【2008】 やってしまいました善意の裏切り  (朝生行幸 2006-11-23 00:25:00)


(ちょっと、本気なの?)
(モチの論よ。このチャンスを生かさずして、写真部のエースは語れないわ)
(でも、祐巳さんならともかく、由乃さんは激怒するかも)
(ふふん、薔薇さますら恐れないこの私が、つぼみごときに怯むと思う?)
(思わないけど……、でも、ねぇ)
(無理にとは言わないわよ。でも、あなたに我慢ができるんでしょうかねぇ?)

 薄暗い廊下にて、なにやら小声でボソボソとやり取りしているのは、写真部のエースこと武嶋蔦子と、新聞部部長山口真美だった。
 しかも場所が場所、なんとそこは、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳と黄薔薇のつぼみ島津由乃に割り当てられた部屋の扉の前で、現地時間でそろそろ日付が変わろうというところ。
 彼女たち二年生は、ただいまイタリア修学旅行の真っ最中。
 しかもつぼみ二人が同室となれば、その中を窺いたいという欲求は、蔦子だけに生じるものではあるまい。
 更には、旅行前の部屋割りでは、由乃が執拗に祐巳との同室を希望していたことを考えると、ひょっとしたらひょっとするかもしれないと、邪推もしようものだ。

(でも、どうやって入るの?)
(ふふん、鍵ならここにあるわ)
(どうやって!?)
(閉め出されました、ってフロントに言って借りただけ。なんせ200人からの生徒が居るんだから、いちいちご丁寧に応じていられないわよねホテル側も先生も、ね)
(あっきれた……)
(スクープは、来たるを待つのではなくて、取りに行くものじゃなかったかしら?)
(……おっしゃる通り)
(納得した? じゃぁ、神秘の空間へごきげんよ〜う)

 音も立てずに、カチャリとした手ごたえと共に鍵を開けた蔦子。
 真美からすれば、普段からこんなことしてんじゃないかしらと、やたらと慣れた手つきに呆れるばかり。
 目で真美に指示しながら蔦子は、足音を立てずにジリジリと進む。
 部屋の構造は蔦子たちの部屋と同じだから、暗くてもそれほど困らない。
 しかしやはり暗いのはいただけない、蔦子はペンライトで足元を照らしながら、真美を誘導しつつ奥に向かう。
 寝室の扉の前で立ち止まり、そのまま中の気配を窺えば、確かに二人分がある。
 聞き耳をたてて、微かに聞こえる呼吸の回数を、時計を見ながら数えてみる。
 睡眠時の呼吸は深くて長いため、活動中とは明らかに違う。
 どうやら二人は、移動の疲れが出ているのか熟睡しているようだ。
 真美に頷いた蔦子は、再び音を立てずに、寝室のドアを開けた。

(こっちは由乃さん……、どうしたのかしら? 額にタオルを置いてるわ)
(ああ、少し体調を崩したのかも。イベントがあると、今でもたまに発熱するって聞いたわ)
(大丈夫なのかしら?)
 寝室は真っ暗ではなく、小さな電球が灯っており、少なくとも歩くに困らない状況だった。
(うん、寝息も落ち着いているし、顔色……はちょっと分かり難いけど、問題なさそうね)
(良かった。イタリアまで来て病気になったんじゃ、意味無いものね)
(だから、激写チャーンス♪ ごめんね由乃さん)
 出来るだけ音が出ないように防音処理を施したカメラを由乃に向けながら、シャッターを切る蔦子。
 フラッシュが瞬くが、由乃も隣に寝ている祐巳も、目を覚ます気配はない。
(それにしても……、由乃さんは行儀良い寝相なのに、祐巳さんったらどうよコレ)
 由乃はしっかり布団をかぶってピッシリ上を向いて寝ているのに対し、祐巳と来たら、まるで『卍』のような形で掛け布団をほとんど蹴っ飛ばし、へそ丸出しで大口を開けて寝ている始末。
(祐巳さんらしいわね。でもまぁ、こんなのが欲しかったのだから、結果オーライってことで)
 被写体が動かない上、自分の姿勢も限定されるから、思うようなアングルで撮影出来ないが、それでも出来るだけバリエーションが増えるよう、工夫して撮影しまくる。
 調子に乗って、パシャパシャやってると。
「う……、ううん」
((ドキッ!?))
 祐巳が身じろぎし、蔦子と真美が一瞬硬直した。
 すぐさまベッドの陰に身を隠し、様子を窺う。
 しかし祐巳は、うつ伏せになると、すぐに寝息を立て始めた。
(ふぅ〜、ビックリさせないでよね)
(まったく、寿命が縮まるわ)
 安堵のため息を吐いていると、今度は由乃がガバチョと身を起こした。
 ベッドの陰から立ち上がったところだったので、先ほどよりも驚きの度合いが強かった。
 由乃の目は焦点が定まっていないが、明らかにこちらを見ている。
「……誰?」
 顔を引き攣らせて蔦子と真美は、どんな言い訳をしようかと、必死で頭を回転させる。
「由乃」
 意を決して蔦子は、彼女の姉っぽく声色を使って、由乃の名を呼んだ。
 驚いた真美。
 その声は、若干の違いは感じられるもの、黄薔薇さま──由乃の姉、支倉令──の声に良く似ていたのだ。
「……令ちゃん? 来てくれたの?」
「うん。大丈夫よ、私がずっと由乃のそばに居るから、安心してお休み」
「ありがと令ちゃん。オヤスミ」
 少しはにかんだように、それでいてとても嬉しそうな顔で由乃は、再びベッドに身を横たえた。
 すぐに聞こえ始めた寝息に、真美は大きく息を吐いた。
(潮時ね)
(そうね)
 安心しきった表情で眠る由乃の寝顔を最後に撮影し、二人は静かにその部屋を後にした。

「悪いことしちゃったかなぁ」
「ある意味信用を裏切る行為だったかもしれないわ。でもまぁあの二人は、そんなことあまり気にしないと思うけどね」
 自室に戻る道すがら、若干の後悔を含んだ二人の会話が廊下に響く。
「それにしても……」
「何?」
「蔦子さん、変な……って言うと失礼だけど、特技持ってたのね」
「まぁね、隠れているのがバレた時に、人の声音を使うと切り抜けられることがあるから」
「普段何してるんだか」
「あら、いたってまともな撮影よ」
「まぁ助かったから、そういうことにしときましょうか」
 フロントに祐巳たちの部屋の鍵を返して二人は、大きな欠伸を繰り返したのだった。


 後に(半ば強引に)公開された紅薔薇と黄薔薇のつぼみの写真だが、寝相の悪い祐巳の写真よりも、穏やかな表情で眠る由乃の写真の方が人気が高かったため、祐巳は内心面白くなかったのだった……。


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