「ごきげんよ〜う!」
やったらめったらハイテンションで、部室の扉をくぐり抜けたのは、前部長築山三奈子だった。
ここ新聞部部室では今、殺気立った部員たちが、来週の月曜日発行予定のリリアンかわら版を完成させるため、追い込みに入っていた。
「みんな、頑張っているかな? うん?」
満面の笑みを浮かべて、ジト目で睨む部員もなんのその、まるで周りが見えていないように振舞っている。
「差し入れ持ってきたわよ〜。ちょっと休憩したらどうかしら?」
三奈子の手には、駅前で近頃評判の店のロゴが入った紙のケース。
それを見た一同は、表情を一転させ、我先と彼女の周りに集まって行く。
「真美ちゃ〜ん♪ お〜い」
一人にケースを手渡すと、あからさまに視線を逸らす妹に、三奈子はパタパタと手を振った。
「………」
あまりにも恥ずかしくて聞こえないフリの、三奈子の妹にして現部長山口真美。
「どうしたの真美ちゃん?」
それでも頑なに、三奈子に目を向けるのを拒否し続ける。
「いや〜ん真美ちゃん、せっかくしたくもない受験勉強で忙しい中、隙を見て抜け出てきたのにぃ」
真美の背中が、プルプルと震えている。
危険な兆候と見たのか、真美の妹高知日出実が、慌てて姉の元に駆けより、耳打ちした。
小さく溜息を吐いた真美は、ゆっくり立ち上がり、三奈子の背中を強引に押しながら部室から出て行った。
「まったく、普通に登場できないんですか?」
「だってぇ、元部長としては、小細工無しに登場するなんてマネ出来ないじゃないの」
「小細工らしい小細工なんてしていなかったみたいですけど、普通に登場してくれれば、こちらも恥ずかしい思いしなくて済むんです」
怒ったフリしながらズンズンと先を歩む真美を、追いかける三奈子。
「待ってぇ、真美ちゃん」
追い着いた三奈子は、イキナリ真美の右手を取った。
驚いて思わず振りほどこうとしたが、叶わなかった。
何故なら三奈子は、指と指を絡める握り方、所謂恋人繋ぎをしていたのだから。
「ちょっとお姉さま!?」
三奈子は、顔を赤くした真美をまるで意に介せず、満面の笑みを浮かべていた。
手を繋いだまま辿り着いたのは、ミルクホール。
二人は適当な席に、向かい合った形で着席した。
彼女らの前には、好みのドリンクが湯気を上げている。
未だ仏頂面の真美を、頬杖を突いて真正面から見つめる三奈子。
「な、なんですか……?」
流石の真美も、こう正面からあからさまに見つめられると、照れ臭くって仕方がない。
しかも三奈子は、行動力ばっかりで目を眩まされがちだが、よくよく見れば結構な美女。
眠たげな、良く言えば切れ長、悪く言えば半眼のやや垂れ下がった目は、ゴシップを見つけるため常に鋭い光を放っている。
……はずなのに、今の真美を見る目は、なんと言うべきか、妙に優しい。
「何かお話しでもあったのでは?」
「いいえ別に」
「じゃぁ、なんでわざわざ……」
「大好きな、可愛い妹の顔を見に来るのに、いちいち理由が必要かしら?」
その言葉に、ボフンと顔が赤くなる真美。
どうしてこの人は、そんなことを恥ずかしげも無く言えるのか。
「もう丸一週間ほど顔を合わせていなかったじゃない? もう、真美ちゃんのことが気になって気になって。頑張ってるかなとか、無理していないかなとか。考えれば考えるほど、勉強なんか手に付くわけないわよねぇ。ああそうそう、息抜きにクッキーを焼いてみたの。一応真美ちゃん好みに作ってみたんだけど、美味く出来ているかしら?」
三奈子はポケットからリボンで括られた小さい紙袋を取り出し、テーブルに広げた。
そこには、直径4cmぐらいのチョコチップクッキーが5つほど。
「ほらほら食べてみて。そりゃロサ…令さんに比べれば大したことないけど、結構自信作なのよ」
ちなみに三奈子は、成績も学年で常に両手両足に足る順位を維持しており、書道・美術・音楽・家庭科も平均以上。
校内での暴走も、あまり知られていないこの評価のため、教師たちに黙認されているという噂まであったりする。
真美からすれば、この暴走妄想っぷりさえなければ、自分には過ぎた姉という自覚があると言うのに……。
思い返してみれば、真美が何か困った時には、必ずと言っていいほど、姉から助けの手が入る。
実際、部室にいたさっきまでは、最近マンネリ化してきたような気がしないでもないかわら版に対し、姉の意見を聞きたくて仕方がなかった。
だが、姉は受験勉強で忙しいし、自分自身も姉離れもしておかなければならない上、更に自分は部長として日出実の姉として、責任ある立場を甘受せざるを得ないので、必要以上に甘えることも出来ない。
そんな真美の考えを知ってか知らずか、まるでテレパシーが通じたかのように現れた三奈子。
そして、ふざけているように見えても、そこには、見落としてしまいそうなぐらいにさり気ない気遣いがあって。
真美の目尻から、小さな涙が一滴。
「ど、どうしたの真美? 大丈夫?」
慌てて席を離れ、真美の元に回り込む三奈子。
これだ。
真美は思った。
普段は、まるで『友達』のようなスール関係なのに、こんな時には、まるで『実の姉妹』のように心配する姉に変わる。
先ほどまで真美ちゃん真美ちゃんと呼んでいたのが、真美と呼び捨てになって。
部活ではとても厳しかったけど、基本的にはとても優しい姉の存在は、真美の中でも一際大きく、だから真美は、評判の店のお菓子より、三奈子の想いが詰まったクッキーの方が、何万倍も嬉しい。
真美は、こんな不器用なのに器用な姉が、大好きでたまらないのだ。
本気で心配している姉の表情は、それだけで真美の姉に飢えた心を、必要以上に満たしてくれるのだから。
「なんでもないです」
「でも、どうして涙なんか……、いえ、とりあえず拭きなさいホラ、ハンカチ」
あたふたしている姉は、なんだか滑稽で。
「大丈夫ですよ、くすくす」
泣きながらも微笑む真美に、三奈子はようやく安堵の溜息を吐いたのだった。
部活も終わり、一緒に帰ることになった三奈子と真美。
気を利かしたのか日出実は、他の部員たちとともに帰宅していた。
終始無言で真美は、姉の腕にしがみ付くような格好で、肩に頭をもたれかけさせていた。
もうすぐ姉は卒業する。
学校で会えるのは、あと少しだけなのだ。
だから、甘えられるだけ甘えておこう。
人目なんて気にする必要はない。
何故なら、姉妹なのだから。
三奈子も、何も言わなかった。
学校で会えるのは、あと少しだけなのだ。
だから、甘えたいだけ甘えさせてあげよう。
人目なんて気にする必要はない。
何故なら、スールなのだから。
ただそこにいるというだけで、何もかもが通じ合える二人の関係。
「……ねぇ真美?」
「ええ、お姉さま」
二人の会話は、それだけで十分なのだ。
沈み行く夕日に照らされながら二人は、無言のまま歩き続けるのだった……。