【1986】 なんか微妙それでも退魔伝  (朝生行幸 2006-11-10 22:14:15)


「みんな、揃ったかしら?」
 放課後の薔薇の館、二階会議室にて、ホワイトボードの前で口を開いたのは、紅薔薇さま小笠原祥子。
 席には、祥子の妹福沢祐巳は言うに及ばず、黄薔薇さま支倉令とその妹島津由乃、白薔薇さま藤堂志摩子とその妹二条乃梨子、そして助っ人の松平瞳子と細川可南子、さらにはゲストとして、写真部姉妹?武嶋蔦子と内藤笙子、新聞部姉妹山口真美と高知日出実の、実に総勢12名が顔を揃えていた。
「それでは、始めるわね」
 ホワイトボードには、『妖魔緊急対策委員会』と書かれていた。
「最近生徒たちの間で『妖魔』、即ちインプの目撃情報が多数寄せられているの。現状、実害は無いようだけれど、だからと言ってこのまま放置は出来ないわね」
 祥子が、ホワイトボードの“妖魔=インプ”と書かれた文字の部分を、教鞭でパチパチと叩いていると。
「インプって?」
 紅薔薇のつぼみ祐巳が、なんじゃそれ? ってな顔で呟いた。
「インプというのはね……」
 敬虔なクリスチャンであり、神学及び悪魔学に造詣の深い白薔薇さまが、一同に復習を兼ねて解説するには。
 インプとは、醜い顔に黒っぽい体、蝙蝠のような羽に矢印のような尻尾を生やした矮小にして醜悪な生物?で、悪魔の使い魔として現れることが多く、人や物に危害を加えることがある。
「なので、単独で現れるのは珍しいわね。もっとも、マリア様の庭であるリリアンに姿を現すこと自体、ちょっと信じられない話ではあるけれど」
「ふーん」
 少なくとも、インプについての疑問は解消されたので、祐巳は納得って顔をしていた。
 よく分かっていなかった者たちも、ふんふんとしたり顔。
「ただし目撃情報は、志摩子の説明と若干の相違が見られるわね。実際に目撃された妖魔の外見的特長は、青っぽい体に黄色い模様、そして金色または銅色のような光を放っていたそうな。また付加情報として、非常に速い動きと、轟音を伴って現れるらしいわ。詳しくは、皆さんに配った資料に記述されている通り」
 祥子の説明に従い資料に目を通せば、確かに特徴が詳しく書き込まれている。
「そういった理由により、写真部、新聞部のメディア系クラブと連携・協力しながら、我等が山百合会は、一応の片が付くまで妖魔捜索を最優先で行います。これは、既に学園長及び教師方々の許可を得ておりますので、皆さんには全面的に協力をお願いします。よろしいですね?」
 一同は、一斉に頷いた。
「では、早速行動に移ってください。限度を越えない限り、多少の無理無茶には目を瞑ります」
 薔薇の館には、事実上の取り纏め役である紅薔薇さま、そして万一館が狙われた場合に備えて、山百合会で唯一本物の信仰を持つ白薔薇さまが残ることになった。
 あとは、黄薔薇姉妹、新聞部姉妹、写真部姉妹?が順当に組み、瞳子と可南子がちまちまと牽制しながら先を進む。
 祐巳は乃梨子と組んで、薔薇の館を後にした。

 山百合会突撃隊副隊長の令と、隊長の由乃が、竹刀を片手に辺りを睥睨している。
 令はそのまま竹刀のみの武装だが、由乃の場合、少し趣が違っていた。
 なんと、左手には盾代わりなのかフライパン(しかもテフロンコートでIH対応)を握り、頭には昭和の子供っぽく両手鍋を被って、更には唐草模様の風呂敷をマントのように羽織っていた。
 時折、何か言いたげに由乃をチラチラ窺う令だが、どうせ聞かないのは分かっているので、その都度小さい溜息を吐いて、視線を逸らしている。
「さぁ来い邪悪な魔物め! 令ちゃんがボコボコにして動けなくなったところを、私が華麗且つ優雅にトドメを差してあげるから!」
 あまり威張れないことを堂々と口にしながら、ウキウキとした足取りでズンドコ突き進んで行く由乃の後を、少し気恥ずかしい思いでついて行く令だった。

「もし発見したら、どうすればよいのでしょう?」
 特に誰かに言うワケでもなく、瞳子は一人呟いた。
「その渦巻きスパイラル螺旋コイルから、殺人光線でも発射したらどうかしら」
 瞳子のちょっとだけ斜め後で、資料に目を通しながらしっかり聞いていた可南子は、ことさら嫌味を言い放った。
「フン、私の麗しき縦ロールは、獣殺メーサー車じゃありませんのよ。そんなあなたこそ、その無駄に長い針金みたいな髪を、ゾワゾワ伸ばして絡め取ればよいのです」
 いつもなら逆上しているはずの瞳子だが、今日に限って妙に冷静だった。
 恐らく、もし妖魔と遭遇したならば、自分だけでは荷が重い、例え可南子であっても味方がいるに越したことは無いと考え、対立するのを避けているのだろう。
 その気分は可南子も同じこと、相手が瞳子であっても、いないよりマシと判断しているに違いなかった。

 新聞部姉妹は目撃者に突撃インタビューを行い、写真部姉妹?は怪しい場所や物音がする方向を、片っ端から撮影しまくる。
 彼女らは自由に行動するに任せ、祐巳と乃梨子…否乃梨子だけは、資料を冷静に分析していた。
「山百合会に寄せられた情報は20件で、その内目撃情報は丁度半分。この際曖昧で判断に迷う情報は除外して、確実性の高い情報のみ選択して、理論的に導き出していきましょう」
 ベンチに腰掛けた乃梨子は、落ち着かなくウロウロキョロキョロしている祐巳はあえて無視し、時間帯や場所などの共通点を探して、資料に素早く目を通した。
「ふむ」
「何か分かったの?」
 同じつぼみとはいえ、祐巳は二年生なのに、一年生の乃梨子に頼りっぱなし。
 でも乃梨子は、別に祐巳を侮ったり軽んじたりはしない。
 人には向き不向きがあり、こんな事態には祐巳より自分の方が適任であると思っているだけだからだ。
「ええ、どうやら目撃された場所は、校舎の裏側に集中しているようですね」
 学園沿いの道路でも目撃されているが、一番多い場所は、やはり校舎裏。
「じゃぁ、そこに行けば、えっと妖魔……インプって言ったっけ。に会えるんだよね?」
「会いに行くのではなくて、捕獲するか、可能なら退治するのですよ」
「えー、でも可哀相じゃない?」
「相手は邪悪な生き物、情けは無用です。もし祐巳さまが躊躇ったせいで取り逃がし、あまつさえ誰かが被害を被ったなら、ちょっとした怪我程度ならともかく、万が一命を落すようなことがあれば、一体どうなさるおつもりです?」
「う……」
 正論に、絶句する祐巳。
「そうだね、生徒会役員として、生徒を守るのは私たちの義務だもんね」
「その通りです。では参りましょう」
「うん」
 決意を新たに二人は、揃って校舎裏に歩みを進めた。

「この辺りだよねぇ?」
「ええ。目撃情報が一番多いのはここです」
 校舎裏には、教職員及び業者が出入りする裏門や駐車場、駐輪場がある。
 時間が時間だけに、辺りに人影はほとんど見当たらない。
 部活動をしていない生徒は既に帰宅しているし、業者も大抵は午前中、しかも早くにやって来る上、教師たちはまだまだ仕事中。
 となれば、何らかの理由で帰宅のタイミングがずれた生徒が目に付くぐらいだ。
「こんな開けた場所で、本当に出たのかなぁ?」
 どこにでも潜めそうではあるが、どこにも隠れられなさそうな、微妙な雰囲気だ。
「油断なさらないように。妖魔というヤツは、かなり狡猾ですから」
「うん。でも考えてみれば、とっ捕まえようか退治しようって言うのに、何にも道具を持って来なかったね」
 落ち着いているように見えるが、流石の乃梨子も緊張していたようで、祐巳の指摘を受けて、ようやく徒手であることに気付いた。
「ゴホン。まぁとりあえずは、本当にいるのかどうか確認することを優先しましょう。退治するのは、それからでも遅くはありませんし」
 確かに、たった二人でどうこうするよりは、全員でかかった方が安全であり確実であるのは明白である。
「では、怪しそうなところを虱潰しにしてみましょうか」
「はーい」
 乃梨子は、意外とお気楽な様子の祐巳に気抜けしてしまいそうだった。
「祐巳さん!」
 捜索に移ろうとしたところに、蔦子が笙子を伴って現れた。
 少し後には、新聞部姉妹の姿も見える。
「あ、蔦子さんに笙子ちゃん。それに真美さんたちも」
「ああもう、祐巳さんに先を越されていたなんて」
 口惜しそうに蔦子が呟く。
「どう、やら、目的地、は、同じだった、よう、ね」
 息を切らしながら言う真美を、体力に勝る日出実が支えている。
「どうしてここが?」
「そりゃ、資料を見れば、嫌でも思い付く場所よね」
「改めて、目撃者に、聞き込んだところ、やっぱりこの、場所が一番多かった、から」
 流石に卒のない蔦子と真美、両者とも真実を見抜く眼力を持っている。
 何にしろこの四人の存在は、祐巳にとっても乃梨子にとっても、非常に心強い。
「それじゃ、その植え込み辺りから……」
 と、再び祐巳が捜索を開始しようとしたその時。
 ゴウン! と、凄まじい爆音を伴いながら、青い軌跡を残しつつ、大きな物体が裏門を通過した。
 出たか!? と、身構えるの一同の脇を通り過ぎたソレは、ギャギャギャとゴムが焼けるような臭いと軌跡を残しつつ、横滑りしながら停止した。
 そして、ゆったりとした動きで停まったソレから降り立ったのは、リリアン女学園高等部養護教諭、保科栄子。
 栄子センセは、呆然とこちらを見やる一同に訝しげな視線を送りつつも、ごきげんようと挨拶した。
『ごきげんよう』
 反射的に、一斉に応じる。
「こんなところで、何をしているのかしら?」
「いえ、ちょっと捜索活動を」
「創作活動? そう、頑張ってね」
 聞き違えたのかわざとなのかは不明だが、ここでイチイチ説明するのも面倒くさいと思ったのか、誰も訂正しなかった。
「おや? 先生って、マイカー通勤でしたっけ?」
 教師連や生徒たちに詳しい真美が、以前はバス通勤だったような、と思いつつ、栄子に訊ねた。
「ええ、先週からね。ねぇ聞いてよ。ようやく資金が溜まったから、念願の4WD車を買っちゃった♪ やっぱり良いわよね、パワフルなエンジン、腹に響く爆音。もう、一日16時間は乗りっぱなしよ」
 いつ寝てるんだよ、と思いつつも、栄子センセが自慢するその車をマジマジと見ていた乃梨子は、
「あ……」
 と、小さく呟いた。
 全てが繋がった、乃梨子はそう確信した。

「それでは始めます」
 翌日の放課後、薔薇の館。
 昨日と違って、今度は乃梨子がホワイトボードの前に立っていた。
 彼女の目の前には、11人の関係者並びに、一人のゲスト。
 即ち、栄子センセが増えていた。
「例の妖魔騒ぎについて、昨日の今日ですが……、恐らく解決しました」
 その言葉に、蔦子と栄子センセ以外は吃驚仰天、へ? とか、え?とか、結構マヌケな声が響き渡った。
「まずはこれを御覧下さい」
 ホワイトボードに、A4サイズに引き伸ばされた写真を、マグネットで貼り付ける。
 その写真には、一台の車と満面の笑みを浮かべた栄子センセ。
「みなさんに配布した資料にも、同じ写真が添付してあります。そして、更にこの写真」
 乃梨子は、斜め前方と斜め後方から撮られた車の写真を、同じくボードに貼り付ける。
 この写真は、栄子センセが去った後に、蔦子にこっそり撮影させたものだ。
「目撃情報によれば、例の妖魔は『青っぽい体に黄色い模様、そして金色または銅色のような光』でしたよね。そこで、この車です」
 斜め前方から撮られた写真を、教鞭で軽く叩く。
「これは、先週購入されたばかりの保科先生の愛車なのですが、ブルーマイカという色で、金色のホイールとブレーキキャリパー、そして蛍光イエローのステッカーという外観をしています。更に速い動きと爆音を伴うともありましたが、これについては、祐巳さまと私が、昨日実際に体験しました。これらは、妖魔の目撃情報とピタリと一致しますね」
 うんうんと頷く、同じく体験済みの写真部姉妹?と新聞部姉妹。
「で、最後にこの写真です。この部分を、よく御覧になってください」
 車の後部が拡大された写真をボードに貼り、ある部分を教鞭でクルリと囲む。
「……なるほどねぇ」
「そういうことか……」
 一同は、車体の後部に書かれたロゴを見て、やっと乃梨子が言わんとしたことを理解した──たった一人を除いて。
「どういう事?」
 祐巳には未だ理解が及んでいなかったらしく、乃梨子は危うく腰が砕けそうになった。

「二〜条さ〜ん……」
 恨みがましい目付きで、オドロ線を背負いながら薔薇の館に姿を現したのは、栄子センセ。
「あなたのせいで、一ヶ月間インプレッサでの通勤を禁止されちゃったじゃないのよぉ〜」
「私のせいじゃないでしょう? それに大体、先生の運転はあまりにも危険です。学園長の決定は当然と言われても仕方がありません、これに懲りて少しは反省して下さらないと」
「あ〜ん、私のインプ〜〜」
「あ、そういう事だったの」
 嘆き悲しむ?栄子センセのセリフに、ようやく合点が行ったらしい祐巳。
 祥子は、肩を竦めながら、あからさまに大きな溜息を吐いていた。
「覚えておきなさいよぉ〜。身体測定の時、あなたの体重3kgプラスしてやるんだから〜」
『みみっちぇなオイ!?』
 同室していた山百合会関係者は、栄子センセの言葉に心底呆れ返った。


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