【2007】 乙女の事情闘争の時間  (翠 2006-11-22 19:49:03)


※ 何かが色々とおかしなSSです

今回は短め……というか、いつもこれ位に抑えたいなぁ、とは思うのだが……

【No:2000】→【No:2003】→【No:2004】の続き (ではない?)


お昼休みを告げるチャイムが鳴った。
同時に、ミルクホ−ルへと急ぐ生徒たち。
持ってきていた荷物から、お弁当を取り出す生徒たちで教室は喧騒に包まれる。
そんな中、祐巳は持ってきていた手提げ袋を開いて、顔色を真っ青にした。
(お、お弁当忘れたーーーー!)
こんなの有り得ない。なぜ自分は、袋だけ持ってきたのだ? 
今日の荷物は、授業の関係上、確かに普段よりも多かった。
けれど、それで中身のない袋しか持ってきていないだなんて……。
(いくらなんでも気付こうよ、私……)



その頃、祐巳のお弁当箱は空を飛んでいた。
正しくは、輸送ヘリの中にあった。

食堂に置きっぱなしだったそれを、使用人の一人が発見して祐巳の母親である清子に伝えたのだ。
それを聞いた清子は、すぐさま祐巳に届けるように指示した。
本当は自分で届けたかったのだけれど、時は一刻を争う。
なにしろ、それが発見されたのは、リリアンでのお昼休み間近なのだ。
お弁当箱は、ただちに手配された輸送用ヘリコプターで輸送されることになった。
乗組員は皆、歴戦の兵たち。
ありとあらゆる戦場を渡り歩き、幾多の死線を潜り抜けてきた彼らならば、
間違いなく祐巳にお弁当を届けてくれるだろう。
全てを彼らに託して、清子は空の彼方へと消えていくヘリコプターを見送った。



「どうしたの?」
手提げ袋を覗き込んで青くなっている祐巳に、近寄ってきた由乃さんが声を掛けて来た。
「へ?」
「顔色が悪いわよ、気分でも悪いの?」
由乃さんが怪訝な表情を浮かべて、祐巳の顔を覗き込んでくる。
「う、ううん。そういうわけじゃないよ」
「じゃあ、どうしたの?」
「別に、何でもないから」
お弁当を忘れたので顔色を悪くしています、なんて恥ずかしくて言えない。
けれど、そんな祐巳に由乃さんが眉を吊り上げた。
「何か、隠してる」
「隠してないってば」
由乃さんが、じーっと見つめてくる。
祐巳は、瞬時に目を逸らした。
「やっぱり隠してるわね。何? 祥子さま関係?」
「なわけ……」
ない、とヒラヒラと手を振る。
すると、なんという運命の悪戯だろうか。
祐巳の手に握られている空の袋が、由乃さんの目の前でユラユラと揺れているではないか。
(わっ、忘れてたーっ)
咄嗟に、その袋を背に隠す。
(って、これじゃ墓穴だ)
今の一連の行動は、由乃さんの目には、物凄く怪しく映ったと思う。
案の定、由乃さんが目を細めた。なんだか、獲物を狙う獣のような目をしている。
「今――」
由乃さんが、何かを言いかけて止める。
しばらく何かを考えるような表情をしたあと――急に呆れ顔になった。
「お弁当、忘れたのね」
「……」
知らん振りしてみる。
「忘れたのね」
「……」
背中に、ジットリと汗が浮かんできた。
「忘れたんでしょ」
「う、うん……どうしよう」
情けない表情を披露する祐巳に、由乃さんが哀れみの視線を向けてきた。
「また、あの時みたいな騒ぎにならなきゃいいわね」
「ははは、まさか」
そう何度も、あんなことがあってたまるか――と思いながら祐巳は答えた。



鉄の扉が開け放たれる。
そこには、青い空が広がっていた。
一歩間違えれば真っ逆さまだというのに、その開かれた扉の前に、
一人の男が恐れを知らないかのように歩み寄った。
眼下に見えるは、リリアン女学園。
そこを見下ろしながら、その男は首に掛けていたゴーグルを顔へと掛け直した。



空の袋を手に持ったまま、祐巳は途方に暮れていた。
さすがの祐巳も、財布くらいは持っている。だから、ミルクホールへ向かえばいい。
パンとか、ジュースくらいはあるだろう。なければケーキで我慢しよう。そう思った。
けれど、残念なことに、財布の中にはカードしかなかった。
由乃さんに聞いたところ、ミルクホールでカードは使えないそうだ。
お父さんが、何かの役には立つだろうと持たせてくれたのだが、
持っていても役に立たないのなら返そう、と思った。
「お金、貸そうか?」
由乃さんが言ってきたが、祐巳は首を振った。
「お金の貸し借りは友人関係に罅を入れる、っていうのがお祖母ちゃんの口癖だから」
小さな頃から、何度も言われていた。過去に、友人と何かあったのだろうか? 
それはともかく。
「お姉ちゃんのところに行ってくる」
友人ではないから、借りても大丈夫だろう。
まさか、お姉ちゃんもカードしか持っていない、ということはないと思うし。
そういう点、お姉ちゃんは祐巳よりも遥かにしっかりとしているから。
「そうね、その方がいいわね」
由乃さんも賛成してくれた――と、その由乃さんが急に妙な表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「変な音が聞こえない?」
「そう?」
キョロキョロしてみるが、別に変な音なんて聞こえてこない。
けれど、面白探知機の由乃さんが、変な音とか言うくらいだ。きっと何かあるに違いない。
そう考えて、祐巳が忙しなく周辺に目を向けていると――。
「あっ!」
由乃さんが声を上げた。
「どうしたの?」
尋ねると、由乃さんが自分の右手の人差し指を天井に向けた。
「ええっと、それって何のつもり?」
天井がどうかしたのだろうか、と思って見上げてみるが、特になんともないようだ。
再び視線を由乃さんに戻す。
「何もないけど?」
「そうじゃなくて、もっと上の方で変な音がしない?」
もっと上? どういうことだろうか? 
祐巳が首を捻っていると、由乃さんが腕を掴んできた。
「窓の方に行けば分かるわ」
何故だろうか? 
本能が、行くな、と告げていた。



ホバリング中のヘリコプターの内部で、回転翼の音をBGMに、頬に傷のある男が静かに言った。
「幸運を祈る」
それに対し、祐巳のお弁当箱の入った袋を大切に抱えた男が、親指を立てて不敵に笑う。
その男は、仲間たちに次々と肩を叩かれていた。
彼は、これから戦場へと向かうのだ。
男は、開け放たれた扉からゴーグル越しに眼下を睥睨し、もう一度不敵に笑うと、
迷うことなく己の身を宙へと躍らせた。
祐巳のお弁当箱を抱えた屈強の戦士の身体が、仲間たちの見守る中、次第に小さくなっていく。
頬に傷のある男は確信していた。
ヤツならやってくれる――と。
祐巳お嬢様に、無事にお弁当を届けるだろう――と。
あの男とは、敵だったこともある。何度も殺しあったことがある。
この頬にある傷だって、あの男に付けられたものだ。
だが、共に幾つもの戦場を渡り歩いてきた、戦友でもあるのだ。
視界の中で、段々と小さくなっていく戦友の姿から目を離し、男は操縦士へと視線を向けた。
彼の肩に手を置き、野太い声で命令を出す。
「ハンバーグ、食いたくないか?」
なんだか命令じゃないような気もするが、操縦士は何も言わずに力強く頷いた。
それを見て、頬に傷を持つ男は満足げに頷きながら言った。
「帰ったらメシだ」
傷男の背後で、迷彩服に身を包んだ男たちが歓声を上げた。

飛び去るヘリコプターの下には、祐巳が通っているリリアン女学園があった。
しばらくして、空中でパッと小さな花が咲いた。
パラシュートと呼ばれる、迷彩柄の花が――。



「パラシュートみたいね」
窓辺で呟く由乃さんの隣で、祐巳は頭を抱えていた。
嫌な予感がする。ものすごく嫌な予感がする。
なんだか中等部の頃にも、今と同じように、嫌な予感がしたことがあったような気がする。
しかも、その時も、お弁当を忘れていた時だったような気がする。
「あれ、間違いなく祐巳さん関係だと思う」
青い空と、そこにある迷彩柄のパラシュートを眺めながら、由乃さんが言った。
何故分かるのかは知らないが、由乃さんが言うのなら、きっとそうなのだろう。
……というか、この近辺であんな迷彩柄のパラシュートなんて、そうとしか考えられない。
「もう、ヤぁだぁぁ」
祐巳はその場に泣き崩れた。



パラシュートが降ってきた。
ついでに、迷彩服を着た男も降って来た。
学園は大騒ぎだった。
でも、中等部の時よりはマシなのだ。
あの時は、数人の屈強な男たちが屋上から垂らしたロープを伝って、
祐巳のクラスの窓をぶち破り、お弁当を届けに来たのだから。
(ほら、だから今回は大分マシ……なわけないよね……)
大勢の生徒たちが見守るグラウンドの中央で、こちらに向かって敬礼する男から、
顔全体を引き攣らせながら、祐巳は渋々とお弁当箱を受け取った。
離れたところでこちらを見ている由乃さんは、ずっと呆れ顔だった。
見守っている生徒たちの方から、ヒソヒソと何かを話す声が聞こえてくる。
何を話しているのかまでは分からないが、きっと碌なことではないだろう。
穴があったら入りたい、と思った。
できれば一生。
祐巳は、そこで地底人として暮らすのだ。
(お母さんの大ばかっ! 非常識っ! なんで私が、こんな大恥をかかなきゃいけないのよっ)
非常識は自分もそうなのだが、この際、それは棚に上げておく。
ついでに、お弁当を忘れた自分が悪いのだが、それすらも忘却の彼方へと追いやっておく。
(今度という今度はっ!)
帰宅したら一番に、お母さんに文句を言ってやる、と祐巳は心に決めた。
けれど、それよりも――。
「小笠原さん、生活指導室まで来なさい」
どうやら、シスターたちのお小言の方が先のようだ。

……ちなみに、お弁当箱の中身は、大空から一緒に降下してきたとは思えないほど綺麗だった。
流石はプロだ、と感心した。


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