『がちゃSレイニー』
† † †
「あ」
乃梨子さんに突つかれて教室を飛び出し、階段に足をかけたところでチャイムが鳴った。
これは朝拝が始まる前の予鈴の鐘。
このあと本鈴が鳴って放送朝拝が始まるのだ。
さすがにこれでは、白薔薇さまに会うことは難しいと思われた。
どれだけ白薔薇さまと顔見知りとはいえ、瞳子は一年生。
その瞳子が。上級生、ましてや白薔薇さまを朝拝の時間に呼び出すなんて無作法、このリリアンでは出来ようはずもないのだ。
(仕方ないわ、よね?)
各階を繋ぐ階段に一段踏み出していた足を引き寄せて、くるりと方向転換。
先生方の移動する気配を察知したので、もと来た廊下を戻ることにした。
確か乃梨子さんは先ほど、これ以上ぐずぐずしていたら絶交してやるって言っていた。
それを聞いて教室を飛び出したのだから、間違いない。
(はぁ……)
ポケットの中のロザリオを確認して、瞳子は溜息をついた。
この瞳子の体たらくを見た乃梨子さんが何を言い出すか、恐ろしくていけない。
(の、乃梨子さんなら。こんなことくらいでイジワルしませんわ。……たぶん)
ふるふると頭を振って、嫌な想像を振り払った。
考え事をしながら、のろのろと歩いていると、後ろで先生方の話し声が聞こえた。
(急がなければ)
前門の虎と後門の狼。
状況がわかっている分、どちらかと言えば虎さんである乃梨子さんの方が許してくれそうではある。
小走りで瞳子は教室へと向かった。
瞳子は自分の教室、つまり椿組の後ろの扉から、おずおずと中の様子を窺った。
中というか、この場合は乃梨子さんの様子なんですけれど。
「「!」」
ずっとこちらを見ていたのか、乃梨子さんと瞳子の視線がピッタリと合う。
「あ、あの、乃梨子さん?」
教室の扉から顔を半分出して、乃梨子さんのご機嫌を伺う。
「……いつまでそんなとこに突っ立ってるの?」
「ですが、あの」
「わかってるわよ。そんなことで、いちいち揚げ足取らないから」
乃梨子さんは脱力して、頭を抱えていた。
先生が教室の前の扉から中に入ったので、瞳子は慌てて自分の席に滑り込んだ。
1時間目の授業を受けながら、瞳子は考えていた。
10分間の休み時間で、白薔薇さまを呼び出してロザリオをお返しすることは出来るけれど。
パタパタして、ご迷惑になるといけませんし。
やっぱり、お昼休みのほうが良いのかしら?
どうしようかと悩みつつ乃梨子さんの方を向いたら、睨まれた。
(ひっ……)
瞳子の考えていることなど、お見通しらしい。
や、やっぱり二時間目の前に、お返ししてきます。
今回の一件は瞳子の方が分が悪い。
まさか乃梨子さんに泣かれるとは、思っても見なかった。
〜 〜 〜
一時間目が終わって、素早く瞳子は移動した。
乃梨子さんの祈るような、それでいて強烈な視線に追い立てられた、というのもありますけれど。
そしてここは白薔薇さまのいらっしゃるクラス、二年藤組の前。
「あ、松平 瞳子さん?」
決戦を前に胸に手を当てて深呼吸をしていたら、声をかけられた。
「ごきげんよう。あの──」
「白薔薇さま? 少々お待ち下さいね」
取次ぎを頼もうと思ったその方は、私の事を知っていらして、言伝を頼む前にあっさりと中に入っていった。
(はぁ)
私も有名になったものですわね……。
多少困惑しつつ待っていると、白薔薇さまが楚々と廊下に出てこられた。
「ごきげんよう、瞳子」
白薔薇さまは瞳子の顔を見て、安堵したように、ふわりと微笑んだ。
「ご、ごきげんよう、白薔薇さま」
けれど瞳子は、そんな白薔薇さまを目の前にして緊張してしまう。
私のことを瞳子と呼ぶ白薔薇さま。
まだ私は白薔薇さまの妹という立場なのだ。
(でも、私の心は決まっています)
先週の金曜日に、祐巳さまが倒れられたときに、薔薇の館で伝えたこと。
昨日、祐巳さまのことで自棄になって、うやむやにしてしまったこと。
そして今日、祐巳さまの妹となるために。
瞳子はポケットの中の、白薔薇のロザリオを確かめた。
「どうかして?」
「あの……」
このままではいけないのです。
私の我侭から始まったこととはいえ、これではあまりにも悲しすぎる。
白薔薇さまに対する、みんなの誤解が解けてほしい。そう思っていた。
だから。
「これを」
そう言って瞳子は、ポケットから白薔薇のロザリオを取り出し、両手でそっと白薔薇さまに捧げた。
「瞳子……」
瞳子を見つめたまま白薔薇さまはそう呟いた。
私たち二人を見守っていた周りの二年生方が、にわかにざわつく。
白薔薇さま、ありがとうございました。
(でも、ごめんなさい)
瞳子は深呼吸をしてゆっくりと話し始めた。
「白薔薇さまは私のことを考えて、私を妹としてくださいました。そのために必要なロザリオを、乃梨子さんから返してもらってまで……。白薔薇さまのお心遣いが、とても嬉しかった。ですが以前にも言いましたけれど。私が姉と認める方は、お一人だけです」
白薔薇さまは静かに私の話を聞いていた。
「だからこそ、思わず受け取ってしまったこのロザリオは、お返しします」