びゅおおおおおぉぉぉぉ………。
と、凄まじい風が吹き荒れる、リリアン女学園高等部。
その象徴とも言うべき生徒会役員室、通称薔薇の館の屋根の上に、二つの人影があった。
一つは、黒く長く美しい髪を、風になびくに任せたままの、鋭い視線と高い鼻梁、涼しい口元の美女。
腕を組んで、吹き荒れる風もなんのその、仁王立ちしたその様は、必要以上に無駄に凛々しい。
彼女の名は、紅薔薇のつぼみ小笠原祥子。
もう一つは、左右に二つ分けした髪が風に煽られ、ぺちぺちと赤くなった頬を叩いている、狸面した少女。
祥子に抱き付いて、引き攣った顔で歯をがちがち鳴らしているその様は、妙に嗜虐心をそそる。
彼女の名は、紅薔薇のつぼみの妹、福沢祐巳。
ほんの数日前、祥子の妹になったばかりだ。
「ささささささ祥子さま、こここここれから一体何が始まるのでしょう?」
「祐巳、『祥子さま』じゃないでしょう? お姉さまって呼びなさいと、何度も言ってるでしょう」
「もももももも申し訳ありません、さ、さ、さ、祥子さまじゃなくって、おおおおおおお姉さま」
祐巳が怯えるのも無理はない。
凄まじい風が吹いている上、足元が不安定なので、とてもまともに立っていられる状態ではないのだから。
「これから、儀式を行うの。あなたが山百合会の正式な仲間となったことを内外に知らしめるための、ね」
「儀式?」
不思議そうに問い掛ける祐巳の脚には、ロープが結ばれている。
そのロープは、一旦屋根の端から垂れ下がり、再び上に向かって伸びており、屋根の突起にしっかりと結ばれていた。
「そう、言うなれば通過儀礼。所謂成人の儀式のようなものね。歴代の、将来薔薇さまになるであろうつぼみ、またはつぼみの妹全てが体験してきた、神聖な儀式よ」
「そそそそそんなこと初めて聞いたんですけど」
「そりゃそうよ。知っている人は知っているけれど、知らない人はひらすら知らないことですからね。ほら、知っている人は、校舎の窓に鈴生りよ」
言われて辺りを見渡せば、そんなに多くはないけど結構な数の生徒たちが、薔薇の館を注視している。
中庭にも、一般生徒が集まって来ているようだ。
その中には、山百合会関係者も混じっている。
紅薔薇さま水野蓉子は二人を心配そうに見上げ、黄薔薇さま鳥居江利子はいかにも楽しそうで、白薔薇さまは一般生徒にちょっかいかけていた。
そうした衆人環境の中、中心となっているのは、祥子と祐巳のなったばかり姉妹。
「でででで、私はどうなるのどうなるのでしょうでしょう?」
半分泣きそうな顔で、祥子に訊ねる祐巳。
「高い場所、足に括りつけたロープ、そして儀式。これだけヒントが揃えば、何をするか、もう分かりそうなものだけど」
「わわわわわ分かりたくないんですけど!?」
「分かりなさい。そして、実行しなさい。これは、あなたにとって避けることが出来ない義務なのよ」
「お姉さま!?」
「祐巳、聞き分けて頂戴。お姉さま…蓉子さまも、私も、全てが通ってきた道なのよ」
「そそそそそそれは黄薔薇さまや白薔薇さまもですか?」
「薔薇によって内容は違うけど、みんな体験してきたわ」
「でででででも………」
「これさえ成し遂げることが出来たら、あなたは自他共に認めるロサ・キネンシス・アン・ブゥトンのプティ・スールになれるのよ」
祐巳の肩を抱いて、噛んで含めるように諭す。
「さぁ、覚悟を決めて」
その言葉に、ようやく祐巳は腹を括った。
「わわわわ分かりました。いいいいいい行きます」
祥子から離れ、不安定ながらも一人で屋根の上に立った祐巳は、両手を握り締め、大きく深呼吸した。
「行きます!」
ぐっと踏み込み、飛び上がろうとした。
が、
「やっぱりダメ!」
と、ぐわしと祥子にしがみ付いた。
「って、ちょっと祐巳!?」
いきなり抱きつかれ、バランスを崩した祥子は、祐巳と共に、
『あきゃ〜〜〜〜〜!!!!!』
まっ逆さまに落下した。
ばしぃん!
ずがしゃ!
ロープのお陰で地面に激突することなく済んだ祐巳だったが、祥子はそのまま地球に頭突きした。
「祥子!」
「祥子さま!」
「紅薔薇のつぼみ!?」
慌てて駆け寄る蓉子やギャラリーたち。
祥子は、首や背骨をあらぬ方向に曲げたまま、白目を剥いて気を失っていた。
「あの〜………」
まったく省みられることなく、スカートを押えてブラブラしていた祐巳は、申し訳無さそうに声を出した。
「あー、忘れてたよ。大丈夫?」
聖は、祐巳を抱きかかえるようにして持ち上げると、白薔薇のつぼみ藤堂志摩子が、脚に括られているロープを解いた。
そうこうしているうちに、祥子は保健室まで運ばれてしまい、結局彼女の無様な姿を見ることは出来なかった。
念の為、祐巳も保健室で診てもらったところ、足首の擦過傷だけで済んだ。
祥子はというと、軽い頚椎・脊椎損傷で、完治まで約一週間ということだ。
「良かった………。祥…お姉さまって、思いの他頑丈だったんですね」
「言いたいことはそれだけ?」
「え?」
「誰かさんが抱きついたりしなければ、こんなことにはならなかったのよね」
痛々しい姿で、ニッコリ微笑む祥子だったが、目は笑っていなかった。
「治ったら、覚えておきなさいよ」
祐巳は、後に起こるであろう悲劇に身を震わせながらも、一番の被害者は、実は自分なのではなかろうかと、今更ながらに思うのだった。