島津由乃にとって、秋は特別な季節だ。
正確に言えば、つい昨年、特別な季節になった。
島津由乃が“島津由乃”になった季節だ。
枯葉を転がす風が体温を一緒にさらっていく。
そういえば何日か前に、木枯らし1号が吹いたなどとテレビで言っていた。
すでに陽は傾きかけている。
放課後の学び舎は、未だ部活動に勤しむ生徒たちで賑やかではあるが、どうにも冬を控えたこの空気が寂しさを感じさせる。
「でも冬になったらなったで、クリスマスやら正月やらで盛り上がるんだから。薄情よね」
自分でもよくわからない独り言をつぶやきつつ薔薇の館へ向かう。
「ごきげんよう、と誰もいないか」
階段を軋ませ、仰々しい扉を開いた先には誰もいない見慣れた部屋しかなかった。
つい先日茶話会という名のオーディションが行われた室内は、あのときの騒々しさの欠片がそこかしこに転がっており、それがかえって寂しさを演出する。
「これがワビサビってやつかしらね」
やや乱暴にかばんを置き、流しへ向かう。
寒い日は、あったかい紅茶に限る。
「む」
いつも通りに紅茶をいれようとしたところ、棚の中に生クリームを発見。
「茶話会の余りかしら」
パックをつまんでプラプラと揺らす。賞味期限は十分だ。
「ふむ」
ウィンナーコーヒーも悪くない。ラム酒があればラムウィンナーティーもできる。
もう少し何かないかと棚を探索。すると出てくるジャムにクラッカーにシナモンスティック。
「ふむ」
今一度思索。
ロシアンティーもできるが、そうなるとブランデーもほしい。ジャムはクラッカーに使おう。
残ったのは生クリームとシナモンスティック。
「よし」
まずシナモンスティックを砕く。4人分で1本が目安。全員分を考えても一本半で十分だろう。
茶葉は贅沢にウヴァのフラワリー・オレンジペコー。
これらを手鍋に移し、汲みたての水と、同じくらい牛乳を入れて火にかける。
その間に生クリームを泡立てて、と。
ふわりと芳香漂う手鍋を横に、カチャカチャと泡だて器を振るう。
令ちゃんと二人での作業もいいが、こうして友達を迎えるために少し気合を入れてお茶を準備するのも悪くない。
姉の気持ちがよくわかる。
料理やお菓子作りといったことは、誰かのためであればこそ楽しいものだ。
「ごきげんよう、いい香りね」
ふわふわと匂いに誘われてやってきたのは、蝶々ならぬ藤堂志摩子だった。
「ごきげんよう。お茶をいれようとしたら、ちょっといいものを見つけてね」
「いいもの?」
「そ。もうすぐできるから、待っててくれる?」
ホイップクリームもだいぶ固くなってきた。お茶のほうも十分抽出されたようだ。
「それなら、カップの用意をしておくわ。6人分でいいのかしら?」
「そうね……祐巳さんはもうすぐ来ると思うけど、祥子さまたちの分は薔薇の館に来てからでいいと思う」
冷めると美味しくないし、と付け加え、火を止める。
手鍋から漉してカップへそそぎ、残りも漉しながら後で温めなおせるように火にかけられるポットに移す。
ホイップクリームをたっぷりのせてから、シナモンパウダーを一つまみ。
シナモンの豊かな香りが際立つ。
あとはカップの横にクラッカーを添えて完成!
「それじゃ、お茶にしましょうか」
「ええ。美味しそうね、令さまに教わったの?」
3組のカップ・アンド・ソーサーをテーブルへ運ぶ。
「うん。令ちゃ、じゃなかったお姉さまはお菓子作りだけじゃなくて、お菓子に合ったお茶とかにも凝っててね」
教えてもらったときは、わざわざこんな面倒な作り方しなくてもと思ったが、なかなかどうして試してみる機会というのはあるものだ。
さて、紅茶も並べ終わり、席についてさあ頂こうとしたとき。
「ごきげんよう!」
と、その内に秘めたる活力も露わにビスケット扉から現れたのは紅薔薇のつぼみその人。
ごきげんよう、と返す二人に今日も寒いねと笑いかける。
お茶があるよ、と薦めたところでいつもと違うことに気づいたようだ。
「わ、なんか豪華だね。今日何かあったっけ?」
「ううん、材料があったから作ってみただけ。あったかいうちにどーぞ」
目を輝かせてやってくる祐巳さんを待つ。
それがまた楽しくて、自然と笑みが浮かんだ。
改めて3人で、いただきます、と声をそろえた。
「あー、あったかくて甘くて美味しーい」
「ふふ、そうね。あら祐巳さん、クリームがついてるわよ」
「え、どこ?取れた?」
「口の周りじゃないわ。鼻の頭よ」
「わわ」
手ずからいれたシナモン・ミルクティーを話の種に、じゃれあう二人が視界に踊る。
以前は水面に映る景色のように手を伸ばせば揺らいで消えてしまっていたそれは、今や銀幕よりも鮮やかにそこに存在する。
白い薔薇は眩しいほどに咲き誇り、
紅い薔薇のつぼみからはあたたかな緋色がこぼれている。
冬を越え春になれば、満開の桜もかくやとリリアンを彩ることだろう。
きっと、私のつぼみがまだ一番小さい。
温室育ちどころではない。種のまま、引き出しの奥に大切にしまわれていたに過ぎない。
だがそれも、1年前までの話だ。
今確実に、島津由乃は“島津由乃”を生きている。
まだ細く、弱く、小さい。
でも、必ず春には葉を繁らし、大輪を咲かせよう。
白薔薇よりも華やかに、紅薔薇よりもたくましく。
「とても美味しかったわ。ごちそうさま」
「うん、何かやる気出てきた。ありがとう、由乃さん」
紅白の薔薇と共に。