ほんの一週間前、祐巳にとって大きな意味をもつ選挙が終わった。
選挙、今祐巳たちにとってこの言葉を指すのは、先の生徒会選挙に他ならない。
この時期に毎年おこなわれる一番大きくて、その選挙の性質上リリアン生徒にとって誰にとっても関わりある一大イベント。
そしてその結果、見事祐巳たち三人は当選を果たした。
それは喜ぶべきことであるはずなのに、祐巳の心は全然晴れなかった。それはまるで、この空を覆っている雲のように。
だって、祐巳は見てしまったから。
選挙のあの日、選挙結果を見た瞳子ちゃんは笑っていた。
それはもう晴れ晴れしいほどに。
祐巳を見つけた瞳子ちゃんは、その笑みを浮かべながら視線を下に落として何かを振り切るように去ってった。
その直後、乃梨子ちゃんが祐巳の元にやってきた。いや、それは駆けつけてきたと言ったほうがいいだろう。
その顔つきから、乃梨子ちゃんも見たのだろう。それを問うまもなく乃梨子ちゃんから第一声がもたらされる。
瞳子は負けるつもりだったんです、それは祐巳にとって納得のできるものだった。いや、それは祐巳の心を代弁したに等しい。
それによって祐巳は悟った。悟らざるをえなかった。
瞳子ちゃんは、ずっとわたしを見ていてくれていたんだ。
いつからはわからない。けど、そうだったんだ。
あの笑みの意味がなんだったのかははっきりとはわからないけど、ただ一つだけ言えるのはあの笑顔はこの自分にだけに向けられたのだということ。それだけは間違いないと確信してる。
気がつかなかった、自分。ずっと自分を演じてきた瞳子ちゃん。
どっちが悪かった、というのはもう意味が無い。
これは、どちらかが正しくてどちらかが悪いというものではない。
ただ結果として、祐巳にとっては最悪の結果をもたらしてしまった。
ロザリオを提示したことは、あの時の祐巳にとって当然の行為だった。
たぶん、何度くりかえしても自分は瞳子ちゃんにロザリオを提示しただろう。それが瞳子ちゃんのためになると思って。
けど、瞳子ちゃんにとってみれば当たり前でもなんでもなく、考えられる上で最悪の言葉だったのだと思う。
あの時の瞳子ちゃんは、そんなものを望んでいなかった。
じゃあ何を望んでいたかと聞かれると、まだはっきり答えられるほど瞳子ちゃんをわかってはいない。
ただ、あの時の失敗でわかったことがある。
ロザリオ、それは姉妹の契りに欠かせないもの。けど、あくまでそれは形式に過ぎない。これは、決してロザリオの授与を軽んじているわけじゃない。むしろ逆だ。
あの時の祐巳は、ロザリオを瞳子ちゃんを引き止めるための道具に使ってしまった。
ロザリオをあげるから妹になるんじゃない。それはあくまで形としてであって、本質ではない。
ここでいう本質は、姉妹になることの意味。それをすることによる自分に対しての責任。つまり、心構え。
妹にするということは、少なくともそれからの学園生活の一部を自分が負うことに等しい。
わたしはあなたと一緒に歩きたい。共に泣き、共に笑って、あなたとこの道を一緒に歩いていきたい。その気持があってこそ、その気持を相手にきちんと使えた上でないと、ロザリオを提示するなど失笑ものだ。
少なくあのときの祐巳は、瞳子ちゃんの内面についての配慮がなかった。それが瞳子ちゃんにロザリオを、いやそれどころか祐巳を否定する理由の一つなんだろう。
取り消せるなら、あのとき先走った自分を止めてやりたい。けどいくらタヌキな自分でも、時を駆ける畳をもっている青いタヌキさんとは知り合いではない。
この世界は21世紀と違って、そんなに便利な世界じゃない。一度言ってしまったことは、もう取り消せない。
いや、たとえタイムマシンがあったとしても、それはやってはいけないことなんだと思う。
もしそんなことが出来たのだとしても、それはあまりにも無責任にすぎる。
瞳子ちゃんを傷つけた事実、その後悔をもって瞳子ちゃんに向かい合わないといけない。そうじゃないと、あまりにも瞳子ちゃんに失礼だ。
このじんじんと痛みを伴う心の傷を持って始めて、あの子に向き合える資格がある。
「おめでとうございます、ロサ・キネンシスさま!」
反省と後悔の二人三脚で思考を進めていた祐巳に、不意打ちのような声が背後からかけられた。
背後を振り返ると、声の主はリリアン生徒にはあるまじきパタパタとした足音を立てて廊下の角に消えていった。おそらくは一年生だろう。注意をする間もない、あっという間だった。
気が早いな、と思う。だがそんな気の早い人間が多いのか、すでに何人の子から祐巳は紅薔薇と呼ばれていた。
遠くなっていく足音を聞きながら、祐巳は苦笑とも苦笑いともとれる笑みを浮かべ元いた方向へ向き直った。
「紅薔薇さま、か」
思えば遠くにきたもんだ、まるで大昔の歌謡曲のワンフレーズのようなものを浮かべながら、祐巳は自分の来た道を振り返った。
振り返れば、それはあっという間だった。
リリアンに入学したときのことが昨日のように思える。
あの校門をはじめてくぐった時、祐巳の心にあったのはわくわくとかどきどきじゃなかった。いやむろんまったくなかったわけじゃないけど、それ以上に、本当に自分はこの学校でやっていけるのか、という不安のような気持ちでいっぱいだった。
中学時代、地味でめだたない子、といわれていた。いてもいなくても一緒、そんな感じの子だったのだと自分でも思う。
そんな自分がお嬢様学校と呼ばれるリリアンに入学して浮かないだろうか、ひょっとしたらいじめられないだろうか、そんな考えばかり浮かんでいた。
多分、今でも本質的な部分では今でもそんなにも変わっていないのだと思う。
裏と表がかわった、というのはおかしいけれど、いままで裏方に引っ込んでいた自分の部分が表に出てきたんだものなんだと思う。
自信がでたから、というのは少しちがうのかもしれない。
失敗してもいいんだ、って思えるようになったのがよかったのかもしれない。そう思えるようになったから全力で頑張れるようになった。
いやむろん、失敗したら怒られる時は怒られるのだけど。頑張っている自分を知っている人がいる、ってのがその失敗する恐怖よりもそれを上回る勇気を与えてくれた。
子供かな、自分。
そんなことをちょっと思う。
正直、こんな考え方は幼児に近いのかもしれない。
でもお母さんにすがる子供じゃないけど、祥子さまというお姉さまがいるからこそ頑張ってこれたのかななんて思える自分がいる。
そして祐巳は思う。自分は祥子さまのように、瞳子ちゃんにムチを振るえるのだろうか?
自分が傷つけた瞳子ちゃんに、その負い目からつい優しい言葉を投げかけてしまわないだろうか?
「わたしの妹にならない……」
無意識に呟いた言葉は、鋭い痛みとなって祐巳の胸をえぐる。
あのとき瞳子ちゃんに言ってしまった言葉は、ずっと自分にとって負い目になるのだろう。言葉の意味そのものではなく、あの時の状況で言ってしまったことに対して。自分が瞳子ちゃんという子の本質をまったく理解してなかったことに対して。
けど矛盾しているかもしれないけど、その負い目を出すことなく瞳子ちゃんと向かい合わないといけない。
目をそらすのではなく、ただ自然に受け入れて。
負い目から優しくするのは、自分の心を楽にさせるだろう。けど、それじゃあ瞳子ちゃんに対してあんまりだ。
自分の罪悪感を癒すために、瞳子をちゃんをダシにしてはいけない。
それを踏まえて、きちんと向かいあわなきゃいけない。
けど、それが出来るのだろうか? 本当にできるのだろうか?
正直、そんなの考えたくも無い。瞳子ちゃんをこれ以上傷つけたくない。
さっき自分は、瞳子ちゃんにあんまりだ、なんてかっこつけたけど、本当はそんなの忘れて手をつないで一緒に歩きたい。右に祥子さま、左に瞳子ちゃんを連れて一緒に歩きたい。
心が苦しい。
こんなにも苦しい気持ちをもって、祥子さまは祐巳をしつけてくれたのだろうか?
わからない。でもその躾があったからこそ、今の自分があるといえる。
厳しさの中に優しさがあったからこそ、むしろ優しさゆえの厳しさだったからこそ祐巳は胸をはって祥子さまを自分の生涯でただ一人の姉だといえる。
本当に、本当に感謝している。
けど同時に、自分自身の不甲斐なさを嘆いてしまう。
ああ、いつになったら独り立ちの報告ができるんだろう、と。
ほら、あなたの祐巳は祥子さまのおかげでこんなにも立派になりましたよ、もうなんでも一人でできますよ、って祥子さまに伝えないといけないのに、自分はまだまだ祥子さまに甘えてしまっている。いつまでたっても心配をかけてしまっている甘えん坊だ。
祐巳は、暗くなりかけた空を見上げた。
突如無防備となった首筋に凍てつくような冷たい風が容赦なく吹き付ける。
「……もう二月なのにね」
その風は、祐巳の全身を締め付けるようにまとわりつく。それはまるで、今の行動できない自分を嘲笑っているかのように。
けどその春をまだまだ感じさせない冷たい風に、心のどこかでほっとしている自分がいる。
「はーるよこい……はーやく」
祐巳の口からもれたそれは、子供のときから好きだった民謡。
この歌をお母さんからこの歌を教えてもらった寒がりの祐巳は、この時期になったら早くぽかぽかと暖かくなれと念じて歌っていた。
でも、今年に限っては歌えない。唇がカサカサでもないのに、風邪を引いているわけでもないのに歌えない。
「……歌えるわけ、ないじゃない」
だって、暖かくなったら春が来ちゃうから。春がやってきたらお別れになっちゃうから。お姉さまと、お姉さまとのお別れになっちゃうから。
それは科学的根拠とは同居を許されない考え方、冷たかろうが暖かろうが四月になれば嫌でもお別れはやってくる。
けどそんな馬鹿な考え方にすがってしまう位、つらい現実を直視したくはなかった。
お姉さまなんてなりたくない。ずっと、祥子さまの妹でいたい。
けど、祥子さまはもういなくなっちゃう。あとたった二ヶ月でいなくなっちゃう。
祥子さまは悲しくないのだろうか。もう少しで終わっちゃうのに、もうすこししたらもう一緒にいられないのに。
「……そんなわけない、よね」
なんて馬鹿な考え。悲しくないはずがないじゃない。祥子さまだって、悲しいに決まっている。これまで一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしてきたのに、そんなわけないじゃないか。
選挙結果を伝えたとき、祥子さまはただ一言、そう、としか言わなかった。おめでとう、の一言すらなかった。
もう、お姉さまは嬉しくないのですか、とふてくされて抗議しようとした祐巳の口が止まったのは、祥子さまの表情を見てしまったから。
目尻はちょっとさがり、鼻は少しだけ開き、その口元はほんの微かにトーンカーブを描いている、そんな顔。
他の人にはそれが何を意味しているのかわからない。せいぜい機嫌がいいのかな、としかとられない表情。
けど、祐巳にはわかる。あのときの顔は、祐巳にとって最高のご褒美。
おっちょこちょいな妹がミスをして怒られてそれでもミスをして、そしてやっぱり怒られて泣きそうになりながらもなんとか一仕事を終えたときにようやく見せてもらえる表情。
たったそれだけ、あれだけ怒られて頑張って貰えるのはたったそれだけ。だけど、世界で祐巳にしか見せてもらえない最高のお姉さまが妹にだけにくれるプレゼント。この人の妹でよかったと思える、最高の瞬間。
ひょっとしたら、祥子さまは隠そうとしていたのかもしれない。でも、某の百面相が伝染ったのかうまくはいかなかった。
あともうひとつ、その表情は少しだけいつもとは違っていた。なんでだか、少しいつもと違っているように見えた。
それが何なのか考えようとしたとき、どうしてだかふっと昨日食卓時のお父さんの顔が浮かんできた。あんまりお酒が強くないお父さんが顔を真っ赤に染めている顔。
むろん、タヌキ一家のお父さんと祥子さまの顔が似ているわけじゃない。けど、お父さんと祥子さまにある共通点があった。
はっきり形あるものじゃないけど、肩の荷が下りたような、何かをやり終えたような、そんな感じ。
それはたぶん、達成感と呼ばれるもの。
去年から取り掛かっていた仕事がようやく終わったお父さんは、そりゃあもう上機嫌だった。
いつもはうるさいお母さんも、ちょっとだけ苦笑をうかべながらお父さんと自分のコップにビールを注いでいた。
それは一つの仕事が終わったときに行われる、福沢家では半ば恒例となったささやかな祝杯。
なんとなくだけど、あのときの祥子さまは同じようなものを感じた。
あるいは祥子さまのそれは、二年越しの達成感だったのかもしれない。
そこまで考えて、祐巳は悟った。結局、自分は祥子さまという日傘の下でぬくぬくと育てられたのだということが。
ちょっぴりおこりんぼうだけど、いつも雨や風や強い日光から祐巳を守ってくれていた暖かい傘。
雨の天気だって、晴れの天気だってずっと祐巳を包んでくれた大切な傘。
けど、もうそろそろその傘をたたまなきゃいけない。
自分をずっとずっと見守ってくれていた日傘に感謝を込めて、そっと畳まなきゃいけない。そうじゃないと、いつまでたってもお姉さまを安心させることはできない。
祐巳は、自分の両手を見る。
今は冷えこんではいるけど、この両手はこれまで数え切れないほどの温もりを感じた。
あるいはそれは、温室でのあの日。
あるいはそれは、学園祭でのあの日。
けど、一人じゃあ暖かくはなれない。どんなに強がって見せても、その手は冷え込んだままだ。
心だって、同じだと思う。
瞳子ちゃんは、何かを抱えている。他人にはいえないなにか。
それが瞳子ちゃんの仮面を被っている一因なのは間違いない。
今、自分がやらないといけないこと。
仮面を引っぺがす。ううん、違う。そうじゃない。
外してもらわないといけないんだ。瞳子ちゃん自身の手で。
多かれ少なかれ、誰だって仮面を、もしくは化粧をして自分の表面を隠している。むろん祐巳だって今でこそ百面相だなんて呼ばれてるけど、中学時代の自分は百面どころか能面に等しかった。
人に合わせることを優しさと勘違いして、常に人に合わせてきた。自分の考えは押し通さず、周りの意見に流されていた。
今の瞳子ちゃんはあのときの祐巳とは違うかもしれないけど、自分の押し込んでいるという意味では一緒だ。
けど、それじゃあいつまでたってもわからないことがある。いっぱいある。
自分をかわいそうだ、と決め付けていてはいつまでたっても変わることなんてできやしない。たとえ幸せなことがあっても、麻痺している心じゃあそれを感じ取れることなんてできやしない。
自分を、好きになってほしい。少しでも自分を好きになれば、化粧ぐらいはするかもしれないけど、顔全部をすっぽり隠すような仮面なんて必要なくなる。
祐巳は、瞳子ちゃんが好きだ。
あの意地っ張りだけどナイーブな瞳子ちゃんが好き。けど、自分で自分を追い込んでる瞳子ちゃんは嫌い。
気づいてほしい、塞ぎこんでいたって誰も助けてはくれないということを。内に向けたって、目を向けてくれない。外に向けて発してほしい。自分の声を発してほしい。
柏下さんのいう瞳子ちゃんの秘密。
祐巳は、それがなんなのかは知らない。知りたくないわけじゃない。けど、いうなればそれば、他人事だ。
他人事、少し冷たい言い方になったけど、誰にだって言いたくないことはある。最悪、瞳子ちゃんがそのことをずっと秘密にしても仕方がないだろう。
ただ問題は、それを大義名分にして自分を自ら不幸だと自ら貶めていることなんだと思う。瞳子ちゃんは自分を不幸だと決め付けて、前に進むことを拒否している。
けど、それじゃあなんにもならない。それは、ただの思考停止だ。
いうなれば受け手の問題。誰だって、幸せなときはあるし不幸だと感じることはある。幸せなことはすぐに忘れて不幸煮ばかり目がいってしまえば、自分は不幸だと感じてしまうだろう。その逆も然り。
ああ、なんて自分は悲しい人間なんだろう、確かにその考え方は楽な生き方かもしれない。
幸せになる努力を放棄して、自分は不幸だと思考停止をすればそれ以上心が傷つくこともないのだから。
でも、それはあまりにも悲しい生き方なんじゃないだろうか。
自分だけの問題じゃない。周りだって悲しい。絶対に悲しい。
人は、誰にだって幸せになる義務がある。
幸せになる義務、それはなにも自分だけの問題じゃない。いやむしろ、自分のことを想ってくれている人に対しての義務なんだと思う。
祐巳が悲しめば、お父さんが悲しむしお母さんだって祐麒だって悲しむ。そしてもちろん祥子さまだって。
その人たちのためにも、幸せになりたいと思う。そうすれば、自分を想ってくれている人だって笑ってくれる。みんなが幸せになれる。
むろん、簡単なことじゃない。
だけど、塞ぎこまないでいたらなんにも始まらない。
幸せは、むこうからかってにはやってこない。孤独という名の釣堀に、自虐という餌をちらつかせていても幸せを吊り上げることなんてできっこない。そんな不味い餌じゃあ、食いついてくれるはせいぜい後悔ぐらいしかないだろう。
ただただ待っていてやってくるのは幸せじゃない。あったとしても、それはただの幸運。
だから例え傷つくことがあっても、それに目を逸らさないでほしい。すぐに立ち上がれなんていわない。苦しいときは、苦しいといってほしい。
それは別に自分じゃなくていい。だって、瞳子ちゃんには乃梨子ちゃんというあんなにも心配してくれている友達がいる。家出のとき祐巳の家に飛んできた柏木さんだって、心配しているのだと思う。
ううん、ひょっとしたら祐巳の知らないところで瞳子ちゃんの心配してくれる人がいるのかもれない。
だから知ってほしい、瞳子のことを好きだってはっきりといえる人間がいるってことを。そして気づいてほしい、それなのに自ら不幸になろうとすることは、その人たちの気持も踏みにじっていることを。
瞳子ちゃんからしてみれば、それは善意の押し付けにすぎないのかもしれない。
けど、最初はみんなそうだ。最初から相思相愛なんてありえるはずがない。
最初好意と呼ばれるそれは、やがて純然たる好きとなって、そしていつかは愛となる。
祐巳の瞳子ちゃんに対しての気持は、好きで止まってしまってる。もっともっと先に進みたいのに、停車を余儀なくされている。
けど、進めたい。進めていきたい。この胸に燻って停車を余儀なくされて行き場のない気持を、次の駅に進めてあげたい。
でも、一人じゃ無理。だってこのコミュニケーションという路線は、一人で運転できないようになっているから。
コミュニケーション、それは心と心のキャッチボール。相手がいて初めてすることが出来る、心の運動。
そのスポーツは、全てが相手にとって都合のいい球が飛んでくるわけじゃない。時には怒らせたり、悲しませたりすることだってある。
だけど、それは必要なことなんじゃだと思う。
そうすることによって少しずつ相手を理解でき、なおかつ相手に自分と言う人間を理解してもらえる。
悲しいことも嬉しいことも、ベクトルは真逆だけど心に刻むという意味では等価なんだ。
心を動かせるのは、心だけ。
上辺だけじゃあ、人の心は動いてくれない。
優しさ=甘さ、とまでいわないけど、自分は多分優しさを少し履き違えているところがあったんだと思う。
常日頃から無条件に人に優しくするというのは、裏を返せば「ああ、自分はなんて優しいのだろう。だから、あなたもわたしを傷つけないでくださいね」というある種の保険だったのかもしれない。
自分が、気に障った、もしくはそれは違うと思ったことに合わせることは、少なくとも優しさではない。
そこで指摘ができないでいると、いつまでたってもその人間との信頼関係は築けない。
時には相手の心を傷つける勇気をもって相対することが、本当の優しさと呼べるものではないかと最近思うようになった。
姉妹の契り、それはある種の誓約。まだ結んだわけじゃないけど、自分にとってもう瞳子ちゃんは特別な存在だ。
「だから……だけど」、
祐巳の思考の区切りに、二つの接続詞が脳内に示される。
「だけど? ……ううん、ちがう」
そう、ここの選択肢はだからが正しいに決まっている。
瞳子ちゃんは、自分にボールを投げつけてきた。
鈍感なタヌキに、立候補という名の球を投げつけてどこかへ行ってしまった。
瞳子ちゃんからしてみればそれは決別の意味を持つのかもしれないけど、そうはいかない。
次は、自分の番。
出来る、出来ないは問題じゃない。
うまくいく保障なんて、マリア様だってしてくれない。
だからって、タヌキ寝入りなんてできるはずがない。
「……やっぱり、自分は瞳子ちゃんじゃないとだめ。絶対にだめ」
祥子さまにとって妹が自分しかいなかったように、祐巳にとっての姉が祥子さましかいなかったように、自分にとっての妹は瞳子ちゃんしかいない。
じゃあ、失敗を恐れてこのまま指をくわえてずっと待つのか。それとも、
「そんなわけ、いかないよね」
正直、瞳子ちゃんの前に立つことを想像するだけで胸が痛くなるし挫けそうになる。
思わず、ごめん、なんて口走ってしまうんじゃないかって考えてしまう。
けど、もうそんなわけにはいかない。もしここで指をくわえてしまったら、後悔のあまり指を食いちぎってしまいかねない。そんな苦味の利いたスパイスを思い出に刻むなんてごめんだ。
結果がどうなれ、自分は瞳子ちゃんと向かい合わないといけない。傷つけることを恐れず、ぶつからなきゃいあけない。
だって自分は、少なくともその心においては、瞳子ちゃんのお姉さまなのだから。