それは何の変哲もない、とある昼休みのこと。
「ねえ、昨日のドラマ見た?」
「見ましたけど…あの俳優、演技下手ですよね。相手役の子がかわいそう」
黄薔薇さまとその妹が昨夜のドラマの話をしている。
その横では、
「あっ、純ちゃん、そのデザート新作?」
「うんそうだよ。かぼちゃとさつまいものメープルマフィン。
よかったら食べてみる?」
「食べる〜(^O^)」
白薔薇と紅薔薇の両つぼみが新しいお菓子をほおばって。
「さてと、5時間目は数学の小テストだし、予習、予習っと」
黄薔薇のつぼみの妹は教科書を広げてなにやら書き込んでいる。
すでに食事の終わった紅薔薇さまは部屋をくまなく見渡して、
床の隅にある蜘蛛の巣を見つけた。
「あらやだ、こんなところに蜘蛛の巣…放課後はお掃除決定ね」
白薔薇のつぼみの妹は黙々と読書に夢中。
そんな中、お弁当をようやく食べ終わった紅薔薇のつぼみの妹が、
なぜかお弁当箱を前に真剣に考え込んでいた。
「どうしたの美咲さん、何か悩みごとでも?」
水を向けた理沙に、美咲はこう答えた。
「行くべきか行かざるべきか…それが問題なのよ」
「ハムレットかよ」
読書中の涼子は、本から目を離さずに突っ込んだ。
「行くってどこへ?」
さゆみの問いにも答えず、なおも沈黙を守る美咲。
その沈黙は、しかしながらすぐに破られた。
「決めたわ!私、行きます」
「だから、どこ行くのって聞いてるじゃない」
おもむろに立ち上がると、カバンの中からサイフを取り出した。
「すみません、ミルクホール行ってきます」
「ミルクホール?今からだと何もないかもしれないわよ。もう昼休みも終わるし」
ちあきが止めるのも聞かず、美咲はさっさと出て行ってしまった。
「…なんなんだ、あいつは」
涼子の半ばあきれ気味な問いに、答える者は誰もいなかった。
そして放課後。
いつもながらにせわしなく掃除機を動かすちあきの耳に、美咲の声が届いた。
「ごきげんよう〜、ここ開けてもらえますか〜?」
「はいはい、ちょっと待ってて」
駆けつけたちあきが見たもの。
それは、たくさんの駄菓子やらチョコレートやら、
いろいろなお菓子やパンが入ったダンボール10箱。
美咲はこれを2台の台車を使って運んできたのだ。
「どうしたの、この駄菓子の山は」
驚くちあきに、美咲は満面の笑み。
「あのあとミルクホールに行って、自分用にとっといてもらった新作のお菓子とパン、それからデザートと駄菓子を取りに行ったんです。
2万円は痛かったけど、これでしばらくおやつには困りませんね」
それからダンボールの中に手を突っ込んで、中から「ビッグカツ」と書かれたお菓子を取り出すと、むしゃむしゃと食べ始めた。
(いくら山百合会だからって、こんなことが許されてもいいのかしら…)
ちあきは頭のてっぺんに痛みが走るのを感じた。
しかしちあきは知らない。
今年の紅薔薇のつぼみの妹は、それが許される立場にあることを。
大願寺美咲といえば、才色兼備ぞろいの今年の山百合会の中でも、
その姉である瀬戸山智子と並んで特に人気の高いメンバー。
入学当初からその美貌とカリスマ性は評判で、すでに大規模なファンクラブが
できているほど。
おまけに今でこそごく普通の庶民だが、もともとは由緒正しい名門の家柄。
そんな美咲が2万円でミルクホールを空っぽにしても、誰も文句は言わない。
むしろ生徒たちはミルクホールの品目の少なさを批判し、どれだけ食べてもスリムな体型を維持し続ける彼女に、またファンが増えるのだ。
「美咲さんと智子さまに食べていただけるなら、お弁当でもお菓子でも何でもお作り致しますわ!」
そんな声さえ生徒の間では聞かれる。
事実、ある昼休みに15人もの生徒から昼食の差し入れを受け、
そのうち10人分を美咲1人で平らげてしまった。
ちなみに残りは山百合会メンバーの間で分けられた。
「これ、おいひいでふよね。ちあきさまもおひとつどうぞ」
もぐもぐと口を動かしながら駄菓子をすすめてくる美咲だったが、
ちあきはとても食べる気にはなれなかった。
それから1週間後のある日。
美咲がまたダンボールを大量に運び込んだ。
「今度は何?」
またものすごい笑顔で美咲が答えた。
「大丈夫です、今度はお菓子じゃありませんから」
「…お菓子じゃない?」
中を覗き込むと、黒っぽいビンが大量に入っている。
首をかしげるちあきに、今度は智子が自信たっぷりに答えた。
「今年のボージョレヌーボーの新作、買い占めちゃいましたvv」
(ああ、マリア様、この大酒飲みと大食い女、何とかしてください…)
その後薔薇の館でどんなドンチャン騒ぎが繰り広げられたのかは、マリア様のみぞ知る。