『憂鬱人造人間』(オリキャラメインのリリアン話です)
act 1 は【No:1844】です。
act 1.5 は【No:1845】です。
act2 人造人間の憂鬱
氷原あゆみとの付き合いは一緒に数日校内巡りをしたせいで、なんとなく一緒に帰るのが習慣になってしまった。
校内巡りや帰りで彼女と話をしてみて、たまに「人間じゃない」とか「感情が欠如してる」とかほざく以外は、彼女は普通に笑い、普通に話も通じる人だった。
最初いきなり「人間じゃない」で引いてしまったが、それは彼女の社交術なんだと割り切って考え、そこに深く突っ込みさえしなければ、変わり者であることは認めざるを得ないが、彼女は“貴重な庶民仲間”に違いなかった。
一方、肝心の部活は結局、決め手がなく、だから、あゆみと一緒に帰宅部な毎日を送っていたわけなのだけど。
そんな毎日がなんとなく過ぎ、クラスのお嬢様方にも少し慣れてきたころ、山百合会主催のもと、私のような者から見れば“異世界への入門儀式”のような“新入生歓迎会”が催された。その歓迎会では、異世界人の親玉「薔薇さま方」からありがたいおメダイを頂いて、「私もすっかり異世界の住人になったんだなぁ」などと感慨も新たにしたのだった。
まあ、薔薇さまなんて、こういう催し物以外では私のような庶民がお目にかかる機会など殆どないからどうでもいいのだけど、「人間がうらやましい」というあゆみには薔薇さまも例外では無いようで、歓迎会の間は憧れに目を輝かせる子羊たちと同じくらい熱心に薔薇さまとやらを観察していた。
そう、あゆみのは“観察”なのだ。
他の生徒は目を潤ませ、のぼせたような目だったのだけど、あゆみだけは冷静な表情で、じっと観察しているようだった。
あゆみの異常性を実感させられる事件が起こった。
それは新入生歓迎会から数日過ぎたある日のことだ。
朝、私が登校するとクラスのまゆみさんが泣いていた。
苗字はよく覚えていない。というか、ここリリアンでは下の名前に“さん”付けで呼ぶのが慣わしで、もちろん授業中とかに先生から苗字で呼ばれることはあるのだけど、彼女のような目立たない子は意識して覚えないかぎりなかなか苗字と顔が一致しないのだ。
そう、その目立たない子のまゆみさんが数名のクラスメイトに囲まれてしくしくと泣いていたのだ。回りを囲んでいる生徒たちも口々に「かわいそう」と言い、もらい泣きして目にハンカチを当てている子もいた。
私は先に登校していたあゆみに聞いてみた。
「なにかあったのかな?」
「憧れの先輩に妹ができたそうよ」
「へぇ?」
あゆみは人をよく見ていて情報通なところがある。
彼女に言わせると、彼女は「人間ではない」から「人間のようになるため」に注意深く人間を観察している、ということになる。
実はあゆみはあまり私以外の人間と話さない。なんというか、お嬢様お嬢様した一般生徒と纏っている空気が違うというか、私のように庶民から見れば十分許容範囲のあゆみも、このお嬢様学校の生徒たちの中にあるとちょっと浮いてしまうのだ。
敬遠されている、というのともちょっと違う。たとえば、何かどうでもいいようなことを頼むのにあゆみとほかの生徒でどちらを選ぶのか、というちょっとした無意識的な選択で外れてしまうような微妙なものだ。事実、クラスの誰が話し掛けてもあゆみはにこやかに対応するし、相手があゆみの奇異な言動で困惑する、ということも今まではなかった。
「まゆみさん、その先輩の妹になりたかったんだ?」
「そうでもないみたい」
「そうでもない?」
「憧れてた先輩がだれか特定の人のものになってしまったのが悲しいらしいわ」
一応説明しておくと「妹になる」というのはなにも養子縁組とか親同士が結婚してとかいう話ではない。『上級生が姉のように下級生を導く』という校風から生まれたといわれるこの学園の高等部独特の姉妹(スール)制度のことだ。
この姉妹になれるのは常に一対一で、ロザリオの拝受をもって特定の人と姉妹という特別な関係を結ぶと聞いている。それは結婚のようなものなんだそうだ。だから一度決めるとおいそれと変更できないものらしい。
だから、あゆみが「誰かのものになった」という表現を使ったのだ。
「なるほどね」
私がハンカチを目にあてるまゆみさんを眺めながらそうつぶやくとあゆみは言った。
「私にはわからないの」
「なにが?」
「まゆみさんはその先輩にある種の独占欲を持っていたのよね。だから自分に優しくしてくれていた先輩が妹を持ったことで先輩に裏切られたって感じた。本当は違うのに『自分は特別だ』って思い込でいただけ」
「ちょっとあゆみ」
私とあゆみは、そのまゆみさんとその取り巻きの人たちからそう遠くないところで話していた。べつにひそひそ話ではなく普通の会話だ。当然、彼女らの耳にも入ってしまう。
でもあゆみは全然そういう事には無頓着に話を続けた。
「そこまでは判るのだけど、私には『悲しい』とか『かわいそうに』っていう感情が湧かないのよ」
あゆみの言うことはいちいち正論である。まゆみさんの心情もそんなところであろう。
言ってしまえば、まゆみさんは自分が『捨てられてかわいそうな子』というシチュエーションに酔っているだけなのだ。周りのもらい泣き集団もおそらく似たり寄ったりだ。
でもそれを口に出して言って良いかどうかは別問題だ。
「ちょっと、あゆみさん?」
案の定、もらい泣き集団の中でもちょっと気が強い、リーダータイプの子があゆみの言葉を聞きとがめてこちらを向いた。
「あら、ええと、昭子さんでしたよね」
あゆみはそう言って微笑んだ。
というか、私は「ここは微笑むところじゃないだろ」と心の中で突っ込みをいれた。
「そうよ、まゆみさんが悲しんでいるのに、そんな言い方はあんまりじゃないの?」
昭子さんは目を釣りあがらせて敵意まる出しだった。でもあゆみは微笑んだまま。
「ごめんなさい。私にはどうしても駄目なの。泣いているまゆみさんを見て悲しくなれないの」
微笑をたたえつつ淡々と語るあゆみだが、そんな態度が昭子さんの怒りに油を注いだようだった。
「皮肉を言わないでくださる? クラスメイトが悲しんでいたら慰めてあげて当然でしょう?」
あゆみは昭子さんの怒りにも全然動じてない風で静かに言った。
「皮肉なんて言ってませんよ。 ……あなたは、人間ですね」
昭子さんは予想しなかった質問に動きを一瞬止めた。
あゆみは続けた。
「お友達が悲しんでいたから悲しくなって」
「そ、そうよ! それの何処が悪いって言うの!」
「傲慢で、誰よりも自分が可愛くて、だから一緒に悲しむ事で自分が“良い人”なんだって安心して……」
パン! と教室に乾いた音が響いた。
昭子さんがあゆみの頬を平手で叩いたのだ。
「馬鹿にしないで!」
昭子さんの頬をつたうものはまゆみさんへの同情で流されたものなのか、感情が高ぶって流れたものなのか判らなかった。
「怒って、感情的になって、涙を流して」
あゆみは叩かれても微笑んだままだった。
「……それができるあなたが羨ましい」
教室はシンと静まり返っていた。
まゆみさんの周囲にいた生徒だけでなく、クラスにいた誰もがあゆみと昭子さんに注目していた。私も注目する側だった。
「もう、やめてください」
沈黙を破ったのはまゆみさん本人だった。
「あゆみさんの言った通りです」
まゆみさんは取り巻きの中から立ち上がっていた。
「まゆみさん……」
心配そうに取り巻きの生徒が彼女の名前を呼んだ。
でも、まゆみさんは続けた。
「私、先輩に優しい言葉かけてもらって舞い上がってただけだから。それだけだから……」
そういって、まゆみさんは両手で顔を覆ってしまった。
「ごめんね」
あゆみが言った。
「まゆみさんは悪くないよ。人を好きになって独占したいと思って、それが叶わなくって悲しくなって泣いて。それは人間として普通のことだから」
「あゆみ、さん?」
まゆみさんは不思議そうに顔を上げた。
「私は人じゃないから、そういう感情がわからないの。それだけだから」
まゆみさんが「えっ!?」となった。注目していたクラスの人たちも混乱していることだろう。
あゆみはそんなことはかまわずに続けた。
「まゆみさんって、私と名前がよく似てるよね。ほら、ローマ字にしたら一文字抜けてるだけなのよ」
まゆみとあゆみ。確かにその通り、『あゆみ』に“m”をつければ『まゆみ』になる。だからなんなんだ?
「私に欠けてるのがローマ字のmだけだったらよかったわ」
“ずっと微笑んでいた”あゆみだけど、私にはその時だけ何故か泣いているように見えた。
あゆみは自分が『人間ではない』『感情が欠けている』とか主張するが、私はそれはただの妄言もしくは思い込みだと思っていた。
だって、普段のあゆみは普通に笑うし、あまり表に出さないタイプだとは思うけど、ちゃんと感情も持っているように見える、私から見れば彼女は十分人間に見えるのだ。
とにかく、この事件以来クラスの人たちは意識的にあゆみを敬遠するようになった。
act 2.5 通りすがりの怪獣、その後
あゆみが敬遠されるようになった事件と同時期、たしか前だったと思うのだけど、あゆみがまた祥子さんに話しかけたことがあった。
昼休みになってすぐ、購買に私は飲み物を、あゆみはいつもお弁当じゃないので昼食にパン等を買いに行った帰りに、廊下で祥子さんに出会ったのだ。
「祥子さん」
あゆみは祥子さんの姿を見つけると迷わず声をかけていた。
祥子さんはお弁当らしき包みを持っていた。これから何処かへ行って食べるのであろう。
「あら? ええと確か、いつか放課後に会った……」
確か名前は名乗っていなかった筈だ。
「はい、氷原あゆみです」
「あゆみさん。何かお話でも?」
「今よろしいですか?」
「少しならいいわ。私もあゆみさんとお話したかったの」
というわけで、祥子さんが向かっている方向へ歩きながら話をした。
ところで、どういう訳かこの祥子さん、あゆみが話をしたいというとちゃんと応じてくれる。
聞いた話だけど、小笠原祥子さんというのは、曲がった事が大嫌いな人で、大した用事も無いのに雑談なんか振ろうものなら「その会話になにか意義があるのですか?」みたいにバッサリやられてしまうという話だったのに。
まあ、お陰で、私もこの超お嬢様たる祥子さんと一緒に廊下を歩いている訳だけど。
早速だけど、あゆみは祥子さんに訊いた。
「先日のマリア祭の後の新入生歓迎会で、祥子さんは紅薔薇のつぼみと何か話してましたよね?」
これは私も目撃していた。
あの時はクラス毎に薔薇さまの前に並んで順番におメダイをいただいていたのだけど、いただいた後、祥子さんは何を思ったのか、紅薔薇さまの隣でおメダイを出す役をしていた紅薔薇のつぼみの前に一歩踏み出して何かを話すように少し留まったのだ。
私は放課後、あゆみが話し掛けた一件で顔と名前が一致していたので、それが祥子さんだと判った。
祥子さんは答えて言った。
「あれは稽古事を全てやめたって報告してたのよ」
「やめた?」
「ええ、お話したかったのはこのことよ。このあいだあなた、私に何かと戦っているって言ってたわよね」
「はい」
「その答え。私には何か欠けているものがあって、それを探している。そう思ったのよ」
あゆみが目を見開くのが見えた。なにか琴線に響くものがあったのだろうか?
「……見つかったのですか?」
あゆみの問いかけに、祥子さんは首を横に振った。
「いいえ、それはこれからよ」
「それで紅薔薇のつぼみに?」
「ええ、紅薔薇のつぼみ、蓉子さまにはあなたと同じような事を言われたの。それで気付かされたわ。稽古事を続けることの中に私の求めているものは無いって」
そのとき私は祥子さんのような超お嬢様にも悩みがあるのだなぁ、なんて考えていた。いや、むしろ超がつくほどのお嬢様だからなのかもしれなかった。
祥子さまは言った。
「私は蓉子さまの妹(スール)になるわ。これから薔薇の館に返事をしに行くのよ」
なんと、凄いタイミングで出会ってしまったようだ。
あゆみが言った。
「紅薔薇のつぼみの妹になるのですね?」
「そうよ。私が誰かの妹になるなんて、いえ、なれるなんて思ってもいなかったわ。でも……」
祥子さんは自分に言い聞かせるように続けた。
「……私は蓉子さまの妹になりたいって思ったのよ」
あゆみは祥子さんに微笑みかけて言った。
「探しているもの、見つかると良いですね」
祥子さんが探しているもの。祥子さんに欠けているもの。
庶民の私には計り知れない何かなのであろう。ちなみに、あゆみに欠けているのは“自己理解”といったところか?
祥子さんはあゆみに答えて言った。
「ありがとう。あなたに報告出来て良かったわ」
そして、祥子さんとは中庭へ出る扉の前で別れた。