【2000】 祐巳たん急成長  (翠 2006-11-19 22:42:34)


※ 何かが色々とおかしなSSです


春。
新しい季節。
草花の芽吹く季節。
そして、出会いの季節――

小さな胸を期待に膨らませながら、祐巳は銀杏の木が立ち並ぶ道を歩いていた。
周りには、祐巳と同じように真新しい制服に身を包んだ乙女たち。
ようするに、誰も彼もが新入生である。
この春、祐巳はめでたく高等部へと進学した。
とはいっても、エスカレーター式なので当たり前なのだけれど。
そういう理由もあり、当たり前のことではあるが、それでも高等部なのだ。
つまり、何が言いたいのかといえば、高等部っていえばアレだ。
もう立派な大人なのだ。
だから――。
(バスにだって乗れる!)
中等部までは自家用車で送って貰っていたのだけれど、今日は実際にバスで此処までやって来た。
(家族全員に大反対されたけれど!)
それでも、持ち前の行動力で、家族の隙を突いて家を抜け出した。
初めて乗ったバスは、とてもドキドキした。
しかも、初めてにして一人で乗ったのだ。
(本当にちゃんと学園に向かうのか、不安で一杯だったけれど!)
でもそれは、バス停にいた人に尋ねてなんとかなったし。
(運賃を幾ら払えばいいのか分からなくて困ったけれど!)
でもそれは、運転手さんが教えてくれたし。
総合的に見て、良い経験になったと思う。
けれど、今ごろ家では、祐巳がいなくなったと大騒ぎしているかもしれない。
あとで 連絡を入れて謝っておこうと思う。



しばらく進むと、分かれ道が見えてきた。
左へ向かえば高等部校舎がある。だから、そちらへ向かえばいいだけなのに、祐巳は足を止めた。
何故なら、
(なんだろう? 人の壁?)
祐巳の視線の先に、人だかりができていたからだ。
確か、そこにはマリア像があったはずだ。
(まさか、ピンク色とか水玉模様になっているとか)
もしそうなら、お祈りしている最中に吹き出してしまうかもしれない。
そうならない自信は、あんまりない。
けれど、まさかそんなことはないだろう。
そうとなれば、何があって皆が集まっているのか気になる。
新入生だけではなく、二年生、三年生のお姉さま方まで集まっているのだ。
気にするなという方がムリだと言えよう。
(み、見えない)
ピョンピョンと、人の壁の最後尾で飛び跳ねてみるも全く見えない。
仕方がないので諦めようか、と思った。けれど、折角高等部に入ったのだ。
新しい私なのだ。言うなれば、ニュー私。いや、ニュー祐巳なのだ。略してニュ巳。
(ニュ巳なんて呼ばれるようになったら、ショックで数日寝込む自信があるけれど!)
グッと足に力を入れる。膝を曲げる。
少しだけ、前にいる人の背中に手を付いて、跳躍を高めようと思ったのは内緒だ。
(えいっ)
祐巳は、天まで届け、とばかりに飛んだ。
とは言っても、自分の運動能力では高が知れているが……。
でも、その甲斐あって、一つだけ分かったことがある。
どうやら人の輪の中心に、誰かがいるようだ。
これだけ人が集まるってことは、有名人なのだろうか? 
もう一度確認しようとジャンプしかけた時、ふと思った。
(って、有名人?)
祐巳の背筋に緊張が走った。ついでに、嫌な汗が額に噴き出た。
跳躍しかけた足を必死に抑えようとした。けれど、もう遅かった。
既に半分ほど、祐巳の身体は宙にあった。
そして――。
(ッ!)
その中心にいた人物が、誰なのかが分かった。
着地と同時に、祐巳は身体を屈めた。
人の壁の後ろで、ドキドキと激しく波打つ心臓を落ち着かせる。
(な、なんてこと……こういうこと、有り得るって、何で考えなかったの? ばかばか、私のばか)
思わず、己の迂闊さを呪ってしまう。けれど、そんなことをしても、もう遅い。
一刻も早く、この場から立ち去らなければならない。
だって、中心にいた人物と、微妙に目が合ったような気がする。
(まさか、あの人だとは……)
この人だかりの理由も頷ける。
有名人も有名人だった。おそらく、この学園で彼女のことを知らない者はいない。
ファン曰く、完璧なる乙女。
紅、黄、白の三薔薇さまと同じくらいの有名人。
紅薔薇のつぼみ、小笠原祥子さま。
頭に 『超』 が付くほどのお嬢様――いや、実際に付いているだろう超お嬢様。
けれど、祐巳だってお嬢様度、甘やかされ度、世間知らず度、物知らず度でいえば負けてはいない。
祐巳は、過保護で心配性で甘々な家族と、それに連なる一族によって、蝶よ花よと育てられたのだ。
(決して誇れるようなことではないけれど……って、そんなこと説明してる場合じゃないんだった)
いったい誰に説明していたのか、自分でも分からないが、それは置いておいて。
もしかしたら、気のせいかも知れないけれど、先程の跳躍の時に気付かれたかもしれない。
あくまで 『かもしれない』 程度なのだが、それでも逃げるに限る。
だって、 『はしたない子ね』 なんて、こんなに多くの人たちの前で叱られたくない。
……いや、叱られるだけであれば良い。
(けれど、もし――)
最悪の事態を考えかけて、祐巳は身震いした。
身を屈めたまま、ゆっくりと後ろに下がる。
音を立てないように方向転換。校舎の方へと向く。
(もう大丈夫。あとは、一気にダッシュ!)
大きな一歩を踏み出した祐巳を――。
「祐巳っ!」
誰かの声が止めた。
お陰で、衆人環境の中、片足を上げたままという、恥辱と羞恥に塗れた格好で止まってしまう祐巳。
ついでに、呼吸まで止めてしまっているのはアレだ。
そうすれば、空気に溶け込んで、この場から逃れることができるのではないか? 
というワケ――ではなく、ただ単に、それくらい緊張してしまっていたということ。
「たっ、他人の空似ですっ。さよならっ!」
再度逃げようとした祐巳を――。
「待って!」
誰かの切羽詰った声が完全に止めてしまった。
(ど、ど、ど、どうしよう?)
とは思うが、今更どうしようもない。
諦めて、祐巳は大きく溜息を吐いてから、そちらへと振り向いた。
そこには、祥子さまがいた。
「何か私にご用で――」
しょうか? と続けようとした言葉が続かなかった。
何故なら、祥子さまの両の瞳から涙が流れていたから。
「良かった、良かった……」
何度も 『良かった』 を繰り返しながら祐巳に近付いてくる。
「ど、どうしたのっ!」
祐巳は思わず叫んでいた。当然だ。誰だって驚くだろう。
自分の憧れの人が、ポロポロと涙を零していたら。
「ちゃんと、迷子にならずにここまで来れたのね。それも一人で……立派に育ったわね、祐巳」
ハンカチで涙を拭いながら、祥子さまがそう言った。
その言葉に、祐巳の肩が自然と震え始める。
「それ……どういう意味?」
震える唇で、なんとか言葉を紡ぎだす。
なんだろうか? この胸の奥底に渦巻く、黒くて熱い感情の波は? 
「だって、あなた。お屋敷で迷子になって泣いていたことがあったでしょう? もう心配で心配で。
 朝になって急に、一人で学園に行くって言うし。お母さまは、そのせいで寝込んでしまったのよ」
「あれは、屋敷が無駄に広いのが悪いのよっ! 大体それって、もう十年も前の話しじゃない!」
「でも、本当のことでしょう?」
「それは……そうだけど」
でも、ここでそんな、人の過去の恥を口にしなくてもいいではないか。
だって、ここには沢山の人間がいるのだ。
ほら、祥子さまの隣にいる三年生のお姉さまだって、今の話を聞いて、
必死に笑いを堪えているではないか。
「もう、一人でバスにも乗ることができるのね」
祥子さまの言葉に、二年生のお姉さま方が数人、堪えきれなくなって遂に吹き出した。
「お、お、お……お姉ちゃんのばかーーーーっ!!」
目尻に涙を溜めながら、顔を真っ赤にして怒鳴った祐巳の声が、青く晴れた空に木霊した。


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