【2004】 時が止まるとき  (翠 2006-11-22 01:37:33)


※ 何かが色々とおかしなSSです

【No:2000】→【No:2003】の続き (というわけではないような?)


「あなたが祥子の妹さんね」

お姉ちゃんのお姉さま。
紅薔薇さまである水野蓉子さま。
出逢ったのは、お姉ちゃんの妹になった、その日の放課後。
お姉ちゃんによって薔薇の館に案内されて、そこで紹介された。

「ふぅん」

腕を組み、まるで値踏みするかのように祐巳を見てくる。
どこか、少し冷たく見えるのは彼女が美人だからだろうか? 

蓉子さまの視線と、祐巳の視線がぶつかった。
その、どこまでも冷たい視線に、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
蓉子さまが、こんなにも冷たい視線で祐巳を見てくるのは何故だろうか? 
なんとなくだけれど、分かる。
おそらく、実の妹というだけで、お姉ちゃんの妹になった祐巳が気に入らないのだ。
それだけ、お姉ちゃんのことが好きだということだろう。
でも、お姉ちゃんを好きな気持ちは祐巳だって負けない。
だから、少し怖いけれど、祐巳は決して視線を逸らさなかった。
まるで、睨み合っているかのように、お互いに強く見つめ合う。
見つめ合う。見つめ合う。見つめ合う。見つめ合っていると――不意に、蓉子さまが言った。
「合格」
(何が?)
何がなんだか、ちっとも分からない。
蓉子さまが先に視線を逸らしたということは、祐巳の勝ちなのだろうけれど、
なんだか負けたのは自分のような気がする。
ついでに言わせてもらえば、蓉子さまがお姉ちゃんには見えないように密かに作っている、
あの小さなガッツポーズの意味は何なのだろうか? 
あと、妙に紅潮している頬も気になる。
「皆にも、紹介をしないとね。さぁ、こちらへいらっしゃい、祐巳ちゃん」
「あ、はい」
どうやら今の蓉子さまは、先程までの冷たい雰囲気など、どこかに置き忘れてしまったようだ。
なんだか、やたらとやさしい。
……この時から、なんとなく嫌な予感はしていたのだ。

仕事中――。
チラチラと祐巳を横目で見ては、頬を赤く染めている。
「あ、あの、何でしょう?」
「え? ああ、何でもないの。そう、何でもないのよ」
誤魔化し方が、とても不自然だ。

同じく仕事中――。
必ずと言っていいほど、書類に伸ばした手が重なる。
「あ、すみません」
「いいえ。私の方こそ、ごめんなさいね。さっきから、祐巳ちゃんの邪魔をしちゃってるみたいで」
祐巳の手が触れた箇所を押さえて、潤んだ瞳で熱い溜息を吐く。

その様は、まるで、恋する乙女のような……それを思いついた瞬間、祐巳の背筋を冷汗が伝った。
でも、蓉子さまに限ってそんなはずはない――とは思うのだが、自信がない。
だって、妙にやさしい。
いや、やさしくされるのはいいのだが、違う方向にやさしいような気がする。
仕方なく、そういうことに詳しそうな由乃さんに相談してみることにした。
「なんで、私がそういうことに詳しいと思ったのか、それを先ず説明して貰いたいわね」
相談したら、いきなり怒られた。
でも大丈夫。よくからかわれるけれど、由乃さんもお姉ちゃん同様、基本的に祐巳には甘いのだ。
「いいから、いいから。ね、お願い、教えて」
「どこがいいのよ! ちっともよくないわよっ。まったく……蓉子さまはね――」
由乃さんが言うには、蓉子さまは可愛いものに目がないらしい。
それは、祐巳が可愛いから、と言われているようだったので嬉しかったが、素直に喜べなかった。
だって、自分が美人でも何でもないことは、祐巳自身がよく分かっている。
そういえばそうなのだ。
それなのに、何故皆は祐巳を可愛がってくれるのだろう? 
とても不思議に思う。
ひょっとして、自分の身体からは、人を惹き付けるような未知の成分でも出ているのだろうか? 
まぁ、そんなことはどうでもいい――いや、よくはないのだけれど。
とにかく、蓉子さまについては、危険はないそうなので安心した。
(……今の状態でも充分に危険な気もするけれど)



黄薔薇さまである鳥居江利子さまと祐巳の接点は、
おそらく当人たち以外誰も知らないだろうけれど、密かに多い。
実は、祐巳は、江利子さまからお茶の淹れ方を教わったのだ。

薔薇の館に祐巳が出入りするようになって、数日経った。
けれど、未だにお茶を淹れることさえ、やらせて貰えない。
……どころか、お姉ちゃんが祐巳にお茶を淹れてくれる。
確かに、お茶を淹れるなんて、今まで一度もやったことはないけれど。
それは、家族がやらせてくれなかったのだから仕方がない。
でもさ――。

大好きな人に自分が淹れたお茶を飲んでもらって、美味しいって言って貰えたら最高じゃない? 

そう思い、由乃さんに手伝って貰いながら作った、祐巳特製の紅茶。
飲んだ皆が、祐巳の生涯、もう二度と目にすることはできないであろう、綺麗な虹を作ってくれた。
とてもハイレベルな芸だと思った。
でも、お姉ちゃんだけは最後まで飲んでくれた。
涙目で、とても辛そうだったけれど、 「美味しい」 と言ってくれたのだ。
全部飲み干した後、なんだかピクピクと痙攣して、今にも死にそうだったけれど。
きっと、アレだ。お塩が悪かったのだ。
由乃さんが言った通りに作ってみたのだけれど、もう少し分量を考慮するべきだったのだ。
ちなみに、由乃さんは一口も飲まなかった。何故か、ずっと祐巳の隣でニヤニヤと笑っていた。

帰宅途中、お姉ちゃんに、 「普通、紅茶にお塩は入れないものなのよ」 と言われた。
そこでようやく、由乃さんに騙されていたことを知った。

そういう理由から、江利子さまに手伝って貰ったのである。
江利子さまの説明はとても分かりやすく、お茶淹れ初心者の祐巳にもよく理解できた。
「本当に、お塩って入れないんですね」
「……」
呟いた一言に、絶句されたけれど。



白薔薇さまである佐藤聖さま。
おそらく、蓉子さまよりも、祐巳の学園生活に深く関わってきた人。
お姉ちゃんが言うには、お姉ちゃんの最大の敵だそうだ。
何の敵かは知らないし、知りたくもない。どうせ、碌なことではないだろうから。

「祐〜巳ちゃん」

ぎゅうっ

「ぎゃあっ」
今日も聖さまに抱き付かれた。この人、見た目よりも性格の軽い人らしい。
当然、最初に抱き付かれるまで知らなかった。
中等部にも、かわら板が回って来ることがあったので、何度か写真で見たことがあるけれど、
流石にそこまでは写ってなかったから。
「凄い声ね」
「急に抱き付かれたら、誰だって叫びますっ」
ぎゃあっ、と叫ぶかどうかは知らないけれど。
「ん、くっ」
聖さまの腕の中で必死でもがいてみるも、ちっとも外れる様子がない。
どうやら、祐巳の体力と聖さまの体力には、かなりの差があるらしい。
暴れても全くの無駄なようで、物凄く疲れただけだった。けれど、諦めるわけにはいかない。
「は、離して下さいっ」
「えー? 何で?」
お姉ちゃんに怒られるからだ。 「祐巳は無防備過ぎる」 とか言って。
そう言われても、聖さまはいつも突然抱きついてくるし。
その気配を感じ取れるような、特殊な能力なんて備わってないし。
後頭部に目玉でもあれば、背後から忍び寄られても分かるだろうけれど、
そんなものが生えてこようものなら、先に自分の命を絶つだろうし。
(いったい、私にどうしろっていうのよ!)
もう一度、聖さまの腕の中でもがき始める。
「何で……んっ……いつもいつも、こんなことをするんですかっ」
「うーん、そうね。これは……本能なのよ」
「本能?」
「そう、本能。私はね――」
聖さまの話を聞くために、身体の動きを止めて耳を澄ませる。
「祐巳ちゃんを見ていると、無性に抱き締めたくなるのだ」
「それはいったい、どんな本能ですかっ!」

聖さまに抱き付かれるのは、はっきり言ってしまえば苦手だった。
あんなに気軽に、祐巳に抱き付いてくる人間なんて今までいなかったから (由乃さんは別) 。
ただ、何故だろうか? 苦手だけれど、嫌ではなかった。
まるで、友人とジャレてるような――不思議な感覚だった。

「祐〜巳ちゃん」

ぎゅっ

「ぎゃうぅ」
またまた聖さまに抱き付かれた。
「相変わらず、面白い鳴き声ね」
「もうっ、私で遊ばないで下さいっ」
叫びながらも、いつものように暴れたりしない。聖さまの腕の中で大人しくしておく。
これは、 『私を好きにして』 という意味ではなく、聖さま対策の一つである。
実は昨日、お姉ちゃんに伝授されたのだ。

「聖さまはね、抱き付くことによって返って来る、あなたの反応を楽しんでいるの」
でも、いずれ私が始末するから安心して――と続けて小さく呟いていたけれど、
祐巳は聞かなかったことにして先を促した。
「それで?」
「そこで、聖さまに抱き付かれた時、あなたはじっとしておくのよ。そうすれば、
 何の反応も返さないあなたを、 『つまらない』  と言って離してくれるはずよ」
「なるほど」

どう? この作戦。なんだかダメダメな気がしない? 
正直に言うと、絶対にダメだろう、と思った。
ほら、その証拠に、何時まで経っても聖さまは、祐巳を抱き締めたまま離してくれない。
ところで、先程から胸の辺り――というか、胸そのものに妙な感覚があるんだけれど。
「?」
なんだろう? と思いながら自分の胸を見下ろして――。
「手!」
祐巳は叫んだ。
「手?」
聖さまが、不思議そうな声を上げた。
「だからっ」
自分の胸に視線をやったまま、大きく叫ぶ。
「胸に当たっているんですっ!」
聖さまの手が、申し訳程度に膨らんでいる祐巳の胸に当たっていた。
というか、両手でしっかりと祐巳の両胸を包み込んでいた。
「あ、ごめん。気付かなかった」
聖さまが、祐巳の胸から手を離しながら謝ってくる。
ようやく自由になったのだけれど、聖さまの謝罪を聞いて大爆発。
「そ、それ、どういう意味っ!?」
「え?」
祐巳の余りの剣幕に、聖さまが目を丸くした。
「手が当たっていても、気付かないくらい小さいってこと? そうなのね? そうなんですね?」
魂の叫び声を上げながら、祐巳は聖さまに詰め寄った。
確かに、小さいのは自分でも分かっている。お姉ちゃんの豊かなお胸に、憧れているほどだ。
けれど! けれどだ! 
「触っておいて……包み込むように握っておいて気付かなかった? ふざけないでっ!」
口調を荒げて、キッと視線に力を込めながら聖さまを睨む。
いくら小さいからといって、バカにしないで欲しい。 
小っちゃくたって、小さいなりに意地というものがあるのだ。
それに、悪いことばかりではない。小さいと、良いこともある。
(たとえば、運動の時にあまり邪魔にならない!)
実に軽快なフットワークを行うことができる。
(狭い道でも、身体を横にすることによって通れるようになるっ!)
普通の人では身動き取れなくなるような場所でも、すんなりと移動することができる。
それもこれも、胸が小さくて邪魔にならないからだ。
どうだ、恐れ入ったか! 
「……」
祐巳は、その場に蹲った。顔に陰が差し、背中に哀愁が漂い始める。
急に静かになった祐巳に、聖さまが心配そうに声を掛けてきた。
「ど、どうしたの? 急に落ち込んで……」
「どうせ……」
「ど、どうせ?」
ごくり、と聖さまが唾を呑んだ。
「小さいもん。ちっとも育たないもん」
どんよりとした眼差しを、聖さまの胸に向ける。
そこにあるのは、お姉ちゃんほどではないが、立派に育っている見事なお胸。
「いーいーでーすーよーねー、聖さまには立派で誇れるお胸があって」
「ちょ、ちょっと祐巳ちゃん? そんなつもりで謝ったわけじゃ――」
慌てながら弁解してくる聖さま。
それには構わず、祐巳は続けた。
「いいもん。もう諦めてるもん。どうせ、ずっと小っちゃいままなんだから……」
床に、 『の』 の字なんて描いてみる。
「うわ、暗っ!」
「誰のせいですか、誰のっ」
落ち込んだのは聖さまが原因だが、胸が小さいのは聖さまが原因ではないと思われる。



ボキッ

祐巳の手の中で、シャープペンシルが音を立てて折れた。
(思い出したら、腹が立ってきた……)
視線を横に向けると、ちょうどいいところに生贄がいた。
しかも、 『どうぞ抱き付いて下さい』 とばかりに、祐巳に背を向けているではないか。
無防備もいいところだ。
(なるほど、確かに)
聖さまが抱き付きたくなる理由が、分かりたくなかったけれど、
ほんの少しだけ分かったような気がする。
祐巳に背中を向けているのは、ふわふわとした、柔らかそうな茶色の巻き毛を持つ美人さん。
彼女は、藤堂志摩子さんといって、あの聖さまの妹である。
(そうね。一度はやってみてもいいかな)
志摩子さんがどう反応するのか、少し興味がある。
それに、自分の大切な妹が祐巳に抱き付かれたなんて知ったら、聖さまだって驚くだろう。
それは充分、聖さまへの仕返しになるはずだ。
……志摩子さんに罪はないけれど。
(よしっ)
幸い、ここには祐巳と志摩子さんの二人しかいない。
もう少しすれば、お姉ちゃんたちがやって来るけれど、その頃には終わらせておけばいい。
そう考えて、音を立てないように気を付けながら、祐巳は椅子から立ち上がった。
ガサゴソと、鞄の中を探っている志摩子さんの背後にそっと忍び寄る。
そこから一気に――。
「志ー摩っ子さん」
「きゃっ」
志摩子さんに抱き付いてみた。
(きゃっ、だって。いいなぁ、私とは大違い)
しかし、おかしい。
聖さまに抱き締められた時、祐巳は必死で抵抗していたのに、志摩子さんにはその気配が全くない。
嫌ではないのだろうか? 不思議に思ったので尋ねてみる。
「暴れないの?」
「好きな人に抱き締められて、暴れるはずがないわ」
その 『好き』 は、どの 『好き』 なのだろうか? 
その方向性によっては、今後、志摩子さんとの付き合い方を考えなければならない。
「私は、祐巳さんが好き。由乃さんが好き。祥子さまのことだって、令さまのことだって。
 それに、お姉さまのことも」
それを聞いて安心した。思う存分、志摩子さんを堪能――いや、抱き締めることにしよう。
柔らかで、温かで、良い匂いがするから――じゃなくて! これは……そう、スキンシップなのだ。
(やっぱり友人でも……ううん。だからこそ、スキンシップって大切だと思うんだよね)
少し、聖さまになったような気分に浸りながら、抱き締めている両腕に力を込めようとして――。
「でも、祐巳さんが一番良いわね」
志摩子さんがボソッと呟いた一言に、祐巳の時が止まった。
表情が凍り付いた。
悪寒が背筋を走り抜けた。
脇の下に冷汗をかいた。
変な汗が額を伝った。
膝が笑い始めた。
震える唇を気力を振り絞って動かし、祐巳は志摩子さんに尋ねた。
「今……なんて言ったの?」
「何も言ってないわよ」
(嘘だ!)
「そ、そう? それならいいんだけど」
あはははは、と乾いた笑いを浮かべる。
出来るだけ自然さを装いながら、志摩子さんから手を離そうとすると、その手を掴まれた。
(ひぃっ)
もう、大パニック。
なりふり構わずに外そうとするも、祐巳の手首を握っている志摩子さんの手には、
とんでもない力が込められていて、ピクリとも動かない。
あの、細くて白くて綺麗な腕のどこに、こんな恐ろしい力が隠されていたのだろうか? 
「ああああのさっ、ししし志摩子さんっ、ててて手を離してっ」
「もう少し、このままでいましょう」
祐巳が必死になって掴まれている手を振り払おうとしているのに、
志摩子さんは微動だにせず言ってくる。
「く……で、でもほら……くぅっ、このぉっ……お、お姉ちゃんたちもそろそろ来ると思うし」
こんなところを見られたら、何を言われるか分からない。
なにしろ、ぱっと見ただけでは、祐巳から抱き付いているようにしか見えないから。
「それなら、見せ付けてやるのもいいわね」
「……」

(えーん、お姉ちゃーん)

どうやら聖さまの妹さんは、聖さまよりも手強いようです。


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