか?
 ってことは由乃さんとのアレも……。
「それなのに、いつも他人の手伝いをしたり、黄薔薇さまともいちゃいちゃして……」
「み、見てたの?」
 思わずそう言った。
 が、その瞬間、瞳子の表情が変わった。
「『見てた』? じゃあ本当なんですね? 祐巳さまは甘すぎです! 由乃さまの仕事が滞っているのは自業自得じゃないですか。祐巳さまが甘やかすから余計そうなるんです!」
 どうやら見てたわけでは無さそう。私の反応を見てカマをかけたのだ。
 瞳子は私の仕事量や由乃さんの仕事振りも当然知っている。
 でも、上手いこと仕事の方にツッコんでくれたのでそっちに誘導しよう。
「いや、あのね、でもあれじゃ幾らなんでも、ほら、菜々ちゃんまで大変になっちゃうし、それに全体の仕事を考えたらやらざるを得ないと言うか」
「そこまで支障をきたすのなら黄薔薇さまの能力に問題ありと見るべきじゃ無いですか? 祐巳さまが個人的にフォローできる領域を越えています!」
「まあ、今日のところは5分オーバーで済んだからさ。流石にこれを超えるようなら本当に全体で考えるよ?」
「是非そうしてください」
 ふんと息を吐き、瞳子は私の横に並んだ。
 ほっ、ようやく収まったか。
 私はやっとこれを言う事が出来る。
「ところで、『お姉さま』って呼んでくれないの?」
「今までの遅れた罰です。お姉さま……」
 そう言って、瞳子は私の方に顔を向けた。
 その瞬間、瞳子の表情は再度変化した。
 目を見開き、驚いた顔をした後、急激に表情が失われたのだ。
「ど、どうしたの?」
「あの女の匂いがする」
「え!?」
 思わず声が裏返る。
 由乃さん何回も抱きつくから髪の匂いが制服についたんだ。というか瞳子鼻良すぎじゃない?
 私の表情を見て確信したかのように瞳子が言った。
「黄薔薇さまといちゃいちゃとういうの“も”本当だったの!?」
 うわ、いきなりレッドゾーンだ。
 ですます調の普段の小気味良い話し方じゃなくなってる。嗜み程度の軽い仮面まで吹っ飛んじゃったのだ。
 姉妹になってから、二人きりの時はこうして良く本当の顔を見せてくれるようになった瞳子。それは喜ばしい事なのだけど、仮面をつけたとき以上に激しい感情の吐露にちょっと押されることもしばしばだ。
「ちょっ、ちょっと落ち着いて、確かに最近由乃さんスキンシップ過剰だけど……」
「何、されたの? 何をしたの?」
 瞳子は眉を吊り上げて迫って来た。
「何って、ちょっと抱きつれただけだよ。椅子ごしに」
「抱きつれた!? 本当にそれだけ?」
 鋭い視線が私を射抜く。
「う、うん……」
「嘘!」
 無理。こうなった瞳子には嘘がつけないのだ。因果なことよ。私の百面相。
「ご、ごめん、由乃さんが頬を摺り寄せてきて」
「……」
 なにか、拳を握りしめてギリギリと震えている。怒り心頭ってとこか。
 ここで寸止めで嘘をつくという選択肢もある。
 しかし、私の判断は、半端に嘘をつくとあとで歪みがでて結局苦労するってことだった。
「それで、ね、そのつもりじゃなかったと思うんだけど、唇どうしがちょっと……」
「酷い!」
 涙を振りまきながら瞳子は顔を横に振った。
 ……演技? じゃ、ないよね?
「と、瞳子、事故だから。あれは事故だったのよ」
「お姉さまは瞳子と黄薔薇のどっちが好きなのっ!」
「瞳子に決まってるじゃない、他は全部、二番目以降だよ」
「瞳子はお姉さま以外いらないっ! お姉さまも瞳子だけを見て! 私にはお姉さま以外居ないのに!」
「瞳子っ!」
 私は瞳子を背中から出来るだけ強く抱きすくめた。
「ぁ……」
 瞳子の口から息が漏れ、妙に艶っぽい呻きが聞こえる。
「判ってるわ」
 私は瞳子の耳元でやさしく、出来るだけやさしく話しかけた。
「私の一番は瞳子なのよ。一番と二番の差は絶対的なの」
 瞳子は意外とスキンシップに弱い。
 演劇をやってて意外と思われるかもしれないが、こうして“演技”が外れた瞳子は私に抱きすくめられるといつもの攻撃性は何処へやら。従順な子羊に成り下がってしまうのだ。
 それが判っててこうして耳元で甘い言葉を囁くのは少々卑怯な気がするが、今までの経緯や今の姉妹関係を考えるとこうする事が“最善の選択”だった。
「お、お姉さま……」
「私は瞳子が大好きよ」
 そう言って由乃さんにされたように頬を瞳子の頬にくっつけた。
「わかったわ。そんなに瞳子が心配するのなら私は由乃さんと距離をおく。もう仕事の手伝いも断るわ」
 そう言うと、瞳子はちょっと俯いて言った。
「そこまでしてくれなくても。仕事全体を考えたら手伝うって選択をしてもいいですわ」
「ううん、私には瞳子が一番なの」
 そう言って、唇同士は流石に恥ずかしいので瞳子の頬に軽く触れるだけのキスをし、瞳子を開放した。
 瞳子は俯いたまま。
 私は歩きだして言った。
「それには由乃さんに離れてもらうのが一番だわ。そろそろ自覚してもらわないといけないし」
 瞳子はこのあと駅で別れるまで俯いて黙っていた。
 でも怒ってるのでも落ち込んでるのでもなく頬を赤くして黙々と私についてきている。
 今までの経験からすると明日はまたもとの調子でツンとしているであろう。


 3


 翌日、教室で由乃さんが元気良く登校してきた。
「ごきげんよう、由乃さん」
「ごきげんよう! 祐巳さん! 昨日はありがとうね。お陰で菜々とは円満に下校できたわ」
 元気いっぱい絶好調に上機嫌だ。
 まあ、お陰で私は瞳子と波乱に下校したわけだけど。
 そういうわけで、私は昨日決めた事を早速実行しなければならない。
「よかったね。ところで由乃さん」
「なあに?」
 ニコニコと由乃さんは嬉しそうに私の側に寄って来た。
「今日から仕事に手伝いは一切しないから自力で早めに終わらすようにしてね?」
「えー? どうして?」
「どうしてって、むしろわざわざ言う事じゃ無いと思うんだけど、もう薔薇さまなんだから自覚してくれないと」
「う、うん、判ったわ、でもどうしても忙しくって仕事が間に合わなくなっちゃったら手伝ってくれるよね? 友達でしょ?」
「仕事は部活とかも考えて分けてるんだから出来ないとおかしいよね。だからもしそういうことが続くようなら由乃さんの黄薔薇さまとしての能力を疑わなければいけないんだけど……」
 私がそう言うと由乃さんは絶望したような顔をしてオーバーなアクションでのけぞった。
「ええ!? 祐巳さん冷たいわ。どうしてそういうことを言うの? 私たち親友でしょ?」
「親友だからだよ? 由乃さんのことを考えて忠告。判って?」
 そういうと、由乃さんは「それは正論だけど、もっとやさしくしたって」なんてぶつぶつ独り言を呟いた。
 そんな由乃さんに私は続きを言った。これからが重要だ。
「あ、あと、やたらと抱きついたりとかしないでくれる?」
「ええ!? 何でよ!」
 なんでそんなに驚くのだ。
「ほら、由乃さんには最愛の菜々ちゃんがいるし、そういうの誤解されるよ?」
「そういう問題じゃ無いでしょ! 何よスキンシップくらい! なんでいけないのよ! 今日の祐巳さんなんか変よ!」
 これでもかというくらい憤慨して迫ってくる由乃さんだった。
「変って……いや、友達同士でやたらとベタベタするのってどうかと思うよ。とにかく教室も会議室も抱きつき禁止ね」
「嫌いになったのね? もう友達やめるのね?」
「はぁ? 別に絶交してって言ってるんじゃないんだから。普通に話してくれれば別に良いんだよ?」
「同じことでしょ! 急に仕事手伝わないって言ったり、近づくなって言ったり! 私、祐巳さんが判らないわ!!」
「いや、それは偶々重なっただけで……」
「祐巳の馬鹿あっ!!」
「あ、ちょっと、由乃さん!?」
 まだ始業まで時間があるんだけど、由乃さん走って何処かへ行っちゃった。
 薔薇さまなんだから率先して廊下走っちゃダメだよ?
 まあ、最近由乃さんのスキンシップが過剰なのは令さまと接する機会が減ったせいもあるのだろう。その代わりとなる菜々ちゃんも最近稽古で忙しいし。
 そう。基本的に由乃さんはあまえっ子なのだ。
 最近大いに減少した由乃さんのスキンシップのはけ口が“親友”である私に向いたとしてもなんの不思議もないことだったのだ。
 とはいえ、私には妹の瞳子がいるし、この選択が“最善”であると考えたのだ。
 だから、由乃さんには気の毒だが仕方が無いことだった。


「あら、黄薔薇と紅薔薇決裂?」
 私が机に突っ伏してだれていると、頭上から声がかかった。
 まあ、アレだけ派手にやりあったのだから、みんな見てたと思うけど。
 顔を上げると眼鏡顔。
「蔦子さん? いつから居たの?」
「ええと、『ごきげんよう』くらいから?」
 最初からじゃん。
 蔦子さんは三年生になってもやっぱりカメラを携帯してるなって思うまもなく早速一枚撮られた。
 彼女は結局一緒のクラスになるのは高校三年目だ。そういや親しくなったのは一年の文化祭前頃からだ。ちょうど祥子さまと姉妹になったきっかけから。懐かしいなあ。
「……別にそういんじゃないから。ちょっと私に甘えてるから距離を置こうと思って」
「距離をねぇ。甘えてるって?」
「令さまが居なくなった反動」
「ああ、なるほど」
 と得心いったと言う風に頷く蔦子さん。
「でもさ、家では会えるんでしょ? 由乃さんと令さまって」
「なかなかそうもいかないみたいよ?」
「だったら後釜もいるでしょ? 妹の菜々ちゃんだっけ?」
「彼女は新人戦の稽古なの」
「ありゃ。それで祐巳さん?」
「うん、まあ親友としては頼られることも吝かではないんだけど……」
「瞳子ちゃんね? 彼女変わったわね」
 まあいいけど、蔦子さんは無駄に鋭い。事情通でもあるから便利と言えば便利なんだけど。ちなみに同じ情報通でも新聞部の真実さんだとリスクが大きいが、三年になって真美さんとはクラスが違っていた。
「変わったというか、まあいろいろ」
 本当に姉妹になるまでいろいろあったのだ。
「だって、彼女、祐巳さんにべったりじゃない。もしかして由乃さんのって瞳子ちゃんの為?」
 あなた鋭すぎです。
 瞳子が私にべったりの件だって、人前では見せていないはずなのになぜがこの人は知っているのだ。
「蔦子さんにはお見通しだなぁ」
 皮肉のつもりだったのだけど、何故か得意そうにしている。まあいいけどね。
「薔薇さま家は何処も大変なのね」
「白薔薇はそうでもないよ」
 あそこは志摩子さんの性格そのものって感じで至って平穏のはず。
「あら、でも最近何かあったって噂だけど?」
「そうなの? 何も聞いてないよ?」
「まあ、何かって内容も無くて小耳に挟んだだけだけど。まあそれはともかく、後で由乃さんにフォローしておきなさいよ?」
「そういう行為が事態を悪化させるんだけど」
「でもこのままって訳にはいかないでしょ?」
「そうかな?」
「そうよ。気まずくなっちゃうわよ? これからも一緒に仕事していくんでしょ?」
「まあそうだけど」
 別に多少気まずくても仕事は出来る。むしろ距離を置くから効率が上がるかもしれないくらいだ。
「祐巳さんと由乃さんがいちゃつくのは絵になるのよ。だから仲直りして」
「でたよ。それが本音でしょ?」
「当然。私を誰だと思ってるの?」
 ――自称写真部エースも三年目になる武嶋蔦子さんです。


 4

 
 由乃さんは私から逃げ回っているようで、昼休みも薔薇の館に姿を現さなかった。
 おそらくどこかで菜々ちゃんと会っているのであろう。
 甘えたいというはけ口が妹(菜々ちゃん)に向かうってことで、結局この選択はいまでも“最善”だったように思える。
 瞳子は部活も大切にしているので薔薇の館でお昼を食べるのは半々くらいだ。まあ弁当を食べないにしても遅れて顔をだす事はよくあるので、結局昼は殆ど顔を合わせているのだけど。
 その瞳子は今日はまだ姿を見せていない。
 というわけで、今日は“平穏そのもの”な白薔薇さん家と私の三人だけだ。
 私の方が遅く来て乃梨子ちゃんにお茶を入れてもらってそれきり、今は三人で黙々とお弁当をつまんでいる。
 とうか、これが“平穏そのもの”な白薔薇姉妹?
 なんかピリピリしているように感じるんですけど……。
 私は空気を和ませる為に話題を振った。
「ねえ志摩子さん?」
「あら、なあに?」
 ほっ、志摩子さんは普通に微笑んでる。
「ほら、乃梨子ちゃんにも聞きたいんだけど、親しい一年生とか居るの?」
「いません」
「……」
 乃梨子ちゃんがぴしっと言い切った。
 空気を読むもなにもない。
 ちょっと凍りついた空気を解かすように志摩子さんがやさしい声で言った。
「まだこの時期でしょう? 由乃さんみたいに中等部のころから目をつけていたのでなければ難しいわ。乃梨子にはそういう子、居なかったのだし」
「あのね、別に催促してるわけじゃなくて、もう乃梨子ちゃんも2年生だよねって言う話題なだけで」
「うふふ。判ってるわ。でもそうね普通だったらそういうことを言う時期なのかもしれないわね」
 私も瞳子にそういうことを言わないといけないのかな?
 ちょっと考えても無理だ。
 まあそれはいずれ時間(とき)が解決してくれる事に期待しよう。今はこのままで良いや。
 そのとき乃梨子ちゃんが顔を上げずに言った。
「……志摩子さんは私に妹を作って欲しいんだ」
「あら、私はそんなことは言わないわよ。乃梨子が作りたかったら作ればいいわ」
「それでいいんだ」
 なんか様子が変だ。蔦子さんの『何かあった』って本当?
 乃梨子ちゃんは続けた。
「志摩子さんは私が妹を作って仲良くしてても平気なんだ」
「……妹を作るってそういうことでしょう? 乃梨子には乃梨子のお付き合いがあるのだから、私はそれに干渉なんてしない。それだけよ」
「……」
 それきり、乃梨子ちゃんは黙ってしまった。
 志摩子さんは一見平然と、穏やかに話して居るように見えるけど、明らかに異様だ。
 むしろ、志摩子さんの平穏さが乃梨子ちゃんの切羽詰った感じとあいまって異常な空間を形成しているかのようにさえ感じる。
「ど、どうしたの? 何かあったの?」
「何もありません! 祐巳さまには関係ないことです!」
 そう言うと乃梨子ちゃんは残っているお弁当を手早く片付けて薔薇の館を出て行ってしまった。
 その後、志摩子さんに「何があったの」と聞いても「なんでもないわ」を繰り返すばかりでなにも聞き出せなかった。


 5


 放課後、薔薇の館に行く前に由乃さんを捕まえた。
 今日は瞳子は演劇部。イレギュラーは無い事を確認済みだ。
 それでも、ちょっと出歩いて見つかってしまう可能性を廃するために古い温室まで由乃さんを引っ張って行った。
「あのさ、由乃さん」
「なによ。私、祐巳さんから聞くことも私から話すこともないわ」
 なんか由乃さんはツーンとして顔を逸らしている。
 でも強引に手を繋いだら、ここまで大人しく付いてきたから聞く気はある筈。
 蔦子さんに言われてからわたしは考えたのだ。
 確かに蔦子さんの言うとおり、これから薔薇さまとして一緒にやっていくのに気まずいままって言うのは良くない。これくらいの問題を解決できないようで生徒を引っ張る山百合会幹部としてやっていけるのかってことだ。
「私は昨日も今日も由乃さんが親友じゃ無いなんて思ったことはないよ」
 由乃さんはちらっと私を見た。やっぱり聞いてるじゃない。
「由乃さんが抱きしめてくれるのも親愛の情からだって判ってる。でもね」
 どうしたものか悩んだのだ。
 でも結局、瞳子のことを話して納得してもらうしかないと言う結論だ。
 身内の恥みたいで話すのは嫌なんだけど。
「あんまりベタベタすると瞳子が不安がるから。ほら、聖さまのときも私に抱きつくたびに祥子さまが苛々してたでしょ?」
「ああ、そうね。私も面白がってみてたけど当事者は大変だったよね……」
 由乃さんはようやくツンとした態度を解き、普通に私に向き合ってくれた。
 もう一息だ。
「そうなのよ。だから人前では自粛してほしいってお願いだったの。ううん嫌じゃないのよ。私嬉しかったんだから」
「嬉しかった? そうなの?」
「そうよ。そんなに好いてくれてるのに嫌なわけないじゃない」
「そっか。そうだったんだ」
 あ、なんか嬉しそう。
「きびしく言ったのだって親友だからだよ。私、由乃さん以外にあんなこと言わないんだから」
「ご、ごめん。私早とちりしちゃって」
「いいの。判ってくれたから。だからああいうのは人前では控えてね?」
「うん、これからは人目のないところでしようね?」
「え? う、うんそうして」
「ここなら大丈夫よね?」
 って目がちょっと怖いんですけど。
「そ、そうね」
「祐巳!!」
 由乃さん思い切りこんどは正面から抱きついてきたよ。
「由乃?」
 一応あわせて呼び捨てにする。手も背中に回す。
「ごめんね、もう絶対友情を疑ったりしないわ」
「ううん、判ってくれると信じてた」
「ありがとう。大好き」
「うん私もよ(親友として)」
 こうして私は由乃さんと和解した。


 6


 菜々ちゃんを呼びに行くという由乃さんと温室前で別れて私は薔薇の館に向かった。
 今日は週一回の菜々ちゃんの仕事日なのだ。
 まあそれはともかく、とりあえず由乃さんの匂いを飛ばしてから行かないとな、なんて思いつつ校舎を回って中庭に入ってすぐ、薔薇の館から飛び出してくる生徒が見えた。
 なんだろうと思っているとその生徒は真っ直ぐ私に向かってきて、
「祐巳さま!」
 なにやら恨みがましい声で私を呼んだ。
「の、乃梨子ちゃん?」
 その生徒はおかっぱっぽかった髪も大分伸びてきて多少大人っぽさも出てきた乃梨子ちゃんだった。
 私は乃梨子ちゃんに手をつかまれそのまま薔薇の館と反対方向へ引っ張られて行った。
「ど、何処へ行くの?」
「……」
 乃梨子ちゃんに引っ張られて行った先は、いわゆる“白薔薇の場所”講堂の裏の桜の下だった。

「祐巳さま」
「な、なに?」
 乃梨子ちゃんは先日の切羽詰った感じそのままだった。
「祐巳さまが志摩子さんを誘惑したんですか?」
「ええ? 誘惑!?」
 いきなり何を言い出すのだ。身に覚えがないも甚だしい。
 しかしこのままでは判断も選択も出来ない。
 ただ乃梨子ちゃんが切羽詰ってるってだけで、情報がなさ過ぎるのだ。
「そうです!」
「あの、事情を判るように説明して欲しいんですけど?」
「そんなことはご自分の胸に手を当てて考えらば判ることです! でも、そうですね、。祐巳さまのことだから自覚しないでした可能性も否定できませんから説明しましょう」
 さりげなくひどい事を言ってるけど、この際、説明を聞けるだけマシと考えるべきだろう。
「どういうこと? 志摩子さんが何か言ったの」
 そう言うと乃梨子ちゃんはいっそう表情を難くして「くっ」っとうめいた。どうやらツボにヒットしたらしい。
「あの?」
「い、いいえ心配には及びません。それで祐巳さま、志摩子さんをどう思いますか?」
「え? どうって?」
 いきなり話が飛んだ。ちょっと今の乃梨子ちゃん、何を考えているのかさっぱり読めない。
 いや普段も何を考えているのか判らないけど、いまはアグレッシブにわけが判らない。
「祐巳さまの目から見てどうかってことです。一般的な見方でお答えください」
「一般的? まあそう言うことなら、凄く美人で、美人って言っても派手さじゃなくて清楚? 立ち振る舞いもいちいち優雅だし、付き合いが長いから実際はそういうことはないけど、“近寄り難い”っていうのかな? そんな雰囲気はあるよね」
「同性から見てもグッときます?」
「え? まあそう言う意味で言ったら確かに近くで微笑まれたらドキドキしちゃうな。髪のシャンプーの匂いとか匂ったりして」
「そう! そうですよね! 性格もやさしいし。お付き合いするなら文句のつけようがないですよね!」
 なんか興奮してる?
 まあ、なんだかんだいって乃梨子ちゃんは志摩子さん一筋だし気持ちは判るけど。
「え、まあ、そうだけど、私はそう言うの抜きに志摩子さんは親友だと思ってるから」
「当然です。私だって志摩子さんの外見だけが好きなわけではありません。崇高で汚れなくやさしくてそれでいて危うい脆さも併せ持つ、そんな志摩子さんの存在そのものを愛してるんです!」
 うわあ、言い切ったよ。しかも“存在”と来たか。
 っていうかおのろけですか? 私、のろけられてますか?
「あの、それで何が言いたいの? 私をここまで連れてきて」
「祐巳さまはそな志摩子さんと一つになりたいと思いませんか? 私は思ったんです。で、実行しました。志摩子さんは言ってくれました。貴方を受け入れますって。私は謝ったのに、『好きになってしまったから』って。主の教えに背く事になるのに私の想いを受け止めたいからって」
 実行しちゃいましたか。
 えーっと、背く? つまりアレ?
 志摩子さんと乃梨子ちゃん、あっちの世界へいっちゃったんだ。
 つまり、乃梨子ちゃんが我慢できなくなってナニしちゃったって形だ。
 うん、なんとなく納得。志摩子さんが受け、乃梨子ちゃんは攻めだ。
 いや、いきなりとんでもないカミングアウトをしてくれちゃったのですけど。
 つまり、乃梨子ちゃんと志摩子さんはガチガチのラブラブってことでFA(ファイナル・アンサー)?
「あの、それで私が誘惑って?」
「……」
 熱くなっていた乃梨子ちゃんここで急激にクールダウン。
「祐巳さまさっき仰いましたよね」
「え?」
 どうも乃梨子ちゃんのペースについていけない。なんだろう?
「志摩子さんのことを、外見ではなく、なんと言いました?」
「ああ、親友だと思ってる?」
「そこです!」
 乃梨子ちゃんは、びしっと人差し指を私に向けた。
「え!?」
「祐巳さまは志摩子さんに友人関係のほうが素晴らしいなんて言ったのでしょう? いいえ、黄薔薇・紅薔薇の親友関係を見せつけることで志摩子さんを誘惑したんです!」
「ちょっと、それは言いがかりじゃ……」
「いつだったか志摩子さんは言ってました。『お二人が羨ましいわ』って」
「だってそれは別に姉妹関係とは別でしょう? 先代や先々代薔薇さま方みたいに親友関係が築けたら良いなってこれは随分前から話してたことだよ?」
 乃梨子ちゃんは話を聞いていないかのように桜の木を見上げて言った。
「私、言われたんです」
 なんだろう。まだあるのか。
 乃梨子ちゃんはしみじみと言った。
「『普通の姉妹に戻りましょう』って」
 うわあ。
 言っちゃったって感じ。
 つまり、志摩子さんもテンパっていたんだ。
 志摩子さん真面目だから。乃梨子ちゃんの想いとキリスト教の教えの板ばさみで葛藤してたのだろう。キリスト教って確か同性愛は重罪だったよね。
「……渡さない」
 いつのまにか俯いてた乃梨子ちゃん。
「あの乃梨子ちゃん?」
「祐巳さまになんか渡さない」
「いやそう言う話じゃなくてさ」
「由乃さまにだって」
 そうか、事情は飲み込めた。
 志摩子さんに“そういうこと”をするのは止めようって言い渡されちゃったんだ。
 でもどうするか。
 私に与えらられた選択肢は殆ど無いように思える。
 いや。このまま乃梨子ちゃんが突っ走ったら山百合会に絶大な傷跡を残してしまうだろう。
 少なくともこの暴走だけは止めないと。
 となると、私の出来うる“最善”の方法は?
 乃梨子ちゃんはお聖堂のある方向に向き直って叫んだ。
「神様にだって絶対渡さないんだから!!」
「乃梨子ちゃん!」
 私は乃梨子ちゃんに負けないくらい大きな声で叫んでそのまま彼女を抱き寄せた。

 そして、驚いている乃梨子ちゃんの唇に私の唇を重ねた。

 桜の枝を風が通り抜ける音だけが聞こえる。
 しばらく、結構していた気もするが、時間にして十秒もなかったと思う。
 ゆっくりと私の方から顔を離した。
「あっ……」
 いつのまにか目を閉じていた乃梨子ちゃんは目を見開いて間近にある私の目を見つめ返した。
「あのね、乃梨子ちゃん、私はそういうの理解あるつもりだから」
 そういってなるべくやさしく微笑んだ。
「ゆ、祐巳さま?」
 どうやら、まだ思考が混乱している様子。
 今のうちだ。
「志摩子さんはどうしようもなくそういうところ真面目で難しいかもしれないけど、私は味方だからね?」
「あ、あの……」
 ちょっと赤くなって目を逸らす乃梨子ちゃん。
「応援しているから頑張って」
「は、はい、その……すみません、ひどい事言っちゃって」
 乃梨子ちゃんは私の腕の中で申し訳無さそうに俯いてそう言った。
「ううん、いいのよ。乃梨子ちゃんは私の大切な後輩だから。いつでも相談してくれていいのよ」
「はい、ありがとうございま……」
 ああ、泣いちゃった。
 しょうがないので私は乃梨子ちゃんを抱きしめたまま、泣き止むのを待った。


 7


 乃梨子ちゃんは、礼儀正しく「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」といって帰っていった。館に置いてきた鞄は明日回収するから取って置いてくださいとのこと。
 飛び出してくる前に志摩子さんと言い争ったか何かで、やはり顔を合わせづらいようだ。
 大分遅くなってしまったが、私は薔薇の館に戻る事にした。
 ここまで制服をぐちゃぐちゃにされたらいいわけのしようも無い。
 瞳子には感づかれてしまうだろうけど、志摩子さんと喧嘩したのを仲裁したってことを言えば判ってくれる筈だ。あの子は乃梨子ちゃんと親友なのだから。

 果たして薔薇の館には、瞳子は居なかった。というか演劇の練習で下校時刻ぎりぎりまで来ないんだっけ。
 館に残っていたのは志摩子さんと由乃さん、それからちょっと会うのは久しぶりな菜々ちゃんだ。
「祐巳さん、何処行ってたの? 先に行った筈なのにいつまでも来ないから心配しちゃったわ」
「うん、ちょっとね」
 由乃さんは乃梨子ちゃんと志摩子さんの件は知らないようだ。
 まあ、志摩子さんは一見全然普通の様子で仕事をしているし、多分由乃さんに聞かれて乃梨子ちゃんは都合があって帰ったとでも言ったのだろう。
 乃梨子ちゃんの鞄はしっかり片付けてあるし。何気に志摩子さんは抜かりが無い。
「で、申し訳ないんだけど、私と菜々はそろそろ帰ろうと思ってるの? 良いかな?」
「良いも何もちゃんと仕事こなしてくれれば文句は言わないよ?」
「えへへ。この間はありがとうね?」
 お陰で今日は菜々ちゃんとゆっくり帰れるってことか。まあ円満なのは良い事だ。
 あの時の私の判断はやはり“最善”であったということだ。
 もう帰り支度をしていた二人は「ごきげんよう」と揃ってビスケットと形容された扉から出て行った。
 残されたのは志摩子さんと私。
「あの、私も……」
「あれ、志摩子さんも?」
「ええ、これがもうすぐ一段落するので。祐巳さんは?」
「私は瞳子を待つからもうちょっと残るよ」
「そう。申し訳ないわね」
「別に良いよ。遅れて来たからやる仕事もあるし、志摩子さんは誰か待つわけじゃないでしょ? 残る必要ないから」
「判ったわ。それじゃお言葉に甘えさせてもらうわ」
 そして、しばらく一緒に仕事をして、一段落したのであろう「それじゃあ」といって志摩子さんも帰り支度を始めた。
 志摩子さんも葛藤を心に抱えて大変であろう。
 でも、見たところ、まだ自分を保てるだけの力はある。
 それが溢れてしまったとき、また私が選択を迫られる場面がやってくるかもしれない。
 来ないかもしれない。でもそのときも私は私の“最善”を尽くすだけだ。
 志摩子さんが「ごきげんよう」と扉から出て行くのを見送りながらそんなことを考えた。


 私は志摩子さんが去ってからトイレへ立った。
 いやそんなこと書く必要ないだろうとのツッコミもごもっともなのだが、必要があったから書いたのだ。
 私がトイレから帰ると、閉めてきたはずの扉が開いていて、会議室に入ると私の鞄がぶちまけられていた。
 鞄は開いた席の一つにおいてあったのだけど、テーブルの手前のフロアに教科書、ノートが散らばっていて、ご丁寧に筆箱の中身も全部出されていた。
 ふむ。
 私はとりあえず状況を分析した。私に恨みを持ったものの犯行か?
 いや山百合会幹部に対する恨みという線も外せない。
 しかし、鞄は私のもののほかに乃梨子ちゃんが置いて行ったものもある。
 こちらも椅子の一つの上に置いてあった。見えづらいところにあった、とも考えられるが、それだったら私の鞄もどっこいだ。
 つまり、私の鞄だけを狙ってぶちまけたと考えた方が良い。ということは私に対する私怨という線が強い。
 しかも身内の犯行の可能性が高い。私が今日、鞄をこの席に置いていると知っている者の犯行だ。私は瞳子が居る時は鞄は後ろの壁に立てかけておく。隣の椅子には瞳子が座るのだ。
 つまりこの場所に鞄を置くのは瞳子が出席しない日だけ。それを知っている人間は限られている。
 さて、犯人を具体的に挙げる前に、ぶちまけられた現場も見てみよう。
 置いてあったテーブルの窓側でなく、わざわざ扉の前に、しかも中身の一つ一つは折れたり汚れたりする事無く“散らかされている”。筆入れの中身も無傷だった。
 そう。この現場は恨みから成された犯行にしては“綺麗過ぎる”のだ。
 このことから犯人の意図は単なる私怨ではなく、むしろある種のデモンストレーションであると判る。具体的に損害を与えるのが目的ではないという事だ。もしそうなら鞄ごと焼却炉に放り込むことだって出来るのだ。
 犯人はわざわざ鞄や筆箱の内容物を一つ一つ取り出して、さもぶちまけたように床に並べたのだ。

 ――何故こんな事を?

 さて、そろそろ隠れている犯人が痺れを切らしてくる頃なので推理ごっこはここまでにしよう。
 私は教科書やノートを拾い集めて鞄に戻し、転がってるペン類も筆箱に収めて鞄に格納した。
 そして、半開きになっている茶色い扉に向かって言った。
「瞳子」
 瞳子はそうっと、足音も立てずに扉の向うから現れた。
 足音を立てずにあの古い階段を上ってこれる瞳子は私が現場検証をしているうちに扉の影まで来て中の様子を伺っていたのだろう。
 犯行に及んだ時間が私がトイレに行って帰ってくるまでと非常に短いことを考えると、瞳子は館からの出入りが見えるところに潜んでいて私が外に出たのを見て即、会議室に侵入し、鞄の内容物の陳列を行い、すぐにまだ出て行ったと思われる。
 私は瞳子に訊いた。
「どうしてこんな事をしたの?」
 瞳子は言った。
「私、お姉さまだけなのに、」
 いきなり瞳子は“外れて”いた。
「お姉さまはどうして瞳子だけを見てくれないの?」
「見てるわよ」
「嘘! さっき乃梨子さんと抱き合ってた!」
 あちゃーっ。
 見てたんだ。
 いや誰かから聞いたか?
 でも、まだ予想の範囲内だ。選択を誤らなければ大丈夫。
「見たの?」
「見てない。でも演劇部の後輩が紅薔薇さまと白薔薇のつぼみを見たって」
「それでこんな事をしたの?」
 瞳子は駄々をこねる子供のように言った。
「乃梨子さんなんかと抱き合わないで! 瞳子を見て! お姉さまと抱き合って良いのは瞳子だけ! 瞳子だけなのよ!」
 私は、不必要に取り乱して瞳子を刺激しないように穏やかに言った。
「あのさ、確かにちょっと前に乃梨子ちゃんと一緒に居たよ? でもそれは志摩子さんと喧嘩しちゃって仲直りの相談に乗ってただけなんだよ?」
「え? じゃあ抱き合ってたって言うのは?」
「見間違いじゃないかな? 確かに泣いてたから肩に手をかけて慰めたりしてたけど……」
 そう言うと瞳子は『どうしよう』と言う顔をしてうろたえた。
「あっ……」
「瞳子?」
 瞳子はそのままペタンと床に座り込んでしまった。
「ご、ごめんなさい」
 本当に切羽詰った顔をして涙を流しながら瞳子は言った。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「と、瞳子」
「勘違いでこんなことしてして、ごめんなさい! もうしない! もうしないから!許して! 許して! ごめんなさい嫌いにならないで! 嫌いにならないで!」
 瞳子は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら私の足にすがり付いてきた。
「お願い! 私良い子になるから! お姉さまの言う通り良い妹になるから! 嫌いにならないで! ちゃんと聞き分けのある良い妹になるから! お姉さまに相応しい賢い妹になるから! お願い、嫌いにならないで!」
「瞳子! 瞳子!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「瞳子! もう良いから」
「ごめんなさ……い……」
 瞳子は私の足に縋りついたまま泣きじゃくった。
「もう良いから。私が勘違いさせるようなことをしたのも悪かったわ。大丈夫、私は瞳子を嫌ったりしない。絶対嫌ったりしないから」
 そう言いながら、屈んで瞳子の頭を撫でた。
 それからしがみついた瞳子の手を解き、私も床に座り込んで瞳子を抱きしめた。
「お姉さま……」
「不安にさせてごめんなさいね」
 そう言って、瞳子の頬に唇で軽く触れたあと、瞳子を肩に抱きしめた。
 これで大丈夫。
 このところちょっと不安定だったけど、こういうことは偶にあるのだ。
 でも、一度爆発してしまえば(その爆発もかわいいものだ)もうしばらくは安定する。
 大丈夫、私の選択は間違っていない。
 私はここで上手くやっていける。


 E


「ねえ祐巳さん、キリスト教は同性愛を禁止していると言われているけれど、それはね……」
 最近、志摩子さんは同性愛とキリスト教についての講釈を私に延々としてくれるようになった。志摩子さんは真面目だからいろいろ調べたのであろう。
 最近は中世に女性の同性愛が創作の中で賞賛されていた時期もあるとか、マリア様もびっくりのトリビア集めいてきているけど。
 まあ、志摩子さんはまだ大丈夫。


「ごきげんよう! 祐巳さん!」
「ああ、ごきげんよう。由乃さん元気だね」
「ええ、私はいつでも元気よ。それより今日は?」
「ああ、いつものとこ」
 由乃さんとは毎日どこかでコッソリ抱き合って友情を確かめ合っている。
 由乃さんは菜々ちゃんとはまあ普通に姉妹をしているようだ。ちょっと振り回され気味だけど、どこかで聞いた『惚れた方が負け』って言葉を由乃さんには贈りたいと思う。


「あの、祐巳さま、先週志摩子さんと手を繋いだんです」
 乃梨子ちゃんは最近、搦め手で志摩子さんにアプローチするんだとか意気込んでいる。
 それも、「いつでも相談してね」の言葉に従って逐一私に報告してくるのだ。
 もちろん由乃さんにも瞳子にも内緒で報告を受けている。
 偶に予行演習と称して乃梨子ちゃんは私に迫ってくるけど、まあ、我慢できずに志摩子さんに手を出しちゃったくらいだから若いリビドーを持て余すのであろう。それでまた爆発されても困るので適当に相手をしてあげている。


「お姉さま聞いてますか? お姉さまは回りに対して甘すぎです」
「聞いてるよ。そんなに目くじら立てて言わなくてもいいじゃない」
「いいえ、自己犠牲の精神なんて巷では持てはやされてますけど、お姉さまのは唯の自滅です! 出来る事と出来ない事を見極めた上で、安請け合いなんて決してしないように私が目を光らせていないと……」
 纏わりつくように小言を言ってくる我が妹、瞳子はとりあえず元気でなによりだ。


 ――これまで無数の選択があり判断があった。

 その積み重ねの結果が今の状況なのだ。
 これからもいくつも行動の選択を迫られる場面があるだろう。
 そのときも、私の最大限の“良き選択”、“最善の行動”を私は取ることだろう。
 だから私は後悔しない。
 これが私の選び抜いた世界なのだから。









(終われ)














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 あとぜき
 先日、割と良くタイトルを見かけたライトノベルを読みました。……図書館で借りて(買えよ)
 で、読んだんですが、書評ではいろいろ凄いことが書かれていたんですが、未熟さゆえよく判りませんでした。
 その本はもう返却して手元に無いのですが、“多分こんな話だったんじゃないかな”って書いたのがこれです。


追伸:[HomePage]のところに“こぼれ落ちた分”を掲載しました。


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