【1922】 食欲魔神目覚めるディープに情熱的に  (若杉奈留美 2006-10-12 23:43:03)


それは何の変哲もない、とある昼休みのこと。

「ねえ、昨日のドラマ見た?」
「見ましたけど…あの俳優、演技下手ですよね。相手役の子がかわいそう」

黄薔薇さまとその妹が昨夜のドラマの話をしている。
その横では、

「あっ、純ちゃん、そのデザート新作?」
「うんそうだよ。かぼちゃとさつまいものメープルマフィン。
よかったら食べてみる?」
「食べる〜(^O^)」

白薔薇と紅薔薇の両つぼみが新しいお菓子をほおばって。

「さてと、5時間目は数学の小テストだし、予習、予習っと」

黄薔薇のつぼみの妹は教科書を広げてなにやら書き込んでいる。
すでに食事の終わった紅薔薇さまは部屋をくまなく見渡して、
床の隅にある蜘蛛の巣を見つけた。

「あらやだ、こんなところに蜘蛛の巣…放課後はお掃除決定ね」

白薔薇のつぼみの妹は黙々と読書に夢中。
そんな中、お弁当をようやく食べ終わった紅薔薇のつぼみの妹が、
なぜかお弁当箱を前に真剣に考え込んでいた。

「どうしたの美咲さん、何か悩みごとでも?」

水を向けた理沙に、美咲はこう答えた。

「行くべきか行かざるべきか…それが問題なのよ」
「ハムレットかよ」

読書中の涼子は、本から目を離さずに突っ込んだ。

「行くってどこへ?」

さゆみの問いにも答えず、なおも沈黙を守る美咲。
その沈黙は、しかしながらすぐに破られた。

「決めたわ!私、行きます」
「だから、どこ行くのって聞いてるじゃない」

おもむろに立ち上がると、カバンの中からサイフを取り出した。

「すみません、ミルクホール行ってきます」
「ミルクホール?今からだと何もないかもしれないわよ。もう昼休みも終わるし」

ちあきが止めるのも聞かず、美咲はさっさと出て行ってしまった。

「…なんなんだ、あいつは」

涼子の半ばあきれ気味な問いに、答える者は誰もいなかった。


そして放課後。
いつもながらにせわしなく掃除機を動かすちあきの耳に、美咲の声が届いた。

「ごきげんよう〜、ここ開けてもらえますか〜?」
「はいはい、ちょっと待ってて」

駆けつけたちあきが見たもの。
それは、たくさんの駄菓子やらチョコレートやら、
いろいろなお菓子やパンが入ったダンボール10箱。
美咲はこれを2台の台車を使って運んできたのだ。

「どうしたの、この駄菓子の山は」

驚くちあきに、美咲は満面の笑み。

「あのあとミルクホールに行って、自分用にとっといてもらった新作のお菓子とパン、それからデザートと駄菓子を取りに行ったんです。
2万円は痛かったけど、これでしばらくおやつには困りませんね」

それからダンボールの中に手を突っ込んで、中から「ビッグカツ」と書かれたお菓子を取り出すと、むしゃむしゃと食べ始めた。

(いくら山百合会だからって、こんなことが許されてもいいのかしら…)

ちあきは頭のてっぺんに痛みが走るのを感じた。
しかしちあきは知らない。
今年の紅薔薇のつぼみの妹は、それが許される立場にあることを。
大願寺美咲といえば、才色兼備ぞろいの今年の山百合会の中でも、
その姉である瀬戸山智子と並んで特に人気の高いメンバー。
入学当初からその美貌とカリスマ性は評判で、すでに大規模なファンクラブが
できているほど。
おまけに今でこそごく普通の庶民だが、もともとは由緒正しい名門の家柄。
そんな美咲が2万円でミルクホールを空っぽにしても、誰も文句は言わない。
むしろ生徒たちはミルクホールの品目の少なさを批判し、どれだけ食べてもスリムな体型を維持し続ける彼女に、またファンが増えるのだ。

「美咲さんと智子さまに食べていただけるなら、お弁当でもお菓子でも何でもお作り致しますわ!」

そんな声さえ生徒の間では聞かれる。
事実、ある昼休みに15人もの生徒から昼食の差し入れを受け、
そのうち10人分を美咲1人で平らげてしまった。
ちなみに残りは山百合会メンバーの間で分けられた。

「これ、おいひいでふよね。ちあきさまもおひとつどうぞ」

もぐもぐと口を動かしながら駄菓子をすすめてくる美咲だったが、
ちあきはとても食べる気にはなれなかった。


それから1週間後のある日。
美咲がまたダンボールを大量に運び込んだ。

「今度は何?」

またものすごい笑顔で美咲が答えた。

「大丈夫です、今度はお菓子じゃありませんから」
「…お菓子じゃない?」

中を覗き込むと、黒っぽいビンが大量に入っている。
首をかしげるちあきに、今度は智子が自信たっぷりに答えた。

「今年のボージョレヌーボーの新作、買い占めちゃいましたvv」

(ああ、マリア様、この大酒飲みと大食い女、何とかしてください…)

その後薔薇の館でどんなドンチャン騒ぎが繰り広げられたのかは、マリア様のみぞ知る。


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